34. 拡大する薬草事業
春が深まるにつれ、私たちの薬作りには大きな成果が出はじめていた。
リングレンの寒冷地で育った薬草に合わせ、乾燥時間や煎じ方を何度も調整し完成した傷薬や消炎剤が、鉱山で働く作業員たちの間で瞬く間に評判になったのだ。
「領主様のところで作られた薬はすごいです。翌日の身体の回復具合が全然違います」
「痛みが引くのが、前よりもずっと早くなりましたよ!」
薬を使った彼らから、そんな声が次々と届くようになった。
さらに、湿地帯で採れる薬草を用いた鎮静薬や、高原の清流沿いに自生する薬草を使った止血剤など、リングレンならではの薬も少しずつ完成していく。それらはローゼン男爵領では作れなかった、リングレン独自の薬だった。
薬を受け取った領民たちが、その効果を嬉しそうに報告してくれることが、私の大きな楽しみになっていた。
そして、ローゼンよりもはるかに涼しい初夏を経験する頃、ついに工房が完成した。
その報告を受け、私は早速レオン様やフリッツ一家とともに、現地を見に行くことになった。
屋敷から少しだけ離れた場所に建てられたその工房は、石造りを基調とした大きな建物だった。深い緑色の屋根が、青空に映えて可愛らしい。
内部には、薬草の洗浄を行う水場、乾燥棚が並ぶ部屋、調合などを行う作業室、保管用の大きな倉庫などの設備が整えられていた。窓は大きく、採光も十分だ。私の細かな希望を全て取り入れ造ってもらった、薬草工房。感動もひとしおだ。
内部をじっくりと見て回りながら、私は何度もため息をつく。
「すごい……」
思わず呟いた私の隣で、レオン様が穏やかに微笑む。
「リエラの希望はできる限り形にしたつもりだが、どうかな」
その言葉に、私は何度も頷いた。
「とても素敵です! 本当に、どこも理想通りで……! ありがとうございます、レオン様」
嬉しくて胸がいっぱいになりながら、私は工房の中を見渡した。フリッツ一家も、皆目を輝かせている。ヨハンやエマが、興奮した様子で声を上げた。
「こんな立派な工房で働けるなんてなぁ……」
「設備も広さも、ローゼンの作業小屋とは比べものになりません……。すごいです! 頑張って働かなきゃ!」
その後、工房では本格的な薬草加工が始まった。
作業員の募集をかけると、領内からは多くの人手が集まり、薬草の採取や栽培が格段にはかどるようになった。
また、加工を学びたいと志願する領民も現れるようになり、工房は瞬く間に賑わいを見せはじめた。
私はフリッツ一家とともに、これまで培ってきた作業手順や品質管理の方法を、多くの作業員へ丁寧に教えていった。その傍ら、領地の様々な場所に積極的に足を運び、薬草栽培に適した地を探し、栽培の拡大にも力を入れた。
こうして、リングレン辺境伯領の薬草事業は、さらに勢いを増していった。
鉱山で働く作業員たちの間で広まっていた薬の評判は、やがて多くの街や村にも伝わりはじめた。
「子どもの熱が下がるのが早くなった」、「ずっと痛んでいた足腰が楽になった」、「怪我の治りが以前よりずっといい」、そんな声が、次々と届くようになったのだ。
そして評判が広まるにつれ、工房で働きたいと願い出る者も、急激に増えていった。私はフリッツ一家と相談しながら、それぞれの適性に応じて人員を配置していった。
工房は日に日に活気を増し、建物の中は常に薬草の香りと、作業員たちの威勢のいい声や忙しない足音で満ちていた。
最初は戸惑っていた初心者の作業員たちも、日を追うごとに少しずつ知識を蓄え、作業は着実に上達していった。
薬草事業の順調な発展には、フリッツ一家の存在がとても大きかった。
フリッツおじさんは作業全体を見ながら、慣れない者たちへ的確に声をかけてくれる。ベラおばさんは全ての工程をこまめに見て回り、少しの間違いにもすぐ気付いてくれるようになっていた。ヨハンには採取した薬草の仕分けや管理を任せられるようになったし、エマも作業員一人一人の質問に答えながら、丁寧に教えてくれていた。
私一人では、ここまで順調な成長は到底できなかった。
気付けば彼らは、私とともに現場を支える、頼もしい中心人物になっていた。
工房内を歩きながら、作業員たちへ指示を出すフリッツおじさんたちの姿を見ていると、胸が熱くなる。
(本当によかった……)
ローゼン男爵領で仕事を失った時、皆不安でいっぱいだったはずだ。けれど今は、こうしてここで誰よりも腕を振るってくれている。
そのことが、嬉しくてたまらなかった。
そして同時に、ローゼン男爵領のことが頭をよぎる。向こうは大丈夫なのだろうか。
(お父様はつくづく浅慮だわ。こんなにも経験豊富で働き者の一家を、深く考えずに解雇してしまうなんて……)
工房が軌道に乗りはじめた頃から、私はリングレン特有の薬草についての研究を、さらに進めていた。
冬が長く、雪深いリングレン。この地で働く領民たちの中には、凍傷や関節痛、慢性的な冷えによる不調に悩まされる者も、少なくない。
中でも、鉱山で働く者たちは深刻だった。冷え切った坑道の中で長時間働くことで、手足の感覚が鈍くなったり、関節を痛めたりする者が多いらしい。
「冬場になるとね、指がまともに動かなくなる者もいるのですよ」
「古傷が痛んで苦労する者も少なくないしね」
「……なるほど……」
レオン様の視察に同行した際に、彼らから直接そんな話を聞き、私はリングレンで採れる寒冷地特有の薬草を使い、それらを和らげる薬が作れないか考えはじめた。
様々な薬草を採取してきては、乾燥させ、煎じ、あるいは油に漬け込んで成分を抽出しながら、私は何度も試作を繰り返した。
そして完成したのが、身体を芯から温め、血の巡りを良くする薬湯と、筋肉や関節の痛みを和らげる塗り薬だった。
特に塗り薬の評判は凄まじかった。
寒さで固まった肩や腕に塗ると、じわじわと熱が広がり身体が軽くなると、鉱山帰りの作業員たちの間で瞬く間に噂になったのだ。
工房の窓口には、毎日のように塗り薬を貰いにくる人が訪れるようになった。
リングレンの薬に関する良い評判は少しずつ広まり、やがては近隣の領地から、商人や領主の家臣などが工房へ視察に訪れるようになった。
試験的に使ってみたいという彼らへ少量を譲ると、皆こぞって正式な取り引きの打診を持ちかけてくるようになった。
レオン様は取引相手を慎重に見極め、薬を安全に運ぶための梱包方法や、輸送体制を整えていった。
広大なリングレン辺境伯領は、周辺領地との繋がりも多い。その強みを活かし、薬を各地へ流通させる仕組みはまたたく間に作られていったのだった。
私が薬の開発と生産を担い、レオン様が流通や取引先の整備を進め、薬を他領へと広めていく。そんな役割分担が、いつしか自然と出来上がっていた。
工房の倉庫には、出荷を待つ木箱が少しずつ積み上がるようになった。
その光景を見ながら、私は信じられないような気持ちになる。
かつてローゼン男爵領の小さな屋敷の庭で始めた私の薬作りは、今ではリングレン辺境伯領の新たな産業の一つとして、大きく育っていた。
そんな順風満帆な毎日を送っていた、夏の盛り。
思いがけない人物が、突然このリングレンの屋敷に現れたのだ。




