第七話 最初の質問
冬越し議会、開幕。
誰も異議を唱えない議場で、幼き王は静かに手を挙げる。
【政治とは、多くの場合、正しい答えを探す営みではない。
誰が責任を負うのかを決める営みである。
だから議場では、事実より先に立場が語られる。
そして時折、その隙間から真実が零れ落ちる。
―――星冠記録官ノア・フェルディン著『星風の国物語』より】
冬越し議会当日、王宮中央棟、大評議室。
ノアはその扉を開けた瞬間、自分が場違いな場所へ来てしまった気分になった。
視界いっぱいに広がる半円形の議場。
段状に並ぶ議員席。
壁を飾る歴代国王の肖像画。
天井近くまで伸びる白い柱。
そして既に席を埋め始めている評議会議員や各官僚たち。
彼らは皆、仕立ての良い濃紺や深緑の礼装に身を包んでいる。
金糸で縁取られた外套。
胸元には所属省庁や爵位を示す徽章や勲章。
肩章には役職ごとの意匠が刺繍され、中には指に家門を示す印章指輪が光っている者もいる。
一人ひとりが「偉い人です」と全力で主張しているみたいな格好だった。
その光景を見渡しただけで、気分が少し重くなる。
ノアは人々の間を抜けて、自分の席へ向かった。
書記官席は評議席より一段低い場所に設けられている。
中央通路の脇に長机が並び、右手には議長席、左手は議場外へ続く細い通路がある。
数人の書記官たちが既に準備を始めていた。
紙を揃える音。
椅子を引く音。
小声の打ち合わせ。
まだ開会前だというのに、空気は既に張り詰めていた。
ノアも空いている席へ腰を下ろして、机上を整えていく。
議題一覧。
予備の筆。
インク壺。
記録用紙。
そして昨日ほとんど眠らず整理した資料束。
まず紙の順番を確認する。
議題ごとに仕切りを挟み、北方備蓄関連資料を取り出しやすい位置へ置く。
次に筆先を確かめる。
インクの量も確認する。
議会中に補充へ立つ羽目になると悪目立ちしてしまうことは容易に想像がつく。
ノアは最後に深く息を吐く。
「……胃が痛くなってきた」
「まだ始まってませんよ」
すぐ隣から声がした。
「うわっ!?」
ノアは思わず肩を跳ねさせた。
いつの間にいたのか、灰色マントの少女ーーーユリア・レインが左手側の通路に立っていた。
足音ひとつ聞こえなかった。
「いたんですか」
「最初からいました」
「絶対嘘ですよね?」
「本当です」
ユリアは心外です、と言わんばかりに肩を竦めたが、その声は平然としている。
そして彼女は肩掛け鞄の中から小さな小瓶を一つ取り出して、ノアの目の前に置いた。
茶色掛かった瓶の中には液体が入っている。
「何ですか?」
「胃薬です。前に、『届けます』と言ったので」
ユリアはそう言って、にこりと笑った。
ーーー胃薬が必要になったら呼んでください。届けますので。
以前、ノアがレオニス殿下の私室に連行された時に、ユリアが言った言葉だった。
「……まだ呼んでませんが」
「でも、必要になったでしょ」
面白そうに目を細めるユリアに何か言い返そうとした、その時だった。
議場のざわめきが、ふっと弱まる。
視線が中央通路へ集まった。
ノアも反射的に顔を上げる。
評議室正面の大扉が開いて、そこから数人が部屋に入ってきた。
先頭を歩くのは、背の高い女性騎士ーーーリア・ヴァルケインだ。
黒銀の礼装鎧を身にまとい、胸には王直属近衛騎士を示す紋章がある。
無駄のない足取りでゆっくりと中央通路を進むリアの後ろから、一人の少女が続く。
白銀の髪は丁寧に整えられ、深い青の正装には銀糸で王家の紋章が刺繍されている。
正面を見据えて歩くその姿には、彼女の体格に似合わない独特な風格を感じる。
アステリア王国、第四十三代国王ーーーステラ・ゼフィール陛下だった。
さらに後方には、老宰相ガイウス・ベルンの姿が見える。
先代国王が即位した頃からその地位に就いている、この国随一の重臣だ。
彼は濃紺の外套を纏い、表情一つ変えずに陛下の後ろを歩いている。
三人が通路を進むたび、議員たちの視線が自然と集まっていく。
それは戴冠してまだ日が浅い幼王を値踏みするような視線だった。
ステラ陛下は立ち止まらず、やがて最上段の王座へ辿り着く。
リアが半歩退き、ガイウスが側の宰相席へ向かう。
ステラ陛下は一度だけ議場を見渡した。
数十人の議員たち。
重臣たち。
王国の意思決定を担う者たち。
その全員の視線が集まる中、ステラの陛下は静かに席へ腰を下ろした。
議員や官僚たちは皆、ステラ陛下の表情を窺っている。
だが、彼女のその顔から感情を読み取ることは難しかった。
青灰色の瞳には音がなく、視線も揺れない。
まるで雪の積もった湖面のように、内側を見通せなかった。
隣から、小さな声がした。
「では私はこの辺で」
「え?」
反射的に振り返る。
ユリアは既に通路側へ半歩下がっていた。
「配達人なので」
「いや、その説明で納得したこと一回もないんですが」
「頑張ってください」
「他人事ですね!?」
ユリアは少しだけ笑った。
「私は議事録を書かなくていいので」
「今すぐ職業交換しません?」
「遠慮します」
ユリアはそう言いながら軽く一礼して、そのまま通路の向こうへ歩いていく。
その背中が完全に見えなくなった時。
――コン。
最前列の老臣が、木槌を打つ。
一度。
二度。
三度。
その音は開会前の着席を促す合図だった。
議員や官僚たちが着席し、衛兵たちも持ち場で控えている。
書記官たちも最後の書類確認を終え、姿勢を整える。
やがて木槌を打っていた議長が、ゆっくりと立ち上がる。
「――これより、冬越し議会を開会する」
重い声が議場へ響いた。
「まず財務局より報告を」
呼ばれて立ち上がったのは、中年の男だった。
財務卿ガルディア・ヴェルクハルト 。
レオニス殿下の私室で見た資料にも、何度か名前が出ていた人物だ。
「本年度の冬季備蓄状況について報告いたします」
ガルディアは淀みない声で、次々と読み上げる。
「中央備蓄量は昨年比一二%増」
「北方街道維持予算は昨年比三%増」
「冬季特別徴収は現行水準を維持」
紙を捲る音。
羽根筆が走る音。
ノアも必死に記録を書く。
「また、本年度の備蓄状況は概ね良好」
その言葉で、ノアの筆が一瞬だけ止まった。
ステラ陛下と共に見た、下町の景色が脳裏に浮かぶ。
市場で見た値札。
炭を買えなかった母親。
寒そうな子供。
倉庫へ積み上がっていた大量の炭。
それらはとても『良好』とは言い難いものだった。
だがガルディアは続ける。
「深刻な供給不足は確認されておりません」
議場では何人もの議員が頷いていた。
ノアは何とも言えない気分で記録を書いた。
「以上です」
やがて報告が一通り終わり、ガルディアが席へ戻る。
議長が頷いて、続けた。
「質問はあるか」
議長の声が、広い議場へ落ちる。
その瞬間、議員たちの視線が一度だけ資料から離れた。
だが、それだけだった。
誰も立たない。
誰も口を開かない。
重臣たちは静かに腕を組み、官僚たちは手元の書類を整える。
まるで答えを知っているかのような沈黙だった。
つまりこれは、形式上だけの確認なのだ。
異論なし。
そうして議題は先へ進む、議場全体がそんな流れへ傾きかけた時だった。
「あります」
幼さの残る声が、その流れへ一本の線を引いた。
一瞬、紙を捲る音さえ止まる。
何十もの視線が、ほとんど反射のように動いた。
その視線の先で、ステラ陛下が静かに手を挙げている。
ノアは無意識に息を呑む。
ステラ陛下は慌てる様子もなく、手元の資料へ視線を落とした。
「確認したいことがあります」
その一言で、議場の空気が微かに揺れた。
書類へ向いていたステラ陛下の視線が上がる。
ガルディアもまた、王座へ目を向けた。
「何でしょうか、陛下」
ガルディアは穏やかな口調だった。
だが先ほどまでの余裕は、ほんの少しだけ薄れているように見えた。
ステラ陛下は一枚、資料をめくる。
紙の擦れる音が響いた。
「北方小領への冬季配給についてです」
その言葉を聞いた瞬間、ノアの心臓が小さく跳ね、思わず膝の上で拳を握る。
「配給予定一覧の中に、一部『保留』と記載されている地域があります」
抑揚の少ない声に、議場の空気がほんの少しだけ重くなる。
誰かが椅子の背にもたれかかる音がした。
ガルディアは微笑みを崩していない。
だが、その指先だけが止まっていた。
ノアはそれを見て、無意識に息を詰めた。
数秒の沈黙。
やがてガルディアは穏やかな笑みを浮かべたまま口を開く。
「ああ、その件ですか」
あまりにも自然な口調だった。
「現在、北方街道の一部で輸送状況が不安定になっております。配給量の再調整が必要となったため、一時的に保留としているだけです」
議員席の何人かが小さく頷く。
確かに、冬前の街道封鎖は珍しくない。
だが。
ノアの脳裏には、中央備蓄庫で見た帳簿が浮かんでいた。
そこで見たものは、偶然で片付けるには、出来すぎている。
「そうですか」
ステラ陛下は短く答えただけで、反論はしない。
それどころか視線を再び資料へ落とした。
ガルディアの表情がわずかに緩んだ、その時。
「では、もう一点」
ステラ陛下が紙をめくる音が響いた。
冬越し議会、開幕しました。
ステラへ向けられる視線とか、ステラの動じていないような様子とか、
自分で書きながら何だかドキドキします。
この子、本当に十歳か・・・?
次回、冬越しの議会第二幕。
お楽しみに!




