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星風の国物語 〜少女王と見習い書記官の政務録〜  作者: 月森みのり
第六章 大星の誓い

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第三十話 風が運ぶもの

風は巡り、便りを運ぶ――



【風は、国の隅々まで巡る。

 人の想いを乗せた便りもまた、その風とともに巡っていく。


 その流れが絶えぬ限り、国は生き続ける。


 ―――星冠記録官ノア・フェルディン著『星風の国物語』より】



 昼下がりの王宮。

 高窓から差し込む冬の日差しが、長い回廊へ淡く伸びている。

 窓硝子の向こうでは、細かな雪が中庭を白く染め、裸枝を渡る風が時折雪煙を舞い上げていた。


 廊下では文官や侍従たちが忙しなく行き交う。

 抱えた書類を落とさぬよう足早に歩く者、決裁を待つ書簡を胸に抱えて小走りになる者、すれ違いざまに小さく一礼を交わす者。

 革靴が石床を打つ音と、紙の擦れる乾いた音だけが、静かな回廊に響く。


 ノアもまた、書類を胸に抱え、ステラ陛下の執務室へ向かって歩いていた。

 回廊の向こうに見知った顔が見え、ノアは歩みを少し早める。


 黒い監察局の制服に、鋭い目つき――エドガー・クローウェルだった。

 左腕には分厚い書類束を持っている。

 

「エドガーさん」


 呼びかけると、エドガーも顔を上げ、小さく会釈した。


「ノアさん。お疲れ様です」


「お疲れ様です」


 ちょうど文官が数人、二人の横を足早に過ぎていった。

 その様子を見送りながら、ノアは声を少し落とした。


「……ガルディア卿の件は、その後いかがですか」


 エドガーは抱えていた書類へ目を落とし、一枚だけはみ出していた紙を揃えながら答えた。


「進展はありません」


 相変わらず淡々とした声だった。


「彼に命令した人物についても、決定打になるものは、まだ見つかっていません」


 窓の外で風が吹き、雪が硝子をさらさらと流れていく。

 ノアは腕の中の書類を抱え直した。


「……そうですか」


「焦る必要はありません」


 エドガーは手帳を閉じる。


「いずれ綻びは見つかります」


 短く頷き合う。

 そのまま歩き出しかけたエドガーが、ふと足を止めた。


「そういえば」


 ノアも立ち止まり、顔を向ける。

 回廊の向こうを、侍従が銀盆を抱えて足早に通り過ぎた。


「国王専属書記官への昇進、おめでとうございます」


「……ありがとうございます」


 小さく頭を下げるノアを、エドガーは灰色の瞳で静かに見つめた。


「嬉しくありませんか」


「いえ、嬉しいことは嬉しいんです……ただ、」

 

 ノアは困ったように笑い、頬を指先で掻く。


「見習い書記官から、いきなり国王専属書記官ですから。貴族や文官の皆さんに、何か言われるだろうと覚悟していたんですが……」


 その言葉に、エドガーは廊下を行き交う文官たちへ視線を向けた。


「それは、君が記録局の人間だからでしょう」


「記録局……ですか」


 ちょうど一人の文官が書類を抱えたまま角を曲がり、別の侍従と危うくぶつかりかける。

 二人は慣れた様子で身体をかわし、それぞれの仕事へ戻っていった。

 その様子を眺めながら、エドガーが口を開く。


「ノアさん。文官として、君が一番困ることは何ですか」


「……仕事が滞ること、でしょうか」


 エドガーは、ノアの抱える紙束へ視線を落とした。


「その書類も、まず記録局を通ったものでしょう。王宮の書類は、一度ほとんどが記録局へ集まります。整理され、各局へ送られ、決裁を受け、また戻ってくる」


 彼の言葉に、ノアは頷く。


「もし記録局の反感を買い、書類が止まれば」


「……仕事が止まりますね」


「その通りです」


 エドガーがわずかに口元を緩める。


「だから文官は反発しません。むしろ歓迎している者も多い。君が陛下のお側についてから、決裁の速度は目に見えて上がりましたから」


 廊下の向こうで人が行き交う足音が聞こえる。


「実務を担う者ほど、その恩恵を受けています」


 エドガーの言葉に、ノアは腕の中の紙束へ視線を落とした。

 確かにその紙束は、王宮のあちこちを巡りながら、国の仕事を動かしていく。

 

 侍従が銀盆を抱えて通り過ぎ、その後を追うように文官が書類を抱えて小走りに駆けていく。

 廊下には相変わらず、革靴の音と紙の擦れる音が絶えない。


「もう一つ、理由があります」


 ノアは顔を上げた。


「ユリアさんです」


「ユリアさん?」


 目を瞬かせるノアに、エドガーは静かに頷いた。


「彼女は王宮中を歩き回っています。必要とあれば、監察局や牢獄まで」


 淡々とした声に、ノアは苦笑した。


「配達人ですからね」


「しかも恐ろしいほどに、足が速い」


「ええ」


 ノアは思わず頷いた。

 灰色マントを靡かせて駆けるユリアの姿が、脳裏に浮かぶ。

 書類を届け終えたと思えば、もう別の廊下を走っている姿を何度も見てきた。


「そして気配が薄く、どこで何を聞いているか分からない」


 エドガーは目を伏せた。


「不用意な噂話は、すぐ彼女の耳に届くでしょう」


 ノアは肩を落として笑う。


「たしかに、それじゃあ、誰も迂闊なことは言えませんね」


「ええ。余計なことは口にしない、それが王宮では一番安全です」


 鐘楼から澄んだ鐘の音が一つ響いた。

 廊下を歩いていた文官たちは足を速め、それぞれの部署へ散っていく。


 エドガーは抱えていた書類を持ち直した。


「そろそろ戻ります。また何か分かれば、ご報告します」


「よろしくお願いします」


 二人は軽く一礼を交わし、それぞれ別の回廊へ歩き出した。




 執務室へ戻ると、窓から射し込む冬の日差しが机の上を淡く照らしていた。

 窓硝子の向こうでは、細かな雪が風に流され、中庭の木々は白く縁取られている。

 部屋には羽根ペンが紙を滑る音だけが静かに響いていた。


 ステラ陛下は決裁済みの書類へ一枚ずつ署名を入れ、脇へ整えていく。

 窓際ではリアが腕を後ろに組み、ときおり庭と廊下へ視線を巡らせていた。


 ノアは抱えていた書類を机へ並べる。


「次は、北部街道の補修計画です」


「ありがとうございます」


 ステラ陛下は頷き、次の書類へ目を落とした。

 羽根ペンの先が紙を滑り、静かな音を立てる。

 その音が途切れた頃、ノックが扉を叩いた。


「失礼しまーす」


 扉が開き、冷たい外気がわずかに流れ込む。

 灰色マントへ雪を残したユリアが、大きな書類鞄を肩から下ろした。


「こちら、議会からです」


 鞄から取り出された紙束が、重たい音を立てて机へ置かれた。

 書類の束は、先ほどまでの倍ほどもあった。


 ノアは一番上の紙を手に取る。


「……シリウス殿下に関する陳情書」


 その下には、釈放を求める嘆願書や騎士団からの意見書が並んでいた。

 ユリアは慣れた手つきで封筒を開き、送り先ごとに迷いなく仕分けていく。


「こちらが議会提出分……こちらは教会で……あと、監察局の調査報告書も」


 紙が机を滑る音が続いた。

 ノアは手際の良いユリアの手元を見つめ、ふと違和感を感じた。


 紙を揃えるたび、その指先だけが僅かに力んでいるように見えた。

 窓際に立つリアも、何も言わずその様子を見ていた。


 ノアはそっとリアへ歩み寄り、声を潜める。


「……シリウス殿下の話になると、ユリアさん、少し変になる気がするんですが……」


 リアはしばらく黙っていたが、小さく口を開いた。


「私も詳しくは知らないが……あいつを今の仕事に取り立てたのは、シリウス殿下だと聞いている」


 ノアは思わず目を瞬かせた。


「そうだったんですか」


「投獄される前は、よく懐いていたらしい」


 リアの視線は、黙々と書類を揃えるユリアへ向けられる。


「あいつなりに、思うところがあるんだろう」


 最後の書類を揃え終えたユリアが、ふと顔を上げた。


「ノアさん」


「はい?」


「その書類、上下が逆です」


「あっ」


 慌てて持ち替えるノアを見て、ユリアは淡々と言う。


「重要書類です。落とさないでくださいね」


「す、すみません」


 ユリアは小さく頷き、空になった鞄を肩へ掛けた。


「では、失礼します」


 にこりと笑って、灰色のマントがふわりと揺れる。

 ユリアは次の便りを運ぶため、静かな回廊へ消えていった。




 扉が閉まると、部屋は再び静けさを取り戻した。

 窓の外では、風が中庭の雪をさらい、硝子越しに白い雪片が舞っている。


 机の上には、仕分けられた書類の束が幾重にも積まれていた。

 その多くに、同じ名前が記されている。


「……こんなに、たくさん」


 ステラ陛下の短い声が、静かな執務室に落ちる。

 リアは窓辺に立ったまま答えた。


「投獄から一年以上経った今も、この数です」


 ステラ陛下は小さく眉を寄せ、書類に手を伸ばす。


「この件も、あまり長くは放っておけませんね」

 

 ノアも書類を数枚手に取り、順に目を通していく。

 釈放を求める意見があれば、厳罰を求める意見もある。


 ステラ陛下の青灰色の瞳が書類に向き、わずかに影が落ちていた。


「……陛下は、どう思われているのですか」


 ノアの問いに、ステラ陛下はゆっくりと顔を上げる。


「考えていることは、あります」


 迷いのない静かな声だった。


 ステラ陛下は窓の外へ目を向ける。

 庭の木の枝に、数羽の小鳥が止まっていた。


「ただ、条件が揃わないと使えません。それに……その条件も、あまり良い話ではありません」


 ステラ陛下は再び手元の書類に視線を落とす。


「……だから、この中にもっと良い案があるといいのですけど」


 書類の山の中で、ステラ陛下は小さく息を吐く。

 窓の外では、一羽の鳥が薄曇りの空を横切り、南の空へ飛び去っていった。



お読みいただき、ありがとうございます。

この話を少しでも気に入っていただけたら、

感想やレビュー、リアクションなどをぜひお願いします!


次回もお楽しみに!!


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