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もう戻ることはありません! 〜 実家と婚家で冷遇されてきた地味令嬢は、辺境伯領で薬学の知識を振るいます 〜  作者: 鳴宮野々花


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41. 不穏な状況(※sideマチルダ)

 あたしとニルス様の円満な結婚生活は、数ヶ月と続かなかった。

 ニルス様の不審な行動は、すぐに目立ちはじめた。

 視察に行くと言って屋敷を出てから、翌朝まで帰宅しない。ようやく帰ってきたかと思えば、アルコールや甘ったるい香水の匂いをさせている。

 最初のうち、彼は問い詰めるあたしに対してへらへらと笑いながら、もっともらしい言い訳を並べていた。

 宝石やドレスで機嫌をとったり、甘い言葉をささやいてはあたしを寝台へと連れて行き、そのまま有耶無耶にしてしまったり。

 けれど、同じ手ばかりを使われて、あたしが騙され続けているはずがない。

 疑いはやがて確信へと変わり、あたしとニルス様の間には口論が絶えなくなった。


「嘘つき! 浮気なんか絶対にしないって言ってたくせに! どうせ昨夜もまた女のところに行ってたんでしょ!?」

「……はぁ。ぎゃあぎゃあとうるせぇな。頭痛くなるぜ。またそんな話かよ。もういい加減にしてくれ」


 面倒くさそうな表情でそう返すニルス様は、こちらの機嫌をとるそぶりさえ見せなくなった。開き直ったその態度に、ますます怒りが募る。


「こんな結婚生活、最悪だわ! お義母様は顔を合わせれば嫌みか説教ばかりだし、ニルス様はあたしを庇ってもくれない……! あなたが遊び歩いていることさえ、あたしのせいにされてるのよ!? 自分ばかり好き放題して、話が違うじゃないの! 世界一可愛いって、誰よりも大事にするって言ってたくせに!」

「……してるだろ」

「どこがよ!! 少しも大事にしてくれないじゃないの!! 毎日のように違う香水の匂いをさせて帰ってきて……! あたしがどれだけ辛いって訴えても、お義母様に文句の一つも言ってくれないし。嫁ぎ先を間違ったわ! こんな頼りにならない男だなんて思わなかった!」


 溢れ出る不満をこれでもかとぶつけるあたしに、ニルス様は謝罪の言葉一つなく、深々とため息をつく。


「こっちだって、まさかてめぇがこんなに可愛げのない女だとは思わなかったよ。最初の頃のあれは、何だったんだ? 俺に会いに補給所まで来た時のあのしおらしい女は、どこに消えたんだよ。え? あれは幻だったのか? そりゃ屋敷にいたくもなくなるだろ」

「な……っ!! あ、あんたのせいでしょ!! あんたがこんな男だから、あたしだって……!!」

 

 顔を合わせるたびに不毛な言い争いが繰り返され、そのたびにあたしはフェルナー邸を出て、ローゼンの実家に帰った。

 最初のうちはあたしをローゼンまで迎えに来ていたニルス様も、最近はもう一切来なくなっていた。そのことが余計に、あたしの苛立ちを募らせる。

 けれど、その実家でさえ、何だか不穏なことになりつつあった。

 もう五度目くらいになる今回の帰省では、父が領地に戻ってきていた。

 居間で顔を合わせた父は、やけに不機嫌そうだった。


「……何だ、マチルダ。お前またフェルナー邸を飛び出してきたんじゃなかろうな。いい加減、自分の立場を弁えろ」


 ソファーにふんぞり返り、こちらを見るなりそんな説教を始めた父に、あたしは反射的に言い返した。


「お父様まで何なのよ! 悪いのはニルス様とお義母様なんだから! ニルス様、浮気ばかりしているのよ! それにお義母様も意地悪ばかり……!」

「そんなことはどうでもいい!」


 父は突然そう怒鳴ると、目の前のテーブルを拳で叩いた。乱暴なその態度に、思わず怯む。

 

 「お前はフェルナー伯爵令息夫人なんだぞ。多少の不満があったとしても、勝手に実家へ帰ってきていい立場ではない! 伯爵夫妻の不興を買い、離縁でも申し立てられたらどうするつもりだ!」


 妙に切羽詰まったその声色を怪訝に思っていると、父は額に手を当て深く息をついた。


「ただでさえ頭の痛いことが山積みだというのに……。全く……」

「頭の痛いこと?」


 あたしが問い返すと、父は苛立たしげに顔を顰めた。


「……取引先からの苦情が増えてきておる」


 投げやりな口調でそう言うと、父は目の前のグラスを手に取り、酒を呷る。


「新薬の評判が上々で、注文は増え続ける一方だったんだがな……。ここ最近、品質が落ちただの何だのと難癖ばかりつけられ、取引の打ち切りを言ってくる連中まで出はじめた」

「ええ? どうしてなの? うちの事業は新薬のおかげで絶好調だったはずでしょ」


 立っているのも疲れるので、あたしはそう尋ねながら父の向かいのソファーのところに行き、腰を下ろす。グラスを空にした父は、それを乱暴にテーブルに置くと、ソファーにもたれかかった。


「その新薬の評判が近隣の領地にまで広まって以降、急増する注文に応じるため、人員も生産量も増やした。ちんたらした無駄な工程では対応しきれんから、王都で雇った手練れの商人に作業現場の指揮を任せ、効率の良い生産工程を組ませていたんだ。だが」


 父が眉間に深い皺を刻み、こめかみを押さえる。


「以前の新薬とは全く違うと、苦情が増える一方なんだ。薬は我が領の唯一最大の特産品……。この流れが続けばまずい。そう思い、一度薬の生産体制を整え直そうと、解雇した古参の作業員を呼び戻しに向かわせたのだが、奴らめ……。いつの間にか行方をくらましておる」

「えぇ……」


 少し離れている間に、何だか状況が悪くなっているらしい。父は酒瓶を取ると、空っぽのグラスになみなみと注ぐ。


「全く、こんな時にフリッツらは一体どこへ行ったのだ。役に立たん」

「大変ねぇ」


 そう返すと、父はあたしをキッと睨みつける。

 

「他人事のように……! そういうことだから、お前はさっさとフェルナー伯爵家に戻れ。あちらとて、我が領の薬草事業に大きな期待を寄せたうえで、ご子息と我が家との縁談を決断なさったのだ。そろそろこっちの状況に気付き、何か言ってきてもおかしくない。今は何としても、あちらとの関係を悪化させるわけにはいかんのだ。ニルス殿の浮気などどうでもいい」

「ど、どうでもいいって何よ! お父様こそ他人事みたいに……!」

「いいから出ていけ! 私は今後の立て直しについて考えるだけで精一杯なんだ」

「な……っ!」


 父に追い払われ、実家にいることもできなくなったあたしは、はらわたを煮えくり返らせながら渋々フェルナー伯爵邸へと戻ったのだった。



 



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