第十九話 冬を越える支度
王都では、新年祝賀夜会へ向けた準備が慌ただしく始まっていたーーー
【王が玉座に就くだけでは、国は動かない。
王を支える者が集い、
それぞれの役目を果たした時、
ようやく歴史は次の一頁をめくる。
―――星冠記録官ノア・フェルディン著『星風の国物語』より】
特別試験から数日後。
王城の屋根には昨夜降った雪が薄く残り、朝日に照らされて白く光っていた。
石畳を歩く文官たちは皆どこか足早だ。
記録局へ向かう途中、ノアは荷物を抱えて走る侍従たちと何度もすれ違った。
「急いでください!」
「夜会用の食器は西棟です!」
「花はまだ届いていないのですか!」
廊下のあちこちで声が飛び交う。
赤い絨毯が敷かれた回廊では、侍女たちが真新しい燭台を磨いていた。
窓際では庭師が鉢植えを運び込み、使用人たちは大きな絵画を掛け替えている。
夜会の準備が進む王城は、普段とはまるで別の建物だった。
記録局の執務室へ入ると、こちらも静かとは程遠い。
書記官たちは机いっぱいに書類を広げ、慌ただしく筆を走らせていた。
封蝋を押す音、紙をめくる音、書類を抱えた書記官が廊下を行き交う足音が絶えない。
「招待客名簿の修正版です!」
「祝辞の写しを三部追加してください!」
「席順表はまだか!」
まるで戦場のような騒がしさに周囲を見回していると、穏やかな声が掛かった。
「ノア君」
顔を上げると、局長室の扉が開き、アルフレッド局長がこちらを見ていた。
「少し来てもらえますか」
「はい」
ノアは姿勢を正し、局長室へ向かう。
扉を開けると、見慣れた人物が椅子に腰掛けていた。
灰色のマントに傍らの肩掛け鞄ーーーユリア・レインだ。
「……ユリアさん?」
「こんにちは」
ユリアは、にこりと笑った。
その足元には大小さまざまな木箱や包みが積み上げられている。
「配達に来ました」
「それは見れば分かります」
アルフレッドは苦笑しながら机の引き出しから一通の封書を取り出す。
「さて、本題です」
机の上へ静かに置かれた封書には、王家の紋章と秘書局の印が押されていた。
ノアは自然と背筋が伸びる。
「先日の特別試験の結果です」
アルフレッドが封書をこちらへ差し出した。
ノアは恐る恐る封を切り、中から一枚の紙を取り出す。
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王室記録局宛
任命辞令書
王室記録局書記官補佐ノア・フェルディン
其方を、本日付をもって国王専属書記官に任命する。
以後、国王陛下直属の書記官として、
記録・文書作成その他命ぜられた職務を執行すべし。
本任命は王命による。
王宮秘書局発行
王国暦三二七年 星冴月十六日
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ノアは一瞬、頭が真っ白になる。
「……え」
「合格です」
アルフレッドが穏やかに微笑む。
「おめでとうございます」
ノアはしばらく言葉が出なかった。
ようやく我に返り、深く頭を下げる。
「ありがとう……ございます!」
ユリアが、ぱちぱちと小さな拍手を鳴らした。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「では、行きましょう」
「……どこへ?」
「陛下の執務室です」
ユリアは当然のように立ち上がる。
そして床へ積まれていた木箱を二つ、ひょいと持ち上げた。
「ノアさんはこちらです」
差し出されたのは、布で丁寧に包まれた細長い箱だった。
持ち上げた途端、予想以上の重みが腕に掛かった。
「……意外と重いですね」
「式典用ですので」
ユリアはそれだけ言うと、さっさと扉へ向かって歩き始める。
「あっ、待ってください!」
慌てて荷物を抱え直し、ノアも後を追う。
王城の廊下は相変わらず慌ただしい。
侍女とすれ違い、仕立師とすれ違い、大きな鏡を運ぶ職人たちを避ける。
途中では、山のような花束を抱えた使用人に行く手を塞がれた。
「失礼します!」
「ごめんなさい!」
右へ左へと身をかわしながら進んでいく。
そんな中でもユリアは一定の歩幅を崩さない。
人混みを縫うように進み、荷物も一度たりとも揺らさなかった。
「さすがですね……」
「仕事ですので」
振り返りもせず返事だけが返ってくる。
やがて王族居住区へ入ると、先ほどまでの喧騒が少し遠のいた。
赤い絨毯が敷かれた静かな廊下の先。
近衛騎士が二人、重厚な扉の前で直立している。
ノアは立ち止まり、小さく息を整えた。
近衛騎士が一礼し、ゆっくりと扉へ手を掛ける。
執務室の扉が、静かに開いた。
執務室へ足を踏み入れた瞬間、ノアは思わず立ち止まった。
大きな窓から差し込む冬の日差しの中、色とりどりの布地が広げられている。
深紅、藍、白銀、翡翠。
机の上には宝石箱が並び、壁際には何着ものドレスが吊るされていた。
部屋の奥、執務机の後ろの窓際にはリアが立っていた。
外套は脱いでいるが、腰の剣だけはいつも通りだった。
ノアたちに気付くと、小さく頷くだけで持ち場を動かない。
「こちらのお色はいかがでしょう!」
「髪飾りはこちらです!」
「仕立師様、裾をもう少し!」
侍女たちが次々と声を掛け合っていた。
その中心では、ステラ陛下が椅子へ座らされている。
深い青色のワンピース姿だった。
肩へ白い布を掛けられ、侍女が採寸用の紐を当てている。
「もう少し腕を上げてください」
「はい……」
その返事は、どこか疲れていた。
ステラ陛下はノアを見ると、小さく口元を緩めた。
「ノアさん、おはようございます」
「おはようございます、陛下」
ノアが一礼すると、ユリアは抱えていた箱を机へ並べ始めた。
「北方伯より祝辞です。これは西部商会より贈答品。こっちは東方使節団より祝いの品です」
侍従たちが次々と受け取っていく。
ステラ陛下はその様子を眺め、小さく息を吐いた。
「増えていますね」
「まだ届きますよ」
「……そうですか」
ユリアの平然とした返答に、ステラ陛下は少しだけ遠い目になった。
「陛下、こちらも一度お試しください!」
侍女の手には淡い金色のドレスが抱えられていた。
ステラ陛下はそれを見て、目を瞬いた。
「えっ、まだ着るんですか」
「もちろんです!夜会ですから!」
迷いのない返答に、周囲の侍女たちも大きく頷く。
「こちらもございます!」
「この刺繍も!」
「リア様、こちらのお色はいかがでしょうか!」
「……私に聞くな」
リアは肩を落とし、ステラ陛下はそっとノアへ視線を向けた。
「……助けてください」
小さく漏れた声に、ノアは少し困ったように笑う。
「ええと……」
「無理ですよ。それは陛下のお仕事ですので」
横からユリアが答えた。
そこへ、部屋の奥から穏やかな女性の声が聞こえる。
「皆さん、少し落ち着きなさい」
一瞬で空気が静まった。
侍女たちが揃って振り返る。
そこに立っていたのは、一人の女性だった。
濃い紫紺のドレスは装飾を抑えながらも品格を漂わせ、銀糸で縁取られた袖口が冬の日差しを受けて控えめに光っている。
長い黒髪は後ろで丁寧にまとめられ、首元には小粒の真珠を連ねた首飾り。
片手には細身の杖を携えていたが、その姿勢は驚くほど真っ直ぐだった。
歩みはゆっくりとしている。
それでも部屋の空気は自然と彼女へ集まっていた。
ヴィオラ・ゼフィール。
先王の妹であり、長く王家を支えてきた人物だ。
ヴィオラはノアへ穏やかな視線を向ける。
「あなたがノア・フェルディンですね」
ノアは慌てて背筋を伸ばし、一礼した。
「は、はい。記録局のノア・フェルディンです」
「あなたのお話は伺っています」
ヴィオラは小さく微笑む。
柔らかな声だったが、不思議と姿勢を正したくなる響きがあった。
ヴィオラは執務机の上に積まれた書類へ目を向ける。
「陛下の衣装合わせはもうしばらく掛かります。その間、書類仕事をお願いできますか」
ステラ陛下も小さく頷いた。
「お願いします、ノアさん」
「承知しました」
ノアは頷いて、執務机へ向かう。
(……今日からは、陛下直属書記官としての仕事なんだ)
一度だけ深く息を吸う。
手元を整え、視線を書類へ落とした。
机の上には、決裁待ちの書類がいくつも積まれている。
まず日付順に並べ直し、急ぎの案件を手前へ寄せる。
一方、部屋の反対側では衣装合わせが続いている。
「こちらのお色もお試しください!」
「髪飾りはこちらです!」
「この刺繍も素敵ですよ!」
次々とドレスや装飾品が運び込まれ、ステラ陛下は何度も立ったり座ったり、されるがままだった。
その熱気に圧倒されながら、ノアは思わず隣にいたユリアへ小声で尋ねる。
「皆さん、ずいぶん気合が入っていますね」
ユリアは贈答品の目録を書き込みながら、小さく笑う。
「当然ですよ。ここにいる侍女や侍従の多くは、元々セレナ殿下付きだった人たちですから」
ノアは思わず手を止めた。
「そうなんですか」
「はい。戴冠前の陛下は末姫でしたから、身の回りの人も今ほど多くありませんでした」
包みを侍従へ渡しながら、ユリアは続ける。
「セレナ殿下が修道院へ入られてから、多くの方が陛下付きへ移っています」
窓際に立っていたリアが口を開いた。
「本来なら、陛下はまだ社交界へ出る年齢じゃない」
ノアは顔を上げる。
「王族は成人前から夜会へ顔を出すものではないんですか」
「まずは年相応の茶会や小規模な集まりからだ」
リアは静かにステラ陛下へ視線を向ける。
「だが陛下は戴冠した。王として、新年祝賀夜会に立たなければならない」
ユリアも小さく頷く。
「だから皆さん張り切っているんですよ。前回までは、セレナ殿下が主役でしたから」
ノアは改めて部屋を見渡す。
仕立師が布を広げ、侍女が髪飾りを並べ、宝飾師が首飾りを手に相談している。
忙しなく動き回るその表情には、不思議と明るさがあった。
「今度は陛下の番ですから」
ユリアのその一言に、ノアは侍女たちの張り切りようにも納得した。
「では次はこちらです!」
「髪型も試しましょう!」
「リア様、靴はこちらとあちら、どちらが良いでしょうか!」
「私は護衛だ」
ステラ陛下は小さく眉を寄せる。
「……終わる気がしません」
誰も否定しなかった。
衣装合わせがひと段落した頃には、窓の外はすっかり夕暮れに染まっていた。
侍女たちは何着ものドレスを抱え、名残惜しそうに部屋を後にしていく。
「明日は髪飾りを合わせましょう」
「靴ももう一度確認いたします」
「手袋も別の物をご用意しますね」
口々にそう言い残し、ようやく部屋が静かになった。
ソファへ腰を下ろしたステラ陛下は、大きく息を吐く。
「……やっと終わりました」
「今日は、です」
ヴィオラが穏やかに訂正する。
ステラ陛下の肩が目に見えて落ちた。
ヴィオラは机の上へ一冊の分厚い冊子を置いた。
どん、と鈍い音が響く。
「新年祝賀夜会の出席者名簿です」
「まさか全部覚えるんですか……」
ステラ陛下は冊子を見つめたまま固まる。
「全てではありません」
ヴィオラは首を横に振る。
「ですが、最低限は頭へ入れておきましょう」
「最低限って、どのくらいですか」
「名前と役職、それから特にご挨拶する方々です」
ステラ陛下は冊子へもう一度視線を落とした。
小さく息を吐き、ページをゆっくりとめくる。
「……お話しする機会が多い方は、どなたですか」
ヴィオラは名簿を指先でなぞりながら、要人の名を一人ずつ挙げていく。
「北方伯とは、開拓政策についてお話しになるでしょう」
「こちらは商業組合長です。ご挨拶だけで十分です」
ステラ陛下は頷きながら、ときおり質問を挟む。
ノアは執務机に向かい、決裁書類へ目を通していた。
決済が必要な書類、陛下の署名を待つ書類、後日確認となる書類。
分類札を確認しながら机の端へ積み直していく。
その傍らでは、ユリアが届けてきた祝辞や贈答品を侍従へ引き渡していた。
包みが一つ運ばれるたび、侍従が帳簿へ書き込み、丁重に運び出していく。
部屋の隅では、リアが窓際に立ったまま静かに室内を見渡していた。
賑やかな声が飛び交っていても、その姿勢だけは微動だにしない。
紙をめくる音と、名簿を読み上げるヴィオラの穏やかな声。
執務室は慌ただしいはずなのに、不思議と落ち着いた時間が流れていた。
名簿をめくっていたステラ陛下の手が、ふと止まる。
「……ヴィオラ卿」
ヴィオラが静かに顔を上げる。
ステラ陛下は開いた名簿へ視線を落としたまま、小さく尋ねた。
「姉様と親しかった方も、来られるのでしょうか」
ヴィオラはすぐには答えず、名簿へ目を落とす。
細い指先が一つの名前を示した。
「まず、お一人目は、外交卿ロザリン・エーヴェルです」
その名を聞き、ノアは手元の書類から顔を上げる。
会ったことはないが、外交関係の公文書や議事録で何度も目にする名前だった。
ヴィオラは穏やかに続ける。
「セレナ殿下が信頼を寄せておられた、数少ないお一人でした」
その時、贈答品を整理していたユリアが小さく頷いた。
「私も何度かお会いしています。セレナ殿下のお手紙をお届けすると、必ずその場で返事を書いてくださる方でした」
「その場で?」
ノアが思わず聞き返す。
「はい。筆が速いんです」
ユリアは当然のように答える。
「配達人としては、とても助かる方です」
ユリアらしい感想だった。
部屋の隅で控えていたリアが、小さく口を開く。
「外交卿が待たせるわけにはいかないだろうからな」
ユリアは肩をすくめる。
「結果として、私も待たずに済みました」
ヴィオラは小さく微笑み、名簿の次の名前へ指を移した。
「もうお一人は、ルシアン・ヴェルク伯爵です」
聞き覚えのない名前に、ノアは首を傾げた。
少なくとも、記録局で扱う書類では、ほとんど目にしたことがなかった。
「若手貴族の中心人物として知られています」
ヴィオラは説明を続ける。
「領地経営だけでなく、隣国との交易事業にも深く関わっている方です」
「交易……」
ノアは思わず呟く。
ユリアが思い出したように口を開く。
「こちらも何度か配達しています」
「伯爵家へ?」
「はい。いつ伺っても人の出入りが多かったですね。商人の方や他国の使者もよく見かけました」
リアが腕を組んだまま言う。
「城にいるより、領地や港にいる方が多いと聞く」
「ええ」
ヴィオラも頷いた。
「宮廷貴族というより、現場へ出ることを好まれる方ですね」
ステラ陛下は二人の名前を静かに見つめる。
「この方も、姉様と親しかったんですか」
ヴィオラは少し考えるように目を細めた。
「親しかった、と言い切るには少々違いますね……交流はありましたが、お二人とも相手を理解しきれなかったように思います」
ノアは思わず手を止めた。
友人とも、そうでないとも言いきれない。
ヴィオラの言葉は曖昧だった。
ステラ陛下は何も言わず、名簿を見つめている。
その横顔に、北方でレオニス殿下から聞いた話を思い出す。
茶会へ向かうセレナ殿下を、一人で見送っていた幼い日の姿。
あの時の陛下は、姉の背中を見ながら何を考えていたのだろう。
ノアには分からない。
あの日、姉を見送っていた少女は、今度は自らが社交界の舞台へ立とうとしている。
新年祝賀夜会は、静かにその日を待っていた。
元セレナ付きの侍女たち。
彼女たちはステラについて「セレナ様の大事な妹君。私たちがお支えしなければ!」と思っています。
友好的です。
ステラが幼くも王としての格式を保っていられるのは、彼女たちのおかげです。
ステラは押され気味ですが…。
あと、たぶん、リアは女子高の王子様みたいな感じで密かに人気があります。
次回、初めての夜会に挑みます。
お楽しみに!




