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星風の国物語 〜少女王と見習い書記官の政務録〜  作者: 月森みのり
第四章 金糸の夜会

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第二十一話 硝子越しの星

硝子越しの夜空の下。

仮面を被る青年と、仮面を被れぬ少女が出会うーーー


【人は皆、心へ一枚の硝子を隔てて立っている。


 その向こうで微笑み、

 その向こうで本音を隠す。


 だからこそ飾らぬ言葉は、思いのほか遠くまで届く。


 ―――星冠記録官ノア・フェルディン著『星風の国物語』より】




「……お見えになりましたね」


 ロザリンのその一言に、近くにいた貴族たちも振り返る。

 人々が左右へ静かに道を開けていく。


 その先から、一人の青年がゆっくりと歩いて来た。

 少し離れた窓際で控えているリアの視線も、その青年へ向く。


 受付ではユリアが祝辞の帳簿へ目を落としていた。

 それでも時折、ステラ陛下の周辺へ視線を向ける。


 やがて青年は、迷うことなくステラ陛下のもとへ歩みを進めた。


 紺色の礼装は華美ではないが、仕立ての良さは一目で分かる。

 淡い金髪を後ろへ流し、歩みはゆったりとしている。

 年の頃は二十代半ばほどだろうか。

 柔らかな笑みを浮かべながら、その瞳だけは静かに周囲を見渡していた。


 青年はステラ陛下の前まで来ると、流れるような所作で一礼した。

 すぐさまロザリンが口を開く。


「陛下、ご紹介いたします。ルシアン・ヴェルク伯爵です」


 青年を見上げるステラ陛下の瞳が、わずかに揺れる。


「隣国との交易事業を、数多く手掛けておられます」


 ロザリンの紹介に、ルシアンはゆっくりと顔を上げる。


「初めてお目にかかります、陛下。ルシアン・ヴェルクにございます」


 不思議と耳によく通る声だった。

 ステラ陛下も一礼を返す。


「初めまして、ルシアン伯爵」


 ルシアンは窓の外へ目を向けた。


「今宵は星も美しい夜ですね」


 その言葉に、ステラ陛下も窓の外を見る。

 シャンデリアの灯りが硝子へ映り込み、夜空はほとんど見えなかった。


「……見えませんが?」


 ステラ陛下の返答に、一瞬、ルシアンの表情が固まる。

 ヴィオラは少し気まずげに目を伏せた。

 その沈黙を見て、ロザリンは小さく目を細めて呟く。


「……陛下らしいお返事ですね」


 ルシアンはすぐに穏やかな笑みを取り戻し、片手のグラスを陽気に掲げた。


「陛下にお会いできた喜びが、景色より先に口をついて出たのです」


「そうなのですか」


 ステラ陛下は不思議そうに首を傾げる。


「私は、見えないものを見えたとは言えません」


 真っ直ぐな返答に、ルシアンは小さく目を瞬かせる。

 それでも彼は表情を崩さず、続けた。


「陛下は、率直なお方なのですね」


「よく言われます」


「……褒め言葉としてでしょうか」


 ルシアンの問いに少しだけ間を置いて、ステラ陛下は答えた。


「そうではないことも、多いです」


 ルシアンの肩がわずかに揺れた。

 ヴィオラは小さく咳払いをして、何事もないように微笑む。

 その様子を横目で見たロザリンは、ゆっくりとワイングラスを傾ける。



 ルシアンはそっと窓の外へ目を向けた。


「北方の件、お話を伺っておりました。監察局から、新しい報告が届くそうですね」


 雪が硝子にあたり、水となって下へ流れていく。


「北方は、この国と隣国を結ぶ大切な土地です」


 彼は落ち着いた声で、続ける。


「街道が閉ざされれば、人も物も行き交えなくなる。そうなれば交易だけでなく、人と人との繋がりまで途絶えてしまいます」


 ステラ陛下は黙って耳を傾けていた。


「私は、それが惜しいと思うのです。隣国とは、できる限り穏やかな関係でありたい」


 ステラ陛下は静かに頷いて、口を開く。


「伯爵は、戦になってほしくないのですね」


 ルシアンは少しだけ目を見開く。


「ええ、理想論だと言われることもありますが……」


「理想では、いけないのですか」


 ルシアンは、僅かに目を伏せて答える。


「理想だけでは、国は動きません……ですが、理想を失えば、人はどこへ向かえばいいのか分からなくなります」


 言葉を終えたルシアンは、小さく息を吐いた。

 ロザリンはその横顔を見て、グラスを傾ける手を静かに止める。


 楽団の音色が徐々に華やかさを増す。


 ステラ陛下は、少し考えてから小さく口を開く。


「隣国にも……人々は、いるのでしょう」


 ルシアンは一瞬だけ目を瞬かせる。


「子どもも、お年寄りも……」


 窓の外で雪が降り続いている。


「戦になれば、その人たちも困りますね」


 しばらく誰も口を開かない。


 ルシアンが今しがた語ったのは、交易や国益、外交の均衡についてだ。

 しかしステラ陛下は、その先にいる名も知らぬ人々のことを口にした。


「……そうですね」


 ルシアンはゆっくりとグラスを傾ける。


「だから私は、戦を避けたいのです」


 ロザリンは小さくグラスを揺らしながら続ける。


「ですが、それを望む者ばかりではありません」


 ステラ陛下は二人を見上げる。


「だから難しいのですね」


「ええ」



 その時、ちょうど楽団が曲を変えた。

 軽やかな舞曲から、ゆるやかな弦楽へ。

 談笑していた貴族たちの笑い声も、どこか柔らかくなる。


 ルシアンは手にしたグラスを静かに回した。

 琥珀色の酒が灯りを受けて揺れる。


「……陛下は」


 ルシアンは静かに問いかける。


「怖くはありませんか」


 ステラ陛下は顔を上げて、青灰色の瞳をルシアンに向ける。


「何が、ですか」


「すべてです」


 ルシアンはステラ陛下と真っ直ぐ視線を合わせて、続ける。


「十歳で王となられたこと、北方の問題、隣国との関係……そして、この国の未来」


 ステラ陛下はすぐには答えなかった。

 ヴィオラはその問いを止めようとはせず、ステラ陛下を見つめていた。


 広間では誰かが笑い、杯が触れ合う音が聞こえる。

 やがてステラ陛下は、小さく息を吸う。


「……毎日、怖いです」


 ルシアンの表情が、ほんのわずかに止まる。


「失敗したり、間違えるかもしれません……皆さんを困らせてしまうかも」


 ステラ陛下は一つひとつ、確かめるように言葉を重ねる。


「だから、怖いです」


 ステラ陛下は言葉を飾らなかった。

 そこには王らしく見せようという意地も、幼さを隠そうという虚勢もない。


 ルシアンは、しばらく何も言わなかった。

 やがて彼は静かに息をつく。


「……陛下は、お優しい方なのですね」


 ステラ陛下は少し首を傾げる。


「そうでしょうか」


「ええ」


 ルシアンは一度言葉を切った。

 視線だけが、広間をゆっくりと巡る。


 杯を交わす貴族。

 少し声を高くして笑う者たち。

 ノアには、その誰もが仮面を被っているように見えた。


「ですが……」


 ルシアンの瞳から、笑みが僅かに消える。



「優しい方ほど、先に食われます」



 ルシアンの声色は変わらない。


 楽団が一曲終えて、音色が余韻を残して遠ざかる。

 ロザリンは何も言わず、ルシアンの横顔に視線を向ける。

 少しの沈黙の後、ステラ陛下はルシアンを真っ直ぐ見上げる。


「それは、伯爵の経験ですか」


 楽団の指揮者が再び腕を上げる。

 チェロの柔らかな旋律が、広間にゆっくりと響きを広げていく。


「……どうして、そう思われますか」


 ステラ陛下は少し考えてから続けた。


「言い方が……本で読んだことではなくて、見てきたことのように聞こえました」


 ルシアンは一つ目を瞬かせた。

 

「……たしかに、何人も見てまいりました」


 ルシアンの瞳には煌びやかに飾られた灯りが映る。


「優しい方ほど、多くを背負い込みます。そして、自分より他人を守ろうとする」


 ルシアンは静かに息を吐いた。


「そのような方は、利用されやすいのです」


 ステラ陛下は何も言わず、しばらくルシアンを見つめていた。

 窓に映る彼の笑顔は、反射する灯りに照らされ、僅かに揺れる。



「……あなたも?」


 ステラ陛下の問いに、ロザリンの指先が、グラスの縁でぴたりと止まった。


「優しくすると、食べられてしまうから」


 青灰色の瞳が、真っ直ぐルシアンを見た。


「やめたのですか」


 ルシアンは、言葉を失った。



 広間では楽団の演奏が続いている。

 人々は笑い、杯を掲げ、新年を祝い合っていた。

 その喧騒が、遠くで流れていく。


 ルシアンはゆっくりと息を吐いて、小さく笑った。


「……陛下は、不思議なお方ですね」


「そうでしょうか」


「ええ」


 ルシアンは苦笑するように肩の力を抜いた。


「私の周りには、そういうことを尋ねる方はおりませんでした」


「そうなのですか」


「皆、答えを知っているつもりで話しますから」


 窓の外で、風が静かに雪を散らしている。


「私は、知らないことが多いので」


 ステラ陛下は、真っ直ぐな声で続ける。


「だから、聞いてしまいます」


 その一言に、ルシアンは何かを言おうとして口を開くが、それは言葉とならず、静かに口を閉じる。

 ロザリンは小さく口元を緩めた。


 楽団の演奏は、さまざまな楽器の音色を重ねて、響きを増していく。


 ルシアンはそっと笑みを整えた。


「陛下、私のような者が差し出がましいかもしれませんが……社交界では、本当のことは、あまり歓迎されません」


「……そうなのですか」


 ステラ陛下は不思議そうに首を傾げる。


「ええ。皆、言いたいことより、言うべきことを選ぶ」


 ルシアンは周囲へ視線を巡らせた。

 貴族たちが笑みを浮かべながら杯を交わしている。

 笑い声は絶えることなく響くが、その視線は絶えず相手の表情や周囲の様子を窺っていた。


「見せたい顔より、見せるべき顔を選ぶ」


 楽団は優雅な響きを奏で続ける。

 ヴァイオリンが軽やかに旋律を紡ぎ、チェロとコントラバスが静かにその響きをを支えていた。


「その方が、多くのものを守れますから」


 その言葉に、ステラ陛下は少し考えてから尋ねる。


「伯爵も、本当のことより、言うべきことを?」


 ルシアンは微笑む。


「もちろんです」


 迷いのない返事だった。

 ルシアンの表情も、声色も、一切揺らがない。


 青灰色の瞳は、その穏やかな笑顔をしばらく見つめていた。


「少し、大変そうです」


 呟くようなステラ陛下の言葉に、ルシアンは目を瞬かせた。


「そう思われますか」


「いつも考えていないと、間違えてしまいそうですから」


 ルシアンはふっと笑った。

 その表情には僅かに自嘲が滲んでいた。


「慣れてしまえば、それほどでもありません」


 ルシアンは窓越しに夜空を眺めた。

 天井付近まで張られた硝子には、彼の姿もまた、淡く映り込んでいる。



「……私は、好かれる方を選んだだけです」



 その言葉は、不思議と楽団の音色よりも長く、ノアの胸に残った。





ロザリンは、外交卿として王を支える存在。

一方ルシアンは、少し離れた場所からステラと王家を見つめる人物です。


次回、お互いに理解しきれなかった、セレナとルシアンの過去とはーーー

お楽しみに!

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