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星風の国物語 〜少女王と見習い書記官の政務録〜  作者: 月森みのり
第四章 金糸の夜会

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第二十三話 雪灯の演舞

王の忠臣となった騎士と、王女の忠臣になれなかった青年――


【歴史を動かすのは、いつも大きな戦いではない。


 一人が踏み出した、 たった一歩が、

 やがて多くの人の歩みとなる。


―――星冠記録官ノア・フェルディン著『星風の国物語』より】



 弦楽がゆるやかな旋律を奏でる。

 ヴァイオリンが軽やかに歌い、その下でチェロが柔らかく響きを重ねる。  

 あちこちで笑い声が上がり、グラスの触れ合う澄んだ音が重なる。


「……私は、好かれる方を選んだだけです」


 誰もが新年の夜会を楽しむ中、ルシアンは呟くように言った。

 そして彼は小さく息を吐き、ゆっくりとステラ陛下へ一礼する。


「本日は、お話しできて光栄でした」


 ステラ陛下も丁寧に頭を下げた。


「こちらこそ、ありがとうございました」


 ルシアンは穏やかな笑みを浮かべると、人々の輪へ戻っていく。

 貴族たちへ微笑み、一人、また一人と言葉を交わす。

 誰の目にも、非の打ちどころのない振る舞いだった。


 その背中を見送りながら、ロザリンが静かに言った。


「では、私もそろそろ失礼いたします。長居してしまって申し訳ありません」


「いえ、そんな……あの、ロザリン卿」


 ステラ陛下は迷いをみせながら、小さく口を開いた。


「……私とお姉様は、似ていますか」


 ロザリンは目を細めた。

 すぐには答えず、ステラ陛下の表情を静かに見つめる。

 そして言葉を選ぶように、小さく微笑む。


「似ておられますよ……優しく、思慮深いところが」


 その言葉に、ステラ陛下は照れたように視線を落とした。

 ロザリンはステラ陛下とヴィオラに一度ずつ目を向け、続ける。


「ですが、同じお方ではございません」


「……はい」


「陛下は、冬の朝の空気によく似ておられます」


 ステラ陛下は首を傾げた。


「寒そうでしょうか」


 思いがけない返答に、ロザリンはくすりと笑う。

 そして優しく首を横へ振った。


「澄んでいて、真っ直ぐで、少し厳しい。でも、その空気があるからこそ、春はより暖かく感じられるのです」


 ステラ陛下はしばらく考え込んでいたが、やがて小さく息を吐いた。


「難しいですね」


「人は皆、それぞれ違う季節を歩みますから」


 ロザリンは通りかかった侍従にグラスを預ける。

 楽団の演奏が、緩やかに流れていく。


「あと、もう一つ……ルシアン伯爵を崩すのがお上手なところも、よく似ておられます」


 ステラ陛下はきょとんと目を瞬かせた。


「崩す?」


「ええ」


 ロザリンは楽しそうに微笑む。


「あの方が言葉を失うところなど、そうそう見られるものではありません」


「何か変なことを言ってしまったでしょうか」


 ステラ陛下の問いにロザリンは答えず、小さく笑みを深めるだけだった。

 そして彼女は優雅に一礼すると、人々の輪の中へ静かに姿を消していった。


 その背中を見送りながら、ステラ陛下は小さく首を傾げる。


「……私、失礼なことを言ってしまったでしょうか」


 ステラ陛下は困ったように視線を落とす。

 隣に立つヴィオラは、すぐには答えなかった。


 少し離れた場所では、ルシアンが別の貴族と穏やかに言葉を交わしている。

 その横顔には、先ほどと変わらぬ柔らかな笑みが浮かんでいた。


 ヴィオラはその様子を確かめるように見つめてから、小さく首を横へ振る。


「お二人とも、嫌なお顔はされておりませんでした」


 その言葉に、ステラ陛下はほっと肩の力を抜いた。


「ですが……笑顔と受け流し方だけは、覚えてください」


「……難しそうです」


 ステラ陛下は眉根を寄せて呟く。

 その様子に、ヴィオラは小さく笑った。




 それから一刻後、夜会のプログラムはクライマックスを迎える。

 楽団が新たな曲を奏で始め、広間の中央へ貴族たちが歩み出た。

 ダンスが始まるのだ。


 ステラ陛下も静かに前へ進み、一人、広間の中央で立ち止まった。

 ヴィオラは後ろへ下がる。

 ここから先は、来賓が国王へ舞踏を申し込むのが慣例だった。


 しかし――。


 ()()()()()()


 談笑していた貴族たちは、静かに互いに顔を見合わせて様子を窺っている。

 楽団は、その沈黙など知らぬかのように演奏を続けていた。

 ワルツは華やかに流れ、人々へ踊りを促している。

 けれど、その輪へ踏み出す者はいない。


 ステラ陛下は何も言わず、その場に立っていた。

 不安そうな様子も、助けを求める様子もない。

 

 ノアは思わず息を呑んだ。

 その時、視界の端で、窓際に控えていたリアが静かに動いた。


「行きましょう、ノアさん」


「ちょ、ユリアさん……!?」


 リアの動きに気づいたユリアが、ノアを引っ張る。

 ノアとユリアはそのまま足早に人垣を縫って、リアと合流する。


 すると、リアは腰に下げた剣へ手を掛け、迷いなく鞘ごと外した。

 金具が小さく音を立てる。


「預かってくれ」


 リアはユリアへ、剣を差し出した。

 ユリアは静かに頷いて、両手で剣を受け取る。


 ノアは思わず目を見開く。

 

「……まさか、陛下のもとへ?」


 リアの視線は、広間の中央で一人立つステラ陛下へ向けられていた。


「陛下を一人にはできない」


「……ダンスの経験は?」


「ない。だが、ずっと見ていた」


「え?」


「陛下の練習を」


 リアは真っ直ぐステラ陛下を見る。


「主の矜持を守るのも、騎士の務めだ」


 そう言ってリアは、迷いのない足取りで中央へ進む。

 その姿に、広間中の視線が静かに集まっていく。


 リアはステラ陛下の前まで歩み寄ると、静かに一礼した。


「陛下」


 女性にしては低く落ち着いた声が、広間へ響く。


「お相手を務める栄誉をいただいても、よろしいですか」


 様子を窺っていた貴族たちが、静まり返る。

 誰もが、その申し出を見つめていた。

 ステラ陛下は驚いたようにリアを見上げる。

 そしてしばらくリアを見つめた後、やがて小さく微笑む。


「……よろしくお願いします」


 リアは静かに右手を差し出す。

 ステラ陛下もその手を取った。


 ワルツは一定の拍を刻み続ける。

 リアの足取りは、決して上手ではなかった。

 時に拍を追い越し、時に半拍遅れる。

 それでも楽団は二人を急かすことなく、穏やかな旋律を重ねていった。



「右です」


「はい」


「少しだけ歩幅を」


「はい」


 どこか訓練のようなやり取りに、楽団の奏でる優雅な旋律が重なる。

 ノアは思わず口元を緩めた。

 隣ではユリアが肩を震わせている。


 広間中が、二人の舞踏へ視線を向ける。


 ぎこちなさは隠せない。

 それでもリアは一度もステラ陛下の足を踏まず、ステラ陛下が転ぶこともない。

 そして、ステラ陛下は照れたように笑っていた。


 その笑顔を見て、広間の空気が徐々に和らいでいく。




 チェロが深く響き、ヴァイオリンがその上を滑るように歌う。

 柔らかな旋律に包まれながら、不格好な舞踏だけが広間の中央で続いていた。


 ルシアンは人々の輪の中から、その様子を静かに見つめていた。

 グラスを口元へ運びながら、思わず笑みが零れる。


「ふっ……」


 隣に立つロザリンが、ルシアンを横目で見る。


「珍しいですね」


「何がですか」


「伯爵が、そのように自然に笑われるのは」


 ルシアンは肩をすくめた。


「失礼でしょうか」


「いいえ」


 ロザリンは静かに首を横へ振る。


「ただ、少し安心いたしました」

 

 ふと、人垣の向こうに、窓辺へ飾られた花が見えた。

 白い椿とクリスマスローズだ。

 かつてセレナ殿下と言葉を交わした温室の景色が、脳裏に重なる。


(……菫は咲いていないか……なんて、らしくもない……)


 ルシアンは再び、広間の中央で踊っている二人に視線を向ける。


 洗練とは程遠い、不格好な舞踏だった。

 けれど誰よりも堂々としている騎士の姿が、ルシアンには眩しく思えた。


「……陛下には、こんな騎士がいたのですね」


 その呟きは楽団が奏でる音色に紛れて、誰にも届かなかった。




 やがて、曲が終わる。

 最後の一歩を踏み終えたリアは、静かに一礼した。


「ありがとうございました、陛下」


「こちらこそ、ありがとうございました」


 ステラ陛下も丁寧に礼を返す。

 広間には自然と拍手が広がっていた。

 リアは一歩下がって再び護衛の位置へ戻ろうとした、その時。


「陛下」


 穏やかな声が響いた。

 ルシアン・ヴェルク伯爵だった。


 彼はステラ陛下のもとへ歩み寄ると、胸へ手を当てて一礼する。


「もしよろしければ、次の一曲を私にいただけますでしょうか」


 広間が静かにざわめいた。

 ノアは思わずルシアンを見る。

 

 ステラ陛下は一瞬だけリアに視線を送り、それにリアは小さく頷いた。

 ステラ陛下も頷き返し、改めてルシアンへ向き直る。


「よろしくお願いいたします、伯爵」


「こちらこそ、光栄です」


 ルシアンは柔らかく微笑み、右手を差し出した。

 その手へ、小さな手が重なる。


 楽団が新たなフレーズへ入る。

 ルシアンは自然な所作で一歩踏み出し、ステラ陛下もその歩みに合わせる。

 靴音は楽団の拍に重なり、二人はゆるやかに広間を巡った。


「先ほどのダンス、とても素敵でした」


 ルシアンは歩幅を合わせながら、穏やかに声を掛ける。

 ステラ陛下は照れたように答えた。


「リアさんが頑張ってくださいました」


 ルシアンは小さく笑う。


「ええ。よく伝わってまいりました」


 ルシアンは一瞬だけ、護衛の持ち場に戻ったリアへ視線を向けた。

 

 しばらくは、二人とも黙って音楽へ身を委ねていた。

 ルシアンの歩幅は一定で、動きに無駄がない。

 リアとは対照的に、一つひとつの所作が流れるようだった。

 ステラ陛下は何度か足を運ぶうちに、少しだけ肩の力を抜く。


「……伯爵は、お上手なのですね」


 ルシアンは微笑んだ。


「商談と同じです」


 ステラ陛下は不思議そうに首を傾げる。


「商談、ですか?」


「ええ」


 ルシアンは穏やかな口調で続ける。


「相手の歩幅に合わせること。急ぎすぎず、遅れすぎず。無理に引けば転びますし、譲りすぎても前へ進めません」


 二人はゆるやかに向きを変える。

 ルシアンがさりげなく歩幅を合わせるたび、ステラ陛下の動きも自然と整っていく。


「……商いは、面白いですか」


 ルシアンはステラ陛下を無理に導こうとはせず、歩幅を静かに合わせていた。


「私は、もし王位に就いていなければ、商いをしようと思っていました」


 その言葉に、ルシアンの歩みがほんのわずかに止まる。


「それは……意外なお話です」


「そうでしょうか」


 ステラ陛下は首を傾げた。


「国には、お金が必要ですから」


 あまりにも真っ直ぐな答えに、ルシアンはステラ陛下の幼さが残る横顔を見つめた。

 

 

「……商いは、人と人を繋ぐ仕事です」


 ルシアンはゆっくりと言葉を選びながら、続ける。


「良い品を作る者がおり、それを必要とする者がおります。その間を繋ぐことで、新しい価値が生まれる」


 ステラ陛下は歩みを合わせながら、耳を傾けていた。


「私は、その瞬間が好きなのです」


 ヴァイオリンが伸びやかな旋律を奏で、その下でチェロが柔らかく響きを重ねる。

 二人は音楽に身を委ねるように、一歩、また一歩と歩みを重ねた。


 広間ではワルツが続いている。

 貴族たちが優雅に舞う中、二人は静かに言葉を交わしていた。


「人と人を繋ぐ……素敵ですね」


 ステラ陛下は小さく微笑んだ。

 ルシアンも柔らかく笑みを返した。


「ええ。戦ではなく、商いで国と国が繋がる方が、私は好きですから」


 一つ旋回すると、シャンデリアの灯りが二人の肩へ柔らかく落ちた。

 ルシアンは穏やかな笑みを浮かべる。


「陛下は、私の予想を越えるのが、お得意のようですね」


 ステラ陛下は首を傾げる。


「そうでしょうか」


「ええ。普通の王族なら、商いより政治のお話をなさるでしょう」


「……でも、商いも政治の一つではありませんか」


 ルシアンは一瞬だけ言葉を失う。

 その間も足は止まらない。

 二人は音楽に身を任せるように、静かに旋回する。


「街が豊かになれば、人も暮らしやすくなります」


 ステラ陛下は真っ直ぐルシアンを見つめたまま続ける。


「税も増えますし、冬の備えもできます」


 その言葉に、ルシアンは思わず笑みを零した。


「そのように考えたことはありませんでした」


「そうなのですか」


「ええ」


 ルシアンは穏やかに頷く。


「商人は利益を考え、政治家は国を考えるものだと思っておりました」


「私は、どちらも同じところへ向かうものだと思います」


 その返答に、ルシアンはしばらく言葉を失った。


 最後の旋律が近づく。

 ルシアンは静かに手を添え直し、ゆるやかに一歩退いた。

 ステラ陛下もその動きに合わせる。

 二人は自然な流れで最後の一歩を踏み終えた。


 ルシアンが優雅に一礼する。


「ありがとうございました、陛下」


「こちらこそ、ありがとうございました」


 ステラ陛下も丁寧に礼を返し、ゆっくりと顔を上げる。

 そして、僅かに視線を泳がせた。


「あの……伯爵」


「はい」


「今度、お手紙を送ってもよろしいでしょうか。商いのお話を、もっと聞いてみたいのです」


 その言葉に、ルシアンは一瞬だけ驚いたように目を見開く。

 やがて、柔らかな笑みを浮かべた。


「私でよろしければ。いつでもお待ちしております」


「ありがとうございます」


 ステラ陛下はほっとしたように微笑んだ。

 その笑顔を見つめながら、ルシアンもまた静かに頭を下げた。




 最後の和音が静かに広間へ溶けていく。

 指揮者がゆっくりと腕を下ろすと、楽団員たちは一斉に楽器を下ろした。

 遅れて、大きな拍手が広間を包む。


 貴族たちは思い思いに新年の挨拶を交わしながら、ゆっくりと帰路につき始めた。


 ノアは手元の記録を閉じ、小さく息を吐く。

 ヴィオラは披露で頬を染めるステラ陛下へ、そっと温かい飲み物を差し出した。


「お疲れさまでございました、陛下」


「ありがとうございます」


 両手で受け取り、一口だけ口をつける。

 その時、帳簿を抱えたユリアが、ステラ陛下のもとへ歩み寄る。


「陛下」


「はい」


「初めての夜会は、どうでした?」


 ステラ陛下はしばらく考えてから答えた。


「……疲れました」


 ユリアは一瞬だけ目を瞬かせて、吹き出すように笑った。

 ヴィオラも小さく口元を押さえている。


「何か、おかしかったでしょうか」


「いいえ」


 ユリアは笑みを浮かべたまま首を横に振る。


「ちょっと安心しました」


 ステラ陛下はますます首を傾げる。


「安心、ですか?」


「はい」


 ユリアはにこりと笑う。


「陛下が今日一日、本気で夜会に向き合われた証ですから」


 広間の灯りが、一つ、また一つと落とされていく。

 窓の外では、雪が静かに降り続いていた。



夜会の終幕はワルツで。


次回は、第4章『金糸の夜会』最終回。

北方調査と冬税問題に、一旦の終止符を打ちます。

お楽しみに!

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