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星風の国物語 〜少女王と見習い書記官の政務録〜  作者: 月森みのり
第八章 冬明けの王

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第四十四話 春を待つ徽章

志は灯となり、王の道を照らす――


 共同研究の締結を祝う祝賀会が終わり、王城から最後の来賓が帰った頃。


 一台の馬車が、人影もまばらになった通りを静かに進んでいた。

 深い紺色の車体は夜の闇へ溶け込み、車輪が石畳を軋ませる音だけが、静かな街へ小さく響く。

 車内には、ステラと侍従長のエリオットが向かい合って座っていた。


 馬車が角を曲がるたび、窓の外を流れる街並みがゆっくりと移り変わる。

 やがて住宅街へ入ると、夜の静けさだけが辺りを満たしていた。


 やがて馬車は王都北西の一角で速度を緩める。

 高い塀に囲まれた屋敷の門前で、馬車が静かに止まる。


 エリオットが先に扉を開くと、ひんやりとした夜気が車内へ流れ込んだ。

 ステラは外套の襟元へそっと手を添え、静かに馬車を降りる。

 深い藍色の外套を羽織り、月明かりを映す銀髪は薄いヴェールで覆われていた。


 エリオットが門扉を叩くと、ほどなくして屋敷の扉が開き、年配の従者が姿を現した。

 彼は二人を見て一瞬だけ目を見開いたものの、すぐに深く頭を下げる。


「少々、お待ちください」


 従者の足音が屋敷の奥へ遠ざかる。

 夜風が庭木を揺らし、枝葉の擦れる音だけが静かに響いていた。


 やがて再び扉が開く。


 姿を現したのは、元財務卿ガルディア・ヴェルクハルトだった。

 以前、議会で見た頃よりも幾分やつれた印象を受ける。


 ガルディアはステラの姿を認めると、一瞬だけ目を見開いた。


「……陛下」


 静かに一礼した後、その視線はエリオットへ移る。

 そして、二人の後ろへ目を向けた。


「本日は……お二人だけで、こちらへ?」


「はい」


 ステラは小さく頷く。


「あなたにお話ししたいことがあり、参りました」


 ガルディアはしばらくステラを見つめていたが、やがて静かに身を引いた。


「どうぞ、お入りください」




 案内された先は、一階の応接間だった。

 落ち着いた色合いの調度品が整然と並び、暖炉に火が入っている。

 薪の爆ぜる音が、部屋へ微かに響いていた。


「どうぞ、お掛けください」


 ガルディアに勧められ、ステラは長椅子へ腰を下ろす。

 エリオットはその後ろへ静かに控え、ガルディアも向かいの椅子へ腰を下ろした。


 ほどなくして、先ほどの従者が盆を手に戻ってくる。

 銀の盆には湯気の立つ紅茶と、小さな焼き菓子が並んでいた。

 従者は三人の前へ静かに茶器を置くと、一礼して部屋を後にする。


 ガルディアは湯気の立つ紅茶へ一度だけ視線を落とし、やがてゆっくりとステラを見た。


「それで、本日はどのようなご用件でしょうか」


 ステラはカップには手を伸ばさなかった。

 膝の上へ静かに両手を重ね、まっすぐガルディアを見つめる。


「……今日は、王としてではありません」


 応接間に、柱時計の規則正しい音だけが響いていた。


「アルトゥス・ゼフィールの娘として、参りました」


 その言葉に、ガルディアの瞳がわずかに揺れた。


「それは、どういう意味でしょうか」


 ステラは静かにガルディアを見つめながら、口を開いた。


「父様のことを、知りたくなったのです。あなたは、父様と交流が深かったと聞いています」


 彼女はそう言って、目を伏せる。


「お恥ずかしながら……私は父様のことを、ほとんど記録の上でしか知らないので」


 徐々に小さくなっていく言葉尻に、ガルディアは一つ目を瞬いた。


「……そういえばアルトゥス様は、お忙しくされていて、家族との時間を取られていませんでしたね……」


 ガルディアは静かに頷いた。


「……真面目なお方でしたよ」


 ガルディアは紅茶へ視線を落とし、静かにカップを口元へ運ぶ。

 一口含むと、その温もりを確かめるように息をついた。


「誰よりも早く執務室へ来られ、政務を終えれば、そのまま研究棟へ向かわれる。夜更けまで研究者方と議論を重ね、城へ戻るのは明け方近く――そんな日も珍しくありませんでした……何度、『少しはお休みください』と申し上げたことか」


 彼の口元が、わずかに緩む。


「ですがアルトゥス様は、いつも『病は、私の都合を待ってはくれない』と仰るのです」


 湯気が静かに立ちのぼり、二人の間をゆるやかに漂う。


「王としては、不器用なお方だったのかもしれません」


「不器用……ですか」


「ええ」


 ガルディアは穏やかに目を細めた。


「ですが、その願いだけは一度たりとも揺らぎませんでした。この国から、病に苦しむ者を少しでも減らしたい――ただ、そのためだけに政務へ向き合っておられました」


 その言葉を受け、ステラは小さく息をつく。


「多くの方が、父様と星泉の研究を支えてくださっていたのですね」


 彼女はガルディアを真っ直ぐ見つめ、呟くように言った。


「……そして、あなたも、そのお一人だった」


 その言葉に、ガルディアはゆっくりと目を閉じる。

 部屋が静まり返る。

 長い沈黙のあと、彼は小さく笑みを浮かべた。


「……監察局の調査が、終わったのですね」


 ステラは答えない。

 その様子に、ガルディアは静かに頷く。


「そうですか」


 窓の外で、風が庭木を揺らした。


 ステラは静かにカップを手に取り、一口だけ紅茶を口へ運ぶ。

 立ちのぼる湯気を見つめながら、口を開いた。


「……あなたを咎めたことは早計だったのかもしれないと、思うことがあります」


 ガルディアの視線が、ゆっくりとステラへ向いた。

 その表情に驚きはあったが、口を挟むことはない。


「あなたを咎めたことで得られたものと、一人の優秀な財務官を失った損失」


 窓から差し込む月明かりが、青灰色の瞳を静かに照らしていた。


「どちらが、この国にとって大きかったのか」


 ステラはゆっくりと目を伏せた。


「……私には、まだ分かりません」


 ガルディアはしばらく黙っていた。

 やがて、小さく息をつく。


「陛下。どうか、そのようにはお考えにならないでください」


 その声は穏やかだった。

 ステラは顔を上げる。


「私が法を犯したことは事実です。たとえ理由が何であれ、国の財を正しい手続きを経ずに動かした」


 ガルディアは膝の上で組んだ手へ視線を落とす。


「財務を預かる者として、許されることではありません」


 その言葉に、ステラはゆっくりと頷く。

 

「ですが……罪があったからといって、それまで積み重ねてきた働きまで、なかったことにはできません」


 ステラは、エリオットへ視線を向けた。

 その視線を受け、エリオットは後ろに控えていた革製の小箱を両手で抱え、一歩前へ進み出る。


 卓上へ置かれた小箱は、深い紺色の布で覆われていた。

 エリオットが蓋を開く。

 その中には、星を象った銀細工の徽章が収められていた。

 中央には淡く青い宝石がはめ込まれ、暖炉の火を受けて静かな光を返している。


 ガルディアの視線が、その徽章へ止まった。

 ステラは小箱を見つめながら、口を開く。


「星泉研究が、もうじき実を結びます」


 窓の外で風が木々を揺らした。


「アルヴェイン公国との共同研究が始まりました。無事に成果が得られれば、記念の式典を開くことになるでしょう」


 ガルディアは黙って耳を傾けている。


「その時、私は研究に携わった方々へ、その功績を称える徽章を贈るつもりです」


 ステラはゆっくりと顔を上げた。


「……ですが、その場へあなたをお呼びすることはできません」


 静かな声だった。


「今日のこの場のことも、正式な記録には残せません」


 その言葉に、ガルディアは頷く。

 ステラは、小箱へ手を添え、ゆっくりとガルディアを見つめる。


「それでも私は、これを、あなたにも受け取っていただきたいのです」


 エリオットが静かに小箱を持ち上げ、ガルディアの前へ差し出した。


 ガルディアはすぐには手を伸ばさなかった。

 ただ、目の前の徽章を見つめている。

 やがて、掠れた声で口を開いた。


「……なぜ」


 その問いは、独り言のように小さかった。


「なぜ、私のような者に」


 ステラは、真っ直ぐな眼差しのまま答えた。


「あなたが、この国のために働いてくださったからです」


 ガルディアは、なおも徽章へ視線を落としていた。

 差し出されたままの小箱へ、手を伸ばそうとはしない。

 その様子を見つめながら、ステラは静かに言葉を続けた。


「……シリウス兄様のことは、ご存じですか」


 ガルディアは顔を上げる。


「……グランセルの領主となられた、と伺っております」


 ステラは頷いた。


「兄様は、あまり心のお強い方ではないのでしょう」


 卓上の紅茶から、細く湯気が立ちのぼっていた。


「だからこそ、違法薬物へ手を伸ばしてしまいました。彼に罪があったことは、事実です」


 その声には責める響きも、庇う響きもない。

 ステラはゆっくりと言葉を継いだ。


「それでも……兄様が積み重ねてこられた研鑽や信頼が、すべて消えたわけではありません」


 窓の外で風が鳴る。

 ステラは静かにガルディアを見つめる。


「だからこそ、兄様は、グランセルの領主になることができました」


 ガルディアは言葉を返さない。

 ただ、膝の上へ置いた両手を静かに見つめていた。

 ステラは、小箱の中の徽章へ目を落とす。


「……あなたも、同じです。罪があるからといって、それまでの働きがすべて消えてしまうわけではありません」


 穏やかな声が、静かな部屋へゆっくりと広がる。


「法は、人の罪を裁きます」


 ステラは真っ直ぐにガルディアを見つめた。


「ですが……志までは、裁けません」


 その言葉に、ガルディアはゆっくりと目を閉じた。

 閉じた瞼の奥で、何かを噛みしめるように、小さく息をついた。


 部屋は静まり返っていた。

 柱時計の針が、ゆっくりと時を刻んでいる。


 ガルディアは閉じていた目を静かに開いた。

 その視線は、再び小箱の中の徽章へ落ちる。


 震える指先が、ゆっくりと小箱へ伸びた。

 銀細工へ触れた指先は、すぐには持ち上げられない。

 しばらくそのまま留まり、やがて両手でそっと徽章を受け取った。


 磨き上げられた銀細工が、暖炉の火を映して淡く輝く。

 ガルディアは、その光を静かに見つめていた。


「……ありがとうございます」


 掠れた声だった。

 長年、議場で幾度となく答弁を重ねてきた男の声とは思えないほど、小さな一言だった。


 やがてガルディアは立ち上がる。

 徽章を胸に抱き、ステラへ向き直った。

 その姿を見たステラも静かに立ち上がる。


 ステラはスカートの裾を持ち、片足を引き、ゆっくりと頭を下げた。


「星泉研究へのご協力、そして、我が父アルトゥス・ゼフィールへの忠義……」


 静かな声が部屋へ響く。


「父に代わり、厚く御礼申し上げます」


 深々と下げられた銀色の髪が静かに揺れる。


 ガルディアは、その姿を見つめたまま動けなかった。

 やがて、目元へゆっくりと皺が寄る。

 彼の唇がわずかに震える。

 何か言葉を返そうとしても、声にならない。


 しばらくしてようやく、小さく息を吐く。


「……随分と、お優しいのですね」


 その言葉に、ステラは顔を上げる。

 一瞬だけ目を丸くすると、小さく微笑んだ。


「……よく、言われます」


 その控えめな笑みに、ガルディアも思わず口元を緩めた。

 



「本日は、お時間をいただきありがとうございました」


「……こちらこそ、お会いできたこと、嬉しく思います」


 ステラはガルディアへ軽く一礼すると、踵を返した。

 エリオットが扉を開く。

 夜の冷たい空気が、廊下から微かに流れ込んできた。


 ステラが部屋を出ようとした、その時だった。


「陛下」


 穏やかな声が背中へ届く。

 ガルディアは一歩前へ出ると、胸元へ抱えた徽章にそっと手を添えた。

 そして、背筋を正す。

 

「亡き先王陛下に代わり」


 一度言葉を区切り、曇りのない声で続ける。


「あなた様の歩まれる道が、健やかでありますよう、お祈り申し上げます」


 彼は深く頭を垂れる。

 ステラはその姿を静かに見つめた。


「ありがとうございます」


 その頬に、笑みが浮かぶ。

 ガルディアもまた、微笑み返した。


 やがてステラはエリオットとともに部屋を後にした。

 扉が静かに閉まる。


 残されたガルディアは、しばらくその扉を見つめていた。

 胸元の徽章へ、そっと指先を添える。

 銀細工は暖炉の灯を受けて淡く光を湛えていた。


 窓の外では、長い夜が更けていく。

 その空には、雲の切れ間から一つ、星が淡く輝いていた。



お読みいただき、ありがとうございます。

この話を少しでも気に入っていただけたら、

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次回もお楽しみに!!


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