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星風の国物語 〜少女王と見習い書記官の政務録〜  作者: 月森みのり
第五章 春花の行方

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第二十七話 海風の修道院

北方の問題は、やがて西へ。

祈りの鐘が響く海辺の修道院で、それぞれの歩んだ道が静かに交わるーーー


【議場に並ぶ数字は、国の姿を映す。

 だが、その数字の向こうには、必ず人がいる。


 王は、その両方を見失ってはならない。


 ―――星冠記録官ノア・フェルディン著『星風の国物語』より】


 


 王家備蓄の放出。

 高位貴族への臨時負担。

 そして、星祈教による炊き出しと救護活動。


 冬税についての施策が決まった議会から、二週間後。


 教会側から正式な受諾の返書が届いた。

 そして瞬く間に、北部支援の経過確認を目的とした聖都への訪問が決まった。




 街道は西へ向かうにつれ、雪の色を少しずつ薄くしていた。

 馬車の車輪が石畳を規則正しく鳴らす。

 街道の先頭では、黒銀の礼装鎧を纏ったリアが馬を進めていた。

 その後ろを近衛騎士たちが隊列を組み、王家の紋章を掲げた馬車を囲むように護衛している。


 馬車の中で、ノアは大きく伸びをした。


「……あとどれくらいですか?」


 向かいでは、ステラ陛下が膝の上の資料から目を離さない。

 窓から差し込む光が、彼女の白銀の髪を淡く照らす。

 その隣には革鞄を抱えたユリアが座っている。


「三度目です」


「え?」


「今朝になってから三度、同じ質問をしています」


 ステラ陛下の返答に、ノアは口を閉じた。

 その様子にユリアがくすりと笑う。


「あと半日ほどですよ、ノアさん」


「まだ半日ですか……」


「国王専属書記官として、その集中力は少し心配ですね」


「いや、資料なら読めますよ?ただ景色が全部……海じゃないですか」


 ノアが窓を指さす。

 その向こうでは、白く波立つ海が冬の陽光を受けて鈍く光っていた。

 潮風に乗って、どこか遠くで鳴く海鳥の声が聞こえる。


「右を見ても海。左を見ても海」


「左は崖です」


「……崖と海です」


 ユリアが肩を震わせる。

 ステラ陛下だけは淡々とページをめくっている。


「景色を楽しめる余裕があるのは、良いことです」


「褒められてる気がしません……」


 ステラ陛下は資料から目を離さず、小さく口を開く。


「現在、北部への支援は予定どおり進んでいるそうです」


 ノアは頷いた。


「はい。各修道院への食料搬入も始まっています」


 ユリアも鞄から別の書簡を取り出す。


「こちらが今朝届いた報告です。西方教区から北部へ向かう支援隊は、明日には国境を越える予定とのことでした」


 ステラ陛下は一度だけ目を通し、小さく頷いた。


「ありがとうございます」


 そのまま、窓の外へ視線を向ける。

 白い波が岩へ砕け、細かな飛沫となって舞い上がる。

 しばらく潮騒だけが馬車へ届いた。


 やがてノアは資料をめくりながら尋ねる。


「今回の視察では、施療院もご覧になる予定でしたね」


「はい」


 ステラ陛下は短く答えた。


「炊き出しだけではありません」


 資料の一枚に指先を添える。


「星喰い病の患者への支援も、確認したいと思っています」


 星喰い病。

 それは、先王の即位以前から各地で見られるようになった流行病だった。

 すぐに命を奪う病ではないが、人から働く力を奪う。

 今年の冬税問題でも、北部の労働力不足を深刻化させた要因の一つだった。


「施療院では、その患者も受け入れているそうですね」


 ノアが言うと、ステラ陛下は静かに頷いた。


「治療法はまだ確立されていません。だからこそ、今できる支援を知りたいのです」


 馬車はゆるやかな坂を下る。

 窓の向こうに、白い城壁が見え始めた。

 その向こうには、幾本もの尖塔や陽光を受けて輝く鐘楼が建つ。

 海を背に築かれた星祈教の聖都が、静かにその姿を現し始めていた。




 やがて石造りの門の前で速度を落とした。

 白い壁に囲まれた修道院は、海へ向かって緩やかに広がる丘の上に建っている。

 鐘楼の鐘が、一つ、静かに鳴った。

 澄んだ音が冬の空へ吸い込まれ、潮風がリアの黒い外套の裾を揺らす。


「到着いたしました」


 御者の声を受け、リアが先に馬を降りる。

 周囲を見渡し、護衛騎士たちへ短く指示を飛ばした。


 安全が確認されると、馬車の扉が開く。

 ステラ陛下がゆっくりと地面へ降り立つ。

 続いてノアも荷物を抱えて降車した。


 吐く息は白く、潮の匂いが鼻をくすぐる。

 王都より幾分暖かいとはいえ、冬の海風は頬へ冷たかった。

 正面では、数名の修道女たちが深く一礼していた。


「ようこそお越しくださいました、陛下」


 先頭に立つ年配の修道女が穏やかな声で迎える。

 灰白色の修道服は何度も繕われた跡があり、袖口には土が薄く付いていた。

 その後ろでは、若い修道女たちが炊き出し用の大鍋を運び、別の者は薪を抱えて足早に行き交っている。

 祈りの場であると同時に、人々の暮らしを支える場所でもあることが、一目で分かった。


「案内をお願いします」


 ステラ陛下が静かに言う。


「かしこまりました」


 一行は中庭へ足を進めた。


 石畳の脇には、小さな畑が整然と並ぶ。

 冬野菜が風に揺れ、その向こうでは修道女たちが鍬を振るっていた。

 井戸では子どもたちが水を汲み、洗濯物が潮風にはためいている。

 診療棟らしき建物からは、薬草を煎じる香りが漂ってきた。


「こちらでは星喰い病の患者も受け入れております」


 案内役の修道女が歩きながら説明する。


「発熱のある方は施療院へ。回復された方には、体力が戻るまで仕事を分け合っていただいております」


 不意に、中庭の向こうから、小さな笑い声が聞こえた。

 数人の子どもたちが、一本の樫の木の周りを駆け回っている。


「待ちなさい。転びますよ」


 穏やかな女の声がして、ノアはそちらへ目を向ける。


 一人の女性が、子どもの外套についた雪を払っていた。

 飾り気のない灰色の修道服。

 袖をまくった手は薄っすら日に焼け、指先には土が入り込んでいる。

 腰には薬草を入れた小袋が下がり、肩先へ流れる髪は簡素に束ねられていた。

 子どもを抱き上げる仕草は、ごく自然だった。


 その横顔を見て、ノアは思わず足を止めた。


 白銀の髪。

 菫色の瞳。

 その女性は王宮の肖像画から、そのまま歩み出てきたようだった。


 隣で、そっと息を呑む音がした。


「……姉様」


 小さな声が届いたのか、女性はゆっくりと振り返る。


 菫色の瞳が、まっすぐステラ陛下を見つめた。

 一瞬だけ時間が止まったように、冬の中庭が静まり返った。




 翌朝、朝の光が白い壁を照らし、開け放たれた窓からは潮風が流れ込んでいた。

 修道院の鐘が静かに鳴り響く頃、一行は院内の視察を始めていた。

 案内役の修道女を先頭に、ノアたちは石畳の回廊を歩く。

 リアだけは周囲へ視線を巡らせ、一定の距離を保ってステラ陛下の後ろを歩いていた。

 


「こちらでは毎日、炊き出しを行っております」


 修道女が木造の炊事場へ案内する。

 大鍋から立ち上る湯気の向こうで、修道女たちが忙しく動いていた。


 野菜を刻む者。

 パンを並べる者。

 出来上がったスープを木椀へよそう者。


 その中心で、灰色の修道服姿の女性が子どもへ椀を手渡していた。


「熱いから、気を付けてね」


「ありがとう、セレナ先生!」


 子どもは嬉しそうに駆けていく。

 次の子がすぐ前へ出る。


 セレナ様は一人ひとりへ目を合わせ、穏やかに声を掛けながら食事を配っていた。

 袖をまくった腕には小麦粉が付き、指先には土が入り込んでいる。

 それでも姿勢は美しく、どこか気品を感じさせる。

 ステラ陛下は何も言わず、その様子を見つめていた。




 午後になると、一行は施療院へ向かう。

 棚には薬草が整然と並び、乾燥した葉の香りが室内に漂っていた。


「現在は、星喰い病の患者が二十三名おります」


 修道女が帳面を開く。


「重症者は五名。回復期の患者が十一名です」


 ステラ陛下は静かに頷き、帳面へ視線を落とした。


「薬の備蓄は足りていますか」


「十分とは言えません。ですが、各地から支援をいただいております」


 その横で、セレナ様は棚から薬瓶を取り出し、一つひとつ量を確かめていた。

 足りない薬を帳面へ書き込み、修道女へ短く指示を送る。

 迷いのない手際だった。


 さらに奥の部屋では、老人たちが寝台で休んでいた。

 セレナ様が毛布を掛け直し、水差しを替え、薬を配る。


「今日は眠れましたか」


「ええ、おかげさまで」


 老人は穏やかに笑う。

 そのやり取りをステラ陛下は静かに見つめていた。

 ノアは王宮にいた頃のセレナ様のことを知らないが、この場にいる彼女はすっかり修道女の顔をしているように思えた。


 その時、中庭から元気な声が響く。


「配達のお姉ちゃん!」


 振り返ると、ユリアの周りへ子どもたちが駆け寄っていた。

 

「また来てくれた!」


「今度も手紙ある?」


「ちゃんと返事を書けばね」


 ユリアさんが笑うと、子どもたちも一斉に笑い出す。

 その様子にノアは目を瞬かせた。


「知り合いなんですか?」


「何度か荷物を届けてるだけですよ」


 肩掛け鞄を軽く叩きながら、ユリアさんは笑う。


「でも、この子たち、配達人の私にまでお返事をちゃんと書いてくれるんです」


 その言葉に、子どもたちは少し照れくさそうに顔を見合わせた。

 その様子を見ていたセレナ様も、小さく微笑んでいた。




 施療院の奥は、外の賑わいとは別世界のように静かだった。

 窓は半分ほど開けられ、潮風が白いカーテンをゆっくりと揺らしている。

 寝台が等間隔に並び、その上では患者たちが静かに横になっていた。

 高熱にうなされる者はいない。

 だが、誰もが痩せ細り、力なく天井を見つめている。


 案内役の修道女が足を止めた。


「こちらが、星喰い病の患者の病室です」


 ステラ陛下はゆっくりと寝台の間を歩く。

 ノアも静かに後に続いた。


 患者の多くは若かった。


 働き盛りの男。

 幼い子を抱える母親。

 十代ほどの少年。


 誰も命の危険にあるようには見えない。

 それでも、起き上がることさえ難しそうだった。


「高熱は数日で落ち着きます。」


 修道女が静かに説明する。


「ですが、その後も強い倦怠感が続きます。数か月で回復する方もいれば、一年以上働けない方もおります」


 ステラ陛下は一人の老人の寝台の前で立ち止まった。

 老人は浅く一礼しようとしたが、腕が途中で止まる。


「そのままで結構です」


 ステラ陛下は老人へ穏やかに尋ねた。


「苦しいですか」


「……身体が、動きません。熱は下がったんですがな」


 老人は苦笑した。

 ステラ陛下は静かに頷く。

 隣の寝台では、セレナ様が少年の額へ濡れ布を当てていた。


「今日は少し食べられましたね」


 少年は小さく頷く。


「昨日より、お腹が空いた」


「それなら大丈夫」


 セレナ様は薬椀を手渡し、ゆっくり飲ませる。

 その様子を見ていたユリアさんが、小さく笑った。


「この子、前より顔色よくなったね」


「ええ」


 セレナ様も微笑む。


「星泉のおかげではないけれど」


 その言葉に、ステラ陛下が顔を上げた。


「星泉は……届いていないのですか」


 修道女が首を横へ振る。


「研究段階の薬ですので、こちらへ届くことはほとんどありません」


「では、今は……」


「安静と栄養、それから対症療法だけです」


 部屋に静けさが落ちる。

 薬草を煎じる香りだけが漂っていた。

 セレナ様は少年へ毛布を掛け直す。


「焦らなくていいの」


「うん」


「春になれば、また走れるようになりますよ」


 少年は小さく笑った。

 その笑顔を見届けると、セレナ様は立ち上がる。

 袖口には薬草の香りが移り、細い指先には包帯を巻き直した跡が残っていた。

 ステラ陛下はその手を一瞬だけ見つめる。


 案内役の修道女が静かに口を開く。


「皆、熱は下がっております。ですが、自力で立ち上がれる方はほとんどいません」


 議会で交わされた数字が、ノアの脳裏をよぎる。


 減収。

 労働力不足。

 備蓄不足。


 議場に並べられた数字が、今は寝台の上で静かに息をする人々の姿になっていた。


 ステラ陛下は一歩前へ進み、静かに施療室を見渡した。

 そして、小さく口を開く。


「……現場を見に来て、良かったです。」


 誰に向けた言葉でもなかった。

 けれど、その声は冬の静かな施療院に、確かに響いていた。


セレナとの再会。

しかし、二人はいまだ会話をせず。


絶妙な距離感の中、ステラは何を思うのか……。

次回もお楽しみに!

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― 新着の感想 ―
Xから来ました。 つい先が気になって一気に最新話まで読ませていただきました。 とても読みやすくて、内容も面白かったです。  評価も入れさせてもらいますね。
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