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星風の国物語 〜少女王と見習い書記官の政務録〜  作者: 月森みのり
第一章 幼王戴冠

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第二話 戴 星冠の鐘

星を戴する幼王は、何を誓うのか。

【後年、“冬越しの宣誓”と呼ばれたあの言葉は、当時の正式記録には存在しない。

なぜなら陛下は、原稿を途中で閉じ、ご自身の言葉で話されたからである。


評議会は後に問題視したが、王都の民は違った。

あの日の鐘を聞いた者たちは 皆こう語った。


『あの子は、本当に寒さを知っている声だった』と。


―――星冠記録官ノア・フェルディン著『星風の国物語』より】


 王宮大聖堂へ続く回廊には、冬前の冷たい空気が流れていた。

 高い窓から差し込む薄曇りの光が、白い石床へ淡く落ちている。


 ノアは記録官席へ向かう途中、何度も周囲を見回していた。


 すでに大聖堂内には諸侯、評議会議員、星祈教団司祭、各領の使者たちが集まり始めている。

 北方諸侯席では白髭の老伯が腕を組んだまま目を細めているし、軍部席の将軍たちは険しい顔を崩さない。

 一方で後方の若い貴族たちは、幼い王の姿へ落ち着かなげな視線を向けていた。


 重苦しいざわめきだった。

 皆、口には出さない。

 だが誰もが思っている。


 ――本当に十歳の子供へ国を任せるのか。


 白銀の柱の上部には、北天星と建国神話を描いた天井画が広がっていた。

 吹雪の中を進む初代国王。

 夜空へ掲げられる星冠。

 幾百年と見上げられてきたその絵は、薄曇りの冬光を受けて静かに霞んでいる。


 大聖堂中央には、星冠を納めた祭壇が置かれていた。

 青銀色の冠。

 その中央には北天星を模した蒼石がある。

 歴代王が戴いてきた、“星冠”。


 近くで見ると、それは思った以上に小さい。

 なのに妙に重たく見えた。


 ノアは自席へ腰を下ろし、羽根筆と記録紙を整える。

 記録官席は壇上から少し離れているが、王と宣誓者の声が最も聞こえやすい位置に作られている。

 正式記録を残すためだ。

 王の言葉は、後に歴史となる。

 羽根筆を持つ指先へ汗が滲む。

 もし一語でも書き漏らせば、後世へ残る記録が変わってしまう。

 王の言葉とは、それほど重いものだった。


「緊張してるな、ノア」


 隣席の年嵩の書記官が小声で笑った。

 ノアは肩を跳ねさせる。


「そ、そりゃしますよ……」


「まあ無理もない。歴史に残る戴冠式だ」


 良い意味か悪い意味かは分からんが、と上司は続けた。


 その時。

 遠くで鐘が鳴った。

 大聖堂内の空気が、一瞬で静まり返る。

 低く長い鐘の音。

 星祈教において、“始まり”を告げる音だ。


 司祭たちが左右へ整列する。

 近衛騎士たちが槍を立てる。

 重厚な正門が、ゆっくりと開いた。

 冷たい外気が流れ込む。


 そして。

 小さな影が、その中央へ現れた。


 白銀の髪。

 深い紺の式典外套。

 夜空を映したような星刺繍。

 ステラ・ゼフィール陛下だった。


 途端、大聖堂内の視線が一斉に集まる。

 十歳の少女へ向けられるには、あまりにも重い数の目だった。

 ノアは無意識に息を止める。


 ステラ陛下はゆっくりと歩いていた。

 一歩。

 また一歩。

 小柄な身体には、式典衣装も外套も重そうに見える。

 それでも足は止まらない。

 玉座へ続く長い通路を、彼女は真っ直ぐ前だけを見て進んでいく。


 ざわめきは起きなかった。

 誰も声を上げられなかったのだ。

 幼い。

 あまりにも幼い。

 なのにその姿だけは、不思議なほど静かだった。

 まるで吹雪の前の夜みたいだ、とノアは思った。


 やがてステラ陛下は祭壇前へ辿り着く。

 星祈教団の大司祭が進み出た。


「第四十三代国王、ステラ・ゼフィール」


 老いた声が、大聖堂へ響く。


「汝は星冠を戴き、アステリアの夜を導く者となることを誓うか」


 大聖堂が静まり返る。

 ステラ陛下は小さく息を吸い、両手で宣誓原稿を持ち直した。

 白い指先が、僅かに震えている。


 そして彼女は、静かな声で読み上げ始めた。


「我、

 星風王国第四十三代国王

 ステラ・ゼフィールは、

 星々の導きと祖先の名のもとに誓う」


 格式通りの宣誓。

 重臣たちが小さく頷く。


「王国の秩序を守り、

 法と伝統を重んじ、

 民へ安寧と繁栄をもたらすことを」


 張り詰めていた空気が、僅かに緩み始める。

 少なくとも、きちんと読めている。

 それだけで安心した者もいたのだろう。


 だが。


「剣をもって国境を護り――」


 そこで、ステラ陛下の声が止まった。


 紙を捲る音もない。

 咳払い一つ落ちない。

 大聖堂が、異様な静寂へ沈んだ。

 ステラ陛下は原稿を見つめたまま動かない。

 白い指先だけが、かすかに震えている。

 不自然な沈黙に、大聖堂の空気が固まる。


 ノアは思わず顔を上げた。

 原稿から視線を外したステラ陛下が、静かに周囲を見ていた。


 評議会。

 軍部。

 司祭たち。

 諸侯。

 無数の視線。


 十歳の少女へ向けられるには、あまりにも重たい沈黙だった。

 ざわめきが広がる。


「どうした……?」


「まさか飛ばしたのか?」


「原稿はどうなっている」


 記録官席のノアは、一気に血の気が引く。


 まさか原稿に不備が――。


 だが次の瞬間、ステラ陛下は、原稿をそっと下ろした。

 そして、紙ではなく、真正面を見たまま口を開く。


「……わたしは、まだ子どもです」


 一瞬。

 大聖堂の誰もが息を止めた。


 それは、本来の宣誓には存在しない言葉だった。

 王らしい威厳も、格式張った言い回しも、何一つない。

 ただの、十歳の少女の声。


「難しいことは、まだたくさん分かりません」


 ざわめきが大きくなる。

 評議会席では露骨に顔をしかめる者もいた。

 だがステラ陛下は止まらなかった。


「でも、この国に、冬が来るのは分かります」


 静かな声だった。

 大聖堂へ響き渡るほど強くはない。

 それなのに、妙にはっきり聞こえた。


「寒いと、人が死ぬことも知っています」


 ノアは息を呑む。

 それは王の言葉ではない。

 けれど、この国で生きる人間の言葉だった。


「だから――」


 ステラ陛下は小さく息を吸う。

 細い肩が、ほんの少し震えていた。


「冬を越せる国にします」


 沈黙。

 大聖堂は静まり返っていた。

 誰も、すぐには拍手も歓声も上げられない。

 あまりにも想定外だったのだ。


 本来の宣誓は、王家の威厳と正統性を示す儀式だった。

 なのに今、壇上にいる少女は“王らしさ”ではなく、“自分自身”の言葉を口にした。


 後方席のどこかで、誰かが小さく息を呑んだ。

 それは賞賛だったのか、動揺だったのか。

ノアには分からない。

 ただ一つだけ確かなのは、あの瞬間、大聖堂にいた誰もが、 “十歳の少女の声”を聞いてしまったということだった。


 ノアは手元の正式記録用紙へ、無意識に羽根筆を走らせていたことに気付いた。


 ――文字を、忘れないでください。


 控室での言葉が、脳裏を過る。

 ステラ陛下は最初から、誰かがこの瞬間を書き残すことを望んでいたのかもしれない。


 やがて。

 大司祭が静かに星冠を掲げた。


 高い窓から差し込んだ薄い冬の光が、蒼石へ反射した。

 まるで夜明け前の星みたいな光だった。


 そして、星冠が、ステラ・ゼフィール陛下の頭上へ置かれた。


 鐘が鳴る。

 一度。

 また一度。

 重い鐘の音が、王都中へ響いていく。


 ――この日、アステリア王国に、新たな王が誕生した。


王とは人々の行先を示す希望の象徴。

長く厳しい冬の国アステリアで、ステラはどのような道を歩くのか。


お読みいただきありがとうございます。

次回は新キャラ登場です。

お楽しみに!



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