20. 薬草のための環境
馬車はさらに進み、霧の立ちこめる谷あいへと入った。
「あの辺りは湿地帯だ。開拓が難しくてね。正直、持て余している」
(……っ! 湿地帯……!)
レオン様のその言葉に、私は小窓に張り付くようにして、彼が指し示した方向を見る。
「……水気が強そうですね」
「ああ。作物の根が腐りやすく、穀物は育たない。畝を作っても崩れやすいため、農業には不向きだ。地盤が緩いから建物も建てられないし、道路の整備も困難。霧が立ち込めていることも多く、領民は近付かない一帯だ」
そう説明してくださるレオン様の声を聞きながら、私は半分上の空だった。……ウズウズする。もっと近くに行ってみたい。
「レオン様、この環境、薬草には最高です!」
思わずそう口にして、小窓から顔を離し、振り向く。そんな私に、彼は目を見開いた。
「ほう?」
「湿り気を好む薬草が、きっとよく育ちます。しかも朝霧が出る土地は、香りと薬効が強く出やすいんです!」
「……そうなのか?」
「はい! たぶん、もう自生しているものも何種類かはあると思います」
(水気を含んだ冷たい土も、朝霧も、一部の薬草にとって、これほど条件の揃った場所は多くないのよ。土の粒は細かいのかしら。それとも、砂や泥も混じっているのかしら。水はどのくらい溜まってる? 深さや温度は? 霧は朝だけなのか、それとも日中まで残るのかしら……。ああ、今すぐにでも近くまで行って、確かめてみたい……!)
早速薬草にとっての素晴らしい環境を見つけてしまった私は、興奮して気持ちが逸りはじめた。そんな私に、レオン様は落ち着いた声で言う。
「そうか。……やはり君を連れてきてよかったな。今日は互いに、あの辺りを歩き回るには不向きな装いだ。後日改めて、動きやすい服装の時に見てみるといい」
「はい! お願いします。ぜひ行かせてください!」
レオン様のその言葉に、予想以上に弾んだ声が出てしまった。面食らったようなレオン様の顔を見て、恥ずかしさに頬が熱くなる。
「……すっ、すみません、つい……」
そんな私の姿を見て、彼は柔らかく笑った。
「楽しそうで何よりだ。リエラは本当に薬学が好きなんだね。この地に興味を持ってくれて、嬉しいよ」
湿地帯を迂回するようにしばらく馬車を進めると、次に見えてきたのは岩肌を削ったような山肌だった。
灰色や赤茶色の岩がむき出しになり、斜面には幾筋もの足場が組まれている。
人影が点々と動き、つるはしを振るう音や、岩を砕く乾いた響きが、風に乗ってかすかに届いてきた。
山の中腹には坑道の入口らしき穴がいくつも穿たれ、その周囲には資材や木箱が整然と積まれている。
「鉱山だ」
「すごい……。こんなにも大規模なのですね」
初めて見る光景に圧倒されている私に、レオン様が頷く。
「主に鉄鉱石や、染色の原料となる鉱石などが採れる。ただ、作業は過酷でね。怪我人が多いのが悩みの種だ」
「……止血剤や消炎剤の備蓄は、絶対に必要ですね」
「そう。それも可能な限り、質のいいものが欲しい。だからこそ、君を迎えたんだよ、リエラ」
その言葉に、私は思わずレオン様の方を見た。彼もまた真剣な眼差しで、私のことを見つめている。
「薬の質と医療体制を、より良くしたい。以前からずっとそう思っていた。そんな時に、ローゼン男爵領の新薬を入手する機会があり、その効果の素晴らしさを知ったんだ。鉱山労働の責任者たちも、皆口を揃え、この薬を継続的に供給してほしいと言う。……ぜひ、君の力を借りたい、リエラ。あれらの素晴らしい薬を、この地でも生産できるようにしてもらえるだろうか」
(……レオン様……)
真摯なその言葉に、大きな感動を覚える。
どんなに頑張っても、決して認められることのなかった、私の人生。
両親からは何も期待されずただ邪険にされ、実の妹にも馬鹿にされ。そのうえ婚家でも、ずっと冷遇されていた。
それなのに、この方だけは違う。
こんな私を温かく迎えてくださり、私の力を必要としてくださっている。
決意と情熱が、胸のうちに漲る。
「……はい、レオン様。お任せください。リングレン辺境伯領にとって最善の形を見つけ、質のいい薬をたくさん供給できる環境を、必ず作ってみせます……!」
そう答えると、レオン様は安心したように笑う。
「心強いよ。ありがとう、リエラ。人手も設備も、君が必要だと思うものは全て相談してくれ。君の持つ知識や技術を、この地でどう形にするか、それは君に任せたい」
(……ま、任せたい? 私に……?)
また、初めてかけられる言葉だ。
調子に乗るな、口答えをするな、可愛げがない、価値がない。
これまで投げつけられてきた、私を見下す人たちからの言葉との違いに、感激のあまり頭がぼんやりする。
ここに来てからずっと、夢のような時間ばかりが続いている。
気付けば私の視界は、ぼんやりと滲んでいた。
「……リエラ? どうした、大丈夫かい?」
心配そうな表情を浮かべたレオン様が、私の顔を覗き込む。私は慌てて笑顔を作った。
「す、すみません……! はい、もちろん大丈夫です。頑張りますね、レオン様。リングレン辺境伯領のさらなる繁栄に、私、全力で貢献いたしますので……!」
胸の前で拳を作りそう答える私を、レオン様は少しの間じっと見つめていた。そしていつもの優しい笑みを浮かべると、もう一度噛みしめるように言った。
「ありがとう、リエラ」




