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星風の国物語 〜少女王と見習い書記官の政務録〜  作者: 月森みのり
第二章 冬越しの議会

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第四話 閉ざされた部屋

「冬を越せる国にします」

ーーーーーーその誓いを、守れるのか。

【離宮へ移された者の部屋は、やがて静かに閉ざされる。

 使用人は減り、灯りは消え、名を口にする者も少なくなる。


 だがそれでも、部屋だけは覚えている。

 机に積まれた紙束も、読みかけの本も、窓辺へ残された足跡も。


 人が消えた後ほど、部屋は雄弁になるのだ。


 ―――星冠記録官ノア・フェルディン著『星風の国物語』より】



 戴冠式から一週間後。


 王宮では早くも、“冬越し議会”の準備が始まっていた。


  北方備蓄の確認。

 各領地から届く収穫報告。

 炭鉱搬入量。

 凍死者記録。

 街道封鎖予測。


 そして今年、議会で最も揉めると予想されているのが、“冬税”だった。


  アステリアでは毎年、冬越し備蓄維持のため各領地へ追加徴税が課される。

 炭、保存食、街道整備費、雪害対策費。

 冬を越えるには莫大な金が必要になるからだ。


  だが近年は不作と寒波が続き、地方領の疲弊は限界へ近付いていた。

 増税を主張する中央貴族。

 減税を求める地方諸侯。

 その対立は、戴冠したばかりの幼王の前へ、そのまま積み上がろうとしていた。


 そして当然、その余波は王室記録局にも降りかかっていた。


「ノア!第七倉庫の備蓄報告どこいった!」


「昨日分類しました!」


「昨日のどこだ!」


「昨日の僕に聞いてください!」


 半ば叫びながら、ノアは紙束の山を掻き分ける。

 記録局は完全に戦場だった。


 机の上には帳簿。

 椅子の上にも帳簿。

 床にも帳簿。

 もはや歩くたびに誰かの悲鳴が上がる。


「インク!」


「切れてます!」


「補充は!?」


「さっき死にました!」


 意味不明な会話まで飛び交っていた。

 ノアは死んだ魚みたいな目で羽根筆を走らせる。



 するとその時だった。


「……ノア・フェルディン」


 不意に、静かな声が落ちた。


 記録局の喧騒が、ぴたりと止まる。

 ノアは顔を上げた。



 入口に立っていたのは、灰色マント姿の少女だった。

 焦茶色の短髪。

 肩掛け鞄。

 そして妙に落ち着いた猫みたいな目。

 王室直属配達人――ユリア・レインである。


「あ」


 ノアの顔が僅かに引きつる。

 嫌な予感がした。

 

 ユリアは周囲の視線を気にも留めず、ノアの机まで歩いてくる。

 それから、鞄の中から一通の封筒を取り出した。


 厚手の乳白紙。

 深い青銀色の封蝋。

 そこへ刻まれているのは、小さな星冠の紋章。


 王家の私印だ。


 その瞬間。

 周囲の書記官たちが、静かにざわめき始めた。


「……またか」


「まただな」


「最近あいつ陛下に呼ばれすぎじゃないか?」


「出世?」


「胃痛の間違いでは」


 好き勝手言われている。

 ノアは半泣きだった。


「なんで僕なんですか……」


「指名なので」


「だからなんで」


「知りません」


 即答だった。

 ユリアは封筒をノアへ差し出す。


 表書きには、丁寧な文字でこう書かれていた。


『ノア・フェルディン様』


 少し丸い字だった。

 ノアは数秒その文字を見つめる。

 まだ幼さの残る筆跡。

 けれど一文字ずつ、真面目に書こうとした跡がある。


 送り主の身分に関わらず、雑には扱えなかった。


「……今回は何です?」


「呼び出しです」


「それは見れば分かります」


「今回はちょっと特殊で、」


 ユリアが珍しく、少しだけ言葉を選ぶ。


「陛下が、“資料を探したい”そうです」


「資料?」


「はい。レオニス殿下の私室で」


 その瞬間。

 記録局が一斉に静まり返る。


 ノアは瞬きをした。


「……え?」



 レオニス。



 その名前を、王宮で大声で口にする人間は少ない。


 第一王子レオニス・ゼフィール。

 ステラ陛下の実兄であり、かつて次期国王は彼だろうと国中から期待されていた人物。

 現在は離宮へ退いていた。


 失脚。

 病。

 派閥争い。


 理由については様々な噂があり、今の王宮でその名は少し触れづらい。



「なんでまた、そんな場所に……」


「冬越し政策関連の資料が残ってる可能性があるそうです」


 ユリアは淡々と答える。


「あと陛下が、“書類の分類が分かる人が必要”って」


 つまり自分である。

 ノアは頭を抱えたくなった。


 王族の私室。

 しかも失脚王子の部屋。

 一介の書記官補佐が踏み込むには、あまりにも危険地帯すぎる。


「……断れませんよね」


「王命ですので」


「ですよね……」




 数分後。

 ノアは大量の分類用紙と記録紐を抱え、ユリアに連行されていた。


 王宮奥へ進むほど、人の気配は減っていく。


 磨かれた廊下。

 高い窓。

 差し込む薄い冬光。


 やがてユリアは、普段ほとんど使われていない北棟通路へ入った。

 空気が少し冷たい。


「……この辺、人いませんね」


「元々、王族用区画なので」


 足音だけが静かに響く。



 そして通路の最奥。

 一枚の重厚な扉の前で、ユリアは立ち止まった。

 

 古い銀装飾の施された扉だった。

 だが現在、その一部には薄く埃が積もっている。

 長く使われていない証拠だった。


 王族の私室へ無断で入ること自体、本来なら重罪に近い。

 ましてここは、“触れない方がいい王子”の部屋だ。

 ノアは無意識に背筋を伸ばしていた。


「こちらです」


 ユリアが扉を開く。

 僅かに、古い紙と冬の匂いが流れ出した。



 部屋の奥。

 窓際には、小さな人影が立っていた。

 白銀の髪。

 濃紺の室内服。

 ステラ・ゼフィール陛下だ。


 そしてその隣には、黒髪の騎士姿の女性。

 腰には細剣。

 窓際へ立つ姿は静かだったが、部屋の空気だけが僅かに張り詰めて見えた。


 ノアはその女性騎士とは面識がなかった。

 しかし彼女は宮中ではよく知られている人物だったので、何者なのかはすぐに分かった。


 リア・ヴァルケイン。

 現在はステラ陛下付き近衛騎士となっているが、元々は、レオニス殿下直属の護衛騎士だった。


 王族直属騎士は、主君が失脚すれば共に沈む。

 左遷される者もいれば、そのまま王宮から姿を消す者もいる。

 そんな中で、リアだけは今もここに立っていた。




 ステラ陛下は、静かにこちらを振り返る。


「……来ましたか、ノア」


 その声はいつも通り静かだった。



 ユリアは扉の脇へ下がると、小さく一礼した。


「では、私は戻ります」


「え?」


ノアは思わず顔を上げる。


「戻るんですか?」


「配達人なので」


 ユリアはさらりと言った。


「手紙を届けるのが仕事ですから」


 そこまで言ってから、ユリアはステラ陛下と机上の資料を見比べた。


 最後にノアへ視線を向ける。


 その表情が少しだけ同情的に見えたのは、たぶん気のせいではない。


「あとは皆さんでどうぞ」


 妙に意味深な言い方だった。


「その言い方やめてもらえます?」


「事実ですし」


 ユリアは肩を竦める。


 そのまま扉へ手を掛け――


「ああ、そうだ」


 何か思い出したように振り返った。


「ノアさん」


「はい?」


「胃薬が必要になったら呼んでください、届けますので」


「必要になる前提なんですか!?」


 ユリアはくすりと笑った。


「では失礼します」


 そう言ってユリアは静かに扉を閉めた。

 重い音が部屋へ響く。

 途端、広い私室の静けさが、さっきより少し濃くなった気がした。



 それからノアは部屋の中を見回して、息を止める。

 机の上には、大量の資料が積まれていた。


 地図。

 帳簿。

 北方街道図。

 炭鉱記録。

 冬季備蓄表。


 まるで誰かが、冬そのものを部屋へ閉じ込めたみたいだった。



 王族の私室、と聞いて想像していたものとは少し違っていた。


 確かに部屋は広い。

 天井も高く、家具の一つ一つも高級品なのだろう。

 だが妙に“使われた跡”が多い。


 本棚には紙片が挟まれ、机上には開きかけの地図。

 暖炉脇には読み終えた本が数冊積まれている。

 壁際には北方街道の模型図まで立て掛けられていた。



 生活感――。



 そんな言葉が、ノアの脳裏を過る。

 もっと整然として、もっと冷たい場所だと思っていた。

 失脚した王子の部屋なのだから。


「……意外です」


 気付けば、口から零れていた。

 リアが視線だけこちらへ向ける。


「何がだ」


「いや、その……もっと怖い感じかと」


「怖い?」


「陰謀とか企みとか……そういう」


 するとリアは少しだけ眉を上げた。


「お前、レオニス殿下を何だと思ってたんだ」


「え、いやだって失脚した王子って普通そういう……」


「王宮小説の読みすぎだ」


 ノアは少しだけ気まずそうに咳払いする。

 その横で、ステラ陛下は静かに部屋を見回していた。


 窓際。

 暖炉。

 本棚。


 一つ一つを確認するような視線だった。

 懐かしんでいるようにも見える。

 だが同時に、何かを探している目でもあった。


「……資料はどこに残されてると思いますか」


 静かな声。

 リアは少し考え込み、壁際の大型書棚へ視線を向けた。


「殿下はよくあそこを使っていた」


 近付いてみると、本棚には政治書や歴史書だけでなく、地方記録まで並んでいる。


『北方積雪量記録』

『冬季輸送路封鎖日誌』

『各領炭鉱採掘報告』


 ノアは思わず瞬きをした。


「……なんか、思ったより実務的ですね」


「そういう方だった」


 リアの返答は短い。

 だがどこか、少しだけ遠い響きだった。


 ノアは棚から一冊抜き取る。


 古びた統計記録。

 何度も開かれたのか、端が擦り切れている。

 さらに机上には、紙束が山ほど積まれていた。


 そこへ細かな書き込み。



『北方備蓄不足』

『炭価上昇』

『凍死者増加傾向』



 ノアの表情が少し変わる。


「……これ、かなり細かいですね」


「ええ」


 答えたのはステラ陛下だった。

 彼女は一枚の資料へ視線を落としている。


「評議会資料より、ずっと」


 ノアは少し眉を寄せた。


「評議会の資料って、そんなに問題あります?」


 ステラ陛下は、しばらく資料を見比べていた。

 小さな指先が、同じ欄を何度も辿っている。


「……前から、少し変だと思っていました」


 ステラ陛下は数秒黙って、それから静かに言った。


「……数字が綺麗すぎるんです」


「綺麗?」


「困窮率も、備蓄量も、毎年ほとんど同じでした」


 淡々とした口調だった。

 だがノアは少し息を止める。

 

「……調整されてるってことですか」


「分かりません」


 ステラ陛下は首を横へ振る。


「でも、冬の死人が毎年同じ人数なわけないので」


 静かな声だった。

 十歳の少女の言葉とは思えないほど、冷静な響きだった。


 ノアは思わず資料へ目を落とす。


 数字。

 輸送量。

 配給量。

 書記官として、毎日見慣れているはずのもの。


 だが今は妙に違って見えた。



「……あれ」



 不意に、ノアの手が止まる。


「どうした」


 リアが問う。

 ノアは二枚の資料を見比べながら眉を寄せた。


「この村、去年の冬は街道封鎖で補給停止してるのに」


 指先で別資料を示す。


「こっちだと凍死者ゼロになってます」


 リアの表情が僅かに険しくなる。

 ステラ陛下は静かに資料を受け取った。

 小さな指が数字を辿る。


「……本当ですね」


 ノアはさらに別紙を捲る。


「しかも炭の搬入量、記録ごとに違います」


「どれくらいだ」


「かなりです。これ、計算合わないですよ」


 書記官補佐として、ノアは毎日数字整理をしている。

 だからこそ、こういう違和感には敏感だった。


 リアが不意に暖炉脇を見つめたまま呟く。


「……殿下は、ずっとこれを調べていた」


 ノアとステラ陛下が顔を上げる。

 リアは壁際へ歩み寄った。

 そこには古い木椅子が一つ置かれている。


「夜になると、ここで資料を読んでいた」


 静かな声。


「何日も寝ずにな」


 リアは椅子へ触れる。

 まるで、そこにまだ誰かが座っているみたいに。


 ノアは少し迷ってから口を開いた。


「……レオニス殿下って、どんな方だったんですか」


 ノアの問いに、部屋が静かになった。

 ステラ陛下が顔を上げ、リアへ視線を向けた。


 しまった、とノアは思う。

 不用意だったかもしれない。


 だがリアは気を悪くした様子もなく、少しだけ視線を落とした。


「優しい方だった」


 返ってきた言葉は短かった。

 けれど迷いはない。


「誰かが寒い思いをしていると、放っておけない人だった」


 リアは暖炉脇の資料箱へ目を向ける。


「視察先で見たことを、そのまま持ち帰る方だった」


「そのまま?」


「飢えた人がいれば飢えていると言う。足りないものがあれば足りないと言う」


 淡々とした声だった。


「貴族だろうが役人だろうが関係なかった」


 リアは小さく息を吐く。


「見たものを、見なかったことに出来ない方だった」


 ノアは何となく理解した。


 この部屋に積まれた資料の山も。

 余白へ残された書き込みも。


 全部その性格の延長だったのだろう。


「視察中に、馬車を途中で降りて、吹雪の中を歩き出したこともあります」


 リアがぽつりと言った。


「『煙が少ない家がある』って」


 ステラ陛下が少し首を傾げた。


「煙?」


「暖炉です。炭が足りない家は煙が薄くなる」


 リアは少し遠くを見るような目をした。


「その家では、母親が炭を節約していました。子供へ毛布を回して、自分は暖炉から離れていた」


記憶を辿るような口調だった。


「父親は既に亡くなっていました」


 ノアは思わず言葉を失う。

 無意識に手元の資料へ視線を落とした。


 数字の向こうにいる人間。


 今、ノアたちが調べていたものと、同じだった。


「殿下はその場で医師を呼びました。備蓄炭も手配した」


「備蓄炭を?」


ノアは思わず聞き返した。


「そんなこと、王子が勝手に決められるんですか」


リアは少しだけ笑った。


「決めたから、問題になったんだ」



 王都へ戻ったレオニス殿下は評議会で問題になった。


『王族が独断で備蓄を動かした』

『前例にない』

『地方統治を乱す』


 重臣たちはそう責め立てた。


 だがレオニス殿下は静かに言った。


『冬は前例を待ってくれません』




「私は殿下のその言葉が、忘れられない」


 


 しばらく誰も何も言わなかった。

 窓の外で風が鳴る。

 

 やがてノアがぽつりと呟いた。


「……なんというか」


「何だ」


「王子様っぽくないですね」


 リアが鼻で笑う。


「そうだろうな」


「もっとこう……外交とか、軍とか、そういうことを考える人だと思ってました」


「普通はそうだ」


 リアは頷いた。


「殿下は、あまり向いていなかった」


「……王族に?」


 ステラ陛下が尋ねる。


「はい」


 吹雪が窓を叩く。


「目の前の人を見過ごせなかった」


 ノアは少し考えた。


 それは良いことのように聞こえる。

 けれどリアの口調は違った。


「本来なら、王族はもっと遠くを見るべきです」


「遠く?」


「国全体です」


 リアは続ける。


「一人を助ければ、別の誰かが不満を持つ。ある領地を優遇すれば、別の領地が反発する」


 ノアは返事をしなかった。


 凍死者。

 冬税。

 中央備蓄。


 数字の向こうには人がいる。

 そしてレオニスは、その人たちを見てしまったのだろう。


「でもレオニス兄様は」


 ステラ陛下が小さく言う。


「目を逸らさなかった」


「はい」


 リアは静かに頷いた。


「だから、敵を作りました」


 低い声が落ちた。

 静かな沈黙が広がる。




 ステラ陛下は、何も言わず机上の資料の文字を小さな指でなぞっていた。


「……だから、レオニス兄様は残していたんですね」


静かな声だった。

 けれどその言葉だけは、どこか決意みたいに聞こえた。


王宮物語において外せない、近衛騎士。

元々第一王子直属だったリアが、何故ステラ付きの騎士となったのか。いつかその話も書きたいです。


お読みいただきありがとうございます。

次回も書記官・ノア、活躍します。

お楽しみに!

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