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星風の国物語 〜少女王と見習い書記官の政務録〜  作者: 月森みのり
第七章 商旗の約束

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第四十一話 次の季節へ

王は選び、風は次の季節へ向かう――


【国境を越えて得られるものは、品だけではない。

 人の営みを知り、その国の明日を知ることでもある。


 王は、未来を見通す者ではない。

 各地で見聞きした声を集め、一つの道を選ぶ者である。


 ――星冠記録官ノア・フェルディン著『星風の国物語』より】



 朝の港には、海鳥の鳴き声と、穏やかな波音だけが満ちていた。

 行き交う人々の足音もまだ少ない。


 停泊していた船では、出港の準備が進められている。

 畳まれていた帆がゆっくりと広げられ、白い布が朝の風を受けて膨らんでいく。

 甲板では船員たちが縄を確認し、積み込まれた荷の固定具を一つずつ確かめていた。

 岸壁では、係留縄を解く作業が始まっている。


「準備は整いました」


 船員の声に、船長が短く頷いた。

 その横で、ルシアンは港を見渡していた。


「伯爵」


 セドリックの声に振り返る。


「短い滞在でしたが、ありがとうございました」


「こちらこそ。公国まで足を運んでいただいたこと、感謝いたします」


 ルシアンは頷いた。

 セドリックはしばらく港を見つめた後、口を開く。


「星泉については、まだ簡単に扱えるものではありません」


「ええ。急いで結論を出すべきではないと、私も思っています」


 セドリックはわずかに目を細めた。


「……そう言っていただけるなら、安心しました」


 短い沈黙の後、船員が出港の合図を送る。

 係留縄が外される。

 岸壁と船を繋いでいた最後の一本が解かれ、船体がゆっくりと海へ押し出された。


「出港!」


 声が響く。

 帆が風を受け、船は少しずつ岸を離れていく。

 岸壁に立つセドリックの姿が遠ざかる。


 ルシアンは甲板から静かに頭を下げた。

 セドリックもまた、小さく礼を返す。

 港の音が、少しずつ遠ざかる。


 船が沖へ出ると、港の喧騒は少しずつ遠ざかっていった。

 甲板に立つルシアンは、しばらく海を眺めていた。


「ノア殿」


「はい」


「陛下は、今回の件について……どのようにお考えになるでしょうか」


 突然の問いに、ノアは目を瞬かせる。

 ルシアンの手には、今回の交渉についての報告書が握られていた。

 ノアは言葉を確かめるように目を伏せる。


「……陛下は、多方面から記録や声を集め、ご自身で考えようとされます。今回の件も、きっと同じです」


 海鳥の鳴き声が、遠くに響く。


「利益や危険だけではなく、その先に何が変わるのかを考えられると思います」


 ルシアンはしばらく黙っていた。

 やがて、息を吐く。


「……やはり、夜会でお会いした時の印象と違いませんね」


 ルシアンは微かに笑った。


「幼い王という言葉だけでは、あの方を語れない」


 その言葉に、ノアも小さく笑う。


「そうかもしれませんね」


 船はさらに沖へ進んでいく。

 背後の港は、もう輪郭しか見えなくなっていた。




 四日後。

 水平線の彼方に、白い灯台が姿を現した。


「アステリアです」


 船員の声が甲板へ響く。

 帆は風を受けたままゆるやかに向きを変え、船首は港へ向いた。

 朝日に照らされた石造りの岸壁には、すでに荷馬車が何台も並んでいる。


 船はゆっくりと速度を落とす。


「着岸!」


 船員たちが一斉に動き出した。

 係留縄が岸へ投げ渡され、受け取った港湾職員が手際よく杭へ巻き付ける。

 船体が岸壁へ寄せられた。


 タラップの先では、二台の馬車が待っていた。

 一台は伯爵家の紋章を掲げた黒塗りの馬車。

 もう一台には王家の星章が刻まれ、近衛騎士が静かに控えている。


 ルシアンは港をひと渡り眺めると、岸へ降り立った。

 ノアもその後に続く。


 伯爵家の従者が一歩前へ進み、一礼する。


「お帰りなさいませ、ルシアン様」


 一方、王城の馬車の脇では近衛騎士が胸へ拳を当て、ノアへ頭を下げた。


「ノア殿。陛下より、お迎えに参りました」


 ルシアンは胸元から革表紙の報告書を取り出し、それをノアへと差し出す。

 綴じ紐は新しく結び直され、端にはいくつか紙片が挟まれていた。


「私は一度屋敷へ戻ります。これを陛下へ、お願いします」


「承知いたしました」


 ルシアンは頷く。


「では、いずれまた」


「はい」


 従者が伯爵家の馬車の扉を開き、ルシアンが馬車へ乗り込んだ。

 ノアもまた、王城の馬車へ向かう。

 腕の中の報告書を軽く押さえ直し、御者へ小さく会釈した。


 二台の馬車は時を同じくして動き出し、石畳に車輪の音を響かせながら、それぞれ別の道へと進んでいった。

 王城へ続く坂道では、朝の鐘が街へ響き渡っていた。





 ノアが王城へ戻った頃には、陽はすでに高く昇っていた。

 中庭では近衛騎士たちが交代の号令を受け、槍を揃えて歩いていく。

 石畳を渡る風が王城の旗を揺らし、回廊には文官たちの足音が静かに響いていた。


 執務棟へ向かい、見慣れた廊下を進む。

 重厚な木扉の前では、リアが控えていた。

 彼女はノアを見て、小さく笑う。


「思ったより、早かったな」


「伯爵が、段取り良く進めてくださいましたので」


「そうか……お帰り」


「はい、ただいま戻りました」


 ノアも笑い返すと、リアは頷き扉を叩く。


「ノア・フェルディンが、帰還いたしました」


「入ってください」


 幼い声が返ってきて、リアが扉を開く。


 執務室の奥に設けられた応接スペースでは、三人が低いテーブルを囲んでいた。

 ステラ陛下は窓を背にしたソファーへ腰掛け、その向かいにはロザリン、隣にはガイウスが席についている。

 テーブルには地図や報告書が几帳面に並べられ、窓から差し込む淡い光が、室内を柔らかく照らしていた。


 ノアは部屋の中央まで進み、一礼する。


「ただいま戻りました」


「お帰りなさい。アルヴェイン公国の視察、お疲れさまでした」


 ノアは報告書を取り出し、机へ置く。


「こちらは、ルシアン伯爵よりお預かりした報告書です」



 


 各々が報告書へ目を通し終えると、ステラ陛下が顔を上げる。


「公国側の目的は、星泉ですか」


「はい。港や医局も視察いたしましたが、いずれも人手不足を深刻な問題として捉えておりました。その解決策の一つとして、星泉へ強い関心を示されています」


 ガイウスは最後の一頁へ目を落としたまま、革表紙を静かに閉じた。


「共同研究を望んでいるようだが、星泉が完成した後のことは」


「具体的な条件提示はありませんでした。医薬品として安全性の確認ができない以上、その段階ではないとの見解です」


 ロザリンは頷いた。


「共同研究は悪くないと思いますが……星泉研究は国の事業ですから、制度設計は慎重に考えるべきでしょう」


 その言葉にステラ陛下は、小さく首を振った。


「……いいえ。急ぎましょう」


 穏やかな声に、ガイウスもロザリンも、視線を向けた。


「星喰い病による人手不足は、わが国でも危惧されています。あちらだけの問題ではありません」


 そう言ってステラ陛下は、窓の外へ目を移す。

 冬の日差しを受け、王城の旗が緩やかに揺れていた。


「それに……公国が一枚岩だとも限りません」


 その一言に、ガイウスの眉がわずかに動く。


「国境では小規模な衝突が続いています。星泉を望むだけなら、そのような動きは必要ないはずです」


 ステラ陛下の細い指先が、机上の報告書へ触れる。


「ならば、なぜ衝突が続くのか……」


 静まり返った部屋に、暖炉の薪が崩れる音が微かに響いた。


「――これを機に戦へ持ち込もうと考えている者が、公国側にもいるのではないでしょうか」


 誰もすぐには口を開かなかった。

 窓の外から、遠く訓練場の号令がかすかに聞こえてくる。


 ステラ陛下は目を細めて、続ける。


「衝突が大きくなる前に、友好的な手を打たなければなりません」


「……なるほど。その可能性は否定できませんな」


 ガイウスは腕を組んだまま、視線だけをステラ陛下へ向ける。


「ですが陛下。我が国にも、戦を望む者はおります。交易を弱腰と捉える者もいるでしょう」


 ガイウスはゆっくりと顎を引いた。その視線は少しも逸れない。


「その者たちは、どのように説得なさるおつもりですか」


 その言葉に、ステラ陛下は机の上で重ねていた両手を、ゆっくりと膝へ戻した。

 青灰色の瞳が、まっすぐガイウスを見上げる。


「……あなたに任せます」


 ロザリンがわずかに顔を上げた。

 ガイウスもまた、目を細める。


「私に、ですか」


「はい」


 ステラ陛下の声に迷いはなかった。


「王が決めたことを、この国で形にする。それが、宰相のお役目なのでしょう」


 ガイウスは答えない。

 ただ、その視線だけが静かにステラ陛下を測っていた。


「私は、戦を望みません。公国だけでなく、周辺諸国とは交易によって手を結びたい」


 ステラ陛下は一度言葉を切り、ゆっくりと言い添える。


「だから、あなたが、そう成るように動いてください」


 ノアは二人の間へ視線を走らせた。

 いつも微動だにしないガイウスの表情に、ごくわずかな揺らぎが宿る。

 長い沈黙の末、ガイウスは目を伏せた。


「……承知いたしました」


 低い声が執務室に落ちる。


「陛下のお考えが形となるよう、努めましょう」


 その言葉を受け、ステラ陛下は小さく頷いた。

 春へと向かう風が、王城の旗を静かに揺らす。


お読みいただき、ありがとうございます。

この話を少しでも気に入っていただけたら、

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次回もお楽しみに!!


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