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星風の国物語 〜少女王と見習い書記官の政務録〜  作者: 月森みのり
第三章 北方への道

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第十五話 雪下の記録

消えた帳簿を追う一行は、四年前を知る者が暮らす北東開拓村へ向かうーーー

【記録は紙に残る。

 だが真実は、人の記憶にも残る。

 人は忘れようとし、語ることを恐れる。


 それでも、覚えている者が一人でもいる限り、

 真実は完全には消えない。


 ―――星冠記録官ノア・フェルディン著『星風の国物語』より】


 翌朝、ベルクハイムの空は白かった。

 昨夜の雪が街を覆っている。

 吐く息を白くしながら、ノアは馬車へ乗り込む。


「思ったより積もりましたね」


「これでも少ない方だ」


 リアは馬の手綱を握ったまま答える。


「本格的な冬なら膝まで積もる」


 想像して、ノアは少し顔を引きつらせた。

 やがて全員が揃う。

 リアと護衛兵が前へ、ユリアは馬へ跨り、馬車の脇へ移動した。

 レオニス殿下とエドガーも馬車に乗り込み、馬車が動き出す。


 ベルクハイムの城門を抜けると、景色はすぐに変わった。


 白い雪原。

 黒い針葉樹林。

 遠くに見える山々。


 人の気配は急激に少なくなる。


「開拓村までは半日ほどです」


 窓の外からユリアが言う。


「雪がなければ、もう少し早いんですが」


 ノアは窓の外を眺めた。

 街道は辛うじて残っている。

 だが脇へ逸れれば、すぐに雪に埋もれてしまいそうだった。


「こんな場所に村があるんですね」


「だからこそだ」


 レオニス殿下が答える。

 青い瞳は雪景色の向こうを見ていた。


「中央から遠く、人も少ない。だから何かを隠すには、都合が良い」


 馬車の中が静かになる。

 エドガーが帳簿から顔を上げた。


「殿下は四年前、この村から調査を始めたのですか」


 レオニス殿下は少しだけ目を細める。


「最初は数字だった」


「数字?」


「冬越し用の食糧支給記録の数字が合わなかった」


 ノアは窓の外を見る。

 雪に覆われた街道の先に、北東部開拓村がある。




 昼過ぎ、一行は北東部開拓村へ到着した。


 村は雪に埋もれていた。

 木造の家々から煙が上がり、屋根には分厚い雪が積もっている。

 道幅は狭く、人が踏み固めた部分だけが辛うじて見えていた。


「思ったより大きいですね」


 ノアが呟く。

 開拓村と聞いていたので、もっと小さな集落を想像していた。


「北方では大きい方だ」


 リアが答える。


「周辺の集落の拠点にもなっている」


 馬車が村へ入ると、人々の視線が集まった。


「おい」


 村人の誰かが声を上げる。


「まさか……」


 雪かきをしていた老人が目を見開いた。


「レオニス様か?」


 その声に周囲がざわつく。

 レオニス殿下は馬車の窓を開け、小さく手を振った。


「久しいな」

 一瞬、静寂。

 次の瞬間だった。


「本当にレオニス様だ!」

「戻ってきたのか!」

「レオニス様!」


 村人たちが次々に集まってくる。

 ノアは思わず目を丸くした。

 村人たちの反応は歓声に近かった。


「人気者ですね」


 小声で呟く。

 向かい側のレオニス殿下は少し困ったように笑った。


「そうでもない」


 そんなことはないだろう、とノアは思う。

 老人たちは嬉しそうに声を掛けているし、子供たちは馬車の周囲を走り回っている。

 その様子を見ていたユリアが呟いた。


「殿下は昔からこうです」


「昔から?」


「頼まれると断れないので」


 レオニス殿下は小さく肩を竦める。


 やがて人垣の奥から、一人の老人が現れた。

 六十代半ばほどだろうか。

 毛皮の外套を羽織り、杖を突いている。


 村人たちは自然と道を開いた。


「レオニス様」


 老人は深く頭を下げる。


「ご無沙汰しております」


「久しいな、オットー」


 レオニス殿下は馬車から降り、老人と握手を交わす。


「元気そうで何よりだ」


「それはこちらの台詞です」


 オットーと呼ばれた老人は少し笑った。


「もう二度と来られないものかと」


 その言葉に、一瞬だけ空気が静まる。

 レオニス殿下は僅かに目を伏せる。


「すまなかった」


「いいえ、謝ることではありません。……して、こちらの方々は?」


 オットーの視線がノアたちへ向けられる。


「王都から来た調査隊だ。私が追っていた件を調べている」


 オットーは一人一人の顔を見て、やがて深く頭を下げる。


「ようこそ、北東開拓村へ」


 その声には歓迎だけでなく、どこか期待も滲んでいた。

 



 オットーに案内され、一行は村の中心部へ向かっていた。

 雪は相変わらず降り続いている。

 道の両脇には薪が積まれ、家々の煙突からは白い煙が立ち上っていた。


「今年は雪が早いですね」


 ユリアが馬上から言う。

 オットーは苦笑した。


「まだ序の口ですよ」


「これからが本番です」


 ノアは少しだけ不安になった。

 その時だった。


「あら?」


 家の前で雪かきをしていた老婆が足を止める。

 皺だらけの目がリアを見つめた。


「その顔……」


 リアが嫌な予感を覚えたように眉を顰める。


「リアちゃんかい?」


 ノアが目を瞬く。

 老婆は嬉しそうに顔を綻ばせた。


「やっぱりそうだ!大きくなったねぇ!」


 リアは無言で顔を逸らした。


「人違いだ」


「嘘おっしゃい。昔と同じ顔じゃないか」


「違う」


「頑固なところも同じだねぇ」


 周囲の村人たちが笑った。

 リアは露骨に嫌そうな顔をしている。


「知り合いなんですか?」


 老婆は嬉しそうに頷く。


「知り合いも何もねぇ、この子は昔――」


「言うな」


 リアが低い声で遮った。

 老婆は肩を竦めるが、その目はどこか優しかった。

 オットーが小さく笑う。


「リア殿は昔、この辺りで保護されていたのです」


 リアは不機嫌そうに訂正した。


「育てられたわけじゃない」


「そうかもしれませんな」


 オットーは穏やかに頷く。


「ですが、村の皆は今でも覚えておりますよ」


 リアは返事をせず、ただ少しだけ歩調を速める。

 その横顔を見ていたレオニス殿下が小さく笑った。


「人気者だな」


「殿下まで言うのですか」


「事実だろう」


 リアは深いため息を吐いた。

 村人たちの笑い声が雪空へ溶けていく。


 やがてオットーが足を止める。


「着きました」


 集会所の一室へ通された一行は、暖炉を囲むように席へ着いた。

 外では雪が降り続いている。

 オットーが温かい茶を配り終えると、レオニス殿下が口を開いた。


「四年前の話だ」


 その言葉に、オットーの表情が少し引き締まる。


「帳簿について聞きたい」


 オットーはゆっくり頷いた。

 エドガーが帳簿の写しを机へ広げる。


「我々はベルクハイムの保管庫を調査しました。ですが、問題の年代だけが抜け落ちていた」


「……そうでしたか」


 オットーは少し考えるように目を伏せる。


「当時、妙な噂がありました」


「噂?」


「あの日だけです」


 オットーは暖炉の火を見つめながら続ける。


「保管庫へ夜中に馬車が来た、と」


 ノアは思わず顔を上げた。


「夜中に?」


「ええ……ですが見た者が少ない。雪の日でしたからな」


 レオニス殿下の青い瞳が細まる。


「その話は初めて聞く」


「確証がありませんでしたので」


 オットーは苦笑した。


「ただの噂で殿下を振り回すわけにもいきません」


 エドガーが問いを重ねる。


「馬車はどこへ?」


「そこまでは。ですが……」


 オットーは何かを思い出そうとしているように、言葉を切った。


「馬車を見た者が、一人だけ残っております」


 レオニス殿下は一度頷いてから尋ねる。


「誰だ?どこにいる?」


「ハンスです。当時の荷運び人で、保管庫の管理人とも親しかった。彼は村の外れで暮らしています」


 そして少しだけ声を低くした。


「ただ、それ以来あまり人と関わらなくなりましてな」


 暖炉の火が揺れる。

 エドガーとノアは顔を見合わせた。

 レオニス殿下は静かに立ち上がる。


「会わせてくれ」


 迷いのない声だった。

 オットーはゆっくり頷いた。

 


 オットーに案内され、一行は村の外れへ向かっていた。

 雪は止んでいたが、空は相変わらず重い。

 踏み固められた雪道を進む。

 やがて村の家々が途切れた。

 その先に、小さな木造の家が一軒だけ建っている。


「ここです」


 オットーが立ち止まる。

 煙突からは細い煙が上がっていた。

 レオニス殿下が扉を叩く。


「いるか」


 しばらくして、中から足音が聞こえた。

 扉が開き、現れたのは老人だった。


 白髪交じりの髪。

 深い皺。

 左足を引きずっている。


 老人はレオニス殿下を見て、目を見開いた。


「……殿下」


 掠れた声だった。


「久しいな、ハンス」


 レオニス殿下が答える。

 老人――ハンスはしばらく言葉を失っていた。

 やがて小さく笑う。


「生きておられたか」


「縁起でもない」


「四年前から音沙汰がなかったのでな」


 ハンスは肩を竦めた。

 その顔にはどこか安堵も見える。


 やがて一行は家の中へ通された。

 暖炉の火が静かに燃えていた。

 ハンスは椅子へ腰を下して、レオニス殿下を見る。


「あの調査の件か」


 ノアは思わず顔を上げた。

 レオニス殿下は頷く。


「ああ」


 ハンスは苦く笑った。


「やっぱり来たか」


 その言葉には諦めが混じっていた。

 エドガーが前へ出る。


「知っていることを教えてください」


 灰色の瞳が真っ直ぐ老人を見る。

 ハンスはしばらく黙った。

 暖炉の火が揺れている。


「四年前の雪の日だった」


 やがてハンスは話し始めた。


「夜中に、保管庫へ馬車が来た。役人ではなかった」


「何故、役人ではないと?」


 エドガーが問う。


「兵士だったからだ」


 ノアが目を瞬く。


「兵士?」


「荷物を運ぶ足並みも、周囲を警戒する目も、役人のものじゃなかった 」


 ハンスは確信のある真っ直ぐな目で言った。


「連中は帳簿を箱ごと持ち出した」


「行き先は」


 レオニス殿下が尋ねる。

 ハンスは一瞬だけ迷う。

 そして低く言った。


「旧監視砦だ」


 その名に、リアが僅かに反応した。


「北東丘陵の?」


「ああ。今は使われていないが、当時は違った」


 レオニス殿下の目が細くなる。


「何故それを私に言わなかった」


 老人は目を伏せた。


「怖かった」


 皺だらけの手が膝の上で握られる。


「連中は普通じゃなかった。当時は家族もいたから……関わらない方がいいと、思ったんだ」


 暖炉の火が揺れ、薪が小さく音を立てた。


「すまなかった」


 ハンスは重たげな声で、レオニス殿下へ頭を下げる。


「……お前が謝ることではない。話してくれただけで十分だ」


 ハンスは顔を上げる。

 その目には少しだけ救われたような色があった。


 今まで静観していたユリアが、地図を広げる。


「旧監視砦までどれくらいですか?」


「雪がなければ二時間」


 ハンスは砦の場所を指差した。


「今なら三時間は掛かるだろう」


 エドガーは目を細めて地図を見た。

 レオニス殿下は窓の外を見て、ゆっくりと口を開く。


「……ようやく尻尾を掴んだな」


 レオニス殿下は地図を畳む。


「行こう」


 道の脇に積もった雪の向こうには、灰色の空が広がっていた。




 旧監視砦は丘の上にあった。

 かつて北方の監視拠点だった建物だ。

 今は使われていない。

 石壁は崩れかけ、見張り塔も半ば朽ちている。

 雪に埋もれたその姿は、まるで忘れ去られた墓標のようだった。


「ここか」


 リアが周囲を見回す。

 人の気配はなく、風の音だけが聞こえていた。


「四年前ならともかく、今さら誰も来ないでしょうね」


 ユリアが言う。

 エドガーは砦を見上げた。


「だからこそ隠し場所としては優秀です」


 砦の中へ入ると、内部は荒れ果てていた。

 机は朽ち、椅子は倒れ、窓から吹き込んだ雪が床に積もっている。

 一行は手分けして捜索を始める。


 一階。

 二階。

 塔の上。


 どこにも帳簿らしきものはなかった。


「外れか」


 リアが眉を寄せる。


「……おかしいですね」


 エドガーが呟いた。

 ノアは顔を上げる。


「何がですか?」


 エドガーは壁へ視線を向けたまま答えた。


「建物の規模です」


「規模?」


「外から見た砦と比べて、内部が狭い」


 エドガーは周囲を見回す。


「石壁の厚みを考慮しても、空間が足りません」


 ノアは首を傾げた。

 だがレオニス殿下は小さく目を細めた。


「隠し部屋か」


「可能性はあります」


 エドガーは静かに頷く。

 リアが辺りを見回した。


「なら探す場所は決まっている」


 そう言って剣の鞘で床を軽く叩き始める。

 石床へ乾いた音が響く。


 コン。

 コン。

 コン。


 一行は黙って見守った。

 やがて、リアが足を止める。

 その場へ膝をつき、もう一度床を叩いた。


 ――コォン。


 その場所だけ、音が違う。


「空洞?」


「そのようだな」


 リアは雪を払いながら答える。

 エドガーもしゃがみ込み、石床の一角を指でなぞる。


「継ぎ目があります」


 よく見なければ分からないほど僅かなものだった。

 長年積もった埃と雪で隠されていたのだろう。

 レオニス殿下が短く言う。


「開けろ」


 護衛兵が鉄棒を差し込む。

 重い音と共に石板が持ち上がった。

 その下から現れたのは、地下へ続く階段だった。


 ノアは思わず息を呑む。


「地下室……」


 レオニス殿下の青い瞳が細まる。


「ようやく見つけたな」


 階段の先には闇が口を開けていた。



 階段の先は暗かった。

 松明に火を灯して地下へ降りると、石造りの小部屋に続いていた。

 広くはないが、壁際には棚が並んでいる。

 そしてその上には、木箱が整然と積み上げられていた。


 最初に動いたのはエドガーだった。

 彼に続いて、皆で木箱を開ける。

 中には紙束が入っていた。


 帳簿。

 移送記録。

 納品書。


 確認するたびに、エドガーの表情が変わっていく。


「間違いありません」


 低い声だった。


「原本です」


 ノアは胸の奥が熱くなるのを感じた。

 だがエドガーは喜ばず、険しい目つきで帳簿を眺めている。


 ノアも慌てて帳簿をめくっていく。

 そして、違和感に気が付いた。


「財務局印……でも、これって……」


 ノアはエドガーに目を向ける。


「気付きましたか」


 エドガーの淡々とした声に、地下室の空気が張り詰める。


「財務局担当者の名前が、消されています。通常の公文書ではあり得ません」


 ノアはしばらく帳簿を見つめた。

 そしておもむろに松明へ近づいて、紙を斜めから光へ向けた。


「ノアさん、何を……?」


 エドガーが僅かに首を傾げる。


「書記官は、削られた文書を調べる時にこうします」


 表面は削られていても、筆圧までは消えない。

 光の角度を変えると、紙に残った僅かな凹みが浮かび上がる。


 ノアはゆっくりと目を細めた。

 エドガーとレオニス殿下が身を乗り出す。


 ノアはその筆跡を確かめ終えると、一つ喉を鳴らした。

 そして帳簿をエドガーに差し出す。


「確認をお願いします」


 エドガーは帳簿を受け取り、ノアがやって見せたように紙を傾ける。

 灯りを何度か動かした。

 やがて灰色の瞳が大きく見開かれる。


「読める……」


 レオニス殿下は何も言わない。

 ただその瞳だけが、帳簿から一瞬も離れなかった。

 リアは僅かに眉を寄せ、ユリアも息を潜めるように口を閉ざしている。


「"ガ"……"ル"……」


 エドガーは一文字ずつ追っていく。


「ガル……ディア……」


 地下室から音が消えた。

 誰も息をすることさえ忘れたようだった。


 エドガーは最後の文字を読み上げる。


「……ガルディア・ヴェルクハルト」


 誰も声を発しなかった。

 上階から吹き降りてくる風が、静かに灯りを揺らしている。

 レオニス殿下は帳簿を見つめたまま、小さく目を閉じる。


「……ガルディアか」


 ノアの脳裏に、議会で見た彼の顔が浮かんだ。

 消されたはずのその名前は、紙の奥に残っていた。



次回、第三章最終話です。

王都帰還前夜にレオニスは何を語るのか…。

お楽しみに!

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