第三十四話 星の誓い
誓いは、もう一つの星へ託される――
【人は皆、同じ道を歩むために生まれたのではない。
それぞれに託された役目があり、それぞれに果たすべき誓いがある。
異なる誓いが重なり合う時、国は一つとなる。
―――星冠記録官ノア・フェルディン著『星風の国物語』より】
やがて、最後の金属音が闘技場へ響いた。
舞い上がっていた砂煙が、冬の風に流されていく。
その中央では、シリウス殿下の剣先が、ローラン団長の喉元へ静かに止まっていた。
誰も口を開かなかった。
ただ、張り詰めた静寂だけが闘技場を包む。
その静けさを破るように、一人の騎士が拍手を送った。
乾いた音が石壁を打ち、やがてもう一人、さらにもう一人と続いていく。
称賛の拍手は波紋のように広がり、やがて闘技場全体を満たした。
ユリアは目を伏せ、短刀をマントの下へ戻す。
シリウス殿下は剣を下げ、鞘に納める。
その光景を見届けると、裁判長は立ち上がる。
法衣の裾を整え、一歩前へ進み出た。
「これより、判決を申し渡します」
裁判長は羊皮紙を広げ、告げた。
「公開試験の結果を踏まえ、本法廷は、シリウス・ゼフィールに将軍領主としての資質ありと認めます」
小さなざわめきが広がる中、裁判長は続けた。
「また、国王陛下より提出された処遇変更の提案につきましても、これを承認いたします」
冷たい風が、羊皮紙を揺らす。
「よって、本法廷は、シリウス・ゼフィールの王族除籍、公爵位授与ならびに防衛都市グランセル領主への任命を認めます」
法槌が鳴った。
その音は、闘技場の石壁へ幾重にも反響していく。
シリウスは肩を下げ、ゆっくりと息を吐く。
そして、玉座へ視線を向けた。
高台では、ステラ陛下が静かに立ち上がっていた。
礼装の裾が風を受け、ゆるやかに揺れる。
リアが一歩前へ出る。
澄んだ声が闘技場へ響いた。
「これより、爵位授与並びに領主任命の儀を執り行います」
その言葉に、騎士たちが左右へ整列する。
貴族や議員たちも立ち上がった。
玉座から伸びる石段を、ステラ陛下はゆっくりと降り始めた。
小さな足音が、闘技場へ響いていく。
リアも、その後ろから続く。
その姿を見上げながら、シリウスは呟く。
「……本当に、ステラが王になったんだな」
その隣へ、灰色の影が並ぶ。
シリウスは横目でユリアを見た。
先ほどまでの鋭い眼差しは薄れたものの、その表情は穏やかなものではなかった。
「……怒っているのか」
「怒っています」
ユリアは石段を降りてくるステラ陛下を、真っ直ぐ見つめる。
「あなたが獄中にいる間に、陛下は、『言うべきことを優先する』ことを覚えられました」
ユリアは眉を下げ、小さく息を吐く。
「私は、それが何だか寂しくて……少しだけ、悲しいんです」
シリウスは、一つだけ目を瞬く。
そして、手を伸ばした。
「悪かった」
大きな手が、焦茶色の髪をくしゃりと撫でる。
ユリアは目を丸くして、肩を竦めた。
「ちょっと、やめてください!」
「ははっ」
声を荒げるユリアに、シリウスは笑って目を細める。
「お前がステラの側にいてくれて、よかったよ」
その言葉に、ユリアの瞳がわずかに揺れる。
「……仕事ですから」
短く答える声は、少し震えていた。
やがて、ステラ陛下が二人の前で足を止めた。
ユリアは乱れた髪を整えながら、後ろへ下がる。
青灰色の瞳が、シリウスを見上げた。
冷たい風が、闘技場を吹き抜ける。
侍従が一歩前へ進み、両手で持っていた盆の覆いを外した。
陽光を受け、一つの徽章が淡く輝く。
白銀を基調とした台座に、深い群青の石。
その中央には、小さな星を象った意匠が刻まれていた。
公爵の証として、新たに作られた徽章だった。
侍従が盆をステラ陛下へ差し出す。
彼女は徽章を両手で受け取った。
小さな手の中で、その重みを確かめるように指先を添える。
シリウスは、静かに片膝をつく。
傍聴席の騎士や議員たちも背筋を正す。
一瞬の静寂の後、ステラ陛下は口を開く。
「シリウス・ゼフィール。あなたへ、グランセル公爵位を授けます」
徽章を彼の胸元へ留める。
留め金が小さく鳴って、ステラ陛下はゆっくりと手を離した。
群青の石が陽光を映し、小さくきらめく。
ステラ陛下は一歩下がり、続けた。
「……戴冠の日」
静まり返った闘技場に、幼い声が響く。
「私は、誓わなかったことがあります」
シリウスはゆっくりと顔を上げる。
晴れた空を映したような瞳が、ステラ陛下を見つめる。
「――『剣をもって国境を護り、知をもって国を導き、信義をもって臣民へ応えることを』」
ノアは思わず息を呑んだ。
その言葉は、戴冠の宣誓原稿に書かれていたもの――あの日、ステラ陛下が読み上げずに、自身の言葉に替えたものだった。
「私は剣を扱えません」
ステラ陛下は自らの手を見る。
白く、小さな手だった。
「だから、誓えませんでした」
真っ直ぐな声に、シリウスは口元を緩めた。
「……そうか。それは、俺の役目だな」
後ろで控えていたリアが、一振りの剣を差し出す。
収監の際に王宮へ預けられていた、シリウスの愛剣だった。
シリウスはそれを両手で受け取る。
鞘を払うと、澄んだ音とともに、刀身が淡い日差しを映した。
彼はゆっくりと立ち上がる。
そして、剣を高く掲げた。
闘技場中の視線が集まる中、シリウスは大きく息を吸った。
「我が名は、シリウス」
力強い声が、円形の闘技場に響き渡る。
「大星を司るこの名において、誓おう」
剣先が、真っ直ぐ冬空を指す。
「――『剣をもって国境を護り、知をもって国を導き、信義をもって臣民へ応えることを』」
その言葉に答えるように、一人の騎士が拳を胸へ当てる。
それに続き、また一人。
さらに一人。
やがて何百という騎士たちが、一斉に胸へ拳を当てた。
鎧の触れ合う音が、波のように広がる。
ローランも右拳を胸へ当て、深く頭を垂れていた。
貴族や議員たちも、その光景を黙って見つめている。
ステラ陛下は静かにシリウスを見上げる。
風が星空を模した礼装を揺らし、冬空へ流れていく。
その日、幼き王が胸に残した誓いは、一人の兄へ託された。
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