第九話 北方調査隊
帳簿は嘘をつかない。だが、人間は嘘をつくーーー
【問題とは不思議なものだ。
見つかった瞬間に生まれるのではない。
ずっとそこにあったものを、誰かが見つけるだけだ。
だから調査とは、新しい事実を探す仕事ではない。
誰も見ようとしなかった事実を見つける仕事なのである。
―――星冠記録官ノア・フェルディン著『星風の国物語』より】
冬越し議会の翌日。
窓から差し込む朝日は弱かった。
曇り空を通しているせいだろう。
机の上へ落ちる光もどこか白く、部屋全体が薄い灰色に染まって見える。
記録局には朝から紙の擦れる音が響いていた。
「発言記録の第二稿できました!」
「財務局分を先に回してくれ!」
「いや、議長確認が先だ!」
「誰だ第三会議室の資料持っていったのは!」
机と机の間を書類が飛び交っている。
ノアは自席で黙々と記録を整理していた。
机の上には紙束が積み上がっている。
議会記録。
発言整理。
速記の清書。
各局への提出用写本。
紙束を一つ片付ける。
すると別の紙束が現れる。
「……減るどころか、どんどん増えるな……」
ノアは肩を落として、小さく呟いた。
「ノア君」
穏やかな声が掛かって顔を上げると、記録局長アルフレッド・グレイが立っていた。
白髪交じりの髪。
細身の体格。
柔和な顔立ち。
温厚ながらも、仕事には容赦がない上司。
「局長」
ノアは慌てて立ち上がると、アルフレッドの隣にもう一人いることに気が付いた。
灰色のマントに肩掛け鞄ーーーユリア・レインだった。
軽く会釈するユリアの口角は薄っすら上がっていた。
「おはようございます」
「おはようございます」
反射的に挨拶を返すと、アルフレッドが一通の封書を差し出した。
白い封筒だった。
開封済みのようだが、封蝋に刻まれているのは王家の紋章だ。
さらに王宮秘書局の印も押されている。
ノアは眉を寄せた。
「……局長宛てですか?」
「ええ。先ほど届きました」
アルフレッドは中の書状を取り出し、ノアへ向ける。
「正確には、私宛てに届いた王命書です」
「王命書?」
ノアの眉間のしわが深くなった。
アルフレッドは穏やかな表情のまま書状を差し出す。
「読んでみてください」
ノアは恐る恐る、それを受け取った。
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王室記録局宛
王命書
王室記録局書記官補佐ノア・フェルディンを、
監察局北方調査隊に随行するものとする。
当該任務においては、
記録官として必要な記録・報告業務を行うこと。
本命令は王命による。
王宮秘書局発行
王国暦三二七年 冬灯月二十三日
────────────────
ノアはその紙を持ったまま、停止した。
何かの間違いかもしれないと、上から下まで読み返す。
しかし何度読み返しても、内容は変わらなかった。
アルフレッドは穏やかに微笑んでいる。
ユリアは面白そうにこちらを見ていた。
「局長」
「はい」
「北方調査って、あの北方調査でしょうか」
「たぶん他にありませんね」
「監察局の?」
「監察局のです」
ノアは無言になった。
「……調査隊には他に誰が?」
答えたのはユリアだった。
「王命執行官として、リアさん」
いつも通り淡々とした口調だ。
「それから監察局の、主任監察官殿です」
あと護衛兵士が数名います、と続けるユリアに、ノアは目を瞬いた。
「主任監察官?」
「はい」
「監察局の?」
「監察局の」
「最高位官の?」
「最高位官です」
ノアの顔色はどんどん青ざめていく。
王国中の不正を暴く専門家の、最高位官。
一介の書記官補佐の自分が普段会うような相手ではない。
「なんで僕なんですか」
ノアが震えた声で呟くと、ユリアは首を傾げた。
「記録官が必要だからでは」
「もっと優秀な人いるでしょう」
「いると思います」
「じゃあ何で僕なんですか」
「王命ですので」
ユリアはにこりと笑った。
「ちなみに断ることって」
「王命ですので」
ユリアが間髪入れずに答える。
ノアは一縷の望みを求めてアルフレッドへ視線を向けるが、アルフレッドは穏やかに微笑むだけだった。
「失礼のないように」
この場にノアの味方はいなかった。
周囲では相変わらず書記官たちが叫んでいる。
「財務局資料まだか!」
「今まとめてます!」
「議長確認終わったぞ!」
いつも通りの騒がしい朝だった。
三日後。
王都の朝はまだ薄暗かった。
東の空が僅かに白み始めているが、太陽はまだ城壁の向こうだ。
城門前の広場には既に人の姿があった。
商人たちが荷馬車を整えている。
衛兵たちが巡回している。
冬の冷たい空気の中、白い吐息が朝靄へ溶けていた。
ノアは荷物を抱えたまま、げんなりとした顔で広場に立っていた。
「帰りたい……」
吐き出した言葉は白い息と一緒に消えた。
「まだ出発していませんよ」
横から淡々とした男の声が返ってきた。
年齢は四十前後だろうか。
短く整えられた黒髪に、日に焼けた顔。
灰色の瞳が異様に鋭かった。
その男は側に積まれた木箱を確認している。
封蝋を確かめる。
箱の角を確認する。
もう一度封蝋を確かめる。
問題がないことを確認すると、隣の箱へ移った。
また封蝋を確かめる。
箱の角を確認する。
そしてもう一度封蝋を確かめる。
木箱は全部で八箱あった。
最後の箱を確認すると、エドガーは再び最初の箱へ戻った。
もう一度封蝋を確かめる。
箱の角を見る。
ノアは思わず口を開いた。
「……二周目ですか?」
「確認は重要です」
結局、その男の確認は三週目まで続いた。
「問題ありません」
確認を終えて小さく頷いた後、ようやく男はノアの方へ顔を向けた。
「監察局主任監察官、エドガー・クロムウェルです」
鋭い灰色の瞳がノアを見る。
「記録局のノア・フェルディンです」
挨拶を返すと、エドガーは一度だけ頷いた。
「それ、全部持っていくんですか」
「持っていきます」
エドガーは木箱に手を置いて言う。
「帳簿は嘘をつきません」
まるで当然の事実を語るように、迷いのない声だった。
ノアは頷いて、それ以上は訊かなかった。
何となく、聞けば長くなりそうな気がした。
「準備は終わったか」
静かな声が響く。
振り向くと、リア・ヴァルケインが黒馬の手綱を引いていた。
濃紺の外套。
腰の長剣。
後ろで束ねられた黒髪。
冬の朝だというのにリアの姿勢は少しも崩れていなかった。
リアはまず馬の様子を確認した。
次にノアの荷物へ目を向ける。
旅行鞄。
書類鞄。
毛布。
保存食。
「問題ないな」
リアは小さく頷いて、最後にノアの顔を見る。
「不安か」
「……正直に言うと、かなり」
ノアは苦笑する。
「北方なんて行ったこともありませんし」
王都ですら十分寒い。
北方はもっとだろう。
考えただけで気が重くなった。
「当然だ」
リアは静かに答えた。
否定も励ましもしない。
ただ事実として受け止めるような声だった。
その返答が少し意外で、ノアは思わず隣を見る。
「リアさんも不安ですか」
リアはすぐには答えなかった。
白い息を吐いて、視線を広場の方へ向ける。
商人が荷車を引いている。
巡回中の衛兵が角を曲がっていった。
「相手が剣なら簡単だ」
やがて落ちた声は、いつもより少し低く聞こえた。
「だが」
リアはやがて、ゆっくりとノアへ視線を戻した。
冷たい風が吹き抜けても、その表情は微動だにしない。
「人の嘘は見えない」
その言葉に、ノアは思わず瞬きをした。
リアの口から、そんな言葉が出るとは思わなかった。
返事を探すように口を開きかけたが、何も言葉は出てこない。
風が、リアの黒髪を静かに揺らす。
北方調査旅、開始。
ステラはしばらく城で留守番です。
北にはいったい何があるのかーーー
次回もお楽しみに!




