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星風の国物語 〜少女王と見習い書記官の政務録〜  作者: 月森みのり
第二章 冬越しの議会

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第八話 揺らぐ帳簿

誰も異論を唱えないはずだった財務報告に、幼い王は静かに切り込む。


【人は事実を恐れるのではない。

 事実が、自分の立場を変えてしまうことを恐れる。


 だから議場では真実そのものより、

 真実が誰の味方をするのかが問題になる。


 ―――星冠記録官ノア・フェルディン著『星風の国物語』より】




「では、もう一点」


 ステラ陛下が紙をめくる音が響いた。


 大きくはない音なのに、先ほどまで微かに聞こえていた衣擦れや咳払いが遠のいた。

 ノアは思わず、筆を握る手に力を込める。



「中央備蓄量についてです」



 ステラ陛下は視線を資料へ落としたまま口を開いた。

 ガルディアの表情は変わらない。

 だが、その目だけがわずかに鋭さを持って、王座を見ていた。


「報告では昨年比一二%増とのことでした」


「はい」


「市場価格は昨年より上昇しています」


「需給変動による一時的なものです」


 ガルディア返答に迷いはなく、財務卿として幾度も議場に立ってきた者としての風格を感じる声だった。

 しかしステラ陛下は止まらない。


「北方小領への配給は保留」


「はい」


「市場価格は上昇」


「はい」


「それにも関わらず中央備蓄は増加」


 そこで初めて、ステラ陛下は資料から顔を上げた。

 青灰色の瞳がまっすぐガルディアを見据える。


「何故ですか」


 その声は静かだった。


 広い議場に落とされたその問いに、誰も口を挟まない。

 議員席の一角で、誰かが組んでいた腕を解いた。

 別の誰かが手元の資料から顔を上げる。


 ガルディアは微笑みを崩さない。

 だがその笑みは、先ほどまでよりほんの少しだけ薄く見えた。


「冬へ備えるためです」


 穏やかな口調でガルディアは続ける。


「今年は寒波が早いとの報告もあります。備蓄は多いに越したことはありません」


 ステラ陛下は確認するように、その回答をゆっくりと繰り返した。


「備えるため」


「はい」


 ガルディアは穏やかに頷いた。


 「確かに」、と誰かが小さく呟く。

 別の議員も腕を組みながら頷いていた。

 ほかにも議場のあちこちで頷いている者がいた。


 議場に漂っていた緊張がほんの少しだけ緩みかける。


 しかし、ステラ陛下はその流れに乗らなかった。


 しばらく黙ったまま資料を見つめ、やがて、「なるほど」短い返答を返した。

 それだけ聞けば納得したようにも聞こえた。

 しかしステラ陛下は手元にある資料の束から、一枚の紙を抜き取る。


 紙が擦れる小さな音が響いた。




「では、ガルディア卿。こちらについても教えてください」




 ステラ陛下がその資料を掲げて見せた時、壁際に控えていた一人の侍従が動いた。

 侍従はガルディアへ近づき、一枚の紙を渡す。


 ノアにはその内容までは見えないが、どうやら全体には共有されていない資料のようだ。




「これは中央備蓄庫の搬入記録です」




 その言葉に、資料を見るガルディアの視線が僅かに揺れた。

 呼吸一つの間にも満たない時間で、議場にも小さな緊張が広がっていく。


 先ほどまで背もたれに身を預けていた重臣が姿勢を正した。

 訝し気な顔で資料から顔を上げる者もいる。

 最上段では、ガイウス宰相が腕を組んだまま動かない。

 その表情からは何を考えているのかは読み取れなかった。


 誰も口を挟まない中、ガルディアが尋ねた。


「どこで入手された資料でしょうか」


 丁寧な口調だった。

 だがその問いは手元の資料ではなく、その先を探ろうとしているように聞こえた。


「情報源は関係ありません」


 ステラ陛下は表情を変えず、短く返答をする。


「私が確認したいのは帳簿の内容です」


 それは、ガルディアに資料外のものを探らせるつもりはない、と言外に示す言葉だった。


 その返答が意外だというように、何人かの議員が顔を見合わせている。

 ステラ陛下は議員たちに視線を移して、続けた。




「この記録は、私自身が現地で確認したものです」




 議場に一拍、間が落ち、次第にざわめきが広がる。


「現地で?」

「陛下が備蓄庫へ?」

「いつの話だ」


 議員たちの視線が交錯し、互いの表情を探るように揺れた。


「そこには修正痕のある記録がありました」


 周囲のざわめきが、しだいに低く鋭いものになっていく。


「搬入量が後から書き換えられていました」


 ステラ陛下がそう言った直後、議場のあちこちで声が弾ける。


「書き換え?」

「どういうことだ」

「訂正記録ではないのか」


 その反応を見計らっていたかのように、ガルディアが口を開いた。


「その件でしたら説明できます」


 相変わらず落ち着いた声だった。

 むしろ、整えられすぎているようにも感じる。


「帳簿の修正自体は珍しいことではありません。集計後に誤記が見つかることもあります」


 数名の議員が、小さく頷いた。


「修正は適正な手続きに基づいて行われています」


 議場の緊張が、わずかに緩む。


 それに引かれるように、他の議員たちの表情からも警戒が薄れていく。

 さきほどまで鋭かった視線が、次第に曖昧なものへと変わっていった。


 議員席には、納得へ傾きかけた空気さえ漂い始める。


 だがステラ陛下は動じる様子はなく、反論を急ぐこともなかった。



「修正理由の記載がありませんでした」



 ステラは淡々と告げると、一度だけ資料から視線を上げた。


 議場の反応を確かめるような動きではない。

 ただ、事実を置く場所を選ぶような目だった。


「通常、訂正であれば担当者名と修正理由が記録されるはずです」


 その言葉に、何人かの議員が小さく身じろぎした。

 互いに視線を交わし、記憶のどこかを探るように眉を寄せる者もいる。


 ガルディアは依然として動かない。

 ただ視線だけが、わずかに細くなる。


「ですが、私が確認した帳簿にはそれがありませんでした」


 議場の空気が、再び重さを取り戻していく。

 ステラ陛下の声に、議場全体が耳を傾けていた。


「さらに、同日の搬出記録と数量が一致していません」


 今度は、議場の視線の温度がはっきりと下がった。


 先ほどの説明では埋められない隙間が、誰の目にも見え始める。

 それに気づいた者から順に、表情が固くなっていった。


 議員席の一角では誰かが腕を組み直し、別の誰かは食い入るように資料を見つめていた。


 財務局側の席からも小さな動揺が広がる。

 隣同士で何かを囁き合う声。

 書類をめくる慌ただしい音。


 この議論はもう、予算の話ではなかった。

 配給計画の話でもない。

 帳簿そのものの信頼性が問われている。

 そしてそれは、誰かの責任へ繋がる話だった。


 議員たちの視線の集まる先で、ガルディアは無言のままステラを見ている。

 笑みはもう浮かんでいない。

 代わりにそこにあったのは、相手を測るような鋭い眼差しだった。


 ガルディアのその視線を受けて、ステラ陛下はこう言った。




「なお、当該件については、すでに監察局へ調査要請を行っています」




 一瞬、議場の音が消えた。

 紙を捲る音も、衣擦れも、誰かの呼吸さえも薄くなる。


 次に動いたのは、議員たちの視線だった。

 理解ではなく、確認のための動きだ。


「……監察局」


 誰かが、押し殺した声でその名を繰り返す。


 その言葉だけが、妙に重く議場に残った。


 ガルディアはすぐには答えなかった。

 表情は崩れない。

 だが、ほんの一瞬だけ視線が下がる。


 書類でも、議場でもない。

 どこか“別の計算”を探るような、短い沈黙だった。



 やがて、何事もなかったかのように顔を上げる。



「……監査、ですか」



 静まり返った議場にガルディアの声が落ちた。

 ステラ陛下は頷いて、続ける。


「中央備蓄庫の帳簿について、確認が必要だと判断しました」


 ガルディアはすぐには返答せず、ゆっくりと指を組んだ。


「議会への事前共有は?」


「ありません」


 ステラ陛下の返答に、議員席たちの視線が揺れた。

 驚きは帳簿よりも、”議会への事前共有がない”ということに向いているようだ。



「既に要請済みなのか」

「議会を通さずに?」

「いつだ?」



 議員たちの低い声が飛び交う。


 誰かが議長席を見た。

 別の誰かはガイウス宰相へ視線を向ける。


 だが当人たちが動く様子はない。


 議員たちの反応を見て、ステラ陛下が淡々と言った。


「監察局への調査要請に評議会承認は必要ないと、議会法典に記載されています」


 ステラ陛下の声には、何かの感情や威圧感も感じられない。

 ただ事実だけをそこに置く、そういう響きだった。



「陛下、よろしいでしょうか」


 一人の議員が立ち上がる。

 南方選出議員、ロドリック・ハイゼンだ。


「監査そのものへ異論はありません。ですが帳簿修正だけで不正を疑うのは、早計ではないでしょうか」


「早計かどうかを判断するための監査です。不正と決めつけてはいません」


 ステラ陛下の静かな返答に、ロドリックが言葉を詰まらせる。



「しかし、財務局への信用問題になります」


 別の席から声が上がる。

 今度は中央貴族派の議員だった。


「現段階で公表する必要があったのでしょうか」


 ステラ陛下は迷いを見せず、答える。


「この”冬越し議会”で、冬季配給が決まります。配給に関わる帳簿へ疑義があるなら、この場で公表するべきだと考えました」



 ステラ陛下の声はそれほど大きくない。

 けれど不思議とよく響いた。

 議員たちは隣同士で互いに顔を見合わせ囁き合い、それ以上大きな異論を述べる者はいなかった。



 議場の空気は、揺れていた。

 その揺れは、発言を求めるものではなく、どこに落ち着くべきかを探しているような迷いだった。





「……発言を許されたい」





 その空気を切り裂くように声を発したのは、宰相ガイウス・ベルンだった。

 ゆっくりと席を立つ動作には余計な力みがなく、その視線は議場全体へと向けられていた。


「本件について、監査局への調査要請が既に行われているのであれば」


 一拍置いたその間に、議場の視線が一斉に彼へ集まる。

 先ほどまでの混乱とは違う、静かな注目だった。


「現時点で、ここで結論を出す必要はありません」


 その言葉は、断定ではなく“整理”だった。

 だが逆らう余地のない形で、場の方向を一つにまとめていく。


「監査は“判断”ではなく“確認”のために行われるもの。議会が行うべきは、その結果を待つことです」


 ガイウスの言葉に、数名の議員が、ようやく張っていた肩の力を抜いた。

 張り詰めていた空気が、次第に緩んでいく。 



 その中心で、ガルディアは一拍だけ沈黙した。

 その間、議場の空気を測るように視線が動く。



 そしてガイウスは何もなかったかのように、穏やかな調子で言った。




「財務局としても、調査に協力いたします」




 従うでも、非を認めるわけでもない。 

 この場での議論をここで終わらせ、責任の所在を語らせないための、静かな線引きだ。




「よろしい」




 ガイウスは短く答えて、再び席に着いた。

 



 ステラ陛下はその光景を、まっすぐに見つめていた。


 勝利の色も、敗北の影も、そこには差し込まない。

 ただ、必要な確認を終えた者の、澄んだ静けさだけがあった。





 やがて、議長がゆっくりと見渡し、木槌を手に取る。


「本件については、監査局の調査結果を待つものとする」


 乾いた音が一度だけ響き、議場に結論が落とされた。




冬越し議会、第二幕。

議会パートはこれで一区切りです。


話すことがメインで、キャラクターの動きが少ない回は、

地の文が同じような表現になってしまって、言葉をひねり出すのに疲れます。

何とかまとめられて良かった…。


次回より、修正された帳簿の調査が始まります。

お楽しみに!

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