16. 結婚に至る経緯
「……っ!?」
彼のその言葉に、思わずむせそうになった。
「……いえ、はい……。その……」
咄嗟にどう答えるべきか分からず困っていると、レオン様自身が救いの手を差し伸べてくださる。
彼は小さく笑って言った。
「王都に顔を出すことがないせいで、噂にはだんだんと尾ひれがつき、私は醜悪な乱暴者ということになっているらしい」
レオン様が小さく肩を竦めてみせる。
「そのことは知っていたが……、それを特段急いで否定する必要性もなかった。大した用もないのに、北の国境と大きく接するこの領地を空けてまで、王都へ出ていく理由がなかったんだ。恐ろしい乱暴者の治める領土だと思われているのなら、それはそれで、侵略や犯罪の抑止にも繋がるだろうしね」
(……なるほど……)
彼の言葉を聞き、腑に落ちた。
ここは王国の北端の地。隣国と接しており、情勢次第では、小競り合いや密輸、盗賊の流入など、様々な問題が起こり得る場所だ。
何かあれば、治安も物流も、不安定になってしまう可能性だってある。
予期せぬ事態が起こった時に領主が不在であれば、判断は遅れ、被害が広がることだって……。
(……国境沿いの広大な領地を治めるというのは、それだけ大きな責任を背負うということなのね)
そのことに思い至り、辺境伯夫人となる自分の責任を感じはじめていると、レオン様が言葉を続ける。
「必要がある時は、代理の者に行かせていた。それだけなんだ。まぁ、社交嫌いは当たっているけれどね。畏まった席は苦手だ」
「……ふふ」
少しお茶目なその言い方に、自然と笑みがこぼれる。
レオン様も微笑み、再び口を開いた。
「だけど、ここに嫁いでくることになった君は、きっと不安に思っているだろうと、そのことが気がかりだった。それでも私は、ローゼン男爵領産の薬を使ってみて、その薬を生み出した技術と、それを担う人物に強く興味を持ったんだ」
そう言ったレオン様は、一度グラスを手に取り口をつけると、再び話しはじめる。
「我がリングレン辺境伯領は、北側に大きく広がる鉱山が主な産業だ。鉱山労働者が多く、怪我人も絶えない。……ある時人づてに、ローゼン男爵領の新薬を入手した。するとそれが、驚くほど品質が高く、効き目もいい。しかも、それを考案し実際に改良したのが、その男爵家の令嬢だと聞いた」
レオン様と目が合い、心臓が小さく跳ねる。
「最初にこちらからご令嬢との婚約の打診をした時、男爵からは『では妹娘を嫁がせる』と、返事が来た。だが、その数週間後だった」
彼は言葉を区切ると、かすかに苦笑する。
「急に連絡があり、やはり姉娘の方をお送りしたいと記してあった。『こちらの方が薬学に長けており、閣下のお望みに最も適う娘です』とね」
「……っ」
胸の奥がひやりとする。
私は祈るように、レオン様の言葉の続きを待った。
「正直に言うと、当初は少し不審に思った。急な変更だったし、君はすでに一度、婚姻を経験しているとも聞かされていたから」
(……やっぱり……)
気まずさに体が強張る。
こんなに素敵な辺境伯様なんだもの。そりゃ、出戻りで地味な私なんかよりも、初婚で華やかな容姿のマチルダの方がいいに決まってる。
「けれど……」
そんなことを考えていると、レオン様がふいに表情を和らげた。
「ちょうどその頃、弟から手紙の返事が来てね」
「……?」
(レオン様、弟君がいらっしゃるのね……)
その弟君が唐突に話題に上り戸惑っていると、彼は言葉を続けた。
「ローゼン男爵領にいる弟とは、頻繁に連絡を取り合っているんだよ。私が結婚を決めたことも、これらの経緯も、伝えていた。するとその手紙の返事に、弟から賛同の意がしたためられていたんだ。姉娘のリエラ嬢ならば、間違いない相手だと。勤勉な努力家で、幼い頃から薬学を学び続けてきている。きっとリングレンの地をさらに繁栄させる一助となってくれるはずだ、と」
「……え??」
聞けば聞くほど、頭が混乱する。
どうやらレオン様の弟君はローゼン男爵領にいて、しかもこの私のことを、随分と買ってくださっているらしい。
失礼かもしれないとは思いつつも、気になって仕方がない。私はおずおずと口を開いた。
「……その……、レ、レオン様の弟君の、お名前は……?」
すると、レオン様は楽しげに微笑んだ。
「テオドールだよ」
「……? テオドール、様……」
「ああ。平民学校で、君に六年間薬学を教えていたと聞いている」
「…………」
(え?)
私はすばやく頭を巡らせる。
いや、平民学校にはそんなお名前の先生はいなかったはずだし、そもそも私に薬学を教えてくださっていたのは、主にテオ先生、で……。
(──テオ先生……っ!?)
ようやくピンときた瞬間、私は素っ頓狂な声を上げていた。
「えぇっ!? テ、テオ先生って……、レオン様の弟君だったのですかっ!? ……あっ」
我に返った私は、慌てて口を押さえる。
「はは。やはり知らなかったか。あいつは自分の身分など、人には話さないからな」
「ぜ、全然知りませんでした……っ!」
あの穏やかで優しいテオ先生が、レオン様の弟君だったなんて……!
(……そうか。今思えば、レオン様のこの青く美しい目……。テオ先生とそっくりなんだわ……!)
出会った瞬間から感じていた、懐かしい既視感。
レオン様の目は、テオ先生と同じ色をしていたのだ。
最後に別れの挨拶をした時のテオ先生の言葉が、胸によぎる。
『また会いましょう、リエラさん』
(そういうことだったのね……。だからテオ先生は、辺境伯のことを知っている口ぶりだったんだわ……!)
驚きと混乱で狼狽える私を見て、レオン様はくすりと笑う。
「私の噂話にどんどん尾ひれがついていることを教えてくれていたのも、このテオドールだ。弟は、君のことをすごく褒めていたよ。誠実でひたむきな彼女なら、きっと他の誰よりも、薬と領民のことを考えてくれるはずだとね。……でも、リエラ」
レオン様は突然真面目な表情で、私のことを見つめた。
「君には申し訳なく思っている。ローゼン男爵家で、実際にどんなやり取りがあったのかは、私には分からない。だが、私がローゼン男爵家との縁を所望したがために、君は離縁させられ、こんな寒い北の地に嫁ぐことになってしまった。君にも、君が嫁いでいたというフェルナー伯爵家の令息にも、悪いことをしてしまったね」
「っ!! い、いいえっ! そんな、レオン様……!」
そんな風に誤解されてしまっているとは。
私は全力で、彼の言葉を否定した。
「違います! フェルナー伯爵令息様が、その……、私の妹との結婚を望んだのです。妹のマチルダも、彼と結婚したがっていて……。つ、つまり、単に私が切り捨てられただけといいますか。決してレオン様のせいで離縁することになったわけではございません! もともと夫からは嫌われておりまして、顔を合わせることもない、名ばかりの結婚生活だったと申しますか……」
「……」
(ああ、何を言っているの私は……)
レオン様が何とも言えない表情で私を見つめている。額にも背中にも、汗が浮いてきた。
「すみません。その、こ、こちらこそ……、一度は他家に嫁いだ身であるにもかかわらず、このように温かく迎えていただき、本当に感謝しているんです。ありがとうございます、レオン様。私、ご期待に応えられるよう頑張りますので。領地経営のお勉強も、家政も、マナーを覚えることも。もちろん、薬学の知識も目一杯振るいます! どうぞ、これからよろしくお願いいたします!」
一生懸命そう伝えると、しばらく私を見つめていたレオン様が、見惚れるような美しい笑みを浮かべた。
「ありがとう、リエラ。こちらこそ、これからよろしく頼むよ。そんなに肩に力を入れなくていいんだ。時間をかけて、少しずつ慣れていってくれると嬉しい。私たちはもう夫婦なのだから。ゆっくりと、互いを知っていこう」
「……はい。ありがとうございます、レオン様」
くたびれてボロボロになってしまっていた、私の心のひび割れた部分に、レオン様の優しい言葉と温かな気遣いがじんわりと染み入ってくる。
目の前のこの方や、リングレン辺境伯邸で私を迎えてくれた人たち、そして、私をレオン様に推してくださったテオ先生にも、心から深く感謝したのだった。




