55. レオン様の口撃
(……っ!)
衝撃と羞恥心で、軽いめまいがした。
多くの貴族が私たちの動向を見守っている中で、マチルダは、私の夫であり辺境伯であるレオン様に、色目を使っているのだ。
あまりにも露骨で軽薄な妹の言動に、指先が震える。
マチルダとニルス様、それにフェルナー伯爵夫妻との関係が、今どうなっているのかは知らない。
けれど、誰の目にもはっきりと映っていた。
マチルダの関心がレオン様に向けられていることを。
(この子……また私から、夫を奪おうでも思っているの?)
レオン様がマチルダになど微塵も心を動かすことがないのは、分かっていた。この方は女性の美貌だけに目が眩むような、浅慮な人ではない。そして、私を妻として尊重し、心から大切にしてくれている。それはよく分かっていた。
けれど、仮にもこの子は私の実妹なのだ。それなのに、努力して築いてきた私の生活を、何のためらいもなくまた壊そうとしている。その事実に、私は傷付いていた。
妹にとって、私は姉などではない。
ただの背景。その辺の置物。道に生えている雑草程度の存在なのだ。
こちらにだって、身内としての情はさほどない。けれどそれでも私は、実妹にこんなひどいことをしようなんて、決して思わない。
喉の奥がツンと痛んだ、その時だった。
レオン様がはっきりとした口調で言い放った。
「運命? ……縁あって我が辺境の地に嫁いで来てくれ、リングレンの未来を私とともに築くために努力を惜しまない妻を得ることができ、その幸運を日々噛み締めてはいる。リエラと出会えたことが運命だと言うのならば、私は神に感謝しよう。……だが、あなたには一切そのようなものは感じないのだが」
「……は……、え?」
周囲にざわめきと失笑が広がる。レオン様の辛辣な言葉に胸がひやりとし、込み上げそうになっていた悔し涙は、たちまち引っ込んだ。
マチルダは頬を引きつらせ、レオン様を見つめている。
彼はなおもマチルダに追い打ちをかけた。
「あなたの言う、その浅い運命とやらについて語りたいのならば、ご夫君とすべきではなかろうか。なぜ初対面の私に? 先ほどからあなたの態度も、不躾で大変不愉快だ。私と最愛の妻に対する侮辱でもある」
(っ! さ……、最愛の、妻……!?)
さり気なく発せられたその言葉に心臓が跳ね、体に力が入る。こんな時だというのに、私の胸は素直に反応し、高鳴ってしまう。周囲のざわめきが大きくなった。
動揺する私の隣で、レオン様の口からは刺々しい言葉が重ねられる。
「ローゼン男爵家では、淑女の嗜みについて教えてこなかったのか。フェルナー伯爵家でも、まともな夫人教育はなされていないようだな。残念なことだ。このような未熟な女性を、王宮の祝賀の場に連れてくるとは」
「……っ!! た、大変ご無礼を、閣下……!」
後方であ然としていたフェルナー伯爵が、慌てた様子で前に出てきた。ローゼン男爵家で育ったマチルダだけれど、離縁していないのならば、今はフェルナー伯爵家の人間だ。
フェルナー伯爵夫人がマチルダの腕を乱暴に摑み、後ろへと下がらせる。
大勢の注目を浴びる中、彼らは真っ青な顔で何やらもごもごと詫びの言葉を口にしながら、下がっていった。母もフェルナー伯爵夫人も、今にも卒倒しそうな様子だった。
皆が離れていく時、ニルス様だけが最後まで私のことを見つめていた。
思わず視線が、彼に移動してしまう。
「……」
すると目が合ったニルス様は、唇の端を不気味に歪ませ、目を細めた。私に笑いかけているのだと気付き、背筋にぞくりと寒気が走る。
形容しがたい薄気味悪さに、ごくりと喉が鳴った。
ニルス様も踵を返し、彼ら全員の後ろ姿が遠ざかる。
するとレオン様が、気遣わしげに私の顔を覗き込んだ。
「……大丈夫かい? リエラ。震えている」
「……い、いえ。大丈夫です、レオン様」
取り繕うようにそう言い見上げると、レオン様は眉尻を下げた。そして、自分のせいで私が怯えているとでも思ったのか、謝罪の言葉を口にする。
「すまない。君に対してあまりにも無礼だと腹が立ち、奴らを執拗に非難してしまった。注目を浴びて嫌だったろう、リエラ。私も大人げなかったな」
「いえ、大人げないのはマチルダですので……。こちらこそ、あんな妹でお恥ずかしい限りです。ごめんなさい、レオン様」
そう謝ると、レオン様は間髪を容れずに答える。
「君が謝る理由はない。教育は両親の責任だし、君はもうリングレンの人間なのだから。無関係だよ」
「……レオン様……」
きっぱりとした口調に、胸が熱くなる。レオン様はいつどんな時でも、私のことを気遣ってくださる。
その時、背後からテオ先生の声が聞こえた。
「いやぁ、驚きました。まさか建国祭の会場で、既婚の女性がリングレン辺境伯に向かって運命を語りはじめるとは。お疲れ様でした、兄上」
振り返ると、テオ先生とユリアーネ様が立っていた。
ユリアーネ様は心配そうな表情で私のことを見ている。穴があったら入りたい。
レオン様が小さく嘆息した。
「明日には確実に王家の耳に入っているだろうな。愚かな連中だ」
周囲で成り行きを見守っていた貴族たちが、ひそひそと話しながら散開する。
「大丈夫? リエラさん」
「た、大変お騒がせいたしました。ユリアーネ様……」
優しい声に泣きたい気持ちになりながら謝罪をすると、ユリアーネ様が私の腕にそっと手を触れた。
「実家にいらした頃のあなたの苦労が見て取れたわ」




