42. 頑張りすぎて
テオ先生がローゼン男爵領へ帰り、レオン様との間で結婚式についての具体的な話を、少しずつ進めるようになった。
慌ただしい毎日の中、私は何度もテオ先生との会話を思い出していた。
薬だけではなく、美容クリームや香油。
そして、鉱石を使った化粧品。
新しい品物のアイデアに、胸が躍る。
(楽しそうだけれど、いきなり化粧品作りなんて、難しいことは始められないわ。まずは今の知識の延長線上にあるものから手を付けていかなくちゃ……!)
そう思い、まず私が試作に取りかかったのは、手荒れに効果のありそうな保湿クリームだった。
厳しい冬が長く、空気の乾燥も強いリングレン。
鉱山で働く男たちはもちろん、炊事や洗濯を頑張る人たち、そして工房の作業員たちも皆、手のひび割れに悩まされていた。
これまで平民たちは羊脂を塗ったり、高価ではあるが、レオン様が他領から取り寄せた軟膏を塗ったりしていたようだ。
「たしかに、ここの人たちの手は、ローゼンの作業員たちよりも荒れている気がします」
「そうでしょう?」
工房でともに作業をしている時、エマにその話をすると、彼女は何度も頷いた。
「手のひび割れって、痛いんですよねぇ。どの作業をするにも不便だし。劇的に改善できる保湿クリームがあれば、きっと皆さん大喜びですよ!」
「そうね。炎症を抑える成分や、肌を保護する成分を持つ薬草をうまく組み合わせれば、これまでにない良いものが作れるかもしれないわね……」
「ええ! リエラ様なら、きっと! 私にできることがあれば、何でもお手伝いしますので!」
両手の拳を握り力強い言葉をくれるエマに、私は微笑んだ。
「ええ。ありがとう」
こうして、私の新たな研究が始まった。
リングレンに吹く風も、日に日に冷たさを増してきた。結婚式が終われば、次の冬はもう目前だ。式の準備も大事だけれど、本格的な寒さが訪れる前に、領民が喜ぶものを作りたい。そう思った私は、まず保湿効果が期待できる薬草をいくつか選び出し、煮出したり、すり潰したりしながら試作を始めた。
薬草の種類を変え、配合を変え、油脂や蜜蝋の量も調整を繰り返す。けれど、べたつき過ぎたり、固まり過ぎたり、匂いが強過ぎたりと、なかなか納得のいくものはできない。
それでも試作を重ねるうちに、少しずつ形になっていく。
そうしてついに、乾燥やひび割れから手を守るための保湿クリームが完成した。
私はまず、フリッツ一家や工房の作業員たちに、その試作品を使ってもらった。
「おお、これはいいですね! 塗り心地もいいし、カサついた部分を覆うとそれだけで痛みが和らぎます」
「ほ、本当? フリッツおじさん」
反応の良さに嬉しくなり、私は食い入るように彼を見つめる。
フリッツおじさんは何度も頷いた。周りにいる他の作業員たちも、同様の反応を示す。
「これはすごい……。水に濡らしても落ちにくいのですね」
「ええ、そうなの。しばらく使い続けて、効果を確かめてもらえる?」
「はい!」
私のお願いに、作業員たちは元気よく返事をしてくれた。
数週間もすると、ガサガサしていた彼らの手がしっとりと滑らかになり、赤みや炎症が落ち着いた。
効果を確認できた私は鉱山へ出向き、労働者たちにも試作品を配ってみた。予想通り、彼らからの評判も上々だった。
冬が来る前に量産体制を確立するため、私はこれまで以上にがむしゃらに働いた。それと同時進行で、結婚式に向けた準備も進めていく。私の衣装や視察用の服を手掛けてくれているヘルミーナ夫人がウェディングドレスも作ってくれることになり、その打ち合わせのため、彼女は何度も屋敷を訪れるようになっていた。
そんな中、日々工房や領地へ出向いては、保湿クリームの原料となる薬草の確保を進め、製造手順を書き出し、作業員たちへの指導を行う。品質にばらつきが出ないよう配合や製造工程を何度も確認し、保存方法についても検証を重ねた。
そんなある日のこと。
工房の作業を見回っていると、エマが手の甲を首筋に擦り付けているのが目にとまった。
「……何してるの? エマ」
「あ、リエラ様」
声をかけると、エマがそばに置いていた保湿クリームの小瓶を手に取り、私に見せてくる。
「これです、これ。実は私、こちらへ来てから顔や首元の乾燥が気になっていたんですけど」
そう言って、彼女ははにかむように笑った。
「リエラ様が作ったこのクリーム、手に塗った後、余った分を試しに首や頬に塗ってみたら、調子が良くなって」
「そうなの?」
「はい。肌がとてもしっとりして、いい感じなんです。私だけじゃなくて、他の女性作業員たちも使いはじめているんですよ」
「まぁ……」
たしかに、このクリームに配合した薬草の中には、肌を整える作用を持つものも含まれている。
余分なクリームを頬や首筋にせっせと塗っているエマを見て、私は考えた。
(この保湿クリームの工程を応用すれば、美容に特化したクリームも作れそうね……。よし)
そう思い至った私は、その日のうちに新たな試作へと取りかかったのだった。
まずは保湿クリームの配合を見直す。
手荒れ防止を重視していた薬草を減らし、代わりに肌のきめを整える作用がある薬草の割合を増やした。
さらに、香りの良い花を乾燥させ、その香りを移した油を加えてみる。
(……うーん。難しいわね……。香りを強くすれば薬草の匂いと喧嘩するし、肌触りを良くするために油を増やせば、べたつきが気になる。逆に軽くすると、今度は保湿力が足りないし……)
結婚式の様々な準備を少しずつ進め、その傍ら、既存の薬の製造も続けながら、保湿クリームの量産も新たに工程に組み込み、さらに美容クリームの試作も重ねる。
屋敷に帰る時間は、徐々に遅くなっていった。
「……リエラ。最近いくら何でも、無理をしすぎなんじゃないか」
ある夜。屋敷に戻ると、いつになく硬い表情のレオン様から、玄関ホールで出迎えられた。突然現れた彼の姿に驚き、肩が跳ねる。
「あ……、た、ただいま戻りました、レオン様。すみません、最近夕食をご一緒することができなくて……」
言い訳がましくそんな言葉を口にすると、レオン様が小さくため息をついた。
「それは構わないんだが……。もう何週間も、休みをとっていないだろう。私やヘルミーナ夫人との打ち合わせがない日は、朝早くから工房や領地へ出向き、そのまま夜まで帰ってこない。食事をとっていることは把握しているが、あまりにも仕事を詰め込みすぎだ」
屋敷にいない時の私の食事は、侍女が持参してくれていたり、使用人が工房まで届けにきたりしているので、決して抜くということはない。どうやらそのあたりは、レオン様が厳しく指示を出しているらしい。
心配でたまらないと顔に書いてあるレオン様を安心させるため、私は疲労を感じさせないよう、満面の笑みを浮かべる。
「ご安心ください、レオン様! 早朝も夜も、常に護衛たちが同行してくれているので危険はありませんし、食事もしっかりととっています。今、いろいろなことが軌道に乗りかかっている最中なので……ここで手を止めたくないんです」
そう説得しても、レオン様の表情は晴れない。
「もう少し頑張ったら、これまでにない素晴らしい品物ができそうなんです。領民の皆さんにも喜んでもらえるし、きっと他領との取引にも役立ちます。だから、もうしばらくの間だけ……」
唇を結んだままこちらをじっと見つめるレオン様の圧に、私の言葉は徐々に尻すぼみになっていく。
レオン様が、再びため息をついた。
「……どうか無理をしないでほしい。領民の生活を豊かにすることも、リングレンの産業をより発展させることも確かに大事だが、私にとって君の体以上に大切なものなどないのだから」
「……っ!」
(レ……レオン様……っ)
心臓が大きく跳ね、息が止まる。
当然のようにさらりと言われたその一言に、疲れと眠気でぼんやりしていた頭が瞬時に覚醒した。
「は……、はい。ありがとうございます……」
優しい言葉に照れて俯くと、レオン様が一歩こちらへと歩み寄り、私の頬をそっと撫でた。
「とにかく今日はもう、ゆっくりお休み」
そう言ってくれたレオン様に見送られ、私は私室へと戻ったのだった。
その後も、試作品を作ってはエマたちに使ってもらい、感想を聞きながら改良を重ねた。
試行錯誤の日々を繰り返し、ようやく出来上がったのは、ほのかな花の香りをまとい肌をしっとりとなめらかに整える、美容クリームだった。
保湿用のクリームよりも手間がかかり、希少な花や薬草も使うため、販売するとなれば金額は高くなる。
けれど、女性たちの反応は驚くほど良かった。
「良い香り……!」
「素敵だわ。何だか幸せな気持ちになりますね」
「お肌がすごくしっとりします!」
エマをはじめ、工房の女性作業員たちは目を輝かせながらそう言い、何度も試作品を手に取った。
その姿を見た私は、喜びとともに確かな手応えを感じる。
「ありがとう、皆……! 他に改良できる点がないかもう少し研究を重ねて、安全性や保存期間も確認しなくちゃね。それからレオン様にもご相談して、商品として販売できるよう準備を進めていかなきゃ……!」
「はい! 楽しみですね。きっとたくさん売れますよ、リエラ様!」
皆が頷く中、エマが目を輝かせてそう勇気づけてくれた。
「ふふ。そうなるといいわね」
満面の笑みでそう答えた、その時。
(……あれ……っ?)
急に視界が、ぐらりと揺れた。
「……リエラ様? どうされました?」
「……ううん。何でもないわ、ごめんね」
ほんの一瞬のことだったので、ただの軽いめまいだと判断し、私はそう返事をした。
そのままいつものように工房にこもり、作業の見回りや研究を続けた。けれど、夜になるにつれ、何だか体がどんどん重くなってきた。
(おかしいな……。やっぱり疲れが溜まってるのかしら。クリームの開発に夢中になりすぎて、気付けていなかったのかも)
そう思った私は、いつもより少し早く切り上げ、工房を後にした。この時間はもう、作業員たちは全員帰宅している。
使用人らに建物や門の施錠を確認してもらった後、馬車が屋敷に向けて出発した。けれどその時にはもう、私の体調は座っているのも辛いほどに悪化していた。
(今夜はもう、湯浴みは諦めてすぐに休もう……)
そんなことを考えたのを最後に、私の記憶は途切れたのだった。




