49. 建国祭の始まり
大広間の中をゆっくりと歩いていると、周囲にざわめきが戻りはじめた。
「……レオンハルト・リングレン辺境伯と言ったか……? あの方が……?」
「嘘だろう? 噂とは全くの別人じゃないか」
「ね、お聞きになった? あの方が……」
「本当なのかしら。あんなにお若くて、しかもお美しい殿方だなんて……」
「素敵だわ……。まるで物語から抜け出してきたようなお方じゃないの、リングレン辺境伯閣下って」
「隣の華やかな女性が、リングレン辺境伯閣下の奥方……?」
「どこの家の方だったか」
「さぁ、よくは知らんが、たしかリングレンに嫁いだのは、下位貴族家のどこかの女性じゃなかったか」
(……っ)
無数のざわめきの中から時折漏れ聞こえる言葉は、全て私とレオン様に関する内容だった。
皆が遠巻きにこちらを見つめながら、様々なことを話し続けている。
平常心を保たねばと自分に言い聞かせても、指先が震えはじめた。その時だった。
私たちの前に出来た空間を、真っ直ぐにこちらへと歩いてくる男性がいた。
銀縁眼鏡の彼を見た瞬間、自然と顔が綻ぶ。
「やぁ、やっとお出ましですか。随分と遅かったですねぇ。高位貴族たちはもうほとんど入場しているようですよ」
「テオ先……、テ、テオドール様。ご無沙汰しています」
周囲の耳を意識し、私は慌てて呼び方を変える。
テオ先生は屈託のない笑顔を私に見せる。
「お久しぶりです、リエラさん。今日はまた一段と美しい。皆あなたに見惚れているじゃないですか」
「え? いえ、そんな……。あ、ありがとうございます」
もじもじしながらテオ先生に答えていると、レオン様が口を開いた。
「案外時間ギリギリになってしまったな。出発前に少しのんびりしすぎたようだ。……母上は?」
「いますよ」
テオ先生が振り返ると、ユリアーネ様が悠然とした笑みを浮かべ、こちらに歩み寄ってきていた。深緑のドレスに身を包んだ彼女は、胸元や耳元で揺れるエメラルドの輝きによって、その気品を一層際立たせていた。
「ふふ。久々にお会いする旧友たちとのお喋りに花が咲いてしまうわね。王都へ出てくることなんて全然なかったから。……ごきげんよう、リエラさん」
「ごきげんよう、ユリアーネ様」
膝を曲げ挨拶を返すと、ユリアーネ様が目を細める。見知った人たちに囲まれたことで、気持ちが随分と落ち着いた。
テオ先生のさり気ない言葉が気になり、私は誰にともなく尋ねる。
「あの、高位貴族の方々はほとんど入場しているとおっしゃいましたが……、お、大広間の外にいた方々は……? まだ大勢いらっしゃいました」
すると、テオ先生がさらりと答えた。
「ああ、ほとんどが子爵家や男爵家の者たちでしょうね」
「そ……、そうなのですね」
皆きらびやかなので、高位貴族家の人たちなのだと思っていた。
どうやら一口に男爵家といっても様々らしい。ローゼンしか知らない私にとっては、驚きの事実だった。
(ローゼンといえば……、父と母も、もう来ているのかしら。それに、マチルダたちも……?)
入り口の扉からは、続々と貴族たちが入場してくる。
けれど、彼らの姿はまだ見えなかった。
大広間の最奥の近くで、レオン様やテオ先生、そしてユリアーネ様とお話をしているうちに、いつの間にか全ての貴族の入場が終わっていたようだ。時折ユリアーネ様から紹介される貴婦人へ挨拶をすることに必死で、侍従が家名を読み上げる声など、ほとんど耳に入っていなかったのだ。
やがて、不意に楽団の演奏が止んだ。
先ほどまで賑やかだった大広間は、波が引くように静まり返る。
集まっていた貴族たちが一斉に会話を止め、正面へと向き直った。
戸惑う私の耳元で、レオン様が囁く。
「王族の入場だ」
(……なるほど)
私は無言で小さく頷く。侍従の厳かな声が響き渡った。
「国王陛下、並びに王妃陛下、ご入場にございます!」
すると、いつの間にか閉じられていた正面の大扉が、ゆっくりと開いた。
その先から、豪奢な衣装に身を包んだ人々が現れる。
大広間中の視線が一斉にそちらへと集まり、私も吸い寄せられるように目を向けた。
白銀の髪の国王陛下は、真っ直ぐに背筋を伸ばし正面を見据え、堂々たる足取りで奥へと進んでいく。その姿には、一国を統べる王に相応しい、揺るぎない威厳があった。
王妃陛下は、とても美しい方だった。
胸元や巻き上げた髪を彩る宝石はまばゆいほど豪華だけれど、それすら霞んで見えるほど、ご自身が華やかな存在感を放っていた。
両陛下の存在感に圧倒され、胸を高鳴らせながら、私はその姿を一心に見つめた。
続いて、王子殿下や王女殿下たちが入場される。誰もが発光しているようなオーラを纏っていた。
(はぁ……。王族ってすごいわ。絵本の中から現実世界に飛び出してきたみたい。神々しいなぁ……)
あくまで他人事のようにそんなことを思いながら、私は感心していた。
やがて一組のご夫婦が進み出ると、順に王族への挨拶が始まった。
高位貴族家から挨拶をするということは学んでいた。おそらく最初に向かった二人が、筆頭公爵家の方なのだろう。それに続くように、他の方々も挨拶の列に並ぶため動きはじめた。
私は列の先頭へ視線を向けながら、知らず知らずのうちに喉を鳴らした。
王族への挨拶を終えた貴族たちが、列を離れていく。
「私たちも行こうか、リエラ」
レオン様が私に向かって、小さな声でそう言った。
「は、はいっ」
(も、もう私たちの番なの!? 早い……)
返事をしたものの、緊張で声が少し裏返る。
私はレオン様に続き、足を進めた。心臓が今にも破裂しそうだ。
そしてついに、国王陛下の前へと立った。礼をとるレオン様に続き、私も慎重にカーテシーをする。
レオン様が凛々しい声を発した。
「ベルティア王国の太陽たる陛下、並びに王妃陛下に、謹んでご挨拶申し上げます。建国百五十年という記念すべき佳節に立ち会えますこと、光栄に存じます」
ここまで来ると、逆に覚悟が決まった。
私は深く息を吸い、言葉を紡ぐ。
「初めてお目にかかります。リエラ・リングレンにございます。このような佳き日にお目通りが叶いましたこと、大変光栄に存じます」
つっかえることなく挨拶の言葉を言えたことで内心ほっとしていると、お腹の底に響くような国王陛下の貫禄ある声が響いた。
「遠路はるばるご苦労だった、リングレン辺境伯、夫人。活躍は聞き及んでおる。特に、近時の辺境伯領の発展は目を見張るものがあるな。辺境伯には、あとでゆっくり話を聞きたい」
「は。身に余るお言葉にございます」
レオン様が丁重に返事をすると、王妃陛下が穏和な眼差しでこちらを見た。
「あなたがリエラさんね。噂はかねがね伺っているわ。リングレンの新薬や美容クリームの話は、私のサロンでもよく話題に上るのよ」
(……っ!!)
そんな風に言葉をかけられ、私は一瞬にして頭が真っ白になってしまった。
「こ……っ、光栄でございます」
どうにかそれだけ返したものの、気の利いた続きの文句がまるで浮かんでこない。冷や汗を浮かべ固まっていると、レオン様が助け舟を出してくれた。
「ありがたいお言葉でございます、王妃陛下。我がリングレンの地に新設した薬草工房の発展も、新薬やクリームの開発も、彼女なくしては成し得なかったことです」
すると国王陛下も、感心したように頷いた。
「商人たちが競うように取引を持ちかけているとか。ますます忙しくなるな」
「……こ、光栄でございます、陛下」
場馴れしていない私は同じような文句を繰り返し、ぎこちない動きで両陛下の前を辞したのだった。




