46. 出発!
建国祭への出席が決まってからというもの、私の周囲はにわかに慌ただしくなった。
レオン様に呼び寄せられリングレン邸を訪れたヘルミーナ夫人は、これまで見てきた中で最も張り切った表情をしていた。
「閣下とリエラ様の結婚式の衣装はもちろんですが、まずは建国祭ですわ! 建国百五十年の記念祭ともなれば、王族の方々をはじめ、この国中の名だたる貴族が一堂に集まります。そんな場にお出ましになるのですから、リングレン辺境伯夫人に相応しい、最高の装いをご用意いたしますわ!」
「……よ……っ、よろしくお願いしますね、ヘルミーナ夫人」
激しい勢いに気圧されつつも、私はそうお願いしたのだった。
その日から、ヘルミーナ夫人は毎日のようにこの屋敷へと足を運んできた。そして生地や刺繍の見本を広げては、レオン様や私の希望を細かく聞き、私の体の精密な採寸をしたり、仮縫いのドレスを何度も調製したりした。
そうして完成したドレスを初めて目にした時、私は言葉を失った。
「……まぁ……」
レオン様の目と同じ、深い青のドレス。
陽の光を受けると鮮やかに輝く、完璧な美しい青だった。
幾重にも布を重ねた裾には、繊細な銀糸の刺繍が施されており、光を受けるたび淡くきらめく。まるでリングレンの雪原に降る月明かりのようだ。
胸元から肩にかけても、細やかな銀糸の蔓模様が這うように刺繍され、その先には小さな氷の花のような意匠が散りばめられていた。北の地の主であるレオン様の妻として、きっとこれほど相応しい衣装はない。
息が詰まるほどドキドキしながら試着をし、姿見に映った自分の姿を見た私は、感激のあまりめまいがした。
「辺境伯閣下のご要望に添い、深青で誂えさせていただきましたの。とてもお似合いですわ、リエラ様」
「ほ、本当に……? ヘルミーナ夫人」
心臓の鼓動を抑えようと深く呼吸をしながら、私はヘルミーナ夫人にそう尋ねた。彼女は自信たっぷりの表情で頷く。
「ええ! 当日はきっと、王宮に集うどなた様よりも美しく輝いておられるはずですわ……!」
「あ、ありがとう……」
姿見の中の私は、本当に自分自身なのかと目を疑ってしまうほどに、美しく見えた。
(ド……、ドレスのおかげよね。このドレスがあまりにも神々しいから……)
そう自分に言い聞かせ、気持ちを落ち着けようと努力しつつも、視線は姿見に吸い寄せられる。胸がときめいて仕方なかった。
それからの数週間、準備は慌ただしく進められ、ついに私とレオン様は王宮に向けて出発したのだった。
私たちが乗るリングレンの紋章が入った豪奢な馬車の後ろには、侍女や従者たちを乗せた馬車、衣装や荷物を積んだ荷馬車が続き、長い隊列ができている。列の周囲は、辺境伯家の護衛騎士たちがしっかりと固めていた。
「……リエラ。そんなに夢中になって読んでいると、揺れで酔ってしまうよ」
馬車が進みはじめてしばらくしてから、私はかじりつくようにマナーの本を読んでいた。向かいに座っているレオン様はそんな私に苦笑し、そう声をかけてくる。
「すっ、すみません……。ですが、王宮のパーティーに行くなど、初めてのことですし……! 王族の方々や高位貴族の皆様が集まる場で失敗でもしたらと思うと、お、落ち着かなくて……!」
そう言いながら、私はまた本に視線を落とし、ページをめくる。
「どのような順番で挨拶をするべきなのかとか、夜会での振る舞いとか、もう一度復習しておきませんと……!」
必死で言い募る私に、レオン様が声を出して笑う。
「王宮に着くまで、あと何日かかると思っているんだい? そんなに神経を張りつめていたら、着いた頃にはぐったりしてしまっているよ。……大丈夫だよ、リエラ。私がずっと君の隣にいるのだから」
「……レオン様……」
いつもの穏やかな声でそう言われ、本を握りしめていた手や肩から、少し力が抜ける。
「片時も離れずにね。君が困ることがないようフォローするし、心配はいらない。そもそも、君のマナーはもう十分、辺境伯夫人らしく身に付いているよ」
「……本当ですか?」
「もちろん」
不安が拭えず、縋るようにそう尋ねる私に、レオン様は間髪を容れずに頷く。
「まぁ、ダンスは私に身を委ねるくらいの気持ちでいてくれたらいいさ。恥はかかせない。大丈夫だよ」
「う……っ、す、すみません。よろしくお願いします……」
「ははは」
素直にそう頼る私を見て、レオン様が楽しそうに笑う。ダンスに関しては、本当に自信がない。これまでマナーやその他の勉強、薬草事業のことばかりに夢中になっていて、ダンスの練習なんてほとんどしたことがなかったのだ。この数週間で何度かレオン様に手ほどきを受けたものの、我ながらあまり上達した気がしない……。
ユリアーネ様は別邸からご自分の馬車で、そしてテオ先生も、ローゼンから王宮へ向かうという。再会の期待に、楽しみが募る。
私たちの一行は街道を南へどんどん進み、途中いくつもの街で休息を取り、各地の宿で夜を明かしながら王都を目指した。
リングレンの景色にすっかり慣れた私にとって、南へ向かうにつれ変わっていく景色は新鮮だった。
街道沿いの木々は若葉を繁らせ、畑では農民たちが忙しそうに働いている。
そうして旅を続け、七日目の昼過ぎ。
馬車の小窓から見える景色が、大きく変わった。
「……あ」
地平線の向こうに巨大な城壁が見え、思わず声が漏れる。
高くそびえる塔や、どこまでも広がる街並み。
そして、その中心に堂々と佇む王宮。
これまで見てきたどの街とも比べものにならない規模だ。
向かいに座るレオン様が微笑む。
「ようやく王都が見えてきたな」
鼓動が高鳴り、私は窓へと身を寄せる。
リングレンに嫁いでいく時だって、この辺りを通っていったのだから、一度は見ているはずの景色だ。けれどあの時の私は、王都の景色を楽しむ余裕など微塵もなかった。
だけど、今は違う。
大好きな優しい夫と二人で招かれて、王宮でのパーティーに向かっているのだから。
リングレン辺境伯夫人として。
(まさか私の人生に、こんな日が訪れるなんて……)
感慨にふけりつつも、この王国の頂点に立つ王族の方々や国中の有力貴族たちが一堂に会する場へ、これから自分も身を置くのだと思うと、胸の鼓動は騒がしくなるばかりだった。




