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「界」  作者: 緑陰
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第十四章 「ライと老婆」

数日が過ぎた。街の復興は少しずつ形を取り戻していた。木材の音、人の声、笑い声も、わずかに戻り始めている。


その中で一人の老婆が立ち止まっていた。荷を抱えたまま、動けずにいる。


「いたたた……こりゃ参ったねぇ」腰を押さえ、顔をしかめる。周りは忙しく、気づく者はいない。


その時。「おいおい、大丈夫か婆さん」軽い声が割って入る。


老婆が顔を上げる。そこに立っていたのは包帯を巻いた男。ライだった。


「無理すんなよ」ひょいと荷を持ち上げる。「これ、どこまでだ?」


老婆は少し驚いた顔で「あ、ああ……そこの家までじゃ……」そして少し申し訳なさそうに「……わるいねぇ」と呟く。


ライは肩をすくめて笑う。「気にすんなって」一歩踏み出しながら「困った時は何とやら、だ」と軽く言う。



荷物を運び終えると老婆が振り返る。「いやぁ、ほんに助かったよ。せめてお茶くらい飲んでいきな」


ライが軽く手を振る。「いや、いいって」


だが「いいからいいから」半ば強引に背中を押される。「こういうのは断っちゃいけないんだよ」


ライは少しだけ苦笑する。「……はぁ、分かったよ」結局、腰を下ろすことになる。


湯呑みが差し出される。「ほら、熱いから気ぃつけな」「ありがとよ」


ライは軽く受け取り一口啜る。「……ふぅ」小さく息を吐く。



その時、視線を感じた。顔を上げる。老婆がじっと見ている。ライの身体を。腕。首元。見える範囲すべて。


「……どうした、ばあちゃん?」ライは少しだけ眉をひそめ苦笑する。


老婆はゆっくりと言う。「若いのに、傷が多いなと思ってねぇ。治りかけのもあるし……古いのも混じっとる。普通の仕事じゃ、そんな風にはならんだろ?」


少しの間。ライは視線を逸らし肩をすくめる。「……まぁな」軽く笑う。「ちょいやんちゃしちゃって」冗談めかした口調。だが、どこか本音も混じる。


老婆はそれを聞いてふっと笑う。「最近の若い子は元気が有り余ってるのう」穏やかな声だった。空気が少しだけ和らぐ。



ライは湯呑みを軽く回しながらふと口を開く。「……そういや、ばあちゃん。あんな所で何してたんだ?」


老婆は「ああ」と頷く。「ワシの所は大丈夫だったんだがねぇ」少し間を置く。「近所のじいさんばあさんの畑が被害受けてのう。色々直すの、手伝っておったんじゃ」


ライの手が、ほんの一瞬止まる。老婆は気づかないまま続ける。


「この前の嵐でなぁ……突然の嵐でね。この世の終わりかと思ったわい。畑も荒れてしもうて……年寄りじゃ、あれはきつい」


静かな声。だが重い現実。



ライは何も言わない。湯呑みを見つめたまま小さく息を吐く。「……そうか」


少しだけ表情を落とす。さっきまでの軽さが、消えていた。


その変化を老婆は見逃さない。「……何か知ってるのかい?」先に静かに問いかける。


ライの視線がわずかに揺れる。「……いや」短く返す。だが言い切れていない。


老婆は少しだけ目を細める。「年寄りの勘ってやつでね」ゆっくりと続ける。「そういうのは、分かるもんなんだよ」一拍。「いいから、話してみ」


柔らかい声。だが逃がさない響き。まっすぐな眼差し。



ライは少し黙る。湯呑みを見つめる。揺れる水面。


「……確証はねぇ」ぽつりと呟く。「けどな」一拍。「大会の時に──」言葉を選ぶ。「俺、少し……暴走しかけてな。その時の雷が、あの嵐と似てる気がしてる」


老婆は黙って聞いている。ただ受け止める。そして「……お前さんが、噂の子かい」小さく呟く。


ライの表情がわずかに揺れる。視線が落ちる。何も言わない。だが、それで十分だった。


老婆は静かに頷く。「……なるほどのう」



ライは少しだけ顔をしかめる。そしてぽつりと漏らす。「……責めないのか?」


老婆は変わらぬ調子で答える。「責めてもどうにもならんじゃろ」穏やかな声。それだけだった。


一瞬の沈黙。その言葉がライの奥を揺らす。


「……俺は」「俺はあいつを殺す気で戦ったんだ」声が強くなる。抑えきれない。「勝つとかじゃねぇ。最初から、殺すつもりでやってたんだよ」


「……っ」そこで、ふと止まる。我に返る。息を吐く。視線を逸らす。「……すまねぇ」小さく言う。「大声出しちまった」



静けさが戻る。老婆は変わらず静かにライを見ている。


「……今はどうなんじゃ?」不意の問い。


ライは少しだけ視線を上げる。そして「……分からねぇ」一拍。「けど、別に今は、殺したいとかそんなんじゃねぇよ」


老婆は小さく頷く。「そうかい」穏やかな声。一拍。そしてふっと笑う。


「これも何かの縁じゃ」湯呑みを置く。「おぬしのこと、色々聞かせてくれんかのう。年寄りの話好きが出てしまってな」


ライは少しだけ息を吐く。そして肩をすくめる。「……物好きなばあちゃんだな」


老婆はくすりと笑う。「そうかもしれんのう」



静かな時間。気付けば日も傾き始めていた。


老婆がふと口を開いた。「そういやおぬし、今どこに泊まっとるんじゃ?」


ライは少しだけ視線を逸らす。「……宿だ」


「空いとるのか?」


少しの間。ライは肩をすくめる。「追い出されちまったよ」軽く笑う。「まぁ自業自得だがな」少し間を置いてぶっきらぼうに続ける。「野宿でも、死にはしねぇだろ」


老婆は静かに頷く。「なるほどのう」少し考えて口を開く。「部屋がひとつ余っとる。使うかい?」


ライの眉が動く。「……は?」


老婆は穏やかに続ける。「荷物の恩もあるし。困った人を見過ごせない質でね」少しだけ笑う。「それに――悪いやつには見えなくてね」



ライはしばらく黙る。そして低く言う。「……俺は、多くの人を殺してきた。この手は、血で染まってる」静かな告白。


だが老婆は変わらない。「そうかい。その世界に生きてるなら、仕方ないことさ」


ライの目がわずかに動く。老婆は続ける。「死んだ者も多いかもしれん。じゃが――助けられておる者も、きっと大勢おる」


まっすぐにライを見る。「おぬしがどう生きてきたかより、これからどう生きるかじゃ」少しだけ間を置く。「若いんじゃ。いくらでも悩めばええ。悩んで、選べ」


静かな言葉。ライはしばらく何も言えない。そして小さく息を吐く。「……物好きなばあちゃんだな」


老婆は笑う。「そうかもしれんのう」



少しの沈黙。ライは立ち上がる。「……世話になる」ぶっきらぼうに言う。


老婆は嬉しそうに頷いた。「よし」


……が、次の瞬間。「ほれ」外を指差す。「木、運んできてくれんかのう」


ライ、固まる。「……は?」


老婆は当然のように続ける。「部屋貸すんじゃ。そのくらいは働いてもらわんとな」


ライは顔をしかめる。「いや待て。俺、怪我人なんだが?」腕や体を軽く叩く。「ほら見ろ。まだボロボロだぞ」


老婆、ちらっと見る。そして「ほら働いた働いた」即スルー。


ライ、無言。「……マジかよ」少し間。ため息をつく。「……上手くはめられたか」頭を掻きながら歩き出す。「ったく……」ぼやきながら外へ向かう。


老婆はその背中を見て笑う。「若いのう」


その言葉は、どこか穏やかで、どこか優しかった。



外では人の声が響いている。木を運ぶ音。笑い声。街は少しずつ元の姿を取り戻し始めていた。


壊れたものは時間をかけて修復されていく。人もまた、前を向こうとしている。


だが全てが戻るわけではない。消えた者は、戻らない。


残されたのは曖昧な痕跡と、拭えぬ違和感。それはまだ誰の目にも明確ではない。


だが確かに、何かが動いていた。静かに。確実に。


そしてその気配は、すでに街の外へと広がっている。


第十四章終~

ここまで読んでくださりありがとうございます。

序章から十四章、いかがでしたでしょうか。目的もなく刀を振るい続けた男が、師匠と出会い、大会を経て、少しずつ何かが変わり始めています。影の旅はまだ始まったばかりです。

そして今章ではライという男の別の顔も描きました。戦場では容赦のない剣士が、一人の老婆の前で本音を漏らす。強さの裏にある人間らしさを書けたなら嬉しいです。

物語はこれから更に動き出します。消えた人々の謎、街の外へと広がる気配、そして影の過去。まだ語られていないものが多くあります。

引き続きよろしくお願いします。

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