↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星風の国物語 〜少女王と見習い書記官の政務録〜  作者: 月森みのり
第八章 冬明けの王

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
43/45

第四十三話 雪下の真実

雪解けにより、隠されていた真実が姿を現す――


 時は少し遡り、ノアとルシアンがアルヴェイン公国へ到着した頃。


 王城の庭では、雪解けで湿った土が陽を浴び、庭師たちが春花の苗を植え始めていた。

 窓から吹き込む風はまだ冷たい。

 けれど、その冷たさには冬ほどの鋭さはなく、どこか春の匂いを運んできていた。


 執務室では暖炉の火が揺れ、室内へ穏やかな暖かさを広げていた。

 ステラは机へ積まれた書類へ目を通し、一枚ずつ丁寧に署名を重ねていく。


 その時、扉が三度、一定の間隔で叩かれる。


「失礼いたします」


 低く落ち着いた声とともに、一人の男が入室した。

 灰色の瞳は鋭く、隙を探すように室内を一度だけ見回した。

 監察局主任監査官エドガー・クロムウェルだ。


 その手には報告書が抱えられている。

 報告書は角が少しも潰れておらず、革表紙にも折れ一つ見当たらない。

 エドガーは部屋の中央まで歩み出ると、一礼した。


「冬税監査の最終報告をお持ちしました」


「ありがとうございます」


 エドガーは報告書を机上へ置こうとし、不意にその手を止めた。


 表紙を開き、最初の頁をめくる。

 綴じ紐へ目を落とす。

 添付資料の枚数を数える。

 最後の頁までめくり終えると、今度は逆の順番で確認を始めた。


 側で控えていた侍従長のエリオットが尋ねる。


「何かございましたか」


「確認です」


 短い返事だった。


「提出資料は二十七枚、添付資料八枚、証拠目録三枚」


 エドガーは淡々と数えながら頁をめくっていく。


「……問題ありません。」


 ようやく報告書を閉じて頷いた。

 ステラはその様子を見て、わずかに微笑む。


「相変わらずですね」


「報告書は、一度提出したら差し替えられませんので」


 それだけ答えると、エドガーはようやく報告書を机上へ置いた。

 その動作には、一切の迷いがなかった。

 部屋へ静かな緊張が満ちる。

 エドガーは姿勢を正し、まっすぐステラを見る。


「冬税監査につきまして、ご報告申し上げます。」


 エドガーは報告書へ片手を添えたまま、口を開く。


「ただ、ご報告に入る前に、一つお願いがございます」


「何でしょう」


「本件につきましては、陛下以外の方へお聞かせすべきではないと判断しております」


 部屋が静まり返る。

 エリオットは無言のままステラへ視線を向けた。

 ステラはわずかに目を伏せて、やがて頷く。


「エリオットだけ、残します。他の者は下がってください」


 控えていた侍女や近衛騎士たちが一礼し、執務室を後にする。

 扉が閉まると同時に、暖炉の薪が乾いた音を鳴らす。




 エドガーは室内を一度だけ見回す。

 人の気配がないことを確認すると、報告書を開いた。


「調査の結果、一連の不正はすべて、一人の指示によるものであると判断いたしました」


 ステラは何も言わず、続きを待つ。

 エドガーは次の頁を開く。


「まず、帳簿の改ざんにより流用された資金の行き先ですが……」


 エドガーは言葉を区切り、紙を一枚めくる。


「星泉研究に関連する費用として、処理されておりました」


 その言葉に、ステラは目を見開いた。

 青灰色の瞳が微かに揺れ、報告書の文面を見つめる。


 窓の外から小鳥の鳴き声が聞こえた。

 穏やかな昼下がりとは裏腹に、部屋の空気だけが重く沈んでいく。


 エドガーは変わらぬ口調で続けた。


「帳簿の改ざんに関わった者の多くは、弱みを握られたか、あるいは私欲のために協力しておりました。しかし……元財務卿ガルディア・ヴェルクハルトだけは、例外です」


 エドガーはそう告げると、報告書を一枚めくった。

 紙の擦れる乾いた音が、静まり返った執務室へ響く。


「調査の限り、彼が脅迫を受けた形跡はありません。賄賂などの授受もなく、私的な利益も認められておりません」


 エドガーは視線を落としたまま、続きの頁へ目を移した。


「彼は、指示者の目的に賛同し、自らの意志で関与していたものと判断しております」


 ステラは言葉を確かめるように一度だけ瞬きをする。

 細く息を吸い込み、静かに問いかけた。


「指示者の目的というのは、星泉研究ですか」


 エドガーはゆっくりと顔を上げ、首を横へ振る。


「それだけではありません」


 短く答えると、再び報告書へ目を落とす。


「星泉研究も含めた、国の利益です」


 エドガーの表情は変わらない。

 報告書へ視線を落としたまま、淡々と続けた。


「違法な手段であったことは事実ですが……本件は、私欲による横領事件ではありません」


 エドガーは一度言葉を切り、ページの端へ指を添えた。


「国家運営と研究事業を優先することで生じた、組織的な不正であると結論づけました」


 最後の言葉が落ちると、誰もすぐには口を開かなかった。

 窓の外では風が庭木の枝を揺らし、その葉擦れの音だけが、重く沈んだ執務室へ

届いていた。


「そして、本件を主導した人物につきましては、こちらに記載しております」


 ステラは、差し出された最後の一枚へ目を落とした。

 青灰色の瞳が、一行ずつ文字を追う。

 やがて、その視線がある名前で止まる。

 瞼がわずかに震えた。


 最後まで読み終えて報告書を閉じ、机上に置く。

 ステラは目を伏せ、ゆっくりと息を吐いた。


 長い沈黙のあと、ようやく口を開く。


「……このことを知っている者は」


「監察局では、私のみです」


 エドガーは報告書へ視線を落としたまま続ける。


「ただ、調査の過程でご協力いただいたレオニス殿下は、ある程度お気づきかと思われます」


 ステラは小さく頷いた。


「他には」


「おりません」


 ステラは机上の報告書へ手を添え、指先で革表紙をゆっくりとなぞった。

 窓の外では、まだ冬の名残を含んだ風が庭木を揺らしている。

 しばらく考え込んでいたステラは、やがて顔を上げた。


「……この件は、私が預かります」


 ステラはエドガーを真っ直ぐ見て、続ける。


「私の命があるまで、明るみにせず、証拠となる資料も元の場所へ戻してください」


 その言葉に、エドガーの眉がわずかに動いた。

 彼は数秒の沈黙の後、口を開いた。


「……どうされるおつもりですか」


 ステラは報告書へ視線を落としたまま、首を横へ振る。


「分かりません。今から考えます」


 迷いのある声に、エドガーはステラを見つめる。

 暖炉の薪が、音を立てた。


「……万が一……」

 

 ステラは小さく呟き、エドガーへ視線を向ける。


「万が一、私の身に何かあって、私自身が判断できなくなるようなことがあれば」

 

 ステラはまっすぐ彼を見る。


「その時は、あなたの判断に委ねます」


 部屋に静寂が落ちる。

 その言葉の重さを量るように、エドガーはしばらく動かなかった。


 やがて彼は深く一礼する。


「承知いたしました」


 ステラは頷く。


 エドガーは踵を返し、部屋を出る。

 彼は音を立てないよう扉を閉めると、その足音だけが廊下の奥へ遠ざかっていった。




 窓から差し込む午後の陽射しは穏やかなままだったが、机上へ置かれた報告書だけが、その空気から切り離されたように重く見えた。


 エリオットが一歩前へ出る。


「お茶をお淹れしましょうか」


 ステラはしばらく報告書を見つめていた。

 やがて、息を吐く。


「……砂糖とミルクを、たっぷりお願いします」


 その一言に、エリオットの口元が緩んだ。


「承知しております」


 エリオットはどこか可笑しそうに答えると、慣れた手つきで茶器の準備を始める。

 銀のポットへ湯を注ぎ、茶葉を量る。

 立ちのぼる湯気が、張り詰めていた空気をゆっくりと和らげていく。


 ステラは窓の外へ視線を向けた。

 庭では庭師たちが花壇の手入れを続けている。

 

「……父様は……このことを、知っていたのでしょうか」


 静かな声が執務室へ落ちる。

 エリオットはティーカップを並べる手を止めず、ミルクを温めながら答える。


「星泉研究に関わることでございますから」


 彼は一度だけ、ステラへ穏やかな眼差しを向ける。


「ご存じであったと考える方が、自然でしょう」


 やがて紅茶が注がれ、柔らかな香りが部屋へ広がる。

 エリオットは角砂糖を二つ入れる。

 それからわずかに微笑み、もう一つ落とした。

 最後に温めたミルクを注ぎ、カップをステラの前へ置いた。


「どうぞ」


 ステラはカップを両手で包む。

 立ちのぼる湯気を見つめ、口をつけた。

 甘い香りが広がる。


「他の者を、お部屋へ戻してもよろしいでしょうか」


 ステラはゆっくりと頷く。


「ええ、もう大丈夫です」


 エリオットも小さく一礼する。

 その背へ向けて、ステラが声を掛けた。


「それから、エリオット」


 ステラはカップを受け皿へ戻した。

 微かに鳴った陶器の音が、執務室へ響く。


「一つ、用意していただきたい物があります――」





お読みいただき、ありがとうございます。

この話を少しでも気に入っていただけたら、

感想やレビュー、リアクションなどをぜひお願いします!


次回もお楽しみに!!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。