19. 辺境伯領巡りに出発
「レオン様と、ご一緒に、ですか……?」
「うん。嫌かい?」
「い、いえ、まさか! ありがとうございます」
そう答えると、レオン様が満足げに微笑む。
その時、使用人たちが目の前に次々と料理を並べはじめた。
(まぁ……っ! 朝からこんなに豪華なの? すごい……)
焼き立てのパンは、表面がぱりっとしたものや、柔らかな白パン、木の実の入った丸パンなど、いくつかの種類が用意されている。
湯気の立つオムレツに、香草を添えた厚切りのベーコン。温野菜に、琥珀色の香ばしい匂いのスープ。果実のコンポートにゼリー。
小さな丸テーブルは、あっという間に料理で埋め尽くされた。
「マナーなど気にしなくていいからね、リエラ。君が好きなように、気楽に食べてくれ。見られて困るような客人もいないのだから」
「は、はい。ありがとうございます」
レオン様の配慮に、頬がじんわりと火照る。そのご厚意に感激しながらも、早くこの方に相応しい辺境伯夫人にならねばと、私は決意を新たにし、食事を始めた。
(……うーん。今朝のお食事も、最高に美味しい……!)
子どもの頃から、一度の食事で満腹になる程の量が出てきたことはない。それなのに、ここでは食後の甘いものまで、こんなにたくさんいただける。
それらを堪能しつつ、採れたての果実を絞ったような濃厚な果実水を味わい、うっとりとしながら、私は思った。
(このままだと、あっという間にドレスのサイズが変わってしまいそう……。た、体型管理にも気を配らなくちゃ)
朝食を終えた後、一度私室に戻り、外出用の身支度に整え直す。今日のドレスとセットなのだろう、同じ色合いのショートケープを、肩から羽織らせてもらった。内側に薄い毛織が仕込まれていて、軽いのにしっかりと温もりを保ってくれる。
屋敷の玄関ホールで待ってくださっていたレオン様は、金糸の刺繍が入った濃茶の外套を羽織っていた。
すらりと背が高く、息を呑むほど整ったお顔立ち。さらには美しく輝く金色の髪。そんな容姿の彼が改まった装いをしていると、本当に素敵で、つい見惚れてしまいそうになる。
彼は階段を下りてきた私に気付くと、穏やかな笑みを見せた。
「出かける前に、庭園の方を少し案内しよう」
「は、はい! 楽しみです」
私がそう答えると、レオン様が苦笑する。
「はは。きっと今リエラが想像しているほど、華やかではないよ。……おいで」
屋敷の外へ一歩出ると、ひんやりとした空気が頬を撫でる。
彼に続き屋敷の裏手に回ると、手入れの行き届いた庭園が視界いっぱいに広がった。
そこは背の低い常緑樹や、枝ぶりの美しい低木が整然と並ぶ、落ち着いた庭だった。石畳の小道に沿って深い緑の葉が連なり、ところどころに苔むした岩が配されている。
「リングレン辺境伯領は、冬が来るのが早い。外で花を楽しめる期間は短くてね」
レオン様がそう説明してくれる。
「だから庭園は、こうして一年中景色が崩れない植栽にしているんだよ」
「……静かで、とても綺麗です」
たしかに、庭園と聞いて真っ先に頭に浮かんだような派手さはなかった。けれどここは、凛とした空気が漂っていて美しい。
深い緑に心が落ち着き、いつまでも佇んでいたくなるほどだった。
庭園の奥へ進むと、一棟の建物が現れた。分厚いガラス張りの壁と屋根を持つ、しっかりとした造りだ。
「ここが温室だよ」
レオン様がそう言って扉を開けた瞬間、外気とは全く違う温かい空気が肌を包む。
(あ……)
甘い香りが鼻先をくすぐった瞬間、色とりどりの花々が目に飛び込んできた。
可愛らしい桃色の薔薇や純白の百合たちが、柔らかな光の中で咲き乱れている。私の部屋に飾られていた花々と、同じ種類のものだ。
他にも、薄紫色や藍色、黄色やオレンジ色など様々な種類の花が咲いており、目を楽しませてくれる。その華やかさに、心が一瞬で浮き立った。
「とても素敵ですね……! まるでここだけが春のようです」
素晴らしい花々に見惚れながらそう言うと、レオン様が頷いた。
「寒さに弱い品種ほど手がかかるが、きちんと環境を整え丁寧に育てれば、応えてくれるからね」
(……薬草と同じだわ)
ここの花々も、寒さの厳しい土地で生きるために、大切に守られながら育てられているのだろう。薬草もそうだ。細やかに観察し、丁寧に手をかけるほど、良いものが豊かに採れる。
「ふふ。暖かくていい香りがして、華やかで。とても素敵な温室ですね」
「リエラが気に入ってくれたのならよかった。いつでも好きな時に、ゆっくり見に来るといい」
「はいっ。ありがとうございます」
そう言ってくださるレオン様に感謝しながら、しばらく花々を楽しみ、私たちは温室を後にした。
外に出ると、またひんやりとした空気が頬に触れる。
「屋敷はかなり広いからね。これから家令のヴァルターや侍女たちにも、少しずつ案内してもらうといい」
「はい、レオン様」
それから私たちは、すぐに屋敷を出発した。
準備されていた馬車は、驚くほど大きく、豪奢なものだった。
同乗したのは、レオン様の従者が一人と、私付きの侍女が二人。そして馬車の周囲は、騎乗した護衛たち数人が固めていた。そんな中でも、空気はどこかのんびりしている。
丘を下りるにつれ、景色が大きく開けた。
「まずは、領地の全体像を見てもらおうか」
レオン様はそう言って、窓の外を示す。
「この一帯は高原地帯だ。見ての通り、平らな農地が少ない。我が領の穀物収穫量は、王国でも下から数えた方が早いだろう」
「確かに……。斜面が多いのですね」
小窓から外を確認すると、石混じりの土地には、段々状に畑が点在してはいる。レオン様が話を続ける。
「ああ。代わりに、羊や軍馬、それから木材と鉱山資源が、主な収入源だ」
「軍馬も、ですか?」
「そうだよ。寒さと坂道に強い種を育てている。王宮の騎士団にも卸しているんだ」
「王宮にもですか? すごい……」
それほど軍馬の質がいいのであれば、リングレン辺境伯領の信頼も厚いだろう。
ひそかに感心していると、丘の向こうに広い放牧地が見えた。毛足の長い羊が、群れをなしている。
「羊毛は質がいい。国中から取引の依頼が来るよ。寒さが厳しい土地ほど、繊維が密になり、丈夫なものが作れるからね」
私は無意識に、自分が今身にまとっているドレスの袖口に視線を落とした。
淡い若草色の生地は柔らかいのに、冷たい風をしっかりと遮ってくれている。襟元と袖口を縁取る起毛は、触れるとふわりと指が沈む。
「もしかしてこのドレスの生地も、領地の羊から?」
「ああ。そうだよ」
私の問いに、レオン様が頷く。
「店の数は多くないが、我が領には腕のいい仕立て職人がいる。寒さの中で暮らす領民の衣服を、長年作り続けてきた者たちだ。ベルベットや他の装飾用の布は、王都や他国との交易で手に入れているが、仕立てはほぼ全て、この領内でしているよ」
「そうなのですね……」
「うん。見た目はさほど華やかではないかもしれないが、保温性と耐久性は王都の品にも引けを取らない」
そう言って、彼は少しだけ誇らしげに微笑んだ。
「君の衣装も、慣れない寒さで体調を崩してしまわないよう、温かさと着心地を重視させてもらったよ」
「……ありがとうございます、レオン様。ですが、デザインもすごく素敵です……! この縁取りのふわりとした毛並みも可愛いし、刺繍も繊細で……。こんなに素敵なドレスの数々を、私のために用意していただいていたことが、とても、う、嬉しいです……」
照れながらも一生懸命そう伝えると、レオン様が眩しいほどの笑顔を見せてくださった。
甘い痺れが胸に広がり、体がぽかぽかと温かくなる。
これまでずっと、見た目が地味だの、華がないだのと言われ、ないがしろにされてきた。けれどこの方は、私がこの土地で心地よく過ごせるよう、心を砕いてくださっている。
丘を渡る冷たい風の中、羊たちは穏やかに草を食んでいる。
この厳しい土地で育まれたものたちが、こうして私の身を守ってくれているのだ。そう思うと、来たばかりのこのリングレン辺境伯領が、不思議なほど愛おしく感じられた。




