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星風の国物語 〜少女王と見習い書記官の政務録〜  作者: 月森みのり
第三章 北方への道

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第十二話 雪下の来訪者

一人の来訪者が現れる。

その再会は、四年前に途切れた調査を再び動かすーーー

【歴史には、時に一人の人物が再び現れることで動き出す頁がある。


 その者は英雄である必要はない。

 ただ、過去を知る者であれば十分だった。


 北へ向かう街道で、私たちは四年前に途切れた足跡と再び出会う。


 ―――星冠記録官ノア・フェルディン著『星風の国物語』より】




 馬車の車輪が土を踏みしめる音だけが、冬枯れの野に規則正しく響いていく。

 吐く息は白く、馬たちの鼻息も冷たい空気へ溶けていく。


 誰も口を開かなかった。

 検問所を越えてからというもの、一行にはどこか張り詰めた空気が流れている。


 冬の風が街道を吹き抜けた。

 舞い上がった雪が馬の脚元を掠め、灰色の空へ消えていく。


 その時、先頭を進んでいたリアが、不意に顔を上げた。


「止まれ」


 その一言で、馬車が止まる。

 護衛兵たちが即座に周囲を警戒した。


「どうしました」


 ノアが窓から顔を出す。

 リアは答えず、耳を澄ませていた。


 やがて、遠くから微かに音が聞こえる。

 地面を何かが激しく叩くような音ーーー馬の蹄だ。


 それは急速に大きく、近くなっていく。


 護衛兵の一人が眉をひそめた。


「どこだ?」


 次の瞬間、リアの目が見開かれる。


「上だ!」


 リアが叫び、全員が反射的に見上げた。


 街道脇の丘。

 その頂上から、一頭の馬が飛び出した。


 黒馬だった。

 猛スピードで斜面を落ちるように、駆け下りている。

 普通の騎手なら確実に振り落とされる速度だった。


「なっ……」


 ノアの声が漏れる。


 黒馬は土を蹴り上げながら一直線に駆ける。

 そして、街道脇の小さな崖を飛び越えた。


 空中に浮いた黒馬は筋肉質で雄々しく、艶やかな鬣が風に揺れる。


 護衛兵たちが思わず剣へ手を掛ける。


 黒馬は轟音と土煙を立てながら、着地した。

 だが馬は止まらず、こちらへ駆けてくる。


 御者台の男が悲鳴を上げた。


「来るぞ!」


 そして黒馬は馬車の目前で、急停止した。


 土煙が舞い上がる。

 あたりは静寂に包まれた。


 護衛兵たちは完全に戦闘態勢だったが、リアは剣を抜いていない。

 代わりに深い溜息を吐いていた。


「……ユリア」


 土煙が風に流れて、騎手の姿が見える。

 黒馬の手綱を握っていたのは、灰色のマントの少女だった。


 王室直属配達人ーーーユリア・レインだ。


 ユリアはいつも通り、にこりと笑った。


「こんにちは」


「こんにちはじゃない」


 リアが即答した。


「危険だ」


「成功しました」


「そういう問題じゃない」


 珍しくリアの声に呆れが混じる。


 ノアはぽかんとしていた。

 そして土煙が完全に晴れた頃、ようやく気付いた。


 馬にはもう一人乗っている。

 ユリアの背後から、その人物がゆっくりと降りた。


 背の高い男だった。

 細身だが背筋がしゃんとしており、頼りなくは見えない。


 冬用の濃い灰色の外套を羽織っている。

 土埃を払う仕草は落ち着いていた。

 肩口まで伸びた銀髪が風に揺れる。


 瞳は青く、冬空のような色をしている。

 その目は周囲を見回し、一人ずつ確認するように視線が動く。


 そして男は軽く息を吐いた。


「……正直、少し酔った」


 疲れが滲んでいる声だった。

 ユリアは首を傾げた。


「申し訳ありません。シリウス様は平気でしたので」


 男は苦笑した。


「あいつの言う『馬の扱いに長けた友人』というのは」


 青い瞳がゆっくりとユリアへ向く。


「君のことだったのか」


「……あー」


 ユリアが少しだけ目を逸らした。


「これ、内緒の話でした」


 そして一行を見回す。


「皆さん忘れてください」


 無理だろう、とノアは思った。

 リアは額を押さえている。

 護衛兵たちは困惑していた。


 エドガーが静かに口を開く。



「第一王子殿下」



 その呼び名に、ノアは目を見開いた。

 男の瞳がノアたちを見る。


「久しいな、エドガー……リアも」


 その声を聞いた瞬間、リアの瞳がわずかに揺れる。

 リア自身も気付かないほどの微かな変化だった。

 だが次の瞬間には、その揺れは消える。


 いつもの無表情に戻ったリアは、小さく頭を下げた。


「ご健在でなによりです、レオニス殿下」


 レオニス・ゼフィール。

 ステラ陛下の実兄で、離宮に退いている第一王子。


「お前たち、帳簿の原本を探しに行くんだろう」


 レオニス殿下は街道の先を見た。


「四年前に追っていた手掛かりがある」


 その一言に、エドガーの目が細くなる。

 リアも静かに視線を向けた。

 ノアは思わず息を呑む。


「それを確かめたい」


 黒馬が小さく鼻を鳴らした。

 馬上のユリアが宥めるように、その鬣を撫でた。

 冬の空気は一層冷え込んでいく。




 ユリアとレオニス殿下が合流して、一行は再び街道を進み始める。

 

 灰色の空は低く垂れ込めていた。

 やがて小さな白い粒が落ちてくる。


「降ってきたな」


 先頭を進むリアが空を見上げる。

 まだ積もるほどではない。

 だが北方が近いことを感じさせる雪だった。


「初雪でしょうか?」


「いえ、初雪は半月前です。この辺では珍しくないですよ」


 窓の外から、ユリアが答えた。

 彼女は騎乗して馬車と並走していた。


「ベルクハイムに着く頃には、もう少し強くなると思います」


 そう言いながら、ユリアはマントのフードを被る。

 その布地に雪が当たり、濡れた部分が色濃く見える。

 彼女の装いは、いつもと変わらない軽装だった。

 

「……寒くないんですか」


 ユリアは小さく鼻を鳴らした。


「少し寒いです」


 馬車の中から呆れたような声が掛かる。


「離宮にある外套を貸すと言ったんだがな……」


「重たい装備は嫌いです。配達人は速さが命なので」


 迷いのない返答に、ノアの向かい側に座っているレオニス殿下は肩を竦める。

 その横顔を見て、ノアは改めて妙な気分になった。

 

 レオニス殿下は何事もないような顔で、窓の外を眺めていた。

 視線を動かす時の静けさには、ステラ陛下の面影を感じる。


 ノアの隣ではエドガーが相変わらず、帳簿を開いている。

 元王太子を前にしても緊張した様子は見られない。


 不意に、レオニス殿下の青い瞳がこちらを見た。


「どうした?」


「いえ」


 反射的に背筋が伸びる。


「何でもありません」


「そうか」


 レオニス殿下はそれ以上追及しなかった。

 だがノアは少しだけ居心地が悪くなる。


「ノア」


 レオニス殿下がふと口を開く。


「はい」


「そんなに肩に力を入れなくていい」


 青い瞳が少しだけ笑う。


「食べたりはしないから」


 ノアは目を瞬いた。

 窓の外からユリアの小さな笑い声が聞こえた。


「完全にバレていますね」


「……みたいですね」


 ノアが観念すると、レオニス殿下は少しだけ楽しそうに笑った。


 その様子を見ていたエドガーが口を開く。


「殿下」


「何だ」


「なぜ、こちらへ?」


 単刀直入な問いだった。

 レオニス殿下は少しだけ窓の外を見る。


「ステラから手紙が来た。北方の調査を再開する、と」


 レオニス殿下は何かを思い出すように目を細めて、続けた。


「私が終わらせられなかったものだ」


 レオニス殿下の私室で見た資料が頭を過る。


 議会に提出されなかった資料。

 『それでもやるべきだ』という文字。


「殿下の調査は、なぜ止まったんですか」


 ノアが尋ねると、レオニス殿下は少しだけ肩を竦めた。


「停止命令が出た」


 エドガーの眉が僅かに動く。


「命令ですか……いったい誰が?」


「分からない」

 

 レオニス殿下の返答にノアは目を瞬いた。

 王族の調査を止められる人物は、そう多くないはずだ。

 

 レオニス殿下は窓の外へ視線を向けたまま言う。


「だから私は失敗した」


 雪は静かに降り続いていた。

 しばらく誰も口を開かなかった。

 馬車の揺れる音だけが続く。

 

 やがて、馬車の前方からリアが声を上げる。

 

「見えたぞ」


 ノアは窓の外へ身を乗り出した。

 リアと護衛兵が進む、その向こう。

 灰色の空の下に、巨大な城壁が見えた。


「……あれが」


 思わず声が漏れる。

 

 今回の調査の目的地ーーー北方最大都市ベルクハイム。


 分厚い石壁は長年の風雪に晒され、所々が黒ずんでいる。

 城壁の外側には雪除けの土塁が築かれ、塔には弩砲が据え付けられている。

 見張り塔には旗が翻っていた。


 北部防衛の要ともなる都市だからか、その姿は都市というより要塞に近い。


「思ったより大きい……」


「王都に次ぐ規模だからな。北方の物流も軍事も、ほぼここを経由する」


 レオニス殿下の言葉に、ノアは改めて城壁を見上げる。

 街道には既に行列ができていた。


 検問の順番を待つ人々は、一行の王宮の紋章が入った馬車を見ると、自然と道を開けた。

 人々の視線が集まる中、やがて城門へ近付く。


 鉄で補強された巨大な門だった。

 その両脇には武装した兵士が立っている。


「止まれ」


 門番が声を掛ける。

 だが馬車の紋章を見るなり、表情が変わった。

 そして馬車の窓から見えるレオニス殿下の姿を認めた瞬間、その目が大きく見開かれる。


「っ……!」


 兵士は慌てて姿勢を正した。


「失礼いたしました!」


 周囲の兵士たちも一斉に敬礼する。

 だがレオニス殿下は軽く手を振っただけだった。


「気にしなくていい」


 穏やかな声だった。


「通って構わないか」


「もちろんです!」


 門番は慌てて答える。


 重い音を立てながら城門が開いていく。


 石造りの建物。

 煙を吐く煙突。

 荷物を運ぶ人々。

 行き交う兵士たち。


 街全体が働いている、そんな印象だった。

 雪の降る空の下でもその活気は失われていない。


「変わっていないな」


 レオニス殿下が静かに言う。

 青い瞳が街並みを見渡した。





 城門を抜けると、一行は中央大通りを進んだ。

 石畳の上を馬車が走る。


 しばらく進んだところで、レオニス殿下が窓の外へ視線を向ける。


「この先で別れよう。私は領主館へ向かう」


 エドガーが目を細める。


「表から入る役ですね」


 レオニス殿下は小さく笑った。


「私が出歩けば目立つ」


 青い瞳が前方を見る。


「その方が、お前たちには都合が良いだろう」


 エドガーが頷く。

 

「では我々は予定通りに。旧補給路周辺の調査を開始します」


「ああ。四年前の資料と一致する場所から探れ」


 馬車と並走しながらその様子を見ていたユリアは、前方へ移動してリアに声を掛ける。


「私は殿下に同行します」


「護衛か」


「いいえ、陛下からの依頼です。事を終えて殿下を離宮まで送り届ける、“往復便”」


 ユリアは淡々と答えた。

 リアは目を瞬いて、少し笑った。


「……荷物扱いか」


「重要な配達物です」


「そうか。なら任せる」


 やがて前方に分岐路が見える。

 一方は街の中心部。

 もう一方は倉庫街へ続く道だった。


 レオニス殿下が馬車から降りる。

 その肩に薄っすら雪が積もる。


「また後で合流しよう」


 そう言って外套の襟を整えるレオニス殿下に、エドガーが尋ねる。


「先ほど仰っていましたね。原本の場所に心当たりがある、と」


「ああ」


 レオニス殿下は小さく頷いた。


「どこにあるのですか?」


 レオニス殿下は少し考えてから答えた。


「正確には、あるかもしれない場所だ」


「確実ではない?」


「四年前にはあった」


 その言葉にエドガーの目が細くなる。


「見たのですか」


「ああ。ただし原本そのものではなく、原本が移された記録だがな」


 ノアは眉を寄せて、聞き返す。


「移された記録?」


「当時の担当者が残した、走り書きだ」


 レオニス殿下は続けた。


「帳簿の一部が本来の保管庫から移された形跡があった」


「誰が?」


「そこまでは分からなかった。……分からないことばかりで悪いな」


 レオニス殿下は苦笑して肩を竦める。

 自嘲気味の声だった。


「ですがその記録が事実なら、原本は意図的に隠されたことになります」


 そう言ったエドガーの目には鋭い光が宿っていた。


 ノアは二人のやり取りを聞きながら、膝の上で手帳を握る。

 王都を出発してから、ずっと胸に引っ掛かっていたことがあった。

 迷った末、小さく口を開く。


「殿下」


「何だ」


「原本、本当に残っていると思いますか」


 レオニス殿下は少しだけ目を細めた。

 そして静かに答える。


「残っている」


 迷いのない声だった。


「そうでなければ、とっくに消されている」


 冷たい風が吹き、銀髪が揺れた。

 青い瞳がノアを見る。


「だから探せ。今度こそ、私が辿り着けなかった先を」


 ユリアが脇に控えさせていた馬の手綱を差し出す。

 レオニス殿下はそれを受け取り、軽やかに鞍へ跨った。


 街の中心部の方へ進んでいくその背中を見送りながら、ノアは小さく息を吐いた。


「……行きましょうか」


 エドガーが頷く。

 リアは既に倉庫街の方角を見ていた。

 四年前に途切れた調査が、再び動き始める。



ようやく辿り着いた北方の街。

次回、"あるはずのもの"が消えていることを知る。

お楽しみに!



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