第94話 嫉妬という感情、そして暴走のイノ#4
どうして自分はこんなにも臆病で弱いのか。
いつも姉におんぶにだっこで自分の好き放題にやってきた。
姉は家族のため、自分のためにずっと頑張ってきたというのに。
だから、こういう自分は何もできない。無力のままだ。
「どうして! どうしてイノから奪うんだよ! どうしてイノなんだよ!
なんでイノがこんな辛い目に遭わなきゃいけないの! ふざけんな! ふざけんな!」
燃え盛る周囲に囲まれ、焦げた木のニオイが獣人の嗅覚を酷く刺激する。
中には新鮮な血のニオイと人が焼けたニオイが混ざり合い、それが酷く気持ち悪い。
逃げ回る人々の阿鼻叫喚や断末魔が耳を掠める中、シシマルはただ動けずにいた。
震えた足には力が入らず、腰も抜けて出来るのはただ助けを待つのみ。
そしてずっと助けてくれていたはずの姉は今――化け物を蹂躙している。
姉らしくない言葉を発し、今まで見た事もない動きで化け物を圧倒していた。
化け物は何度も再生を繰り返すが、その都度動けないように破壊していく。
その姿は、シシマルの目からは姉の方がよっぽど化け物に見えた。
「なんで! なんでなんでなんでなんで! こんなにも不公平なの!? ズルいよ! ズルい!
イノはただパパやママ、シシマル、そして友達の皆のために頑張ってきたのに!
こんなイノに優しくない世界は全部壊れちゃえばいい!」
瞬間、襲ってきたアビスの核を踏み潰すと、混沌とした瞳をギョロリと周囲へ動かすイノ。
それから紫電を走らせ動き出すと、その場から消えた。
「ね、姉ちゃん......?」
突然姉の姿が消えたことに、シシマルは困惑したように眉を寄せた。
その直後、背後から大きな爆発音が聞こえ、ビクッと肩を震わせながら耳を塞ぐ。
爆風が周囲の熱波を取り込んで吹き荒れる中、聞こえてきたのは高笑いした声。
「ズルい、ズルいなぁ! その体もその力も!
その体ならパパもママも死ななかった! その力ならパパもママも助けられた!
どうしてお前らばっか生き延びるんだよ! 生きるな! 死ね!」
咄嗟に振り向けば、もはや姉の姿をした何かが縦横無尽に暴れ回っていた。
音に引き付けられたアビス達が集まってくるが、それらが瞬時に倒されていく。
先程アビスを倒した際に弱点を知ったのだろう。殲滅スピードが上がっていた。
もっとも、それでも途中、相手をいたぶるようなわざと急所を外す光景が見られたが。
そしてその時間も束の間、少なくとも自分達の周囲からアビスはいなくなった。
それによってイノの「嫉妬」の炎は鎮火――なんてことは全くなく。
アビスが居無くなれば、今度はその標的が逃げ惑う人々に移る。
「どうして、どうしてどうしてどうして......お前にはパパとママがいるの?
なんで、なんでなんでなんで......イノにはパパとママがいないの?」
燃える瓦礫の山、近くに居るだけでも火傷しそうな場所の上にイノは立ち尽くす。
そして眼下に見える親子に対して、イノは首を九十度に曲げて呟いた。
その姿は疑問を抱いているようも見えるが、同時に角度のせいで狂った人形にも見えた。
「ねぇ、なんで? どうして? 意味が分からない?
ズルい、憎い、妬ましい、恨めしい、あぁ他人の幸せが憎い!
誰かの喜ぶ姿が、笑う顔が、楽しむ仕草が、安心している表情が、信頼する動きが気持ち悪い!」
「姉ちゃん......」
言葉通りの恨み辛みを重ねながら、イノは苦悶するように頭を抱えた。
そんな彼女の表情は目が大きく開き、酷く血走っている。
瞳に光はなく、暗たんたる感情がそこには満たされていた。
その迫真の表情と喉を裂くような思いの丈に、シシマルは姉を呼ぶことしかできない。
自分の弱い心が、姉がおかしくなっていると理解しながら動けないのだ。
今まで見た事ない、化け物を倒してしまう姉に恐怖している。
ずっとずっと自分を見てきた、助けてくれた姉の豹変した姿を見て臆病風に吹かれた。
情けないことこの上ない。
自分を姉が助けてくれるなら、姉は一体誰が助けてくれるのか。
姉の弟である自分しかいないだろう。
にもかかわらず、どうしても体が動かない。
「イノにはないのに! なんでお前らばっかり持っている!
イノは失ったのに! なんでお前らは失わない!
そんなのって.....そんなのってズルいじゃないか!」
姉の吐く言葉が逐一自分の心に重たく突き刺さり、苦しくなる。
同時に、姉の気持ちに気付かず、未だ守られているばかりの自分に怒りを感じた。
どうして自分はこんなにも弱いのか。心を強くして動ける人が羨ましい。
「ズルい」とさえ感じるし、それを自分に寄越せとも感じる。
自分も姉のように強くなりたい。
姉のように.....姉のばっかり.....どうして姉だけが――
「――ハッ!? 俺、今......姉ちゃんに嫉妬した?」
一瞬の暗い海に沈む感覚、まるで水泡が弾けるように目が覚めたが確かに感じた。
薄い膜を無理やり突き破ったような息苦しさがあり、まるで全力疾走したように息苦しい。
なんとか心を落ち着けようと大きく深呼吸してむせながら、シシマルがすぐに姉を見て、
「イノばっかりこんな目に遭うのは許せない。
だったら、皆同じになれば一緒だよね......?」
「――っ」
頭をぐしゃぐしゃにかき乱していた姉が、深い闇に淀んだ視界をゆっくり上げる。
そんな姿に、シシマルはあまりにも酷い悪寒を感じた。
それこそ、身の毛がよだつほどの恐怖というべきか。
それがなんなのかわからない。しかし、体は思考よりも早く動き出す。
向かった先は、姉が顔を上げた視線の先にいる――父、母、娘の親子三人だ。
その三人は先程のイノが暴れてる最中、母親が瓦礫で足に怪我を負ったようで、父親が上手く歩けない母親を背負い、娘と手を繋いで歩いていた。
そこに向けられるイノの「嫉妬」に狂った視線。
もはやどうなるかなんて想像に難くない。
だからこそ、その最悪の未来だけは防がねばならない。
姉に人道を踏み外す道を歩ませないために、シシマルは走った。
途中、今までにしたことない全力疾走に足がもつれ、肺が痛くなるほど空気を求めたが、その感覚すら無視してとにかく走り続けた。
「これで皆、一緒」
どんどんと視界が霞んでいく中、上下にブレるシシマルの視界の中央に突然姉が現れる。
まるでそこだけ時間を跳躍したように、姉がもとからその場にいたように親子の横へ移動。
そしてこれから行うことに一切の躊躇もなく、むしろ喜びすら浮かべた顔で大きく拳を構えた。
その瞬間、シシマルの脳裏に浮かぶのは――正気に戻った時の姉の顔。
誰よりも他人想いだった姉のことだ。
ここで殺してしまえば、姉に絶対に忘れることのできない後悔が生まれる。
だから、それだけは。それだけは――、
「姉ちゃん、止まれええええぇぇぇ!」
拳が振り抜かれようとした刹那、横合いから飛び出したシシマルがタックルをかます。
イノの小さな体を横から掻っ攫うようにして抱き着き、そのまま地面に押し倒した。
それからすぐに顔を上げ、
「早く逃げて!」
咄嗟に言えた言葉はそれだけだ。
意識はすぐさま下敷きにしている姉に向け、暴れそうな体を全身で抑え込む。
血走り黒々とした瞳が自分を射抜くたびに、心はどうしようもなく締め付けられた。
それでもなんとなくわかる......きっと今一番苦しんでいるのは姉であると。
「姉ちゃん、もう止まれ! 俺はもう大丈夫だから!」
「全然大丈夫じゃない! シシマルだってパパやママはもういないんだよ!?
なのに、周りばっかり当たり前みたいに二人ともいる!
悔しくないの? 苦しくないの? 羨ましくないの? 妬ましくないの?
イノは悔しくて苦しくて辛くて羨ましくて妬ましくて憎くて憎くて仕方ない!
そんな思いをシシマルにさせてやれない!」
「っ!?」
近くで聞くからこそわかる――イノの言葉は怒りとはまた違う。
自分達が置かれた境遇を恨み、他人を羨む「嫉妬」の妄執に取りつかれた姿。
もはや他人に「嫉妬」し、相手を傷つけることでしか自分を保てない可哀そうな人だった。
そんな姉が、それでも自分のために言ってくれる姉が、シシマルは悲しくてたまらない。
「もう......大丈夫だから......」
ポツリと零れた言葉、それと同時に一粒の涙がイノの頬に零れ落ちた。
その瞬間、イノのシシマルを掴む手が弱まり、困惑に動きが固まる。
そんな姉に気付かず、シシマルはただ泣きじゃくり始めた。
「俺は.....もう、大丈夫だから。
確かに、パパもママももう会えないのかもしれない。
でも、もう受け止めたから......だから、姉ちゃんまでいなくなろうとしないでくれ」
「――っ!」
今のイノは非常に不安定だ。
「嫉妬」の炎に身を焼かれ、その苦しさを紛らわすために暴れてるようにしか見えない。
それでいて、その動機に自分のためを想ってもくれている。
たとえその心が醜く染まろうとも、姉はどこまでも姉であった。
だからこそ、そんな姉がいつまでも苦しむ姿を見ていられない。
そして今度は、自分が――
「......シシマル?」
「姉ちゃん......?」
姉の上でうずくまって泣きじゃくるシシマルに、姉からの優しい声がかかる。
加えて、先程とは違う柔らかい手つきで自分の頬を撫で、
「大丈夫......? どうして泣いてるの?」
向けられる視線、そこには完全ではないが光が差し込んだ瞳があった。
問いかける言葉はまるで先程自分が何をしていたのか知らないような発言だ。
しかしそれでいい。知らなくていい。姉は清らかなままでいい。
「なんでもない......」
「.....そっか。なんでもないか、相変わらず泣き虫だなぁ。
よしよーし、イノが慰めてあげる」
そう言って、イノはシシマルの頭を優しく撫でる。
それはシシマルがまだ小学生に入りたての頃にしてきたような行動であった。
しかし、小学校高学年になったら絶対にしなくなったような行動だ。
そんな行動を、そして一人称が「イノ」になっていることも含めおおよそわかっている。
この災害を経て、イノの精神が退行したのだ。原因はわからない。
しかし、それでも姉は姉だ。それだけは変わらない。
そんな姉を守られ続け、今も慰められているのが情けない自分だ。
その自分を変えるために、決意しなければいけない。
「今度は俺が......絶対に姉ちゃんを守るから」
****
「ん.......」
浅い眠りから覚めるように、姉の漏れ出た声が聞こえる。
そんな姉を両手で抱えながら、シシマルはただ穏やかな寝顔を見つめていた。
しかしその時間も束の間、小さく閉じられた瞼が小刻みに震え出し、橙の瞳が光り輝く。
「......シシマル? あれ、どうしてシシマルがここに?」
「悪りぃ、姉ちゃん。来るのが遅れちまった。
でも、もう大丈夫だ。俺がいる。俺がもう姉ちゃんを傷つけさせねぇから」
「......そっか。ありがと」
胸の中に抱く小さな子供のような背丈の姉が、そっとシシマルの頬に手を伸ばした。
その小さい手は優しくシシマルの頬を撫で、それから愛おしそうに目を細める。
相変わらず姉からすれば、いつどんな時でも自分は可愛い弟らしい。
もうあの時から随分と背丈も力も変化したというのに。
しかし、それが姉らしいというべきか。ずっと変わらぬ部分だ。
「イノ、何かしちゃってた?なんだか頭の中がぼやぼやするっていうか......」
「いんや、姉ちゃんは何もしてなかったよ。ただ気を失っていただけだ」
空いた手で目をこすりながら、イノは自分の記憶をほじくろうと眉を寄せた。
しかし上手く記憶が取り戻せないのか、そんなことを呟いた。
それに対し、シシマルは優しくあった事実を無かったこととして済ませるように言葉をかけ、
「痛っ!? ふぇ、姉ぇちゃんふぁにすんだよ!?」
「シシマル」
突然、シシマルの頬に鋭い痛みが走る。
イノが小さな手で自分の頬肉を摘まんでいるのだ。
加えて、自分に向ける顔はムッとしていて眉根も鋭角に尖っているではないか。
そんな如何にも「怒ってますよ」という顔に、シシマルは困惑の顔を浮かべた。
「ねぇ、なんで今嘘ついたの?」
「――っ」
姉から向けられる視線の意味、それに気づきシシマルの心臓がドキッと跳ねる。
それから冷たい汗が首の後ろをスーッと流れ、触れる空気が酷く冷えて感じた。
これまでも姉が先のように「嫉妬」の瘴気に当てられ、暴走したことはある。
もっとも、それでも症状は軽く、今より酷くなることは無かったが。
シシマルは口を小さく開けては閉じ、開けては閉じを繰り返し、しかし最終的には――、
「姉ちゃんは『嫉妬』の瘴気を浴びておかしくなってた......」
姉に嘘をつくことが出来ず、シシマルは顔を背けて正直に答える。
そんな彼の言葉に対し、イノは得心がいったように大きく頷く。
「なるほど、そういうことか。どうりで今までおかしいなぁ~って思ってたんだよね」
「気づいてたのか?」
「ううん、気付いてたって感じじゃない。でも、なんか違和感があったの。
イノがイノじゃなくなる感覚というか。
別のイノが何かしたっていう感覚だけはあったから。
でも......そっか、イノは暴走してたのか――なら、ノアちゃんは!?」
冷静に自分自身を振り返り、状況を把握するイノ。
その直後に彼女が思い出したのは、一緒に戦っていたノアの存在だ。
咄嗟に上半身を起こし、周囲に視線を回すが、そこにノアの姿はない。
「あれ......ここは――」
ようやく周囲を見渡したことで、イノは自分がいる場所を理解した。
今の彼女がいる場所は、一つ戻ったたくさんのカプセルが置かれた部屋だ。
かつてそこで人形が作られていただろう技術の遺産が無造作に置かれている一角で、あぐらをかくシシマルに横抱きにされているのが現状。
改めて状況を把握して、その上でイノはもう一度シシマルに尋ねる。
「シシマル、ノアちゃんは......?」
「アイツは、今隣の部屋で人形と戦ってる」
「もっと詳しく。全部言って」
「ぅ......俺が姉ちゃんのニオイを追ってここまで来た時には、姉ちゃんは既に眠ってた。
んで、その姉ちゃんをアイツが抱えてて、人形に襲われる一歩手前だった所を俺が割って入った。
その後、『あの人形は俺がやる』とか言って、姉ちゃんを俺に預けたんだ」
「それでシシマルは安全のためにここまで移動したと」
「そういうこと」
シシマルから状況を聞き、自分が眠った前後の辻褄をイノは理解した。
となれば、猪突猛進な彼女の行動は一つしかない。
「なら、今すぐノアちゃんに加勢しないと――」
「あ、姉ちゃん動くな――」
「――ったぁぁぁあああぁぁあ!? 」
瞬間、立ち上がろうとしたイノがシシマルの腕の中でのたうち回る。
そんな姉の姿を見てシシマルは「言わんこっちゃねぇ」とため息を吐き、
「今の姉ちゃんはだいぶ体を酷使した状態だ。
たぶん暴走してる時に無茶な体の動かし方をしたんだろう。
そん時は脳のリミッターが外れてたから気になんなかったかもしれないが、今はそうじゃねぇ」
「それじゃ、イノはもう戦えないってこと?
ノアちゃんの加勢にいけないってこと?」
「そうなるな」
そう言った途端、露骨にイノの表情がしょぼんと暗くなった。
その表情は正しく小学生女子のような顔で、姉の威厳などどこにもない。
しかしこれでも姉だ。今でも立派で自慢な姉なのだ。
「大丈夫、もうここからは俺が姉ちゃんのことを守るから。
もう誰にも指一本触れさせねぇし、近づけさせねぇ」
「えぇ~、シシマルにそんなことできるのぉ~?
シシマルってがさつだし、自分本位なところあるじゃん.
それに、お姉ちゃん大好きだし」
「もう昔とは違うから! ともかく、それだけは絶対だ」
「なら、もうノアちゃんに噛みついちゃダメだからね。
シシマルがお姉ちゃんのことを守るように、ノアちゃんもイノを守ってくれたんだから。
それに、ノアちゃんはなんだかシシマルみたいに危なかっしいとこあるしね~」
「姉ちゃん、あんま弟の前で惚気ないでくれ......」
シシマル自身、あの災害以来は姉のことを中心に考えてる節はある。
それでも姉が幸せであるならそれを応援するスタンスでもいるのだ。
とはいえ、それはそれとしてやはり身内の惚気話というのは......こう、なんとも言えない気持ちになる。
いや、先ほどが惚気話に入るのかすら疑問の余地はあるだろうが、ともかくあまり聞いていたいものではない。
ましてや、姉があそこまで特定の異性に執着することすら初めてだ。
だから、それが「嫉妬」の部分にどう影響するかが一番不安というべきか。
それこそ、恋なんて「嫉妬」の代名詞みたいなところがあるし。
「姉ちゃん、あんまり人に入れ込みすぎんなよ?」
その言葉は弟としての助言であり、「嫉妬」の影響を心配する言葉だ。
結局、姉の幼少期に深く刻み込まれた「嫉妬」心が完全に消えることはない。
それが心の成長に影響してしまったのなら尚更だ。
もちろん、それが「嫉妬」のアビス王を倒すことで治るならそれに越したことはない。
しかし、なんとなくわかる――これはそういう類のものではない。
だからこそ、シシマルは出来る限り自然を装って言うことしか出来ない。
「お姉ちゃんはそんなに重くありませーん。むしろ、軽いから」
そんなことに気付かない姉を見ながら、シシマルは口元に苦笑いを浮かべる。
それから、今の姉を取り戻してくれたノアに対し、シシマルは僅かばかりの感謝の念を送った。
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