26. ユリアーネ様との昼食
挨拶が終わると、私たち三人は食堂へと移動した。
本邸の食堂とは違い、そこはこぢんまりとした、落ち着いた部屋だった。窓の外には、手入れの行き届いた庭木が見える。暖炉には火が入り、室内は心地いい暖かさだった。
大きめの丸テーブルには、三人分の食器が整えられており、数人の使用人が壁際に静かに立っていた。
(よかった。ここならそんなに緊張せず食事ができそうだわ)
そう思ったものの、ユリアーネ様と同じ卓に座ると、やはり自然と背筋が伸びる。
そんな私の様子に気づいたのだろう。ユリアーネ様が微笑みかけてくださった。
「あなたの薬学の造詣については、レオンハルトから聞いています。お若いのに、素晴らしいわね」
「あ、ありがとうございます。幼い頃から少しずつ学んではきました。ですが、私などまだまだで……」
凛としたオーラを放つ貴婦人にじっと見つめられながら褒められ、畏縮した私は言葉を詰まらせそう答える。
するとユリアーネ様は、優しく首を横に振った。
「一朝一夕で身に付くものではない知識を、何年も積み重ねてこられたのですもの。誇るべきことだし、その知識をこのリングレン辺境伯領で振るってくれるのだから、ありがたいわ」
そんな会話をしている間に、使用人たちがテーブルの上に料理を並べはじめた。
かぶのポタージュに、白パンと数種類のチーズ、彩りの美しいサラダに、仔羊肉の香草焼き。室内に美味しそうな香りが満ちて、食欲をそそられる。
スプーンを手に取り、私はユリアーネ様に答えた。
「……私が通っていたのはローゼン男爵領内の平民学校でしたが、良い先生方に教えていただいたんです。皆様とても熱心に指導してくださって、中でも……」
そこまで言うと、私は隣に座るレオン様に視線を移す。
すると、パンを手にしていた彼が、思い出したように口を開いた。
「ああ、そうそう。母上にはまだ言っていませんでしたね。リエラが薬学を学んだ師は、テオドールだそうです」
「まあ……、テオドールですって?」
ユリアーネ様の緑色の目が、驚いたように見開かれる。私は慌てて頷いた。
「はい。私たちはテオ先生と呼んでおりました。まさかレオンハルト様の弟君だとは、全く存じ上げなくて……。レオンハルト様から聞いて初めて知り、とても驚きました」
「そうだったのね。ふふ……」
ユリアーネ様は、どこか懐かしそうに目元を和らげた。
「素敵な巡り合わせね。あの子は昔から、自分の知識を必要としている場所へ、どこへでも行きたがる子だったのよ。テオドールは元気にしていた?」
「は、はい。テオ先生……、テオドール様は本当に丁寧に教えてくださる方でした。私が何度質問をしに行っても、嫌な顔一つせずに向き合ってくださって……」
そう話しているうちに、平民学校で過ごした日々が胸によみがえる。
簡素な机に並べられた薬草の束。窓辺に置かれた鉢植え。穏やかな声で説明してくれるテオ先生。一緒に学んだ友人たち。中でも特に大好きだった、仲良しのエマ。
「……私にとって、学校で過ごした日々は、とても大切な時間でした。家族の中で居場所がなかった私は、薬草のことを学んでいる時が一番楽しかったので」
そう口にした瞬間、しまった、と思った。
私が家族に疎まれていることまで話す必要はなかった。余計なことを口にしてしまったかもしれない。
けれどユリアーネ様は、特に何も追及してはこなかった。
優しく頷き、まるで話を反らすように、レオン様に質問する。
「いい学校生活だったのね。そういえば、レオンハルト。リエラさんが薬草を扱うにあたって、作業する場所はもう整えてあるの?」
すると、静かに食事を進めていたレオン様が答えた。
「当面は厨房のそばにある一室を、リエラのための作業部屋にするつもりでいます」
「そう……。でもそんな簡単な設備では、リエラさんが不便でしょう」
ユリアーネ様のその言葉に、私は慌てて首を横に振った。
「い、いえ。不便だなんて、とんでもありません。一部屋使わせていただけるだけで、十分すぎるほどです。まずは少量ずつ試すところから始めるつもりでいますので」
そう答えると、レオン様が私の方を見る。
「いずれは薬草用の工房を建てるつもりでいるよ。君が言っていた、洗浄、乾燥、保管、調合などの工程を、全て一ヶ所でできるようにね」
「こ、工房? そんな大掛かりなものを、私のために……?」
驚いてそう言うと、レオン様が頷く。
「もちろん君のためでもあるが、領地のためでもあるよ。君がローゼン男爵領で作っていたような高品質な薬を、この土地でも安定して作れるようになれば、鉱山労働者たちも助かるし、領民全体の暮らしを支えることにもなる。それだけではなく、いずれはこのリングレン辺境伯領の新たな産業にもなり得るだろう」
「へ……、辺境伯領の、産業の一つに……?」
「そうだよ」
当然のように頷くレオン様の顔を見つめながら、私は小さく喉を鳴らした。
(私の作る薬が、この広大なリングレン辺境伯領の、産業の一つに……)
そこまで期待してくださっているのだと思うと、嬉しさよりもその重みに、また新たな緊張が走る。
(が、頑張らなきゃ……!)
ひそかに気持ちを奮い立たせていると、レオン様はさらに今後の計画について語る。
「最初は領民の中から、薬草加工に興味のある者を集めて、リエラが教える。加工の手順が固まってきたら、工房を建てる場所や規模、必要な設備、人員の配置を決め、正式な薬草工房として整備しよう」
するとユリアーネ様が、真剣な表情で頷いた。
「いいわね。工房ができれば作業従事者も増やせるし、鉱山や村々に必要な薬を継続的に届けられる仕組みが整うわね」
「はい。やがては余剰分を他領へ売ることもできるようになるでしょう」
「そうね。領内だけでも十分な需要があるでしょうから、まずはそこを安定させるのが大切だわ。でも、外へも売っていけるようになれば理想的ね」
「ええ。薬草は保存が利く分、遠方にも運びやすいですから。街道が雪で閉ざされる前に備蓄しておけば、冬の交易にも使えるでしょう」
レオン様とユリアーネ様は、いつの間にか薬草の話を、領地経営の話へと広げていた。
(すごいな……。さすがは領主様だわ。私ももうリングレン辺境伯夫人なのだから、目の前の作業だけではなく、いずれはその先にある領地全体のことまで考えられるようにならなくちゃ)
未熟な私にはまだ、分からないことばかりだ。
けれど、レオン様とユリアーネ様の会話を聞いていると、これから自分が学ぶべきものが、少しずつ見えてくる気がした。
楽しい会話を重ねるうちに、昼食の時間はあっという間に過ぎていった。
緊張したけれど、ユリアーネ様とレオン様と食卓を囲むのはとても楽しく、そして大きな粗相をすることもなく無事に終わった。
食後の紅茶が出てきた頃にそのことに気付いた私はほっとし、嬉しさで頬が緩んだのだった。少しは成長できているのかもしれない。
その後、ユリアーネ様に庭園を案内され、三人で少し散策をした。
けれど、冷たい風が吹いてきたのですぐに応接間に戻り、ソファーに腰かけてお喋りを楽しむことになった。
領地について交わす会話がふと途切れた時、ユリアーネ様がぽつりと言った。
「あなたたちの結婚式のことも、考えなくてはね」
(……っ! け、結婚式……)
その言葉に、妙な気まずさを感じてしまう。初婚ではない私は、すでに一度結婚式を済ませてしまっているからだ。
ユリアーネ様も、聞いていらっしゃらないはずがない。そのことについて、思うところはないのだろうか。
そんなことを考えていると、レオン様が頷き、手にしていた紅茶のカップをソーサーの上に置く。
「ええ。ですが結婚式は、今すぐにとは考えていません」
「そうね。これから領内も、冬支度に入る頃ですものね」
「はい。それに、リエラはまだこの地に来たばかりです。慣れない環境の中で様々なことを学びながら、薬草の調査にも力を尽くしてくれています。式の準備まで重ねて、負担を増やしたくはありません」
「……レオン様……」
彼は私の方を見て、目を細める。
「まずは君が、このリングレンで安心して暮らせるようになること。それから、領地のことを少しずつ知っていくこと。その方が大切だと思っている」
「は、はい。ありがとうございます……」
「式は、落ち着いた頃にきちんとしよう。君を私の妻として、皆に改めて紹介したい。大切な祝いの日だから、急いで形だけを整えるのではなく、君が心から笑って過ごせる日にしたいんだ」
「……っ」
胸の奥が熱くなり、言葉に詰まる。
この方は、どこまでお優しいのだろうか。
「……はい。その日を楽しみにして、頑張ります」
微笑み合う私たちを、ユリアーネ様もまた、嬉しそうに目を細めながら見守ってくださっていた。
夕方近くになり、別邸を辞すことになった。
ソファーから立ち上がって挨拶をする私に、ユリアーネ様が改まった様子で言った。
「リエラさん、レオンハルトのもとに嫁いできてくれてありがとう。これからよろしくね」
「そ、そんな……。私の方こそ、受け入れていただき、感謝しております。家格も経歴も、レオンハルト様には不釣り合いな身でありますのに……」
後ろめたい気持ちを抱え、私はしどろもどろになりそう返す。胸を張って堂々と振る舞える立場にない自分が、情けない。
けれどユリアーネ様は、静かに首を振った。
「家格だけで人の価値が決まるわけではないわ。それに、自分の力ではどうにもならない過去の傷があったとしても、私は気にしません」
「……ユリアーネ様……」
「もちろん、貴族社会においてそれらが重要視されることは、私もよく分かっています。けれど、レオンハルトの妻となってくれたあなたに必要なことは、もっと別にあるわ」
そう言うと、ユリアーネ様は言葉を区切り、口角を上げる。
「学ぶことを厭わず、自分にできることを誠実に探し続けるあなたの姿に、レオンハルトは期待しているのでしょう。私もそうよ。これからこのリングレンをよろしくね」
(ユリアーネ様……)
畏縮する私の気持ちに気付き、励ますようにそう言ってくださるユリアーネ様の気遣いに、私は胸がいっぱいになってしまった。
唇を引き結び、感激の涙をぐっと堪える。
一呼吸置いて、私はユリアーネ様に心からのお礼を言った。
「……ありがとうございます。レオンハルト様の妻として相応しい自分になれるよう、努めてまいります」
ユリアーネ様は、とても美しい笑顔を見せてくださった。




