40. 新しい挑戦
その日の夕食の席でも、話題は自然と工房のことになった。
「いやぁ、本当に素晴らしかったです」
テオ先生がワインのグラスを傾けながら言う。
「正直なところ、想像していた以上でした。あれだけの設備と人員が揃っているとは。リングレンの薬草工房で作られた薬は、今後一層他領との取引が活発になりそうですね」
「作業員を育てているのはリエラたちだ。不馴れな者に一から教えるのは大変なことだが、本当によくやっていると思うよ。フリッツ一家の存在も大きいな」
「ええ、あの一家はいい仕事をしていましたね。手際がいいし、機転も利くようでした。彼らがこの北の地までやってくる決心をしたのも、リエラさんの人望あってこそでしょう。やはり、あなたはすごいですよ」
「あ……、ありがとうございます……」
二人から手放しで褒められ、照れてしまった私は頬が熱くなる。
テオ先生は、なんだかとても嬉しそうだ。
「しかも、すでにリングレン独自の薬まで何種類も作り出している。薬師としても、非常に興味深い成果でした」
「そう言っていただけて、光栄です」
先生にそう返しながら、頭の中でぼんやりと浮かんでいることを、ぽつりと漏らす。
「私……、実はまだ他に、やってみたいことがあるんです」
「ほう?」
レオン様とテオ先生が、興味深そうな目でこちらを見る。
「リングレンの地は薬草栽培に最適で、とても効能の高いものがたくさん採れます。質の良い傷薬や消炎剤、それに解熱薬や塗り薬まで、こうして何種類も作れるようになりました。……それで私、ここで育てた薬草を使って、別のものも作ってみたくて」
「別のもの……ですか?」
テオ先生が食事の手を止め、そう尋ねる。
「はい。怪我や病気を治すための薬だけではなくて、乾燥から肌を守るクリームなど、領民の暮らしの質をより良くする品も作れたらいいなと思っていたんです。香りの良い薬草もありますから、その香りを楽しむための香油のようなものも……」
「なるほど。それは、女性が特に喜びそうですね」
テオ先生が納得したように頷く。
向かいでは、レオン様も面白そうに目を細めている。
「初耳だな。そんなことまで考えていたのか」
「はい。実はローゼンで薬の研究をしている時から、このことは考えていたんです。ここの領民たちは寒さのため、手荒れや肌荒れがひどい人が多いので、余計に作りたい気持ちが強くなりました」
実家でも、そういうものを作ってみたいという気持ちは芽生えていた。
けれど、ニルス様との結婚に、離縁。そしてリングレンへの嫁入り。
自分の人生が目まぐるしく変化し、ローゼンで試したいと思っていたことは、ほとんどできないまま去ることになってしまったのだ。
レオン様が、いつもの優しい眼差しを私に向け、口角を上げた。
「そういうことなら、今から始めればいい」
「……え」
レオン様があっさりとそう言ったので、思わず声が出てしまった。
「薬作りも軌道に乗っている。人手も増えた。やりたいことがあるなら、挑戦してみればいいじゃないか」
「……いいのですか?」
「もちろん。ダメだと言うはずがないだろう」
「じ、じゃあ、少しずつ試作を始めてみます。ありがとうございます、レオン様」
嬉しくなってしまい、思わず笑みがこぼれる。また新しいものに挑戦できる。楽しみで仕方がない。エマなんか、一緒にすごく喜んでくれそうだ。
そんな私を見て、テオ先生も微笑んだ。
「私も大賛成ですよ。リングレンでならば、さらに面白いものが作れるかもしれません」
「面白いもの、ですか?」
「ええ」
先生はにこにこと頷く。
「この領地には、薬草よりずっと以前から、定評のあるものがありますから」
そう言うと先生は、一度首を窓の方へと向ける。
「鉱石ですよ」
「鉱石……?」
「はい」
先生は穏やかな声で続ける。
「王都では、鉱石から取り出した顔料や粉末を使った化粧品が、一部の貴婦人たちの間で流通しています」
「まぁ……! こ、鉱石って、そんなものが作れるんですかっ?」
興味深い話に、私は思わず身を乗り出しそうになる。
「もちろん、どんな鉱石でもというわけではありませんよ。化粧品や顔料に利用できるものは、ごく一部です。ですが、この領地で採れる鉱石の中にも、応用できそうなものはありますよ」
「そうなのですね……!」
私が食いつくと、先生は続ける。
「もっとも、そのまま使えるわけではありません。細かく砕いて不純物を丁寧に取り除いたり、他の素材と混ぜ合わせたりと、様々な綿密な工程を必要とします」
「なるほど……」
「それに、顔や肌に直接使うものですからね。肌を傷めないか、長く使っても問題がないか、薬以上に慎重な確認が必要になるでしょう」
「たしかに……!」
薬草という原料を使い、患部にだけ塗る傷薬とは違う。化粧品は、健康な肌に広く使うものだ。安全性の確認は欠かせないだろう。
「だからこそ、とても高価なのですよ」
テオ先生が苦笑する。
「王都で流通しているものは、生産量も少なく、高位貴族家の女性や王族の方々しか手が出せないような品ばかりです」
「そ、そんなに高価なのですか……」
「もっとも、それだけの金額を払ってでも美しくなりたいと思う女性は大勢いらっしゃいますからね」
そう言って先生は楽しそうに笑った。
「リングレンには、良質な鉱石があります。薬草の成分と組み合わせることで、もしかしたらリエラさんなら、今までにないものが作れるかもしれません」
そう語るテオ先生を見つめながら、私の胸は期待に高鳴る。いくつもの可能性が、頭の中で次々に広がっていく。
(薬草を使った美容クリーム……。鉱石を使った化粧品……)
もし本当に形にできたら。
薬だけではない、リングレンの新しい特産品になるかもしれない。
その夜、私は新たな挑戦のことで頭がいっぱいになってしまったのだった。
それから数日後、テオ先生はローゼン男爵領へと戻ることになった。
出発の日の朝、私とレオン様は、テオ先生を玄関ポーチまで見送った。
「先生、どうぞ道中お気を付けて」
「ありがとう、リエラさん。いやぁ、今回の帰省は楽しかったなぁ。来年も必ず帰ってきますよ。……あ、その前に、お二人の結婚式ですね。はは」
テオ先生はそう言うと、からからと笑った。
「結婚式も、あなたの次の成果も、楽しみにしていますよ」
「は、はい! 頑張ります!」
恩師の嬉しい励ましに、自然と顔に笑みが広がる。
先生も楽しそうに目を細めた。
「何か悩むことがあれば、いつでも手紙をください。私で相談に乗れることがあれば、協力は惜しみませんので」
「ありがとうございます、テオ先生……! 心強いです、とても」
すぐさまそう返事をし、その直後、私ははっと我に返り、隣に立っているレオン様の方を、おそるおそる見上げる。
昨夜の夕食の時に、先生から鉱石を使った化粧品の話を聞いて以来、つい夢中になり過ぎてしまった。
気付けば私はレオン様をそっちのけに、テオ先生の話に聞き入ってしまっていたのだ。
夜、寝台に入った時にそのことに思い至り、私は思いきり後悔した。テオ先生から、レオン様にもっと自分の想いを伝えるといいと助言をもらったばかりだというのに。
(またテオ先生とばかり話してしまっているわ……私ったら……)
申し訳なく思い様子を窺ったけれど、レオン様は穏やかな表情を浮かべ、先生を見ていた。
「来年も帰る、ではなく、そろそろ戻ってきてここに落ち着いてもいいんだがな。お前がいれば、リエラも助かるだろうに」
するとテオ先生が、肩を竦めた。
「兄上がいて、工房もあり、信頼できる仲間もいる。リエラさんは、私がいなくてもまだまだ前へ進めますよ。私の知識を役立てるべき場所は、他にもありますので」
レオン様は小さく息をつく。
「相変わらずだな」
「お褒めの言葉として受け取っておきます」
テオ先生はそう言うと、私たちへ向かって軽く一礼する。
「では、そろそろ行きます。二人ともお元気で」
「はい、先生も……! お手紙を書きますね」
昔から変わらない優しい笑みを銀縁眼鏡の奥に浮かべ、先生は馬車へと乗り込んだ。
馬車が見えなくなるまで見送ると、レオン様と連れ立って屋敷の中へと入る。何だか寂しくて、胸に切ない痛みを感じる。
「慌ただしかったな。突然帰ってきて、あっという間にまた行ってしまった」
レオン様は楽しげにそう言った。私も頷きながら同意する。
「ええ。久しぶりにお会いできて、本当に嬉しかったです」
するとレオン様がこちらを振り返り、小さく笑った。
「それはよく分かったよ。あいつがいる間、君は終始嬉しそうだったからね。いつも以上に表情が輝いていた」
「そ、そうですか……?」
幼い部分を見られてしまったようで、少し照れてしまう。
けれどその時、テオ先生の言葉が脳裏をよぎった。
『リエラさんの兄へのその想いを、時々伝えてやってください』
(……っ)
胸がどきりと跳ね、思わず喉を小さく鳴らした。
しばらく迷った末、私は意を決して、口を開く。
「……で、でも」
「ん?」
レオン様の優しい眼差しが、私を見つめている。
「……テオ先生は、私にとって、たしかに大切な恩師ですが……、今は、ここが私の居場所ですから」
言いながら、自分でも何を話しているのか分からなくなってくる。突然こんなことを言いだして、おかしく思われていないだろうか。
案の定、レオン様は少し怪訝そうにこちらを見ている。
私は両手をぎゅっと握り合わせた。緊張で鼓動がどんどん速くなり、体が熱くなってくる。
だけど、ここまで来たらもう言うしかない。
私がレオン様を、どれほど特別に想っているかが伝わる言葉を、何か一つだけでも。
私は小さく息を吸った。
「リ、リングレンに来られて、本当に良かったと思っています。皆さん親切ですし、こうして工房まで造ってもらって、薬草の研究もますますやりがいが感じられますし。毎日が充実していて楽しいです。何より……」
上擦って震える自分の声に、ますます羞恥心が募る。
私は勇気を振り絞り、彼を見上げた。
「ここには、レオン様がいてくださいますし」
「……」
「だ、だから……、ここにいられることが、とても、幸せです……」
言い切った瞬間、恥ずかしさのあまり後悔する。
これじゃまるで、愛の告白みたいだ。いや、そうなんだけれど。
もう少し、ほのめかす程度にうまく伝えたかった……!
無言のまま、目を見開き私を見ているレオン様の様子に、いたたまれなくなる。私はまたも顔を伏せた。どう思われただろう。全身から湯気が出そうだ。
しばらくの間息を詰め、目の前にいるレオン様の足元に視線を向けていると、ふいにその足先がこちらへと動いた。
次の瞬間、温かい手が私の頬にそっと触れる。
顔を上げると、レオン様が蕩けるほど甘く優しい笑みを浮かべている。
初めて見るその笑顔に、息が止まる。
彼は少し照れくさそうに、ぽつりと言った。
「まさかそんな嬉しいことを言ってもらえるとはな。君がそう思ってくれているのなら、私も幸せだよ。……ありがとう、リエラ」
(……レオン様……)
胸が痺れるような温かい感覚が、体中にじんわりと広がっていく。
足が床から離れ、少し宙に浮いているような、そんなふわふわとした幸福感が私を包んだ。
「寒くなる前に、結婚式の準備を進めなくてはな」
その言葉に、私の心は空へと舞い上がった。
「はい、レオン様。楽しみです、とても」




