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もう戻ることはありません! 〜 実家と婚家で冷遇されてきた地味令嬢は、辺境伯領で薬学の知識を振るいます 〜  作者: 鳴宮野々花


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29/62

29. 突然の手紙

 リングレンの別邸から戻った私は、これまで以上に気力を漲らせ、薬草の研究に勤しんだ。

 夢中になって過ごすうちに、気付けばここに嫁いできてから、三月(みつき)以上もの月日が経っていた。北の領地の本格的な寒さは、かつて経験したことがないほど厳しいもので、外に出ると耳や指先が凍ってしまいそうだった。

 窓の外では、朝から細かな雪が降り続いていた。

 庭園の低木も石畳の小道も白く覆われ、遠くの森や山並みは、雪煙の向こうに霞んでいる。

 風が吹くたび、屋敷の窓枠が低く鳴った。使用人が雪を掻いた馬車道も、しばらくすればまた厚い雪に覆われてしまう。外を行き交う者たちは外套に身を包み、襟元に顔を埋めるようにして足早に歩いていた。

 この時期になると、レオン様の領地視察も限られた範囲のみになった。

 馬車ではなく馬橇(うまぞり)を使い、天候の穏やかな日を選んで、鉱山や軍馬の厩舎、村の備蓄庫などに絞って回るのだという。

 そんな極寒のリングレンの冬だけれど、屋敷の中は、この時期を越すための備えが隅々まで行き届いていた。強固な壁や、木枠の内窓、各所に設けられた暖炉のおかげで、外の寒さが嘘のように暖かい。

 本格的に雪が積もる前に、私は使用人たちに手伝ってもらい、できる限り多くの薬草を採取しておいた。それらは種類ごとに乾燥させ、保存してある。

 雪が深くなった今、私はそれらの薬草の状態を確かめたり、煎じ方や配合を試したり、春以降の栽培計画を立てることを中心に動いていた。作業部屋の記録帳は、日ごとに冊数が増えていく。

 ローゼン男爵領とリングレン辺境伯領には、同じ種類の薬草もいくつか生えていた。

 けれど、リングレン辺境伯領のものは寒冷地でゆっくりと育っているためか、香りや苦み、薬効が、ローゼン男爵領のものより強く出る。

 そのため、丁寧に加工すればローゼンのものより、さらに質の良い薬ができそうだと感じた。

 しかし扱いは難しく、乾燥時間や刻み方、煎じる時間などを少しでも誤ると、苦みや刺激が出すぎるのだ。より慎重な工程が必要だった。

 私はローゼンで学んだ基礎をもとに、リングレンの薬草に合う手順を一から作り直しはじめた。

 また、寒く険しいリングレン辺境伯領には、ローゼン男爵領では見たことのない薬草も数多く自生していた。

 平民学校で六年間薬学を学んできたおかげで、名前や特徴だけなら知っているものがたくさんあった。寒い土地にのみ自生する薬草について、テオ先生が教えてくれたことも思い出す。けれど、ローゼン男爵領では採れないものばかりだったから、当時の私にとっては、書物の中だけの知識だった。

 それらの薬草が、今は私の目の前にある。

 どれも丁寧に加工すれば、質の良い止血剤や消炎剤を作れそうだった。

 私は毎日夢中になり、研究に没頭した。

 レオン様は忙しい合間を縫って、そんな私の様子を時折見に来てくださった。

 そして乾燥棚に吊るされた薬草や、書き込みで埋まっていく私の記録帳を見て、嬉しそうに微笑む。

 

「順調そうだね」

「はい。まだ試作段階ですが、少しずつ手順が見えてきました」

「そうか。だが、あまり無理をしないようにしてくれ」

「大丈夫です、していません! 毎日楽しんでやっています」

 

 そう答えると、レオン様は目を細めた。

 

「それならよかった。……では、私は執務室に戻るよ。また昼食の時に」

「はいっ」


 私が返事をすると、レオン様は目を細め、私の頭をそっと撫でると、作業部屋から出ていった。


「……」


 彼の後ろ姿を見送った後、私は小さくため息をつく。

 やる気漲る毎日の中で、私には、かすかな不安があった。


(……もう、三月以上か……)


 いつも優しくしてくださるレオン様には、もちろん何の不満もない。

 けれど、今のように慈しむような優しい眼差しを向けられたり、頭を撫でられたりするたびに、焦りにも似た気持ちが生まれる。

 私はレオン様に、どう思われているのだろう。


(彼より十も年下で、しかもレオン様に釣り合うほどの、洗練された貴族女性らしさもない私……)


 ふと、自分の着ているスカートに視線を落とす。

 薬草を扱うため、今日も私は視察用の服の上から、エプロンを重ねている。髪も邪魔にならないよう後ろに一つで結んでまとめ、華やかな装いとはほど遠い。

 袖口やエプロンには、乾いた葉の欠片や根っこの土がついている。部屋全体に漂う薬草の香りは、私の体にも移っているだろう。


(……高貴な女性たちのようなしとやかさもなければ、色気もない。きっとレオン様は、私に女性としての魅力なんて感じていないんだろうな……)


 可憐で美しい、魅力的だ。そう言ってくださったこともあった。初めてそんな風に褒められて、気が遠くなりそうなほどに嬉しかった。けれどレオン様は、いまだに私を妻として求めようとはなさらない。寝室はずっと、別々のままだ。

 相変わらずの、私たちの関係。

 夫婦となって、もう三月も経つというのに。


(ここでの生活には十分慣れたし、心の準備もとうにできている。でも、レオン様は……)


 大好きな人から、妻として求められないという不安。

 リングレン辺境伯の後継をなさねばという、自分の役目に対する焦り。

 どんなに知識を詰め込み、役に立とうと励んでみても、レオン様にとって私は、やはり領地のために良薬を作ることを期待するだけの存在なのだろうか。


「…………はっ」

 

 ふと我に返ると、私は薬草を手に持ったまま、自分の足先をぼうっと眺めていた。慌てて首を横に振り、顔を上げ、大きく息を吸い込む。


(やだな、私ったら。当たり前じゃないの。そもそもレオン様がローゼン男爵家から妻を迎えたのは、その目的のためなのだから。妙なことをうじうじと考える前に、まずは成果を上げなくちゃ! うん! こっちに集中しよう)


 手元の薬草を見つめながら自分にそう言い聞かせ、不安を胸の奥にぐっと押し込めると、私は研究に戻ったのだった。




 はじめはローゼン男爵領産の薬草との違いに戸惑い、頭を悩ませたけれど、思いのほか早く、私はリングレンで採れる薬草の性質を摑むことができた。

 いくつか薬を試作してみたところ、大きな手応えもあった。この土地の薬草たちはやはり成分が濃く、私がローゼンで作っていた薬よりもさらに質の良いものが作れることは、もはや明らかだった。

 そこからさらに数種類の薬の試作を重ね、十分に形になるものが出来上がった。けれど、私一人で作れる量には限りがある。

 そのことを相談すると、レオン様は、使用人のうち数人を私の手伝いにつけてくださった。

 皆真面目に取り組んではくれるものの、薬草の扱いにはいくつもの細かな工程と判断が必要だ。

 何も知らない人たちに私一人で全てを教えていくのは、かなり難しいことだった。


 (うーん。この屋敷にも、薬草加工に慣れた人がいてくれたらよかったのだけど……)

 

 そんな思いが頭をよぎることはあった。けれど、リングレンはこれまで本格的な薬草加工など行ってこなかったのだから、それを言っても仕方がない。

 これはもう、私一人の研究ではないのだ。

 工房ができれば、多くの領民が作業に関わるようになる。やがてはリングレン辺境伯領の一つの産業の柱となるかもしれないのだ。その時に、誰もが同じ品質の薬を作れるようにしなくてはならない。これはそのための、最初の土台なのだから。


 そうして日々奮闘しながら、さらに二月(ふたつき)ほどが経った、ある日の午後。

 記録帳に新しい項目を書き加えていた私のもとへ、侍女が一通の手紙を持ってきた。

 

「リエラ様。ローゼン男爵領から、お手紙が届いております」

「……えっ? ローゼン男爵領から?」

 

 その言葉に、思わず手が止まった。

 真っ先に頭に浮かんだのは、両親の顔だった。

 私のことを気にかけ、様子を尋ねてきてくれたのだろうか。

 ほんの一瞬そんなことを考えたけれど、すぐに「あり得ない」と打ち消す。


(まさか、薬草加工がうまくいっていないから一旦帰ってこい、なんて指示ではないでしょうね……)


 嫌な予感がしながら、私はおそるおそる封筒の差出人の名前を見た。


「……えっ?」

 

 驚いた私の口から、声が漏れる。

 そこに書かれていたのは、父でも母でもなく、フリッツおじさんの名前だった。

 


 



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