27. 突き付けられる現実(※sideマチルダ)
目論見通りニルス様と結婚できて、あたしは満足していた。
本当に危ないところだった。最高のお相手を……と吟味しすぎたせいで、とんでもない男のもとへ嫁がされるところだったもの。
母に調べてもらった駐屯地まで出向き、併設された補給所を訪ねたあたしは、そこでニルス様を呼び出してもらった。
あたしの姿を見るなり目を見開いたニルス様は、次の瞬間両手を広げ、満面の笑みを浮かべ近付いてきた。
予想通り歓迎され安堵したあたしは、目を潤ませて訴えた。
ずっと姉から陰湿な虐めを受けていた、ニルス様のことが心配、あなたのような素敵な方には、もっと素晴らしい女性と幸せになってほしい、と。
彼は「詳しく話を聞きたいから、二人きりになれる場所へ行こう」と言い、妙に手慣れた様子であたしを近くの街の宿へと誘った。
ニルス様に乞われるがまま純潔を捧げたことに、後悔はなかった。これまで大事に守ってきたものを差し出す時は今に違いないという、確信があったから。
結果として、あたしはニルス様にますます気に入られ、そのまま二人でフェルナー伯爵邸へと赴いたのだった。自分の行動力と立ち回りの上手さに、内心ほくそ笑んだわ。
(伯爵家風情じゃなくて、社交界の誰もがあっと驚くようなもっと格上の相手と、劇的な結婚をしたかったんだけどね……)
でも、それは夢に終わってしまった。まぁいいわ。貧乏なローゼン男爵家に生まれたのに、伯爵令息夫人になれたんだもの。北の極寒の領地に住む怪物のもとへ送られる末路も回避できたわ。この美貌と持ち前の愛嬌のおかげね。
ニルス様はいい男だし、あたしにベタ惚れだもの。きっと一生甘やかされて、可愛がってもらえる。
フェルナー伯爵令息夫人として、これからは優雅で楽しい毎日を送るわ。
そう思っていた。それなのに、新婚生活はその出だしから、期待とは違ったものだった。
数ヶ月後、フェルナー伯爵邸での生活が始まった頃。
ニルス様の母上、フェルナー伯爵夫人と二人で居間にいる時に、あたしは彼女に尋ねた。
「お義母様、あたしとニルス様の結婚式はいつ頃になりますの? 招待客も吟味したいし、できるだけ早く教えていただけると嬉しいんですけど」
するとフェルナー伯爵夫人は、まるでゴミを見るような目であたしを見て、唇を歪めた。
「結婚式ですって? あなた、本気で言っているの?」
「……? もちろんですわ。だってあたしとニルス様は、正式に夫婦になったわけですから。姉の時でさえ、結婚式をしたじゃありませんか」
そう言うと、フェルナー伯爵夫人はさらに眉を寄せ、呆れたようにため息をついた。そして手にしていた扇を、音を立てて閉じる。
「そうよ。ニルスはつい先日あなたの姉と婚儀をし、そして離縁したばかりなの。その直後に、今度は妹娘の方と婚儀など行えば、社交界のいい笑いものではありませんか。それが分からないの?」
その言葉に、あたしは驚いてあんぐりと口を開けた。え……? どういうこと?
「じゃあ……まさか結婚式はしないとおっしゃるんですか? そんなの嫌です! 結婚式って、人生でたった一度だけの、最大の行事なんですのよ!? あたし楽しみにしてたのに!」
豪華なウェディングドレスを着て、ニルス様という美青年の隣で微笑むあたし。
学園で知り合った上流階級の令嬢たちをたくさん招いて、伯爵家に嫁いだあたしの幸せな姿を見せつけるはずだったのに。
食ってかかるあたしに、フェルナー伯爵夫人は目を吊り上げる。
「だから何だというの? 事情や経緯を考えれば理解できるはずよ。諦めてちょうだい」
「だ、だって、あたしは……!」
「それと、その妙に甘えた話し方もお止めなさい」
なおも抗議しようとするあたしに向かって、フェルナー伯爵夫人は閉じた扇を突きつけてきた。
「フェルナー伯爵家の恥となるわ。『だって』ではなく『ですが』、『あたし』ではなく『私』。いい? マチルダさん。ニルスとあなたの婚儀など行えば、社交界の皆様からいらぬ詮索をされるだけなのよ。こんなにも早々に、一体どんな事情があって、姉娘から妹娘に乗り換えたのかと。いくらリエラさんが不出来であったと説明していても、すんなり納得する人などいないわ。人々は常に、他家の醜聞を探しているのだから」
「そ、そんなの……!」
「黙りなさい」
信じられないことに、フェルナー伯爵夫人は立ち上がり、突きつけていたその扇で、あたしの頬を軽く叩いたのだ。
まるで動物を調教するかのように。
驚きと怒りで、咄嗟に言葉が出ない。そんなあたしに、伯爵夫人はさらに言い募る。
「伯爵家には、伯爵家の体面というものがあるの。あなたのような田舎の貧しい男爵家出身の娘には分からないことも多いでしょうけれど、それも含めて、これからしっかりと勉強していってもらいます。リエラさんがなせなかった、ニルスの妻としての務めもきちんと果たし、屋敷の家政や礼儀作法もしっかりと学んでちょうだい」
言いたいことだけ言うと、フェルナー伯爵夫人はさっさと居間から出て行ったのだった。
あたしは彼女が出て行った扉を、呆然と見つめる。腹立たしさに、全身が震えはじめた。
(田舎の、って……。このフェルナー伯爵領だって十分田舎じゃないの! 何よ、偉そうに……!)
上から目線で説教されたうえに、馬鹿にされた。
悔しさと怒り、そして楽しみにしていた結婚式をしてもらえない悲しさで、涙が込み上げる。
夜になって屋敷に帰ってきたニルス様に、あたしは全てを話した。
「ひどいと思わない!? お義母様ってあたしに本当に冷たいのよ! ニルス様との結婚式、楽しみにしてたのに!」
瞳を潤ませながらそう訴えるあたしを慰めもせずに、ニルス様はへらへらと笑いながらソファーに腰掛け、グラスにワインを注ぐ。
帰宅した時から、すでにアルコールの匂いがしていたことが、かすかに頭をよぎった。お義父様と一緒に領地の視察に行っていたはずだけれど、訪問先で接待でも受けたのかしら。
彼はゆっくりと足を組み、グラスを傾ける。そしてようやく、あたしの方を見た。
「ははは。たしかに残念だよなぁ。可愛いマチルダのウェディングドレス姿、俺も仲間たちに自慢したかったぜ」
その言葉にほっとし、あたしはすぐさまニルス様の隣に腰かけ、すり寄った。
「で、でしょ!? じゃあニルス様からもお義父様とお義母様に抗議してよ!」
「うーん。でもなぁ。母さんの言うことも理解できるしなぁ。親と揉めるのも面倒だし、どうせ向こうは折れないしさ。……ま、結婚式だけが全てじゃないんだから、あんまり気にするなよ。他の楽しいこと考えようぜ」
「なっ……! ひ、ひどいわ、ニルス様……!」
楽観的で適当な言葉に失望し、ますます腹が立つ。
新たな涙が込み上げ、視界が滲んだ。
顔を覆って肩を震わせると、ニルス様が焦った声を上げ、あたしの肩を抱き寄せる。
「おわっ。な、何も泣くことないじゃん。大袈裟だなぁ、マチルダは。ほら、よしよし」
「大袈裟って何よ!! ニルス様、あたしがこんなに悲しんでいるのに、全然真剣に考えてくれない……! あたしのこと、大事に思ってくれてない証拠だわ! うぅっ……」
「いやいや、そんなはずないだろう? 誰よりも大事にしてるし、世界一可愛いと思ってるよ。愛しい俺のマチルダちゃーん。……な? そんなに泣くなってー、もう」
彼が喋れば喋るほど、その軽薄な口ぶりがあたしの神経を逆撫でする。苛立ちが募り、あたしはこぼれた涙を利用して、思う存分泣き真似をした。
「ふ……ふぇぇ……、誰もあたしの気持ちなんて考えてくれない……。ひどいわ、ニルス様。ひどすぎる……」
「……」
「楽しみにしてたのに。大事にしてもらえると信じて嫁いできたのにぃ。うぅっ……、ひっく……」
「……はぁ」
ニルス様が、面倒くさそうにため息をついた。
聞き逃さなかったあたしは、文句を言おうと顔を上げる。
するとそのタイミングで、ニルス様がぱっと顔を輝かせた。
「そうだ、いいことを考えた。俺の可愛い新妻を、別の形で皆に披露するよ。実質、俺たちの結婚式みたいなものだ」
「……え?」
訝しんで小首を傾げるあたしに、ニルス様がにやりと笑った。




