第103話 戒めの記憶、そして為すべきこと#1
―――現在より十年前 黄のパレス
未曽有の大災害「鏖殺の傲慢戦」から過ぎてから六年後。
その日のパレスはいつも通り程よい忙しさに追われていた。
「傲慢」のアビス王の影響か定かではないが、あちこちでアビスゲートが出現し、至る所でアビスが現れ好き勝手に暴れ回る。
休む暇もなければ、休日出勤なんてザラである。
それこそ、休日であろうとも要請があれば出動しなければいけない――それが特魔隊だ。
そんな毎日の中、一人の少年もまた姉によって酷使されていた。
「おぉ、やっと来たか。ごっつな社長出勤やな」
「たったさっきアビスゲートを閉じてきた所から爆速で帰ってきたところなんだけど」
「そかそか。そらご苦労さん。ほな、次の任務を割り振るで」
「そうですよ。もう少しシャキッとしてください。
それとも、またよしよしされないと出動できませんか? 全く、仕方ないですね」
「いつ僕がそんなことを要求した? というか、一度もされた覚えはないが。
って、今仕事をまた振るって言わなかったか?」
執務室に入るやすぐに姉――リーシェン=ウォルテア代表にいじられるアルス。
そんな流れに当然のように乗っかってくるのが、弱冠十二歳にしてリーシェンの専属秘書を務める神童グレーテ=ハイウェンだ。
リーシェンの容姿を一言で言えば、「中性的な男」である。
身長は百七十五センチと女性にしては高身長で、見た目は男用のチャイナ服に身を包み、アルスに似た黄色い髪を三つ編みに結んでいる。
目つきはどこか常に邪気に怯えていて、笑うと胡散臭い男みたいになるのが特徴だ。
されど、女性人気が高いイケメンタイプの女性であり、外面はいい―――というのが、アルスから見た姉に対する所感。グレーテ......? アイツは実力は認めるが、小生意気な後輩だ。
「待ってくれ、姉さん。確かに、ここ最近またアビスの出現率が増えたのは理解している。
だが、僕はもう今日だけで三件のゲートを閉じてきた。さすがに休む権利を要求する」
「ほう、そうか。考えとくで。ちゅうわけで、次の仕事な」
「姉さん、さすがに過労で倒れる!」
「いけるいける。そういう時にグレーテちゃんがおんねやろ?
『男はよしよししといたら馬車馬のように働く』かいな?」
「はい、すでに他の隊員達に治験してもらい、効果の有無は確認済みです。
みなさんゲッソリとした顔が心なしかツヤツヤして出勤されていきました」
「それは奴らがロリコンだからだ。僕は違う。休みを要求する」
相変わらずのグレーテ節が炸裂し、アルスはそっと頭を抱えた。
自分の知らぬ間にパレス内で違法風俗店が開かれていたような気分だ。
加えて、それに対して代表である姉が見逃している事実。
仕事は出来るのにこういう所が雑な姉に対し、弟として頭が痛くなる。
そんなアルスに対し、グレーテは「やれやれ」といった空気を醸し出すと、
「全く、仕方ないですね。こう見えても私は行列一時間待ちは出来るほどで、最近は予約制にしているのですが、そんな私が今ここで! タダで! 他の方には内緒で! やってあげます。
アルス様になら一肌脱ぐのも吝かではありません。あ、オプションは別料金ですよ?」
「よ、グレーテちゃん! 男前!」
「いらん。妙な圧でゴリ押ししてくるな。
あと、お前のせいで世の大人の性癖を歪めてやるな。可哀そうだろ」
「ぶっちゃけ金払いがいいんで」
「ぶっちゃけ隊員達の士気も生存率も上がるんで」
「こんの厄介コンビが.......」
指でお金のポーズを作る可愛くない後輩と、なぜかダブルピースの姉。
もはやこの二人を相手にしている方が疲れると察したアルスは、疲れたように肩を落とし話を進めることにした。
「で、仕事ってのは?」
「さっすがうちの弟。仕事人! 助かるで。
ほんで、仕事っちゅうんは、山麓付近で発生したアビスゲートの処理。
山に発生したから被害こそまだ出てへんけど、こういう奴らを放置してるとアビゲイルになりやすい。ってことで処理や。よろしゅう」
「くっ.......」
「......リーシェン様、緊急の連絡です」
アルスがようやく終えたデスマーチ後に仕事を増やされた二十連勤目のサラリーマンのような顔をして執務室を出て行こうとすると、突然背後から「ちょい待って」と声をかけられた。
その声に振り返れば、執務机から立ち上がったリーシェンが近づいており、
「ちょい予定が変わった。うちも一緒に行く」
「姉さんも? ってことは――」
「あぁ、殉教者や」
―――十数分後
「ゼェゼェ.......カッ、ハァハァ......」
「なんやもう息を切らしたんか?」
「姉さんが速過ぎるんだよ」
「せやったら、そこで休憩してな。これぐらいやったら準備運動にもなれへんから」
そう言ってリーシェンは一人先に歩くと、そこには十人ぐらいの殉教者が群がっていた。
それに加えて、大小様々なアビスも存在しており、その数を合計すれば五十体以上。
普通ならある程度の隊を組んで挑むほどの規模だ。
しかし、リーシェンはその圧に臆することなく歩んでいき、
「ただのアビスゲートやったら良かったものの、人工的にアビスゲートを作り出して何の悪さをしようとしててん?
自分らみたいなのがおるからいつまで経ってもこっちの仕事が終わらんと、弟の負担が増えるんや。弟をイジメてええのはうちだけや」
「違います。姉弟でもイジメてはいけません」
「そうやな、言い方が悪かった。イジってええのはうちとグレーテちゃんだけや!」
「全然悪いし、むしろ悪化してる......!」
そんなアルスのツッコミを気にすることなく、リーシェンは一人突き進む。
それから、右手に作り出したのは双方に刃のついた棍棒。その名も「双刃蜻蛉切」。
それを自分の体の一部のように巧みに振り回し、持ち手のポジションを確認すれば、
「つーわけで、死んで」
瞬間、リーシェンの肉体からバチッと赤い雷光が走り、その姿が消える。
その速度は到底、常人が視認できる速度ではなく、アルスが気が付いた時には一閃。
あらゆる殉教者が同時に上半身と下半身が泣き別れし、アビスの胸が穿たれていた。
まさに「鎧袖一触」という言葉が相応しく、また気が付けば武器を戻し、片腕をぐるぐると回しながらアルスに近づいてきている。
「いやー、やっぱデスクワークだけじゃ鈍るな、さすがに」
「鈍る? 一体どこら辺が。ボクが認識できない速度って相当だぞ。
もはやマークベルト代表といい勝負になるんじゃないか?」
「無理無理、あれは反則中の反則やさかい。
殺気を気取られた時点で発動されて終わりだし、それに気づかれへんほど注意力散漫ちゃうしな。
普段チャランポランを演じて、全然しっかりしてんのよあの人」
そう言って、リーシェンは顔の前で手を軽く振りながら否定する。
確かに、白の魔技は基本的に当たりは反則じみた能力ばかりだ。そもそも速度と時間で比べる方が間違っている。
とはいえ――、
「でも、姉さんはマークベルト代表を除けば『最速』なんでしょ?
その姉さんが使っている『赫雷』だって限られた人にしか習得できないって言うし」
「こんなん誰かて習得できるから秘伝でも何でもあれへんで。
それこそ、コツを掴めたらあっちゅう間やで」
「そのコツって?」
「そらこう、ズバッとやったらビビーンと来るから、そのままシュバとやったら『赫雷』の完成や」
「これだから感覚派の天才は.......」
リーシェンからのアドバイスに、聞いた自分がバカだったとばかりにアルスは落ち込む。
もはやその表現方法こそが天才たる所以なのだ。凡庸の自分とは明らかに出来が違う。
そんな弟に対し、リーシェンは肩を竦ませると、
「別に、うちは器用で習得が速いだけやで。
それに、個人的に『赫雷』はリスキーやさかい覚えへん方がええけどな。
うちは性格的にじゃまくさがりだし、努力し続けるのもややこしい。
そんなうちに比べて努力し続けるアルスの方がよっぽど才能に溢れてる」
「気安い慰めならいらない」
そうリーシェンがフォローの言葉を並べるが、アルスの雰囲気が変わることはない。
すると、彼女はアルスに近づくと腕を引っ張り上げると、無理やり立たせ、
「それに、正直言うとうちなんかが『歴代最速』なんておこがましいねん。
ちゅうか、その異名に相応しい人間やったら知ってる」
「誰なんだ......?」
「さて、誰やろうな」
アルスの質問に対し、リーシェンは真面目に答えることなく笑みを浮かべる。
その笑顔は相変わらず胡散臭く、どうして女子に人気なのか皆目見当つかない。
しかし、それが自分の姉だと思うと......誇らしいやら憎たらしいやらわからない。
「ほら、どうせならこの調子で他のアビスゲートを潰しに回るで。今度は姉ちゃんを楽させてな」
「やっぱ憎たらしい......」
―――半年後
「『嫉妬』のアビスが現れた?」
「しかも、大都市に向かって進んでるってほんまなのか――婆ちゃん」
「あぁ、何が目的が知らないが、このままじゃ通過するだけで都市が壊滅だ。
つーわけで、ここからの判断は可愛いベイビー達に任せるぜ」
執務室にある応接用ソファ。そこにどさっと座り足を組みながら酒瓶をラッパ飲みするのは、アルスとリーシェンの祖母――バロッタ=ウォルテアだ。
特魔隊に所属する現役隊員としては最高齢に当たり、今でも前線へバリバリ出るイカレ祖母である。
なんだったら、酒も常に飲むし、タバコも吸うし、戦場にも出ていてなぜか死なない不思議な祖母でもある。
そんな祖母の見た目はファンキーだ。
カールがかった色素が抜けきった髪を腰まで伸ばし、自分特注の改造した隊服でもなければ、ただの革ジャンに革パンツ。
目元には常にオレンジ色のグラサンをかけており、その姿で普段から戦っている。
なんだったら、それが戦闘服以外にもただの私服であることを孫二人は知っているのだ。
そんな祖母からもたらされた情報の深刻さに、姉弟は揃って顔を暗くする。
すると、バロッタはまた一口酒瓶に口をつけ、
「辛気臭い顔してんなよ、ベイビー達。そんな顔したって事態は変わらねぇ。
となれば、やることは一つってもんだ。違うか?」
「ちゃうかって言われてもなぁ。婆ちゃんも知ってるやろ? 奴と関わったら死ぬて。
それが分かっとって隊員を無駄死にさせられるかって」
「それに、あのアビス王の行動理由はずっと不明だ。
気ままにどこかへ行って突然いなくなる。
そもそも、どうやって誘導するのかも全然見通しが立たない」
「それに関してだが、一つ面白い可能性が手に入った」
「おもろい可能性?」
突然バロッタからもたらされた言葉に、リーシェンは腕を組み首を傾げる。
そんな彼女に対し、酒で血の巡りが良くなった顔でバロッタはニヤリと笑い、
「奴は赤子を抱えてる女性や身ごもっている女は襲わないらしい」
―――大都市から西方の森中層
ほとんどの人が立ち寄らない木々が生い茂る森林。
そんなところに真っ黒なローブに身を包み、赤子を抱えて歩く長身の女性がいる。
赤子を抱く手は酷く血色が悪く、今にも腐り落ちそうなほどだ。
そんな彼女は周囲に紫の煙を振りまき、それを浴びた動物達が狂ったように共食いを始める。
耳障りな断末魔、周囲に広がる血、そして転がる数分前まで生きていたはずの動物の死体。
そんな異様な光景の中を、その女性は全く気にせず歩いている。
「見っけた。『嫉妬』のアビス王や。周囲に目もくれず、呑気に歩いてるもんだな。
普通気になるやろ、自分の周りで動物が殺し合いを始めたら」
そんな姿を遥か遠くの崖上から望遠鏡で覗くのがリーシェンだ。
今の彼女がいる場所は、「嫉妬」のアビス王のテリトリー範囲外にいる位置。
そこから少しでも近づけば、逃げられぬ印が体に刻まれることだろう。
その推定ギリギリの位置から観察しぼやく姉に対し、隣に立つアルスは同じ方向を向きながら尋ねた。
「で、婆ちゃんの言葉を本当に試すってのか?
婆ちゃんが見たのはその一回キリなんだろ? 本当に試す気なのか?」
「赤子連れの女性が明らかにテリトリー内に入っときながら生還したって話やん?
確かに、試すにはあまりにも確証が少ないけど、そやさかいといって隊員に人柱を担うてもらうほど魂は悪魔に売ってへんで」
「しかし、姉さんはこのパレスの代表だろ?
その頭がいなくなったら誰が組織を引っ張っていくんだ」
「何言うとん? アルスがおるやん」
そう言って指を差してくる姉に対し、アルスは大きく眉根を寄せた。
実力的にもカリスマ的にも才能的にも勝っている姉が、一体自分に何を託すというのか。
まさか自分が姉と同じように組織を引っ張っていけるとでも思っているのか?
そんな疑問が顔に出ていたのか、リーシェンは苦笑いを浮かべると、
「確かに、今のままだろ無理やろうな。せやけど、うちの弟は『努力の天才』って知ってるんや。
そやさかい、どうせ上手いこといくことはわかってるし、そういう意味で心配してへんだけやで」
「そういうっこった、アル坊。お前はお前に出来ることをやればいい。
どっちにしろ、この作戦はリー坊にしかできないんだからな」
隣にやってきたバロッタが雑にアルスの頭に手を置き、これまた雑に撫でていく。
その行動に対し、アルスは嫌がるでも嬉しがるでもなく、ただ「無」であった。
それどころか「作戦.....」と呟きながら、脳裏に思い浮かべるのは姉が立てた作戦だ。
姉がやることは至ってシンプルで、同族のフリをすること。
同族とはこの場合「妊婦または赤子連れ」を指し、姉の場合は前者だ。
それは当然、人形だとバレる恐れがあり、かといって赤子を連れてくるわけにはいかない。
故に、妊娠した体でいき、そういう相手には友好的になるらしい「嫉妬」のアビス王を連れて、そのまま大都市近辺から遠ざけるという作戦だ。
もちろん、呪いの判定が未だ曖昧なこともあり、ある種命懸けの作戦と言ってもいい。
そんな作戦を姉が遂行する――一度も彼氏を作ったことがない姉が。
正直、妊婦の演技に不安しかないアルスであったが、今更どうこう言っている暇はない。
故に、今の自分にできるのは見届けることだ。そして、姉の無事を祈るのみ。
「ほな、うちは行ってくるで。殉教者が現れた場合には、近づかれへんようによろしゅう。
あ、都市の警戒に関してはラダ姉に任したーるから、そこは安心してええで」
「わかってる。絶対に邪魔はさせない」
「そっか」
そう言ってリーシェンは相変わらず胡散臭い笑みを浮かべると、その場からバチッと移動した。
その場に残ったのは赤い燐光のみで、それもたちまち空気中に溶けていく。
「しくじるなよ、姉さん」
去り際に渡された望遠鏡で姉の様子を伺いつつ、同時に周囲をザックリと確認。
見た所他に敵影らしき姿は確認できず、少し開けた場所で姉が「嫉妬」のアビス王と接触した。
おおよそ人と話す距離に近づいても、「嫉妬」のアビス王が動く気配はなし。
どうやらこちらから攻撃しない限り戦闘が始まらないという情報は本当のようだ。
すると、姉が身振り手振りで何かを「嫉妬」のアビス王に伝え、会話を試みている。
その会話は上手くいっているようで、やがて先導する姉の後ろから「嫉妬」のアビス王がついて歩き始めた。
それからも観察を続けていれば、姉はなぜか「嫉妬」のアビス王から赤子の人形を抱かされていた。
普段飄々としている姉が珍しく態度からもわかるように緊張しているのが見てるだけで伝わる。
一体どういう状況でそんな流れになったのかわからないが、あまりにも居心地が悪そうだ。
あの赤子を少しでも傷つけようものなら死ぬだろうことは想像に難くない。
「どうやら上手くいってるようだね」
「アレがどうやった上手くいっているように見えるのか。
てか婆ちゃん、その距離からじゃ見えないだろ。老眼だし」
「長年こういう場所にいるとわかるのさ。こう、ビビッとな。
アル坊にも経験を積めばいずれわかるようになる」
そんなことを言いながら酒瓶をラッパ飲みする祖母。
相変わらず御年八十を迎えるという年齢で随分とロックな生き方である。
そんな祖母との会話を終え、もう一度望遠鏡を覗いた時――
「え?」
そう言葉が漏れてしまうほどハッキリ見えた――「嫉妬」のアビス王の視線。
なんだったら、遠くにいる自分を視認しているようにこちらを見ている。
「――っ!」
瞬間、感じ取れたのは背後からの強烈な圧。
まるで死を具現化した存在が背中に立っているかのように、アルスの全身に鳥肌が立った。
同時に気付くのは、望遠鏡で覗いていた「嫉妬」のアビス王がいないこと。
全身の毛穴からブワッと冷や汗が溢れ出し、体が酷く寒く感じる。
その恐怖のまま、勇気を振り絞って振り返ると、そこには二メートルを優に超える存在がいた。
加えて、全身を黒いローブで纏い、顔はフードで見えないが、抱えている赤子の人形がその存在の全てを語っている。
そして、そんな存在――「嫉妬」のアビス王が口を開くと、
「.....抱っこしてみる?」
「嫉妬」のアビス王は深く被ったフードの奥にある笑みをニヤリと歪め、アルスにそう提案した。
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