22. リングレン辺境伯領を学ぶ
それから三日間、レオン様はずっとお屋敷に滞在なさっていた。
私に屋敷の中を少しずつ案内してくださったり、一緒にお茶をしたりして、庭園や温室を散歩しながら、この辺境伯領のことをたくさん教えてくださった。また、領地の様々な場所も見に行った。
「早く現地調査をして、こちらの薬草の状態を確認したいです……!」
領地を散策している時に私がそう言うと、レオン様は苦笑した。
「今、君が自由に動き回れるような服を何枚か作らせているところだ。もう少し辛抱して、屋敷でゆっくり過ごしていてほしい。その様子だと、ドレス姿のまま夢中になって、沼地にでも入っていってしまいそうだからね」
「そ、そんなことはしません! ……たぶん。ドレスが、もったいないですし……」
「ははは」
歯切れの悪い返事をすると、レオン様が楽しそうに笑いながら、ごく自然に私の頭を撫でた。
(……レオン様にとっては、十も年下の私は、まだまだ子どもに見えているのかしら)
余裕のある落ち着いたレオン様の横顔を盗み見ながら、私はそんなことを思い、小さく落ち込む。
領主であるレオン様の、悪名高い噂話の数々に怯えながらやって来た、このリングレン辺境伯領。
けれど、ろくなマナーも備わっておらず、自分に自信のない私のことを、レオン様はただ温かく迎えてくださった。
優しい言葉と待遇で私を安心させ、急かすことも、失態を責めることもなく、まるで包み込むように見守ってくださる。
ありのままの私を受け入れ、美しいとまで褒めてくださって。
そのうえ、王子様のように完璧な、この美丈夫っぷり。
実家でも婚家でも冷遇され続け、人から与えられる優しさに不慣れな十八歳。そんな私が恋に落ちたのは、一瞬のことだった。
私にとって、初めての恋だった。
(だけどレオン様からは、私がこの方に対して向けているような想いは、まるっきり感じられないわ。……当然よね。だって私は、このリングレン辺境伯領で新薬の開発や安定供給を実現させるべくやって来た、政略の妻ですもの。そもそも、出会ってまだほんの数日。何の成果も上げていないというのに)
そう。私は恋をするために、ここに招かれたわけじゃない。
温かく迎え入れてくださったレオン様や、このお屋敷の人たちに応えるためにも、浮かれていないで自分のやるべきことを精一杯やらなくては……!
ややもすればレオン様のことばかり考えてしまいそうになる自分の心に喝を入れ、私は雑念を振り払うように猛勉強を始めた。
私がここに来て六日目から、レオン様はお仕事に出かけていくようになった。
それから数週間、私は屋敷で学びながら、レオン様がどのように領地を治めているのかを少しずつ知っていった。
広大な辺境伯領の領主の仕事は、多岐にわたる。
最も重要な仕事の一つが、領地の視察。レオン様は放牧地の様子などを確認に行き、鉱山の稼働状況や、安全確認にも出向かれる。他にも、林業地帯の伐採計画や運搬路の確認に、国境沿いの警備や見回りも。その他、各地の責任者との打ち合わせなどをこなしつつ、領民間でいざこざが起こったと聞けば、その仲裁にもすばやく駆け付ける。
さらに、レオン様の重要なお仕事の一つが、リングレン辺境伯騎士団の統括だ。
リングレン辺境伯騎士団は、王国の北端を守るために組織された、辺境伯直属の軍事組織だという。
このベルティア王国に属しながらも、指揮や運営は全て辺境伯家に委ねられているそうだ。
国境警備、盗賊や密輸の取り締まり、鉱山や街道の治安維持、そして有事の際には王命による出兵にも応じる。最高責任者は当主であるレオン様だけれど、日常の指揮は騎士団長が担っているそうだ。
もっとも、有事や重要な判断が求められる場では、レオン様自らが前線に立ち、全体に指示を出すのだそう。
厳しい寒さと険しい地形に鍛えられた騎士たちは、剛健で実務に長け、王国騎士団からも一目置かれているという。
……以上が、私がここに来て数週間で学んできた、リングレン辺境伯の仕事内容だった。
そんなお忙しいレオン様なので、一日中屋敷に滞在していることはほとんどない。
(最初の五日間は、本当に私のために時間を捻出して作ってくださった、貴重なお休みだったのね……)
嫁いできたばかりの私が心細い思いをしなくて済むよう、あの方なりの精一杯の配慮をしてくださっていたのだ。
学べば学ぶほど領主の多忙さを知り、お優しいレオン様に私はますます焦がれるのだった。
今日も机に向かい、領主一家の仕事や領地について学びながら、私はため息をついた。
(父も領主であることには変わりないんだけどなぁ。あの人がレオン様のように、領地のどこかの様子を見に行っているところ、一度も見たことがなかったわ……)
領地の規模自体が全然違うのだから、負担も大違いのはず。だからこそ、父は狭い領地の中をもう少し気にかけてもいいのではないだろうか。
ふと、ローゼン男爵領の人たちのことが、脳裏をよぎる。
(……オットーは元気にしているかしら。エマは……、フリッツ一家は、大丈夫かな。私がいなくても、新薬作りは滞っていないかしら。まぁ、まだ数週間だから、そんなに困ってはいないわよね)
懐かしい人たちの顔を次々に思い出し、胸が疼く。
恋しく思うけれど、泣かずに済んでいるのは、ここの皆が優しくしてくれるおかげだ。
「失礼いたします。リエラ様、そろそろ昼食のお時間でございますので、ご休憩にいたしませんか?」
その時。私室の机にかじりつくように勉強していた私の集中力が途切れていることに気付いたのか、専属侍女の一人がそう声をかけてきてくれた。
「あ……、ええ。ありがとう」
私は腰を上げ、昼食をとるために食堂へと向かう。
(机上で学ぶべきことはまだまだあるけれど……、私も早く外に出たい。辺境伯領にはどのくらいの種類の薬草があるのか、土壌はどんな可能性を秘めているのか……早くこの目で確かめたいわ……!)
そんなことを思い、内心そわそわしながら廊下を静かに歩いたのだった。




