25. リングレン前辺境伯夫人との対面
その後数日間は、湿地帯と同様に各所へ足を運び、実地調査を続けた。
石混じりの南向きの斜面や、高原の清流沿い。森の端の、日陰が多い場所。それぞれの場所に生えている薬草を見つけては、屋敷に持ち帰って分析したり、栽培できる種類について考えたりしているうちに、毎日は飛ぶように過ぎていった。
そして、翌週。ついに前辺境伯夫人が暮らす別邸を訪問する日が訪れた。
清楚で上品なアイボリーのドレスと、真珠のアクセサリーを身にまとい、私はレオン様と一緒に馬車に乗った。
「君と昼食をともにしたいと、母が楽しみにしていたよ」
「そ、そうなのですね」
この時間から伺うということは、おそらくそうなのだろうとは思っていたけれど、やっぱり緊張する。
(到着初日のような失態だけは、もうしないようにしなきゃ。今日までマナーの勉強も、精一杯頑張ってきたつもりだけど……。無事に終わりますように……!)
あの日の夕食のことを思い出し、少し暗い気持ちになった瞬間、向かいに座っていたレオン様が優しい口調で言った。
「大丈夫だからね、リエラ。いろいろな事情は、私が先に手紙で説明してある。母は鷹揚な人間だ。細かいことで、君をとやかく責めたりはしない。気楽に接してくれればいいよ」
「……はい。ありがとうございます」
いまだにこうして私を気遣ってくださるレオン様の優しさに、喜びとともに心苦しさも感じてしまう。
(いろいろな事情って、どこまでだろう。男爵家の出戻り娘を妻に迎えたことは、もちろん伝わっているはずよね……? 前辺境伯夫人は、本当にご納得くださっているのかしら。だってレオン様なら、私なんかじゃなくて、もっと素敵な高位貴族家のご令嬢をいくらでも迎えられたはず……)
たとえ王都で妙な噂が出回っていたとしても、実際にこの方にお会いすれば、誰だって好感を持つに決まってる。そのうえ、王国随一の広大な領土を持つ辺境伯家の当主様だもの。お断りする理由なんかないわ。
そんなレオン様の妻となることができた自分の幸運と責任の大きさを改めて噛みしめている間にも、馬車はコトコトと揺れながら、なだらかな丘を下っていく。
最近の実地調査についてレオン様と話し合っているうちに、あっという間に前辺境伯夫人がお住まいになるリングレン辺境伯家の別邸へと到着した。
そこは、堅牢な城のような本邸とは全く違う、白壁のこじんまりとした可愛らしい建物だった。衛兵たちが守る門をくぐり、深い緑の木々が美しく整えられた敷地内を進む。やがて馬車が、静かに停車した。
レオン様に続いて馬車を降り、玄関扉へと向かう。緊張のあまり心臓が激しく高鳴り、私は何度も深呼吸をした。
瀟洒な邸内に入ると、品の良い佇まいの家令に出迎えられる。彼に案内され廊下を進み、奥の応接間へと足を踏み入れると、一人の女性がソファーに腰かけていた。
淡い灰青色のドレスをまとったその方は、穏やかな佇まいの中に、はっとするほどの気高さを感じさせた。
白髪交じりのホワイトブロンドが綺麗に結い上げられ、深い森を思わせる緑色の瞳で、こちらを見つめている。
(この方が……レオン様とテオ先生のお母様……)
そう思った途端全身が強張り、私は小さく喉を鳴らした。
レオン様は私の背に優しく手を当て、誘うように前辺境伯夫人の前へと進み出る。
「母上、ご無沙汰しています。体調はいかがですか」
彼の言葉に、前辺境伯夫人は穏やかに微笑んだ。
「よく来てくれたわね。体調はもう大丈夫。風邪をこじらせてしまっていただけよ」
そう言った前辺境伯夫人の視線が、さり気なくこちらへと移動する。その瞬間、さらに背筋に力が入った。
レオン様は、私が身を固くしたことに気づいたのだろう。私の顔を覗き込むようにして優しく微笑むと、前辺境伯夫人の方を向き穏やかな声で言った。
「母上。こちらが、私の妻となったリエラです」
レオン様が「妻」という言葉を当たり前のように口にしてくださったことに、また心臓が跳ねた。
「彼女はとても誠実な努力家で、手紙でお伝えした通り、薬学にも深く通じています。嫁いできてくれてまだ二月足らずですが、すでに我が領にとってかけがえのない存在です」
「レ、レオン様……」
こんな風に紹介されるとは思わなかった。気恥ずかしくて、背中に汗が浮く。
思わず彼を見上げると、レオン様はまた私を安心させるような笑みを向けてくれる。
「リエラ。こちらが私の母だ」
「は、はい……」
覚悟を固め、私は一歩前へ出て丁寧に礼をした。
「初めてお目にかかります。リエラと申します。至らぬ点ばかりですが、どうぞよろしくお願いいたします」
声が震えないよう意識しながらそう挨拶をしたけれど、心臓は今にも口から飛び出しそうなほど激しく脈打ち、ドレスをつまむ手は汗ばんでいた。
前辺境伯夫人はそんな私をじっと見つめ、一層表情を和らげた。
「はじめまして、リエラさん。リングレン辺境伯領へ、よく来てくれました。私のことは、どうぞユリアーネと呼んでちょうだい」
その声音は驚くほど優しく、ほっとして少し肩の力が抜けた。
「は、はい。ありがとうございます、……ユリアーネ様」
勇気を出してそう呼んでみると、ユリアーネ様は目を細める。
「レオンから、あなたのことは聞いています。このような寒い土地で、慣れないことも多いでしょうけれど、どうか無理をしないでね。この別邸も、あなたの家だと思ってくつろいでいってちょうだい」
「……っ、ありがとうございます……」
温かな言葉に、胸の奥がじんと痺れる。
隣に立つレオン様が、私を守るようにそばにいてくださる。そのことを心強く思いながら、私はもう一度ゆっくりと礼をした。
そんな私たちを見て、ユリアーネ様は穏やかに微笑んでいた。




