第三十三話 剣の行方
裁きの果てに、一振りの剣が未来を選ぶ――
【裁きとは、罪を数えるためだけにあるものではない。
その者が再び歩む道を定めることもまた、裁きの務めである。
ゆえに、正しき裁きは、常に人の未来へ向けられる。
―――星冠記録官ノア・フェルディン著『星風の国物語』より】
冬の朝の光が、大法廷の高窓から穏やかに差し込む。
半円状に並ぶ傍聴席は、開廷前にもかかわらず人で埋め尽くされていた。
貴族、議員、文官。
そして壁際には鎧姿の騎士たち。
普段は閉ざされている上段席まで開放された法廷には、抑えた話し声だけが幾重にも重なっていた。
正面、高く設えられた玉座には、ステラ陛下が腰掛けている。
一段下にはリアが控える。
書記席では、ノアが羊皮紙を揃え、羽根筆の先を整えていた。
やがて、法槌が鳴った。
乾いた音が石造りの法廷へ響き渡り、さざめきは潮が引くように消えていく。
「これより、緊急裁判を開廷します」
裁判長の宣言が、静まり返った法廷へ響く。
「本件は、第二王子シリウス・ゼフィールの処遇変更について審議するものです」
その声とともに、正面の扉が開いた。
鎖の触れ合う音だけが、静寂の中に響く。
二人の看守に付き添われ、一人の青年が歩み出た。
シリウス殿下だった。
身に着けているのは、収監者へ支給された簡素な灰色の衣。
飾りこそないが、清潔に整えられている。
短く切りそろえられていた銀髪は、収監の日々を物語るように少し伸び、耳元や襟足へ流れていた。
シリウス殿下は法廷中央まで歩み、顔を上げる。
視線の先には、玉座のステラ陛下。
ステラ陛下もまた、静かに見つめ返していた。
二人の間に言葉はない。
裁判長が書類を開く。
「陛下。ご提案を」
その呼びかけに、ステラ陛下はゆっくりと立ち上がる。
星空を模した衣装の裾が、玉座の階段へ流れた。
穏やかな声が響く。
「私からの提案は、二つです」
ステラ陛下は法廷を見渡し、続ける。
「一つは、シリウス・ゼフィールを王族より除籍し、公爵位を授与すること」
法廷に小さなざわめきが広がる。
しかし、ステラ陛下はそれを待つように一呼吸置き、続けた。
「そして、もう一つ。防衛都市グランセルの領主へ任命することを、提案いたします」
その言葉が終わると、リアが一歩前へ進み、黒い革表紙の書類を両手で掲げた。
「王族除籍につきましては、王室の承認書を提出いたします」
裁判長はそれを受け取り、封蝋へ目を落とす。
王家の紋章。
その下には、王族の名が連なる。
裁判長は頷く。
「……正式な承認書であることを確認しました」
傍聴席のざわめきが一段と大きくなる。
王族内では、すでに合意が得られている。
それだけで、この提案の重みは十分に伝わっていた。
その静けさを破るように、一人の議員が声を上げる。
「異議あり!」
法廷がどよめく。
視線が集まる中、その議員は立ち上がった。
「王族を除籍し、公爵位を与えるなど前例がありません。しかも、違法薬物事件の当事者です。そのような人物へ領地を預けることは、到底認められません」
彼の言葉を皮切りに、次々と異議の声が上がる。
「罪を犯した事実は消えません!」
「国民が納得するとは思えません!」
各席から声が重なっていく。
裁判長が法槌を打った。
乾いた音が響き、法廷は再び静けさを取り戻す。
「陛下、ご説明を」
「……ご意見は、ごもっともです。だからこそ、裁判を開いております。法に則り、皆様に審議していただくためです」
シリウス殿下は、小さく目を伏せた。
異議の声は、なおも続く。
だが、そのたびに表情を曇らせることも、弁明を求めることもない。
すべてを受け止めるように、静かにその場へ立ち続けていた。
一人の壮年の貴族が立ち上がった。
「陛下。仮に罪について議論が尽くされたとしても、なお一つ、看過できない問題がございます……シリウス殿下に、グランセルを任せるだけの実力が、本当にあるのかということです」
先ほどまで反対の声を上げていた議員たちも、その問いに耳を傾けていた。
「陛下が託そうとしているのは、一都市ではありません。王国南方、その命運です」
その言葉に、重い沈黙が落ちる。
ステラ陛下は頷いた。
「ごもっともです。言葉だけでは、誰も納得できないでしょう。ならば――」
青灰色の瞳が、ゆっくりと細められる。
「その資質を示していただきます」
裁判はそのまま多くの傍聴人を伴い、中央闘技場へ場所を移した。
冬の陽光が円形の闘技場へ降り注ぐ。
上段には議員と貴族。
中段には文官たち。
下段には鎧姿の騎士たちが列を成していた。
正面の高台には玉座が据えられ、ステラ陛下が腰を下ろす。
その一歩後ろにはリアとユリアが控える。
少し離れた書記席では、ノアが新たな羊皮紙を広げ、羽根筆を握り直していた。
裁判長が声を張る。
「これより、公開試験を執り行います」
その声が、闘技場いっぱいへ広がった。
「試験内容は実戦。シリウス・ゼフィールが、将軍領主として相応しい武勇を備えているかを審議いたします」
シリウス殿下が中央へ歩み出る。
視線が、一斉にその姿へ集まった。
騎士団が用意した簡素な稽古着をまとい、腰には一本の訓練剣。
襟足へ伸びた銀髪は後ろで一つに束ねられていた。
彼は静かに砂を踏み、中央で足を止める。
反対側の門が開く。
姿を現したのは、騎士団副団長を先頭とする四人の騎士だった。
全員が訓練剣を携え、一定の距離を保ちながら円を描くように広がっていく。
ノアは思わず息を呑む。
「……四人同時ですか」
隣のリアが短く答えた。
「一対一では、試験にならない」
再び静寂が落ちる。
副団長が剣を抜いた。
「シリウス殿下……いや」
一度言葉を切り、わずかに目を伏せる。
「シリウス殿」
その呼び方に、シリウス殿下は小さく笑った。
「気を遣わなくていい。終わるまでは、好きに呼べ」
副団長の口元にも、笑みが浮かぶ。
「では、失礼いたします」
四人が剣を構えた。
砂を踏む音だけが、闘技場に響く。
裁判長が右手を上げる。
「始め」
その一声とともに、砂が弾ける。
四つの影が一斉に動いた。
傍聴席のあちこちで、息を呑む音が重なった。
シリウス殿下は半歩だけ身を引き、副団長の一撃を紙一重でかわす。
弾かれた剣先が軌道を変え、その隙へ右から迫った剣が重なった。
金属音が高く響く。
シリウス殿下はその勢いを利用するように身体をひねり、返す刃で背後の一人を牽制する。
三本の剣が交差し、火花が散った。
ユリアは高台の石壁へ背を預け、その戦いを見つめていた。
マントの下で握った拳に、わずかに力がこもる。
間を置かず、左の騎士が踏み込む。
シリウス殿下は一歩だけ前へ出て懐へ潜り込み、柄で胸当てを軽く打つ。
騎士の身体がよろめく。
次いで、副団長が正面から打ち込んだ。
重い一撃だった。
シリウス殿下は真正面から受け止める。
鈍い衝突音が響き、砂が舞い上がった。
互いに一歩も引かず、二人の剣がせめぎ合う。
シリウス殿下が腰を落とす。
副団長の重心が前へ流れた。
その刹那、足払い。
副団長の身体が大きく揺らぎ、片膝が砂へつく。
訓練剣の切っ先が、その喉元へ静かに止まった。
残る三人も、剣を止める。
裁判長が口を開く。
「そこまで」
闘技場を満たしていた緊張が、徐々にほどける。
やがて騎士席の一角から、小さな拍手が起こった。
それは一人、また一人と広がり、闘技場を巡っていく。
副団長は立ち上がり、剣を納めた。
そして深く頭を下げる。
「……完敗です」
シリウス殿下も剣を下ろし、一礼を返した。
しかし、その空気を断ち切るように、一人の議員が口を開く。
「異議があります!」
拍手は止み、闘技場は再び静寂に包まれた。
議員席から、一人の貴族が立ち上がった。
「副団長殿らの実力を疑うつもりはありません」
男は闘技場中央へ視線を向ける。
「しかし、旧知の間柄である以上、手心が加えられていないと、誰が断言できましょう」
傍聴席に、小さなざわめきが広がる。
「……確かに」
「否定はできぬな」
副団長が一歩踏み出そうとするが、その肩へ、ローランが手を置いた。
その鎧が冬の日差しを受け、鈍く光を返す。
ローランは裁判長へ視線を向ける。
「王国騎士団長ローラン・ヴァルクール、試験への参加を願います」
裁判長はステラ陛下を見る。
ステラ陛下は頷いた。
「許可します」
ローランはゆっくりと剣を抜く。
その様子に、シリウス殿下は苦笑を浮かべた。
「獄中では、稽古相手もいなかったからな……腕が鈍っていなければいいが」
ローランの口元が、わずかに緩む。
「副団長たちを退けておいて、何を言う 」
二人が構える。
無駄のない、美しい構えだった。
闘技場から物音が消える。
裁判長が右手を上げた。
「始め」
その瞬間、鋭い金属音が響く。
ローランが踏み込み、重い斬撃を与える。
シリウス殿下は一歩も退かず、それを受け止めた。
再び剣がぶつかる。
互いに一歩も譲らない。
乾いた剣戟だけが、薄曇りの冬空へ幾度も響いていく。
その攻防を、高台のステラ陛下は静かに見つめていた。
「……陛下」
ステラ陛下の側から、声を潜めたユリアの声が聞こえた。
彼女は灰色のマントの留め具へ手を掛ける。
「少しだけ……私怨を晴らしてきても、よろしいでしょうか」
その言葉に、リアは息を吐いた。
ステラ陛下の口元へ、小さな笑みが浮かぶ。
「……ほどほどにしてあげてくださいね」
「承知しました」
ユリアは一礼した。
肩に掛けていた鞄を外し、ノアへ差し出す。
「ノアさん、これ、お願いします」
「え……あ、はい」
ノアが状況を呑み込めぬまま鞄を受け取ると、灰色のマントがふわりと翻る。
次の瞬間、高台にその姿はなかった。
灰色の影が、高台から闘技場へ舞い降りた。
着地と同時に砂を蹴る。
ほとんど音もなく、その姿は一直線に闘技場中央へ駆けていた。
観客席のあちこちで息を呑む声が漏れる。
ローランと剣を交えていたシリウス殿下が、その気配に気付き振り返った。
「……おっと」
短剣が一閃する。
身をひねってかわした先へ、もう一本。
灰色のマントの内から放たれた刃が、間を置かず迫る。
シリウス殿下は小さく笑った。
「配達人が、こんなことしていいのか」
「陛下の許可は取りました」
「団長だけじゃなく、お前もステラも……皆、俺に厳しいな」
「当然です。まだ裁判は終わっていませんから」
ユリアはそう言って、低く身を沈める。
そして、ローランの剣に合わせるように側面へ回り込む。
正面から圧力を掛けるローラン。
死角を狙うユリア。
二人の動きには、一切の無駄がなかった。
シリウス殿下は砂を踏み替えながら、その間を縫うように動く。
剣を受け、短剣をかわす。
わずかな間合いだけを頼りに、二人の攻撃をいなし続ける。
ユリアの表情に、いつもの穏やかな笑みはない。
ただ真っ直ぐに、シリウス殿下だけを見据えている。
シリウス殿下は一度距離を取る。
「……怒っているのか」
ユリアは短剣を構え直す。
「……怒っています」
短い返答にシリウス殿下は苦笑し、剣を握り直した。
「そうか。なら、この試験が終わったら謝ろう」
言葉が終わるより早く。
灰色の風が、再び砂上を駆けた。
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