第十六章 「夜明け」
夜明け前。
街の入口。影が戻ってきた。背中の子供はまだ気を失っている。
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憲兵の詰所。扉を叩く。中から声。「誰だ」
扉が開く。憲兵が顔を出す。影を見る。背中の子供を見る。
「……何があった」
「街外れの村。荒らされてる。老人が一人死んでいた。この子供が生き残りだ。斬られている。気を失っている。早く手当てを」
憲兵が子供を受け取る。呆気に取られた顔で影を見る。
「あんた……もしかして大会の」
影は答えない。最低限の情報だけ続ける。
「複数いた。逃げた。目的は荷だろう。人を狙った様子はなかった」
「……わ、分かった」
影はそれだけ言って踵を返す。
「おい、名前を――」
影はすでに闇の中へ消えていた。
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夜明け前。
宿の縁側。
天斬は一人座っていた。自ら淹れた茶を持ったまま、空を見上げている。夜明けが近い。
茶を一口飲む。
「……良い朝じゃ」
それだけだった。
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森の奥。薄暗い場所。松明の灯り。
男が跪いていた。「……報告します」
「罠は全てかわされました。荷は回収しましたが……子供一人、生き残っています」
沈黙。奥に座る影。顔は見えない。
やがて口を開く。「……そうか」
静かな声。だが重い。
「あの剣士は」少し間。「罠を全てかわしたか」
男が答える。「はい。そして……別の場所でも報告が」少し躊躇う。「村の方で仕掛けた者たちが、何者かに制圧されました。全員生きています」
長い沈黙。
「……二人いるか」
やがて奥の影が静かに言う。「面白い」
「次を仕掛けろ。今度は本命を動かせ」
男は頭を下げる。「……承知しました」
足音が遠ざかる。薄暗い部屋に静寂が戻る。
奥の影は動かない。ただ、小さく呟く。
「……厄介だな」
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翌朝。
老婆の家。
ライはまだ寝ていた。いや、寝ようとしていた。
扉が叩かれる。「……」無視する。
また叩かれる。「……」さらに叩かれる。
「ったく」
起き上がる。腕が軋む。「……痛ぇ」
扉を開ける。そこに立っていたのは鋼牙だった。槍を持った、憲兵隊長。
ライを見る。包帯を見る。「……お前か。昨夜の騒ぎの」
ライは肩をすくめる。「おはようさん」
鋼牙は表情を変えない。「事情を聞かせてもらう。入っていいか」
ライは少し考える。「……茶くらい出るか聞いてくる」
鋼牙が眉を動かす。「……は?」
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老婆が茶を出した。三人で座る。
鋼牙は少し居心地が悪そうだった。老婆は気にしていない。
「さあさあ、飲みな」
「あ、ありがとうございます」
ライがくすっと笑う。鋼牙が睨む。「笑うな」
「いや、憲兵隊長がばあちゃんに頭下げてるのが面白くて」
「……事情を聞かせろ」
ライは茶を一口飲む。
「昨夜、十人くらい来た。武装してた。慣れた動きだった。下っ端だろうな」
鋼牙が帳面に書き留める。「目的は?」
「さあ」肩をすくめる。「ばあちゃんを狙ったのか、村を狙ったのか」
少し間。「ただ」
鋼牙が顔を上げる。
「二人逃がした」
「……なぜ」
ライは少し黙る。茶碗を見る。「追えなかった」
「怪我のせいか」「……まあな」
鋼牙はしばらくライを見る。そして静かに言う。
「嘘をつくな」
ライの目が動く。
鋼牙は続ける。「追えなかったのは本当だろう。だが、それだけじゃないだろ」
沈黙。老婆がお茶を注ぎ足す。
ライはしばらく黙っていた。そして小さく言う。
「……殺す気にならなかった」少し間。「それだけだ」
鋼牙は何も言わない。帳面を閉じる。立ち上がる。
「……分かった」
老婆に頭を下げる。「お茶、ありがとうございました」
老婆が笑う。「またいつでも来な」
扉が閉まる。
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静けさが戻る。
ライは茶碗を持ったまま、しばらく黙っていた。
老婆がぽつりと言う。
「素直になってきたじゃないか」
ライの眉が動く。
「……うっせ」
老婆はくすくす笑う。
ライは視線を逸らす。
だが、口元がわずかに緩んでいた。
第十六章終~




