37. 様子が違う
リングレン邸へ帰ってきた翌日、テオ先生は別邸のお母様──前辺境伯夫人ユリアーネ様のもとへ、帰省の挨拶に行かれた。
ユリアーネ様にはしばらくお会いしていなかったので私も行きたかったけれど、レオン様が多忙のため、今回は見送ることになった。
久々の再会だったこともあり、テオ先生とユリアーネ様の話は大いに盛り上がったらしい。夕食の席で、私とレオン様はその報告を楽しく聞いた。
そして、その翌朝。
三人での朝食の席で、テオ先生がレオン様に言った。
「よかったら、今日は薬草工房を見学させてもらってもいいですか? 兄上。どんな設備や雰囲気なのか、非常に興味があります」
彼の言葉に、私はひそかに高揚しながらレオン様の方を見た。テオ先生に、私たちの工房を案内できる……!
この道を示してくださった大切な恩師に、成果の一つを披露できることは、私にとって大きな喜びだった。
けれどレオン様は、カトラリーを動かす手を一瞬ぴたりと止め、かすかに眉をひそめた。
「……付き合いたいのだが、今日は代官と会う約束がある。その後は鉱山へ行かなければならない。新しい坑道の安全確認に立ち会わなければ」
(……相変わらずお忙しいな、レオン様……)
少ししょんぼりしつつ、そんなことを思っていると、テオ先生がにこやかに言った。
「そうですか。では、リエラさんに同行しますね。どちらにせよ、リエラさんは今日も工房へ行かれるのでしょう?」
「あ、はい。毎日顔を出して作業員たちの仕事を見ていますし、私もやることはたくさんありますので」
そう答えると、テオ先生は嬉しそうに頷いた。
「邪魔にならないよう、一通り見させていただいたら、私は先に屋敷に戻ります。……よろしいですか? 兄上」
そう確認をとるテオ先生とともに、私もレオン様に再度顔を向ける。
するとレオン様は、またほんの少し動きを止め、無言になる。
(……?)
どうしたのだろうと思った瞬間、レオン様は顔を上げ、テオ先生に向かっていつもの穏やかな表情で言った。
「もちろん構わない。リエラのこだわりが詰まった自慢の工房だ。ゆっくり見てくるといい。作業員たちの邪魔にだけはならないようにな」
「はは。ええ、もちろん。楽しみです。よろしくお願いしますね、リエラさん」
「はい……! ぜひご案内させてください! 私も楽しみです」
嬉しくて、胸がドキドキと高鳴りはじめた。
(……まるで試験で満点をとったことを先生に褒めてもらいたがる子どものようね、私ったら)
幼稚な自分に、内心苦笑する。だって、まさかこんな日が来るなんて夢にも思っていなかったのだ。平民学校で私に薬学を一から教えてくださった大好きな先生に、こうして自慢の薬草工房を披露できるだなんて。
朝食が済むと、レオン様は私たちより先に屋敷を出発することになった。
玄関ホールまでお見送りしながら、私は彼に尋ねる。
「代官とは、どこでお会いになるのですか?」
「東側の鉱山麓の役場だ。そのまま視察に向かうよ」
ヴァルターから外套を受け取りながら、レオン様がそう答える。
「そうなのですね。……どうぞ、お気を付けて。いってらっしゃいませ」
次にお会いできるのは、おそらく夕食の席だろう。もしかしたら、レオン様はもっと遅くなるのかも。
若干の寂しさを隠し、私は笑顔で彼にそう言葉をかけた。
すると、外套を羽織ったレオン様は、私と目を合わせ、しばらくそのままじっと見つめてくる。
(……っ??)
大好きな青い目で見つめられ、私は少し緊張し、唇を引き結ぶ。
なんだかここ数日……、レオン様のご様子がいつもと違う気が……。
怪訝な思いが頭をよぎった時、レオン様がいつもの眩しい笑顔を見せてくれた。
「今日はテオドールを頼むよ、リエラ。せっかくの機会だ。ここに来てからの君の成果を見せて、積もる話もたくさんするといい」
「は、はい……! そうします。楽しみです」
そう答えると、レオン様がくすりと笑う。
けれど、なぜだろう。その笑い方が、やはりいつもと少し違う気がするのだ。
何となく、どこか寂しそうな。
「リエラは本当に、テオドールのことを慕っているんだな」
ふいにそんなことを言われ、私は少し面食らう。
「……はい、とても。博識で、教育熱心で、優しくて、素敵な方です。それに、ローゼンにいた頃の私にとって、テオ先生は心の拠り所でしたから」
素直にそう答えると、レオン様が目を細める。
「……そうか。君のような優秀な教え子にそれほど慕われれば、テオドールも嬉しいだろう。……では、また夜に」
「あ、はい。……いってらっしゃいませ」
もう一度同じ言葉で見送ると、レオン様が私の頬をそっと撫でる。そして。
彼はふいに、私のことを優しく抱き寄せ、腕の中に閉じ込めた。
(──え……っ?)
ふわりと香る、ムスクのような妖艶な匂い。
心臓が痛いほど大きく跳ねた、次の瞬間、レオン様の体はもう、私から離れていた。
「……行ってくるよ」
そう言ったレオン様の表情は、もう見えなかった。
彼は私から目を逸らすようにすぐさま踵を返し、そのまま玄関扉から出て行ったのだった。
(……へっ? ……えっ!?)
残された私は扉の方を見つめたまま、しばらく呆然と突っ立っていた。
心臓がドクドクと脈打ち、全身が燃えるように熱い。
(い、今……私……、レオン様に、抱きしめられた……!?)
夫婦となって、もうすぐ一年。
こんなことは、初めてだった。
レオン様が出発すると、ヴァルターは真っ赤な顔で佇む私を気遣うように、一礼した後そっと玄関ホールを離れたのだった。




