28. 楽しい夜の翌朝(※sideマチルダ)
数週間後。侍女たちに身支度を整えさせるあたしは、最高に上機嫌だった。
この日のためにニルス様が買ってくれたドレスは、あたしの美貌をこの上なく引き立てる素晴らしいものだった。
胸元が大きく開いたドレスの暗赤色は、ニルス様の瞳の色と酷似していて、あたしが彼に愛されている証のようで優越感を煽る。
細く絞られた腰から下は、薄布が幾重にも重なり、歩くたびに裾がひらひらと揺れる。脚線が透けそうなほど軽やかな生地で、着心地も抜群。
肩も腕も大胆に露わになっていて、妖艶な大人っぽさが際立っているわ。金細工とルビーで作られたアクセサリーたちも、あたしの美貌をさらに輝かせている。
頭頂部から大きく編み込んだ髪は後ろで結い上げ、毛先はくるくると巻き、背中へと流した。
今日はこれからニルス様と一緒に、とある子爵家の別邸へ行くことになっていた。
ニルス様が補給所に勤めている時に知り合ったという友人たちが、あたしとニルス様の結婚を祝い、パーティーを開いてくれることになったのだ。
フェルナー伯爵夫妻のせいで正式な結婚式はしてもらえなかったけれど、その代わりに、気心の知れた仲間たちだけで気楽なお祝いをしようと、ニルス様とその友人たちが計画してくれた。
「とんでもなく可愛い妻をもらったから見せびらかしたいって、奴らに言ってあるんだ。いいドレス買ってやるから、目一杯めかし込んだらいいさ」
そうニルス様から言われ、あたしの不機嫌は一気に直った。
二人で馬車に乗り込み、小一時間ほどかけ、その子爵家の別邸へと赴く。
着いた先で待っていたのは、十人ほどの男性たちだった。皆、二十代半ばくらいに見える。
集まるのは下位貴族家の次男や三男ばかりだと聞いていたけれど、皆装飾の多い派手な服を身に着けていて、酒と遊びに慣れた空気を醸し出していた。
安っぽい宝石のついた指輪をいくつも着けていたり、甘ったるい香油の匂いを漂わせていたり。
小金は持っていそうで、たしかに平民っぽさは感じない。けれど、学園にいた高位貴族の令息たちのような洗練された雰囲気は、ここの誰にもなかった。
「へーぇ。この子が自慢のマチルダちゃん? はじめましてー。可愛いねぇ」
「おいおいニルス、ずるいぞ。お前だけこんな上玉を囲ってよ」
「こんな女を連れて歩けたら、男としては鼻が高いよなぁ」
口々にあたしを褒めそやす男たちは、言葉遣いも態度も品がなくて、少し嫌な感じがした。
けれど、一緒にお酒を飲んだらすぐに楽しくなって、そんな嫌悪感も飛んでいった。
「その髪、本物? すっげぇ綺麗な色だな。ツヤツヤじゃん」
「ねぇ、王立学園ではどんな男たちに口説かれてきたの?」
「こんな可愛い妻が待ってるなら、そりゃニルスも屋敷に帰りたくなるよなぁ」
「まぁ。うふふふ」
男たちはソファーに腰掛けたあたしを取り囲み、肩や髪を無遠慮に眺めながらそんなことを言う。
ニルス様は得意げに口角を上げ、あたしの腰を引き寄せる。
「こいつ、こんなに可愛いうえに、俺にベタ惚れなんだよ。何せわざわざ補給所まで会いに来たくらいだからな」
「もう、やだぁ! ニルス様ったら」
わざと拗ねた表情を作りニルス様の肩を叩くと、男たちが囃し立てる。
「こんな美人に慕われたら、そりゃ嬉しくて仕方ねぇよな」
「そのドレスもすごく似合ってるよ。目のやり場には困るけどな。ははは」
「もうっ、やめてくださいよぉ。恥ずかしいじゃない」
そう言いながらも、悪い気はしなかった。
皆がニルス様を羨ましがり、好意をほのめかしながらあたしを見ている。
堅苦しい口出しをしてくる人が一人もいない空間で、深夜まで存分に騒ぎ、あたしは久しぶりに楽しい夜を過ごした。
したたかに酔ってニルス様とともにフェルナー伯爵邸へと帰宅し、夫婦の寝室に入ると、あたしたちはそのまま寝台へとなだれ込み、ともに朝まで熟睡したのだった。
その翌朝。体を強く揺さぶられ、あたしはうっすらと目を開けた。
「……んん……」
頭が割れるように痛む。昨夜飲みすぎたせいだろうか。
ぼんやりとした視界に映る侍女が、引きつった顔でこちらを見下ろしていた。
「マチルダ様、奥様がお呼びでございます。至急居間へ降りてくるようにと」
「……へぇ? 今何時よ」
顔を歪め、敷布に肘をつき、どうにか頭を持ち上げる。隣では、ニルス様がまだ気持ちよさそうにぐっすりと眠っていた。あたしもニルス様も、昨夜パーティーに出かけた時の服装のままだ。
そのまま侍女たちから体を引っ張られるように、寝台から引きずり下ろされる。
そして髪だけを軽く整えられ、あたしは背中を押される勢いで居間へと連れて行かれた。
鈍く脈打つ頭痛に顔を顰め、ふらつきながら居間へと入る。
すると、ソファーに座して待ち構えていたフェルナー伯爵夫人が、あたしを見た瞬間これ以上ないほど目を吊り上げた。
「そんな格好のままで休んでいたの? あなた……、昨日屋敷に戻ったのは、明け方だったんですって?」
冷え切った声でそう尋ねてくる夫人に、苛立ちが募る。それを聞いているのなら、もう少し寝かせてくれればいいのに。
そう思いながら、渋々答える。
「……つい、盛り上がっちゃって」
「盛り上がった? フェルナー伯爵令息夫人となったあなたが、そんな見苦しい姿になるまで酒を飲み夜通し遊び通すだなんて、恥知らずにも程があるわ。あなた、自分の立場がまだ分かっていないの?」
(ああ、もう。また始まったわ……)
こんなに疲れていて、頭も割れそうなのに、朝早くからこの人の説教を聞かなきゃいけないの? 耐えられない。
口をついて出そうな文句を必死で押し殺し、あたしは一度深く息をついた。
「……ニルス様が、あたしを連れて行ってくださったんです。結婚式を挙げさせてもらえなくて、可哀想だからって。せめて仲間内でお祝いをしようって」
「まぁ! 夜遊びの理由を、私たちのせいにするつもり!? 婚儀を行わない理由については、きちんと説明したはずよ。それなのに、破廉恥な遊びに出かける言い訳にするだなんて、浅はかな方ね」
フェルナー伯爵夫人は大袈裟に目を見開いてそう言うと、扇を広げて口元を隠し、じっとりとした嫌な視線をこちらに向ける。
「ニルスは昔から、少し奔放なところがあるの。だからこそ、妻である女性には慎みと分別が必要なのよ。二人揃って夜遊びなどしてどうするの」
「……だって……」
「男たちに囲まれて明け方まで酒を飲むなんて、本当にみっともない。それが伯爵家の夫人のすることですか。遊び相手をするだけなら、愛人か娼婦で十分だわ」
(……っ!!)
あまりにもこちらを見下した失礼な物言いに、あたしはカッとなった。
我慢できず、怒りのままに口を開く。
「どういう意味ですか? このあたしが、娼婦みたいだっておっしゃるの? ちょっと失礼すぎません!? ニルス様に可愛がられて、どうしてもと乞われて嫁いできたこのあたしに、ひどい侮辱だわ」
するとフェルナー伯爵夫人は、扇の陰でほほ、と不気味な笑い声を上げる。
「何がどうしてもと乞われて、よ。実姉と結婚していた息子に会いに、わざわざ補給所まで訪ねていって籠絡しておきながら、よく言うわ。あなたの魂胆は最初から分かっていてよ、マチルダさん。このフェルナー伯爵家の家格が目当てなのでしょう。格上の相手と結婚して、優雅な生活を送りたかったのよね」
「な……」
図星を指され、つい口ごもったあたしに、夫人は追い打ちをかけてくる。
「それを分かっていながらも、ニルスを大人しくさせるために甘んじて受け入れたのよ。でもね、場末の酒場女のような真似をしてフェルナー伯爵家の品位を貶めるのならば、あなたなどいらないわ。離縁させられたくなければ、もっと慎みを持ち、家政の勉強に務めなさい!」
「……っ!!」
意地の悪い視線と強い言葉にあ然としている間に、フェルナー伯爵夫人はさっさと立ち上がり、またしても勝手に居間を出て行った。
「……く……っ!!」
悔しくて腹が立ってたまらず、あたしは涙目になりながら、急いで夫婦の寝室へと戻った。そして、すやすやと眠っているニルス様に飛びかかる勢いで寝台へ上り、彼の体を思い切り揺さぶる。
「ニルス様! ニルス様ぁ!!」
あたしは泣きながら彼の名を呼び、体を揺らし、胸板を何度も叩く。
「起きて! 起きてよぉ! ひどいのよ、お義母様ったら……! ねぇってば!!」
「……うぅん……。うるせぇな……」
寝ぼけているのか、ニルス様は小さくそう唸ると、顔を顰めた。目を開ける気配はない。起こしているのがあたしだって気付いてないのかしら。
あたしは諦めずに、彼の服を引っ張ったり頬を叩いたりしながら懸命に訴える。
「ねぇ!! お義母様に叩き起こされて、朝から嫌みを言われたのよ! それに、とってもひどい侮辱をされたの!! あたしのこと……娼婦みたいだって! ただ結婚のお祝いをしてもらって、楽しい時間を過ごしただけなのに、離縁させるぞって脅されたのよ! ねぇ、早く起きてお義母様に文句を言ってよ!」
ぺちぺちと頬を叩いていると、ふいにニルス様が、あたしの手を乱暴に払った。そして、目を閉じ眉間に皺を寄せたまま、面倒くさそうに低い声で言う。
「……チッ。いい加減にしろよ。うるせぇ女だな……。頭痛ぇんだ。ほっといてくれ」
「な……!!」
そう言って寝返りを打ったニルス様は、うつ伏せになりまた寝息を立てはじめた。
ますます怒りが募り、あたしは両手でシーツを強く摑むと、唇を震わせた。
「……もういいわ!! あたし、出て行くから!! こんなに辛い思いをしているのに庇ってくれない夫なんて、いらない!!」
「…………」
「いいのね!? 本当に出て行くわよ!? 実家に帰るんだから!!」
「…………」
「……く……っ!!」
全く反応しないニルス様に失望し、あたしは寝台を下りると、侍女を呼びつけ馬車の準備をするよう命じたのだった。
実家のローゼン男爵邸に帰るのは、およそ三ヶ月ぶりだった。
結婚する時にローゼンから連れて行っていた専属侍女一人だけを従え、あたしは馬車を降りる。そして荷物を詰めたカバンを侍女に運ばせながら、玄関に向かって歩きはじめた。
すると、扉を開けさせようとしたちょうどその時、中から疲れ切った表情のむさ苦しい中年男が出てきた。服装から察するに、領地の作業員だろうか。
下を向いてとぼとぼと歩いてきたその中年男が、ふいに顔を上げる。そして、目の前に立つあたしの存在に気付くと、慌てた様子で端に避けた。
軽く睨んでから通り過ぎると、頭を下げていた中年男が声を発する。
「お帰りなさいませ、マチルダ様」
(……誰よ、この男)
見覚えがないから、あたしはそのまま無視して屋敷に入った。
居間に顔を出すと、ちょうど両親が揃っていた。
兄とあたしが学園を卒業して以来、両親は王都のタウンハウスとローゼン男爵領を頻繁に行き来するようになっていた。
ソファーに腰掛け会話をしていた二人は、あたしの姿を認め、目を丸くする。
「マチルダ……。お前、どうしたんだ突然」
「ねぇ、お父様。今の男、誰? 誰か訪ねてきてたでしょう?」
父の質問を無視して、気になったことを問い返す。
すると父は眉間に皺を寄せ、深いため息をついた。
「領地の元作業責任者のフリッツという男だ。お前も何度か会ったことがあるだろう」
「……? そうだったかしら? 知らないわ」
適当に流すと、父はぶつぶつと文句を言いはじめる。
「あの男、領主であるこの私に向かって、しつこく不満を訴えてきおる。私が王都で知り合った商人を、新たに作業責任者として雇用したのだが、それが気に食わんのだろう。そいつのやり方が雑だと、やたら難癖をつけるんだ。生意気な」
すると、母が頷いて渋面を作る。
「あのフリッツ一家は、リエラにすっかり感化されているのよ。『リエラ様が自分たちに伝えてくださった加工方法が、最も薬草の効果を引き出す高品質な薬が作れます』と、何度も言ってくるの。余計なことをしてくれたものね、リエラも」
「他領へ売り出せる我が領の唯一の特産品は、薬だけなんだ。注文も増えてきている今、効率最優先で作業するのが当然だろうが。今日ははっきりと、奴に通告してやった。これ以上領主である私のやり方に文句を言うのなら、一家揃ってクビにしてやるぞと」
「……へーぇ」
特に面白くもない話に、途中から興味が失せ、あたしは適当に聞き流した。
けれど、父と母の言葉で、久しぶりに姉リエラのことを思い出す。
(そういえばお姉様、あたしの代わりにリングレン辺境伯に嫁いだんだったわね。今頃寒い北の地で、怪物のような男の慰みものになっているのかしら)
「……ねぇ、お姉様って今どうしてるの? 手紙とか来てるわけ?」
突然姉の話題を振ったあたしに、母が一瞬きょとんとした顔をする。そして今度は母の方が興味のなさそうな返事を寄越した。
「いいえ。来ていないし、こちらからも特に連絡はしていないわ。リングレン辺境伯閣下が何も言ってこないということは、それなりにやっているんじゃないかしら」
「ふぅん」
(可哀想にねぇ、お姉様ったら。あんな地味な見た目に生まれたせいで、王立学園にも通わせてもらえず、ニルス様にも嫌われて。今頃噂の極悪辺境伯のもとで虐げられているんでしょうねぇ。まだ生きていればいいけど)
そんなことを考えほくそ笑んだあたしは、父の再度の質問で我に返った。
「それはそうと、マチルダ。お前なぜ前触れもなく帰ってきたんだ」
「っ! そうだわ、聞いてよお父様、お母様……! ニルス様ったらね、ひどいのよ! それに、フェルナー伯爵夫人だって……!」
その後あたしは、結婚式を挙げさせてもらえない不満や、フェルナー伯爵夫人の意地悪な嫌みの数々、そしてちゃんとあたしを庇ってくれないニルス様の適当な態度について、延々と愚痴を語った。
父と母はあたしを慰めるどころか、逆に「お前の我慢が足りない」「伯爵令息夫人となった自覚を」などと説教を始め、ついに喧嘩になってしまった。
夜になり、ようやくあたしを迎えにきたニルス様が、へらへらと笑いながら機嫌をとりはじめた。
「もう二度と泣かせないよ、マチルダ。詫びの代わりに新しい宝石を買ってやるからさ」というニルス様の言葉に渋々折れ、あたしは彼と一緒にフェルナー伯爵邸へと帰ったのだった。




