18. 翌朝の食卓で
「……ん……。……ん?」
柔らかな陽光の差し込む寝台の上で目覚めた時、一瞬自分がどこにいるのか分からなかった。
身体がふわりと沈むような、しっとりとした寝具の感触。見慣れない天蓋と、厚手の立派なカーテンがかかった、大きな窓。
(あ……、そうだ……)
ここは、リングレン辺境伯邸。
私は昨日、この地に嫁いできたのだった。
思い出した途端、昨日の夢のような出来事の数々が脳裏に浮かび、また胸が温かくなる。
その時、控えめなノックの音がして、扉が静かに開いた。
「おはようございます。お目覚めでいらっしゃいますか? リエラ様」
専属侍女の一人が、昨日と同じ笑顔で声をかけてくれた。私は急いで体を起こし、彼女に笑みを向ける。
「おはよう」
「よくお休みになられましたか?」
「ええ、とても。驚くほどぐっすりと眠れたわ」
そう答えると、続いて入ってきた数人の侍女たちが、ほっとしたように微笑み合った。
「それは何よりでございます。お湯のご用意ができております。さ、どうぞこちらへ」
そう促されベッドから下りると、すぐに肩にガウンがかけられた。足元には温かな室内履きを添えられる。
まるで壊れ物を扱うような彼女たちのこの丁寧さが、妙に落ち着かない。
(こんな風に接してもらうの、慣れないわね……。でも、堂々としていなくちゃ。レオン様はゆっくりと慣れればいいと言ってくださったけれど、それでも私はもう、リングレン辺境伯夫人なんだから。威厳や落ち着いた佇まいも大切にしなければならない立場だものね)
ぬるめの湯で顔を洗った後、化粧台の前で髪を梳かれながら、私はふと気になり尋ねた。
「……あの、レオン様はもう、どこかへお仕事に出ていらっしゃるのかしら?」
辺境伯様なのだから、領政でお忙しいはずだ。私も早く学んで、少しでもお役に立たなくちゃ。
そう思って聞いたのだが、侍女は静かに否定する。
「いいえ。本日は邸内にいらっしゃいます」
「あ、そうなのね」
「はい。旦那様はリエラ様をお迎えするにあたり、数日間は公務を最小限にするとお決めになっておられましたので」
「え……っ、そ、そうなの?」
驚いて問い返すと、侍女が微笑んだ。
「ええ。夫という立場で妻を迎えるのだから、まずはリエラ様の心身のケアを最優先にせねば、と。急ぎのお仕事は全て、一昨日までに済ませておいでのようですよ」
(……レオン様……)
私のための、レオン様の温かな心遣いを、また一つ知る。
朝から体中に幸せが満ち、胸の奥が甘く締め付けられる。
髪を整えられている鏡の中の自分の頬が、赤く色づいている。そのことに気付き、さらに体温が上がった。
「ですので、本日は旦那様とご一緒に朝食をどうぞ。お召し替えが終わりましたら、食堂へまいりましょう」
「え、ええ」
火照った顔を恥ずかしく思いながらも、私は侍女のその言葉に頷いた。
こめかみから丁寧に編み込まれた髪は、頭をぐるりと一周し、まるで小さな花冠のように整えられた。ところどころに残された毛束が、私の動きに合わせて揺れる。
可憐な髪型に整えてもらった後、衣装部屋から今朝の装いが運ばれてきた。
今日は淡い若草色のドレスだった。厚みのある上質な生地で仕立てられ、裏地には細やかな起毛の布が重ねられている。見た目は軽やかなのに、包まれると驚くほど温かかった。全体に施された銀糸の刺繍は、光を受けるたびに美しくきらめく。
(今朝のドレスも、すごく可愛い……。私、これから毎日、こんなに素敵なドレスばかりを着させてもらえるの? もう、信じられない……)
思わず心の中で呟いてしまう。何もかもが、夢のようだ。
その後侍女に案内され、一階の角部屋へ向かった。
(あれ? 昨夜とは違う場所だわ。朝食と夕食は別の食堂でとるのかしら……)
少し不思議に思いながら室内へ入ると、そこは食堂ではなく普通の居間で、暖炉にはすでに火が入っていた。
レオン様は、部屋の中央に置かれた丸テーブルの前に座っていた。その姿を見ただけで、また心臓が音を立てる。
長テーブルも、ずらりと並ぶ椅子もない。控えている使用人の姿も少なく、昨夜のような緊張感はなかった。
「おはようございます、レオン様」
そばに行き、そう言って礼をすると、彼は朝から輝くような笑顔を見せた。
「おはよう、リエラ。今朝も綺麗だ」
「……っ」
私を見つめる優しい眼差しと、さりげなく発せられたその甘い言葉に、束の間息が止まった。じわじわと耳が火照りはじめる。
咄嗟に返事ができず、私は口を薄く開いたり閉じたりしながら、思わず俯いた。
(う……っ、噂って本当にあてにならないわ。この方のどこが、女性を乱暴に扱う暴力的な人だっていうのよ……!)
地味だ地味だと貶され続けてきたこの私に、「綺麗だ」と言ってくださった。それに昨夜も「美しい」と……。
生まれて初めてかけられる言葉たち。
嬉しくて、照れくさくて、全身がかっかと火照る。
まごついている私を見て、レオン様が小さく笑う。
「昨夜は少し堅苦しかっただろう。朝くらいは気楽に過ごせる方がいいかと思い、朝食はこの部屋に用意させた。さぁ、座って」
(……あ……)
「……はい。ありがとうございます、レオン様」
その言葉で、ようやく理解した。レオン様は私の昨夜の緊張ぶりを見て、あえてこの小さな部屋で朝食をとることにしてくださったのだ。
重なる気遣いに、胸がいっぱいになる。この方は本当にお優しい。
(ああ、食事が喉を通るかしら……)
「昨夜はゆっくり眠れたかい?」
そう声をかけてくれるレオン様の向かいの椅子に腰かけながら、私は口を開く。
「はい、とてもゆっくり眠れました。おかげさまで長旅の疲れなどすっかり取れましたので、今日からめいっぱいお勉強させていただきます」
するとレオン様は、楽しそうに声を上げた。
「ははは。頼もしいな。だけど、そうだね。最初からいろいろなことを詰め込みすぎると長旅以上に疲弊してしまうから、まず今日から数日間は、私と一緒にこのリングレン辺境伯領を見て回ろう」




