第三十一話 遠き日の剣
夏風の向こう、もう一人の兄は笑う―――
夏の日差しが、王宮の一室へ柔らかく差し込んでいた。
開け放たれた窓から吹き込む風が白い帳を揺らし、庭では青々と葉を茂らせた木々が、眩しい陽光を受けてさやさやと枝を鳴らしている。
どこからか、小鳥のさえずりが聞こえた。
遠くでは、訓練場で木剣を打ち合う乾いた音が風に乗って届いてくる。
部屋の中央では、幼いステラが小さな机へ向かい、真剣な表情で羽根ペンを動かしていた。
その様子を見守っていた家庭教師が、小さく頷く。
「よくできました、殿下」
その言葉に、ステラはほっとしたように息をつき、書き終えた紙へ視線を落とした。
その時、廊下の向こうから、賑やかな笑い声が近づいてくる。
「ステラー!」
勢いよく扉が開き、大きな木箱を抱えた男が入ってくる。
短く切り揃えられた銀髪が、窓から差し込む陽光を受けて白銀のように輝く。
晴れた空を思わせる青い瞳は快活に笑い、日に焼けた肌には旅の名残が刻まれていた。
肩へ無造作に掛けた外套も、紺色の騎士服も砂埃をまとっている。
腰には、鍔や鞘に幾つもの傷を残した実戦用の長剣が揺れていた。
男は砂埃をまとった長靴のまま、大股でステラへ歩み寄る。
その姿を見て、家庭教師は静かに一歩下がった。
「おかえりなさい、シリウス兄様」
名を呼ばれたシリウスは、眩しいほどの笑顔を浮かべる。
「ただいま帰った!」
シリウスは抱えていた木箱を机の上へどんと置いた。
蓋を開けると、中には色とりどりの土産物がぎっしりと詰まっている。
「ほら、これは北の村の焼き菓子」
包みを一つ取り出し、机へ置く。
「こっちは西港の硝子細工」
陽の光を受け、小さな硝子細工がきらりと輝いた。
「南で買った干し果物もあるぞ」
机の上へ次々と並べられていく品に、家庭教師は思わず苦笑した。
「また随分と買い込まれましたね」
「見つけると、ついな」
シリウスは豪快に笑い、木箱の奥から木彫りの小鳥を取り出した。
「これはステラに」
手のひらほどの小さな鳥だった。
翼には細かな彫刻が施され、尾には青い石が埋め込まれている。
ステラはそれを両手で受け取る。
「ありがとうございます」
小鳥をそっと持ち上げると、窓から吹き込む風を受けて青い石が淡く光った。
「鳴かないけどな」
シリウスが笑うと、家庭教師も口元を緩めた。
やがて机いっぱいに土産物が並び、木箱の中は空になる。
シリウスは椅子を引き寄せ、どかりと腰を下ろした。
「そうそう」
焼き菓子を一つ摘まみながら、シリウスは思い出したように口を開く。
「帰り道で、面白い奴を捕まえた」
ステラが首を傾げる。
「面白い……?」
「ああ。騎士団の食糧庫へ忍び込んだ盗人だ」
ステラは目を丸くした。
シリウスは焼き菓子を口へ放り込んで、続ける。
「痩せっぽちのガキでな、食い物を抱えて逃げようとしていた」
窓の外で、風に揺れた枝から一羽の小鳥が飛び立つ。
「騎士どもは牢へ放り込む気だったが、それじゃ面白くないからな」
シリウスは笑い、椅子へ深くもたれた。
「俺が、武器庫の掃除と剣の手入れ、それから馬の世話を命じた。全部終わるまで騎士団で働け、ってな」
家庭教師は苦笑する。
「それは罰になっているのでしょうか」
「なってるさ。朝から晩まで、こき使われるんだからな」
シリウスは肩を揺らして笑った。
「その代わり、飯だけは腹いっぱい食わせた」
そう言ってシリウスは笑みを少しだけ和らげ、窓の外へ目を向ける。
夏風に木々の葉が揺れ、木陰では鳥たちがさえずっている。
「知っているか、ステラ……人は、腹が減ると怒るんだ」
ステラは木彫りの小鳥を見つめたまま、小さく首を振る。
「知りませんでした」
「まぁ、お前には縁のない話かもしれんな」
シリウスは声を上げて笑った。
窓から吹いた風が、白い帳をふわりと膨らませる。
「まずは、食わせる。それから話をすればいい」
シリウスは焼き菓子を一つ口へ放り込み、窓の外へ目を向けた。
庭では夏の日差しを受けた木々が青々と葉を茂らせ、吹き抜ける風が枝を揺らしている。
遠くからは、訓練場で木剣を打ち合う乾いた音が聞こえてきた。
「そういえば、南方へも寄ってきたぞ」
ステラが顔を上げる。
「南方ですか」
「ああ。グランセルだ」
グランセルは王国南端に築かれた城塞都市で、隣国との国境を守る最前線だった。
王国でも屈指の精鋭騎士たちが駐屯する、防衛の要である。
シリウスは椅子の背にもたれ、腕を組んだ。
「将軍領主のエヴァルト侯に稽古をつけてもらった」
シリウスは懐かしむように笑う。
「相変わらず強い人だったな。三本やって、一つも勝てなかった」
エヴァルト侯爵は、騎士団でも一、二を争う剣の名手として知られていた。
さらに軍を率いる知略と、兵や領民からの厚い信頼を買われ、防衛都市グランセルの将軍領主も任されている人物だった。
ステラが少し驚いたように目を見開く。
「兄様でも、勝てないのですか」
「だから面白いんだ」
シリウスは快活に笑った。
「強い相手がいるから、剣は磨ける」
そう言って、シリウスは腰の剣の柄を軽く叩く。
その音に、ステラの視線も自然と剣へ向いた。
「兄様は、どうしてそんなに剣のお稽古をなさるのですか」
シリウスは少しだけ笑みを和らげ、照れくさそうに頭を掻く。
窓から吹き込む風が前髪を揺らした。
「俺は勉強も、細かい作法も苦手だ……姉様や兄様みたいにはなれん」
そう言って笑うが、彼の声に卑屈さはなかった。
「いずれ、姉様か兄様が王位を継ぐ」
窓の外から、木剣を打ち合う音がもう一度響く。
シリウスはその音へ耳を傾けながら続けた。
「俺は王になるつもりはない……だが、王族であることは変わらない。王族の役目は、民を導く王を支えることだ」
シリウスの声は穏やかだった。
「姉様にも兄様にも、できないことはある――なら、それを俺がやればいい」
彼はそっと剣の柄へ手を添え、静かに笑う。
「二人とも、あまり剣は得意じゃないからな」
ステラは静かに頷いた。
窓から吹き込んだ風が、机の上の紙をそっと揺らす。
シリウスはステラを真っ直ぐ見て、問いかけた。
「……ステラ、姉様と兄様は好きか」
「はい」
迷いのない返答に、シリウスは満足そうに頷く。
「なら、あまり騎士の反感を買うことはするなよ」
その笑顔は変わらない。
けれど声だけが、少し低くなる。
「騎士たちをまとめられる人間は、必ず国に必要だ。力を持つ者たちがまとまりを失えば――」
風が白い帳を大きく揺らした。
「どれだけ姉様や兄様が優秀でも、ひとたまりもない」
庭を渡る風に混じって、遠くの訓練場から木剣の音が響く。
ステラは木彫りの小鳥を見つめ、小さく口を開いた。
「……でしたら、私は商いをします」
シリウスが目を瞬かせる。
「商い?」
「はい」
ステラはゆっくりと両手で小鳥を包み込む。
「お金があれば、お腹を空かせて怒る方もいなくなるでしょう?」
一瞬だけ、部屋が静まり返った。
やがてシリウスは堪えきれなくなったように声を上げる。
「はははっ!」
豪快な笑い声が部屋いっぱいに響いた。
「その通りだ!」
勢いよく立ち上がると、大きな手でステラの頭をぽんぽんと撫でる。
家庭教師も思わず口元を緩めた。
「ステラは姉様や兄様に似て賢い!きっと良い商人になるぞ!」
シリウスはそう言って、もう一度笑う。
「この国の未来は安泰だな!」
笑い声につられるように、ステラも小さく笑みを浮かべた。
窓から夏風が吹き込み、白い帳がふわりと大きく膨らむ。
木彫りの小鳥の青い石が陽の光を受けて輝いた。
その時、一羽の鳥が庭の木立から青空へ飛び立つ。
シリウスはその姿を目で追い、満足そうに笑った。
夏の風は、どこまでも青い空へ吹き抜けていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
この話を少しでも気に入っていただけたら、
感想やレビュー、リアクションなどをぜひお願いします!
次回もお楽しみに!!




