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それは現のイストリア  作者: 御乃咲 司
一章 GOD-残灯のイグジステンス
6/55

04.力戦奮闘の御正月


 星歴七七五年――煌照節こうしょうせつ一日


 新たな年を迎えた街の方で上がる賑やかな声は、朝陽が昇るその時まで消えることなく続いていた。それが聞こえなくなったかと思えば、次は月光殿セレネの方向から何かの発砲音と歓声が神都の端にまで響き渡る。

 例年、月光殿セレネでは国民に向けての新年の式典が行われているので、その開始を告げる合図だろう。


「みんな、あけましておめでとう。繰り返しになってしまうが、今年一年よろしく頼む」

「あけましておめでとう、ロウ。こちらこそ、よろしくお願いします」


 年越しを迎えた後、屋敷の面々は大掃除の疲れもあり、徹夜するとはりきっていた一部の者たちにもその気力はなかったようで、早々に寝台ベッドに潜りこんだ。

 そして普段と変わらない、それでいてどこか新しい気持ちで朝を迎え、皆は広間へと集まっていた。

 顔を見る度に眠る前と同じ挨拶を交わすことに笑ってしまいそうになりながらも、一人、また一人と席に着いていく。


 年が明けても相変わらず、ブリジットは長食卓テーブルに色とりどりの凝った料理を台所キッチンから運んで並べている。

 どれも普段ではなかなか口にしないものだが、こういった縁起のものにはきちんとした意味があるのだ。たとえ嫌いなものが混じっていたとしても、縁起担ぎのために一口でも食べるのが良いと言われている。

 

 とはいえ、確かに好き嫌いでいえば、こういった縁起物を好む者は少ないだろう。しかしブリジットが腕を振るえばまた話は別だ。実に美味い。

 朝食だというのに所狭しと長食卓テーブルに並べられた料理に舌鼓を打ちながら、シンカは感嘆の声を漏らした。


「それにしても、手間のかかるお節ですら(・・・)ロウだけ別なのはさすがね」

「みんなと同じでいいって言っても、まったく聞いてくれないからな」

「別にいいじゃないか。パパには心から美味しいって思えるものを食べてほしいんだよ」


 関心したようなシンカとは裏腹に、ロウが苦笑しながら答えると、ブリジットは少し拗ねた表情を浮かべながら突っ込んだ。


「感謝している。いつもありがとう」

「……」

 

 素直な感謝の言葉にブリジットは僅かに頬を赤らめながら、朝早くに起きて頑張ってよかったと、胸に温かいものが満ちていくのを感じていた。

 幼い頃から研鑽した料理の腕は、人とは異なるロウの味覚の急所を突くために高められたものだ。その点に関していえば、彼女の右に出る者はいないだろう。


 そして今年最初の食事を残すことなく綺麗に完食した皆は、満足そうな表情を浮かべながらブリジットに感謝の言葉(ごちそうさま)を述べたのだった。


 …………

 ……


「ロウはどこか出掛けたりしないの? 月光殿とか」

「いや、そういった予定は無いな。新年の挨拶には行きたいが、今日は式典なんかの公務で忙しいだろうから、それは明日にしようと思ってる」

「そっか、予定は無いのね」


 豪勢な朝食を終えるとツキノ、モミジ、シラユキの三人は何か予定があるのか、急いで屋敷から飛び出して行った。ブリジットは今日の当番であるフォルティスとロザリーと一緒に朝食の片付けをしている。地国の二人は自室へと戻り、シエルもそれについて行ったようで、今この場にいるのはロウとシンカの二人だけだ。


 広間に残された二人は交わす言葉が少ないながらもそこに流れる空気に気まずさはなく、心地良さの感じれるものだった。

 

「リンの帰りは確かお昼頃よね?」

「そう言ってたな。用事でもあるのか?」

「明後日くらいまでいろいろ掘り出し物がでるからって、市場を案内してくれることになってるの」


 それは昨日、リンが屋敷を出る前にシンカと交した約束だった。

 夜間待機で疲れてるだろうからとシンカも最初は断ったのだが、交代で仮眠できるし、リン自身も楽しみだったらしく、昼からの予定は中層区域へ出かけることになっている。

 

「それで、なんだけど……」

「ん?」

「今日はロウも予定があいてる、のよね?」

「そうだな」


 どこか歯切れの悪いシンカの問いにロウが答えると、シンカは少しばかり頬を染めながら気恥ずかしげに……


「だ、だったらロウも一緒に行かない?」

「俺が一緒に行って邪魔にならないか?」

「そんなことないわよ」

「なら構わないぞ」

「ほんと? や、約束ね」


 普段なら平気で言えることも、改まって言うとなればどうしてこうも照れ臭く感じてしまうのか……などと思いながら、シンカが胸を撫で下ろした瞬間――


「兄さん!」

「きゃう!」


 庭の窓から突如として現れたツキノの声に、安堵の隙を突かれたシンカの身が僅かに跳ね上がった。


「互いの矜持プライドを懸けて、勝負です!」


 慌ただしく屋敷へと帰ってきたツキノは、ロウのことを指差しながら高らかに宣戦布告した。

 これには可愛らしく短い悲鳴を漏らしたシンカだけでなく、当事者であるロウですら困惑しているようだ。何事に於いても基本的に動じることが少なく、冷静に対応してきた彼は、そのツキノの真意を確認するためになんとか停止しかけていた思考を動かし問いかける


「模擬戦や訓練なら付き合ってもいいが、勝負というのはどういうことなんだ?」

「それはもちろん……妹力まりょく親力じんりょくのどちらが勝っているのか、白黒はっきりさせるためです!」

「魔力と……」

「神力?」


 シンカとロウが首を傾げて顔を見合わせるも、ツキノの言っている意味がいまいち理解することができなかったがそれもそのはず。

 妹力まりょく……それは兄のことを真に想う妹のみが会得できるという力。

 親力じんりょく……それは子のことを真に想う親のみが会得できるという力。

 この二つはツキノ、モミジ、シラユキの三人が勝手に作り上げた妄想であり、実在するかどうかやそれについての根拠は、世界中の誰一人として証明することは叶わないのである。


「すまない、よくわからないんだが……」

「いえ、兄さんは知っているはずです。あの時だって、その親力ちからで死神を退けたじゃないですか!」

「そういえば……そんなことを言ってたわね」


 忘れもしない死神との文字通りの死闘。

 あの時にも確かにツキノは親力じんりょくという、彼女たちしか知り得ない未知の力のことを口にはしていた。よくよく思い出してみると、彼女たちの訓練の中でも、妹力まりょくという言葉を口にしていたような気もする。

 魔力と妹力、神力と親力……ややこしい。


 だが、ここまでそれに拘るのには余程の理由があるのだろうと思い、ロウはその口から承諾の旨を伝えた。


「そこまで言うのならその勝負は受けよう。ただし、昼までだぞ?」

「ありがとうございます、兄さん! それではさっそく行きましょう! あと、立会人兼審判役としてシンカも来てください!」

「えっ、私も? あっ、ちょっと待ちなさいよ!」


 ロウの承諾を得るや否や、ツキノは満面の笑みを浮かべながらロウの腕を掴むと、少しでも時間が惜しいといわんばかりに引っ張って走り出した。

 そして、どこか他人事のようにやり取りを聞いていたシンカも、突然言い渡された役割を律儀にも果たそうと、慌てて後を追いかけて屋敷を飛び出した。





 ―――月光殿セレネ


 新たなる年の幕開けに、各地では日の出がとうに過ぎた今でも賑やかな声が響いていた。新年の挨拶、歓喜の声、今年一年に懸ける意気込み等々を叫んでいる者も少なくはないようだ。

 しかし、この場所はそれらが遠くに聞こえるだけで、誰一人として浮かれている者はいなかった。


「今日くらいは愛想よく振る舞ってほしかったんだけどな」

「まったく……メリーの言う通りです。ご自身の立場というものを、もう少し理解して頂きたいのですが」

「子ども扱いするなというから黙って見ていれば……」


 苦笑しながらも、今後への期待を込めて声を掛けるのはメリュジーナだ。

 クローフィはいつもと変わらない丁寧な口調ではあるが、その向けられた視線と言葉に込められた苛立ちを受け止めきれる者は多くは無いだろう。

 そして、怒りを越えて呆れた様子のリコスは、大きく溜息を吐きだしていた。


 権力を有し、腕も立つそんな三人の小言を聞きながら、まっすぐに視線を受け止める少女はというと……


「民に対しての挨拶は十分に頑張ったはずだけど? それに立場を理解しているからこそ、不愉快な狸たちに愛想よくせず毅然とした態度で臨んだの」


 結わえた漆黒の髪を微かに揺らしながら、彼女は苦言、諫言を気にすることなく平然と言ってのけた。

 少し前までの彼女であれば政や、他者のことを気にかけたりするだけの心の余裕や、視野の広さも無かったのだが、今では見違えるほどの成長をみせている。


「まぁ、今年一年の努力に期待といったところか」

「そうですね。それでは、私たちは用事がありますのでこれで」


 忠義に厚い臣下たちが部屋からいなくなると、遠くに聞こえていたはずの街の声が先程までより大きくなった気がする。

 少し前までは一人では広く感じる空間、静かすぎる空間に彼女は安堵感を覚えていたのだが、今では少し寂しさを感じるようになっていた。

 そんな彼女の心境を察しながら、メリュジーナはいつものように冷たい部屋へ声を響かせる。


「陽が昇ったというのによく冷えるな。お茶にしようか」

「えぇ、それを飲んだら少し出かけるわ」

「たった今、立場を理解しろと言われたはずだが?」

「理解しているからこそ、外の空気を味わいたいのよ」


 平然とそう言ってのける彼女に、メリュジーナは呆れたような息を吐くものの、その内に秘めた想いを理解しているからこそ、止めることはできず……


「バレないようにしておくんだぞ」

「もちろんよ」


 昔からずっと傍に居てくれた、物わかりの良いメリュジーナの許可が下りると、彼女は複雑な想いを抱えながらも嬉しそうに微笑むのだった。





 ――カリンデュラ亡国、とある洞窟内


「というわけで、みんなで作りましょう!」


 食卓テーブルを囲みながら歓談している最中、いきなり席から立ちあがったベルことサーベルスは明るく言い放った。

 突然の発言に僅かな危機感を察知した着ぐるみのようなモノに身を包んだシェアトと、年中疲労感に包まれているヴィーゾは離脱しようと試みるが、そんな甘い考えは許されないようで……


「あ、シェアトさんたちは作らなくいいですけど、逃げないでくださいね?」


 笑顔のまま釘を刺された二人は頭を垂れ、自分たちの感じたものが正しかったと思いながら小さく嘆息した。

 そんなやり取りを前に呆気に取られていたエヴァは、艶やかな桔梗色の髪を耳へかけながら、先の発言の意図を確認するため口を開く。


「ベル、どういうことか説明してほしいのだけれど?」

「そうだよ、今日は何もお仕事は無かったんじゃ……」

「ふっふっふっ」


 待ってました、と言わんばかりに得意げな表情を浮かべたベルは、高らかに宣言するように彼女たちの疑問に答える。


「今日は新しい年が始まった大変おめでたい日です。そして、おめでたい日といえばパーティー。パーティーといえば美味しい料理です!」

「でも、料理なら十分あると思うんだけど?」


 そう、五人の前には皿の上に綺麗に盛り付けられた果物、様々な種類バリエーション一口軽食カナッペが並んでおり、それらを用意したのはベルに他ならないはずなのだが、これ以上に料理を作るというのが四人には理解できないでいた。


「あ~いえ、こんな簡単なのものでなくてですね。新年らしい、この一年を頑張れるような料理をつくるのです。作るのです!」


 陽は昇っていても、ここは他国よりも寒い気候のカリンデュラ。外気はいまだ冷たいにも拘らずベルの想いは厚く猛り、そんな彼女に圧倒されてしまった四人は無意識に頷いてしまうのであった。


「そして、シェアトさんたちには審査員として、私たちの作った料理で一番美味しいのはどれかを決めてもらいます」


 その言葉を聞いて、シェアトと共に時間を拘束される事となったヴィーゾは得心した。それと同時に年を越してなお、残っている山積みの仕事を減らすことができないことに内心落胆する。


 そうして発案者のベル、なんでも卒なくこなすエヴァ、一生懸命に物事に取り組むキャロの三人は作る料理を考え、それに必要な食材を集めに向かい、残されたシェアトとヴィーゾはその場から立ち去ることを許されず静かに、ただ静かににそのときが来るのを待っていた。


「シェアトさん、片付けておきたい仕事があるんですけど……」

「まぁ、行ってもいいですよ~。後でどうなっても知りませんけど~」

「で、ですよね……はぁ……」


 僅かな会話はあるものの、その殆どが建設的でないもので且つ返ってくる言葉も予見できるというなんとも悲しい会話。

 暫くそんな時間が続き、着ぐるみから寝息が聞えてきた頃……ようやくにして、ベルたち三人がそれぞれに布が被せられた御盆を持って戻ってきた。

 恐らく各自が作った料理なのだろうが、ベルの持っているモノが他の二人に比べて極めて大きいのが気になるところだ。


「では、料理が冷めてしまわないうちに始めましょうか。……では、召し上がれ! これが満腹満足満喫の三満コースです!」


 ベルの言葉を合図に三人が御盆を食卓テーブルの上に置き、被せていた布を取り去ると、現れたのは三者三様の料理だった。


 まずキャロの作ったものは、彼女が食事を用意したときには必ずといっていいほど出てくるものだ。豪華さもなければ、高級な食材を使っているものでもなく、口にすると温かさと優しさの伝わってくる、どこか懐かしい味のするものだ。


 次にエヴァだが、彼女の性格や容姿を現すかのようにそれぞれが綺麗に盛り付けられ、彩の均衡バランスも素人から見ても美しいと感じられる。


 そして最後にベルの料理なのだが、御盆の上に置かれていたのはなんと四段重。

 それをベルが一段づつ食卓テーブルに広げていくと、重箱に納められていたのは見るからに豪華な料理の数々。しっかりと味付けをされているであろう肉類や、塩気の強いもの。卵焼きのようでいてスポンジ生地の様なものなど。焼き目が食欲をそそる海産物。そして、煮汁の旨味が食材に染みわたっているであろう山の幸。どれを見ても本気すぎる……彼女はいったい何と戦っているのだ。


「これが、私の全力です!」


 極控えめな胸を張りながら腕組みをしたベルが、会心の出来といえる料理を披露してみせるものの、そんなベルとエヴァたち四人の温度差は大きく、彼女の予想していた称賛の声が上がることは無かった。


「こ、これはまた……」

「うわぁ……」

「……なんというか、凄いわね」

「夕飯にはまだはやいですよ~?」


 確かに品数の指定はなかったが、この量はあまりにも多い……多すぎる。

 そして何よりも、食材集めを含めたこの一刻程の時間で、これだけの料理をたった一人で作り上げたことに、エヴァとキャロは驚いていた。


「ささっ、シェアトさんたちは早く食べてみてください」

「それじゃあ、いただきま~す」

「……いただきます」


 そうして始まった審査……


 ………

 …… 


 その結果――


「どうして……どうして、私じゃないんですか~っ!」


 それぞれの料理の試食が終わり、シェアトとヴィーゾが結果を発表すると、ベルは頬を膨らませながら異議を申し立てていた。

 すべてではないが、普段は使わないような希少な食材を使い、自らの腕前を存分に発揮した上での結果なのだ。頭では理解できても、納得できないのだろう。そして、自分の中での折り合いを、直ぐには付けれないだけなのである。


「量が多いんですよ。それに僕の苦手なものが入ってました~」

「ちょっと! それはシェアトさんの問題じゃないですか!」

「私はこの疲労を奪い去ってくれるような、家庭的な温かさが決め手でしたね」

「うぐっ……」


 シェアトの評価はさておくとしても、ヴィーゾの言葉は納得せざるを得ない。

 ベルが言葉を詰まらせる最中、今回の勝者とその友人は微笑みあっていた。


「やっぱり、キャロの料理はほっとする味ね。今回の結果も納得よ」

「ありがと。それにしても、エヴァもいつの間に料理なんて覚えたの?」

「それは秘密よ。あっ、この黄色いの美味しいわよ?」

「教えてくれてもいーじゃん! って、ほんとだ、甘くてほわほわしてる~!」


 ミソロギアにいた時には見ることもなかった様々なベルの料理に舌鼓を打ちながら、少女たちは新たなる年を賑やかに温かく過ごすのであった。


 …………

 ……

 

「ん? これは……すぐに処分しますか」


 地面に落ちていた手のひら大の一枚の紙を拾い上げ、書かれている内容を目にしたヴィーゾは、誰にも気取られる事なくそれを破りごみ箱へと捨てた。


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 ※購入者氏名  エヴァ・カルディア  ※

 ※お買い上げ、誠にありがとう御座います※





 ――ユーフィリア家のお庭にて 


「もう一回! もう一回です! 次こそわたくしの本気をみせますっ!」

「あはははっ! これで三十五回目のもう一回なのじゃ」

「くくくっ! あんたの本気はいつになったらみれるんさね」


 屋敷の庭では、地国からの来訪者であるミコトとその姉のような存在であるイズナが、目に涙を浮かべながら声を上げるのを我慢することなく笑っていた。

 そしてもう一人、天国出身の駄天使は、一目見ただけではシエルだとわからないほどに顔が真っ黒になっている。

 天使としての美しさはそこにはなく、最早地団駄を踏む敗者の姿でしかない。


 今彼女たちがしていたのは、地国で古くから伝わる追羽根と呼ばれる遊びの一種だ。羽球バドミントンに似ているが、コート仕切網ネットを必要としない等々、異なるところも多い。

 その中でも何より異なっているのが、シエルをここまで変貌させた理由でもある、負けるたびに顔に墨等の塗料を塗られるというものだ。


「困ったのじゃ、顔が真っ黒すぎて……ふふっ、塗れるところが無いのじゃ」

「ミコト、まだ塗ってないところはあるさね、み・み・が、ぷっ」


 可笑しさを堪えているミコトは困っているようには見えなかったが、イズナの助言によって一層その笑顔は晴れやかなものとなった。

 そして筆に墨汁を染み込ませると、敗者であるシエルに向き直り……


「シエル、その場から動かず余に墨を塗らせるのじゃ」

「そ、そんなこと認めるわけにはいきません! こ、これ以上、気高き天使アンジェであるわたくしを汚していいと思っているのですかっ!?」

「くくっ、当然いいと思ってるさね。ルール説明はきちんとして、受け入れたのはあんただろ?」

「イズナ、挟み撃ちにして捕まえるのじゃ!」


 これ以上の辱めを避けようと逃げる天使が、その翼を一切広げることなく自分の脚で逃走を図っているのは、ミコトたちとのこういった触れ合いすらも楽しんでいるからなのだろう。

 ミコトの方も、本当に相手が嫌がっているのであれば止めるだろうし、それ以前にイズナが止めに入ることも十分ありえることだ。


「絶対に、これ以上、黒くなりたくないです!」

「ちょっとだけ、ちょっとだけ塗らせるのじゃ~!」


 無邪気に駆け回る二人の姿を美しい孔雀石の瞳に映しつつ、


「あんたら、ほんとに仲がいいさね」


 イズナはとても柔らかい笑みを浮かべていた。


 …………

 ……


 楽しげな声を発しながらシエルたち三人が庭の奥で遊んでいる最中、同じ庭の屋敷側にも戦う者たちの姿があった。


「今年こそ……負けるわけにはいかないというのに」

「先番。フォル君、早く何とかして」

「――くっ、まさかここまで苦戦することになるとはッ」


 ブリジットの手伝いも一段落して、夕食の準備まで自由の身となった優しき狼と幼き吸血鬼は寒空の下、時折吹く強風に屈しないように仲良く身を寄せ合っていた……が、よく見るとそういうわけでもないらしい。


 彼らの体は糸で雁字搦めになっており、自由に動くことができないほどに密着していた。逃れようと藻掻けば藻掻くほど糸は絡まり、彼らの体力を奪っていく。


 そんな二人の情けない姿に溜息を漏らしつつ、小刃ナイフを手に持ちながら歩いてくるのは、年明け早々から忙しなく動いていたブリジットだった。

 広間からたまたま二人の姿を見かけたというよりも、事前にこうなることを予測していたようなタイミングだ。


「まったく、なにやってんだいお前さんたちは」


 的確に糸を小刃ナイフで切っていき、フォルティスたちを再び自由の身としたブリジットは、直ぐに踵を返して屋敷の中へと戻っていった。

 そして、再度姿を見せた彼女の手には小刃ナイフの他に新しい糸が握られており、それを器用にも手早く付け替えると、一言。


「次、同じ事になってもアタシは知らないからね」


 今度こそブリジットは屋敷の中へと引き返し、庭に姿を現さなかった。

 しかしそれでも構わない。

 どの道、次に失敗するつもりなど毛頭ないのだから。


「挑戦する前から大変な事にはなったが、やるぞロザリー」

「奮闘。フォル君、がんばって」


 そう言って、気持ちを切り替えた彼らが挑戦しようとしていたのは、凧揚げと呼ばれる新年の遊びの一つだった。

 細く割った竹で骨組みを作り、その片面に絵が描かれている丈夫な紙を貼り付けると骨組みに紐を使って反りを出し、最後の仕上げとして骨組みにまた別の長い糸を繋げれば完成だ。

 先程フォルティスたちが屈していたのはこの長糸なのだが、ともかく、こうして作製した凧を風に乗せて大空に翔ばすのが凧揚げと呼ばれる遊戯だ。


「ロザリー、紙凧シリウスを持って向こうで立っててくれ。そして、俺が合図をしたら離すんだ」

「快諾。必ず成功、ロザリー信じてる」


 真剣な眼差しで頷き、離れていくロザリーの背を見つめながら、フォルティスは今回の挑戦に懸ける自分の熱意と、それに協力してくれている家族の優しさに心を震わせていた。

 この挑戦を失敗するわけにはいかない、必ず成功させる……必ずだ。

 そんな思いを胸に秘めたまま、フォルティスは此の地に吹く風の流れに意識を集中させた。


「ふぅ……」


 紙凧シリウスの骨は細竹なので割と丈夫だが、皮膚は紙で出来ているためその強度はそれ程高くない。よって失敗してしまうと最悪の場合、再挑戦が不可能となってしまう。

 だが、それがなんだというのか。

 命を懸ける戦場において、基本的に二度目はない。

 僅かな好機を感じとり、そこに全力を注ぐことで険しき道も開かれる。

 その苦難の先に広がる光景は、いったいどんな景色なのだろうか。

 見てみたい。――否、必ず見てみせる。


 きっと、息子シリウスも乗り越えた先の景色を見たいはずだ。

 広大な大空で風を感じ、息を飲むほどの景色を見たいはずなのだ。

 思い返されるのは、この日の為に切磋琢磨して生み出した息子シリウスにかけた熱意。

 ※作ったのはロウであり、フォルティスは隣で応援していただけである。


(…………)

 

 周囲の音がどこか遠くに聞こえてくる。

 胸の鼓動が静かに聞こえ、巡る血すらも感じ取っているかのようだ。

 名付けるならば――天狼無心流極意・明鏡止水。


 風の向き、強さ、自ら瞬発力、そのどれか一つでも読み違えれば成功は無く、大切な息子シリウスが地に叩き付けられることになるだろう。

 子を高く羽ばたかせるのは父の役目であり、ロウが自分をここまで育ててくれたように、自分もそれに恥じぬ父にならねばならない。


 暫くし、もうすぐその時が訪れるのを、フォルティスは本能的に感じていた。

 降魔と闘っているときのような集中した感覚が、身体中に広がっていく。

 脚は強張らず、それでいて力強く地を踏み……

 心臓の鼓動の熱を冷まさず、されど乱れず穏やかに……

 牙で咥えた糸を切らぬよう、赤子を抱くが如く優しく噛み締める。


 そして、僅かな風鳴りが聞えたその瞬間――


「ロザリーッ!」

「――っ!」


 フォルティスは声を上げると共に全身をしなやかに使い、有らん限りの力で大地を蹴ると、身体で風を感じながら疾く駆けた。

 ロザリーの紙凧シリウスを離す時機タイミングは最も良く、彼女自身確かな手応えを感じながら、成功へ一歩近づいたことに自然と表情が柔らかなものへと変わっている。


 一呼吸する間に紙凧シリウスは高き大海原に飛び込んでいくが、戦場とは目まぐるしく変化する生き物だ。

 急に風に流れが変わり、紙凧シリウスが無慈悲な強風こうげきに煽られ傾きそうになるが、息子シリウスの晴れ舞台を決して誰にも邪魔させるわけにはいかない。


「ユーフィリア家の一員として俺はッ!」


 更に強く足を踏み込み、速度を上げて紙凧シリウスの高度を維持させようとフォルティスは自身を奮い立たせるため、自らの誇りに力を込めた。


 だが――それは完全な悪手ミスであり、冷静さを欠いた彼の敗北への一手となった。


「なっ!?」


 強風により更に高度を上げることができた紙凧シリウスは、そのまま自由に(・・・)大空を泳ぎ回っている。

 そう、彼は息子シリウス命綱たこいとを切ってしまわぬよう、慎重にそれを咥えていたのだが、最後の最後で獣としての誇りでもある牙に力を込めてしまい、命綱たこいとが切れてしまったのだ。


 だが、幸いにも地面に叩き付けられることはなく……


「これが……旅立つ息子を見送る父の気持ち」 


 どんどんと風に乗って、振り返ることなく離れて行く息子シリウスを見送りながら、フォルティスはどこか哀愁の漂う表情を浮かべていた。


 空に舞う凧は糸があるから立派で力強く見るのかもしれないが、凧のことを思えば、きっと糸などないほうがいいのだろう。

 繋がれたまま、親の敷いた道でしか生きられないのであれば、きっとこの凧も風に逆らうことしか覚えなかったはずだ。

 だから、これでいい……これでいいのだ。

 

(飛べ、自由に……どこまでも)


 そんな彼の傍にロザリーが駆け寄って来ると、


「すまない、ロザリー。せっかく力を貸してくれたというのに……」


 小さくなる息子シリウスの背を見つめながら、僅かな悲壮感を含んだ声を漏らすフォルティス。そんな家族の気落ちした姿を見ていられないのか、傍に佇むロザリーは顔をそらしたまま……小さく呟いた。


「妙案。来年は、フォル君の尻尾に糸を結ぶといい」


 そうして、力強く旅立った息子は……

 フォルティスたちの視界からその姿を完全に消したのだった。





 ―――月国神都ニュクス領内、とある平原にて


 空には陽の光を遮るものは何一つなく、一面に澄んだ蒼が広がり、肌に感じるこの季節特有の冷たさも、屋敷を出てからずっと駆けて来た三人の火照った体には丁度心地良いものだった。


「兄さん、ここが私たちの勝負の舞台です」


 そうしてツキノによってロウとシンカが連れてこられたのは、いつもとは様相の異なるものの、ピクニック等で何度か訪れたことのある馴染みの丘平原だった。

その異なっている点というのが、一部の範囲だけが白くて冷たいもので覆われている、ということだ。

 自慢気なツキノの表情と明らかに不自然な地形。いつも三人一緒にいるのに、姿を見せているのがツキノただ一人というこの状況……何かがあるに違いない。


「これだけの準備をしてるということは、模擬戦のように普通に戦うわけじゃないんだろ?」

「その通り。流石ですね、兄さん」

「それなら、ここにあるこれはシラユキの能力ってことかしら?」


 改めて辺りを見渡してみると、ロウたちから離れたところには半球状の雪の塊の様なものがある。そしてその傍では、シラユキとモミジがしゃがみ込んで何やら必死に作業をしているようだった。


「情緒や風情は楽しみたいのですが、今回は互いの矜持プライドが懸かっているので。二人とも~、兄さんとシンカを連れてきましたよ~!」


 遠くから呼びかけられたシラユキたちはすぐさま立ち上がると、ロウたちのいる所に走ってくるのだが、足元の雪に注意しているためかシラユキは駆け足よりもやや遅い。しかし、モミジはというと……


「ちょっ!? あっ、あああぁぁぁ~っ!」


 あと少しで雪原を抜けれるというところで、モミジが足を滑らせお尻を地面に打ち付けると、そのまま成す術もなく緩坂を滑り落ちてきた。


「「「モミジ!?」」」


 突然の、それでいて彼女ならば十分に起こり得た事故アクシデントに心配そうな眼差しを向ける一同。

 そんな中、モミジはすぐさま起き上がり、お尻を擦りながら無言のまま雪原を越えると、快晴の空に向けて胸の内を叫んだ。


「新年早々あんまりっす~ッ!」


 年が明けても彼女らしいところを見ることができたロウたちは微笑みを漏らし、雪まみれになったモミジにそれぞれ慰めの声をかけた。


 …………

 ……


「それでは気を取り直して。私たちと雪合戦で本気の勝負です、兄さん!」


 雪合戦。それは雪が降り積もる地域特有の遊びだ。

 雪玉を作り、それを投げ合うという至って単純シンプルなものなのだが、これには最大にして、唯一の欠陥が存在している。

 それというのも、明確な規則ルールをこの場にいる者が誰も知らないということだ。

 噂によれば、雪合戦を競技スポーツとして行っている地域もあるようだが、深い雪が積もることが滅多に無い月国には存在していない。


「勝負するのは構わないが……勝敗はどう決めるんだ? それにツキノだけじゃなく、モミジとシラユキも一緒ってことなんだよな?」

「もちろんっす!」

「それは当然かな」


 苦笑するロウに穏やかな視線を向けられた二人は、ツキノと同様に自らの意思を力強く示してみせた。

 そして、ロウとシンカの疑問である雪合戦の規則ルールは、真剣な眼差しで佇むツキノの口から開示されることとなった。


「勝敗はどちらかのチームが続行不可、もしくはギブアップする事で決着とします」

「そ、それはルールとしてどうなのかしら」


 至って真面目に語るツキノに対し、白い息と共に出たシンカの極小さな呟きは誰にも届くことはなかった。


「私たちは兄さんと本気の勝負がしたいんです」

「勝負は受けたからな。手を抜くことはしないが……本当にいいのか?」

「はい、本気でお願いします。ですが兄さんの強さは、兄さんが溺愛する妹である私たちはよく知っています」


 勝負の内容はどうあれ、ツキノの真摯な思いに応えるように、ロウは熱の籠った黒曜の瞳を三人へ向けた。

 そして、それに臆する事なくツキノが申し出た最後の願いは……


「なので……兄さんはハンデとして、五分間その場で無抵抗のままでいて下さい!」

「えっ、ち、ちょっと、ツキノ! それはいくらなんでも……」

「わかった。五分でいいんだな?」

「もう! ロウもすぐそうやって」


 本気の勝負を申し込んだ上に、予想以上の実力調整ハンデキャップまで要求するツキノに声を荒げるシンカだったが、それを快諾したいつもと変わらぬロウに呆れ果て、これ以上は当事者同士で解決してもらおうと閉口した。


「ありがとうございます! 流石、私たちの兄さんです!」

「これくらいお安い御用だ。ただ……これだけは言っておこう」


 ――最後に勝つのはこの俺だ。


 眼前に広がる雪原よりも冷たい声は、ツキノたち三人を震え上がらせるには十分だった。そして、それ以上に彼女たちに熱を与えるには十分すぎる言葉だった。


「それでは、兄さんは向こうで開始の合図を待っていて下さい。シンカ、開始のタイミングは任せました。行きましょう、二人とも! 妹力まりょく全開です!」

「任せるっす!」

「兄を慕う妹の意地をみせたいかな」


 三人それぞれに意気込みを残しながら、半球状の雪の塊のような物のところへと転ばないように駆けだして行った。

 そんな三人の背中を見つめるロウの眼差しは先程の声とは異なり、雪を解かせそうなほどに温かいものだった。


「じゃあ、俺もいってくるよ」

「え? う、うん。いってらっしゃい…………ロウ、お兄ちゃん」


 背を向けて雪の中を征くロウに、思わずかけてしまった言葉のすべてが届いていないことを願いつつ、シンカは紅く染まっているであろう自分の顔を冷ますように手で扇ぎながら、四人が位置に到着するまで暫しの時を過ごした。


 …………

 ……


「それじゃ、時間無制限の雪合戦――始めっ!」


 そうして開始された譲れぬ想いを懸けた大戦。


「さて、五分間は立っているだけだったな。それにしても……」


 ロウは改めて、自らの周囲とツキノたちのいる場所を見比べてみた。

 自分の陣地は雪というより霙に近い状態で、雪玉はとてもではないが作れそうもない。

 それに対し、ツキノたちの陣地には雪玉を作るのに適した十分な雪と、事前に作っていたと思われる大量の雪玉と、更には自分たちの姿を隠すには十分な雪の壁……半球状の雪の塊は雪倉かまくらだったようだ。


 雪合戦開始前にそのことに気付いたロウがツキノに問いかけたのだが、返ってきた答えはなんとも闘争を知る者であれば納得のいくものだった。曰く――


”兄さん、戦闘が常に戦力差の無い状態で開始されるものと思わないことです”


 まさにぐうの音も出もでないとはこのことだった。

 ロウも月の使徒に在籍していた以上、幾多の戦場を駆け抜けてきた。

 合戦が五分五分の条件で状態で開始されることは無く、この雪合戦の規則ルールがまさに命のやり取りをする戦の如く、戦闘不能か降伏以外にないというのだから、ツキノたちの方が一枚上手だったということだろう。

 つまり、彼女たち三人がそれだけ本気で勝ちにきているということだ。

 

「三人もなかなか言うようになったものだ」


 戦場に赴く者としての彼女たち成長を嬉しく思っているロウではあるが、ツキノたちが投げてくる雪玉によって、胸から下は既に雪で覆われ情けない姿と相成っている。これでは、簡単には動くこともできないだろう。

 この調子でいくと実力調整ハンデキャップの五分が過ぎる頃には、ロウの全身が雪で覆われて雪だるまのようになっているに違いない。


(冷たさを凌ぐためとはいえ、魔力のいい鍛錬になるかもしれないな)


 魔障壁を更に薄くした魔力の膜のようなもので自身を多いながらそんなことを考えていると、人の頭より一回りも二回りも大きな雪玉がロウの頭上から降ってきて、彼の視界を黒く染めた。


 まさに雪だるまと化したロウを前にしたツキノ陣営はというと……


「やりました! これは私たちの……いえ、妹力まりょくの勝利です!」

「魔力……コホン、妹力まりょくを使いすぎて、もうくたくたかな」


 これは彼女たちにとって、まさに負けられない戦いであった。

 ブリジットたちのように親ではなく兄としてロウを慕う彼女たちにとって、親力じんりょくは紛れもない天敵であり、その存在を許容することはできても、妹力まりょくの方が勝っているということを知らしめなければならなかったのだ。

 親が子を思うより、妹が兄を想う方が遙かに勝っているのだと。


 勝てば官軍、負ければ賊軍。たとえ道理がどうであったとしても、戦いに勝った者が正義となり、負けた者に不正の汚名がきせられ不義となるのは、いかなる世であっても変わらぬものである。

 故にこの瞬間、彼女たちの正義は誰もが認めるものとなった。


「シンカ! 審判として、早く判定してほしいっす!」


 この五分間、シンカにとって驚くことが多かった。

 周到に用意されていた山積みの雪玉を複数同時に、確実にロウへと当てていった念動力の使い手モミジ。

 平原の一部分とはいえ、深い雪原を作り出しながらもこの五分間、雪玉を生成し続けたシラユキ。

 そして、この勝負をロウに受けさせ、モミジたち二人に的確な指示を出しながら自らも雪玉を投げ続けたツキノ。

 その結果が、まさに雪だるまと化した敗者ロウの姿だった。だが――


「そうね、あれだけの雪で覆われているんだもの。凍えてないとい……あっ!」


 勝負の判定を急かされ、ロウの身を案じながらも勝利者宣言をしようとしたシンカであったが、突如としてあまりにも重要なことを思い出し、声を上げた。

 そして、ツキノたちに試合放棄ギブアップを促そうと、視線を向けたそのとき――


「さて、五分が経過したでありんすが……」

「……オマエたち、覚悟はできているんでしょうね」


 二メートルを超える雪だるまが内部から木っ端に弾け、周囲に雪を吹き飛ばすと、そこに立っていたのは服についている雪を払い落す困り顔のロウ。

 表情と口調はいつもと変わらずにいるが、後ろで揺れている尻尾すべてに凄まじい量の魔力が満ちているルナティア。

 自らの主へ一方的に攻撃を仕掛けた者たちへの怒りを隠すことなく腕を組み、元より鋭い目を更に細めたハクレン。


 主を守るように、そしていつでも攻勢に移れるように、ハクレンとルナティアの二人はロウの前に立ち並んだ。


「こ、これはまずいかな……」

「無理っす! これは無理っす! さすがに無理っす!」

「に、兄さん! この戦力差はあんまりです!」


 離れているはずなのに、そして雪玉以外の直接的攻撃は不可であるにも関わらず、ツキノたちは首元に刃を当てられているような恐怖を感じていた。

 混乱する中、なんとか声を上げて抗議するが、それも敢えなく打ち破られる。


「戦闘が常に戦力差の無い状態で開始されるものと思わないことだ」


「「「――ッ!?」」」


 ツキノ自らが発した言の葉が、今まさに言の刃として自らに突き刺さった。


 三人が戦意を失い膝から崩れ落ちると、冷たい雪を踏みしめる二つの足音が三人の冷たくなった耳にまで届いた。


 負けられない戦いがあった。譲れない思いがあった。

 しかし、より強大な力を前にすれば、どれだけ固い決意も意志も届かぬのは自明の理であり、せめて敗北宣言を喉の奥に封じ込めるということが、彼女たちにできる唯一の抵抗であった。


 たとえ此処で負けたとしても、命が尽きるわけではない。

 であるならば、また再び立ち上げればいい。

 この悔しさを噛み締めて、泥水を啜ってでも強くなり、いつの日かさらに猛る闘志と共に再び立ち上がるのだ。


「「「あわわわわっ……」」」」


 敗北を告げる足音がだんだんと迫り、徐々に大きくなってくると、遂に声を上げることもできないほどに震える妹力まりょく使いたちの側へと辿り着いた。

 

「初夢は何がいいでありんしょう」

「……当然、ここはアレしかありません」


 三人の頭上で交わされる、他愛のない短い言葉。

 それをツキノたちが理解するよりも先に、審判は下される事となった。


「「雪だるま」」


 途端、ルナティアの力によって増幅されたハクレンの魔力が渦をなし、一瞬にして視界を覆うほどの吹雪が荒れ狂うと、二人の手に掲げられた巨大な雪玉。

 ツキノたち三人は悲鳴を上げる間もなく、ハクレンとルナティアによる反撃を受けて、文字通りの雪だるまと化したのだった。


「ねぇ、ロウ」

「どうした?」

「今年も賑やかな一年になりそうね」

「……そうだな」


 そう言って、ロウとシンカは微笑んだ。


 この先に待っている運命が、苦難を伴うものだと知りながら。

 ずっと楽しいだけではいられない、それをわかっていながら。

 本当の戦いはあまりにも過酷であり、不条理な死が転がっていて、それを悲劇と呼ぶにはあまりに凄惨なものかもしれないが……それでも――


 今日という楽しい日も確かにあった。

 幸せだと感じる刹那も確かにあった。

 それらが日常になるように、それらを日常とするために――



 この世界は残酷だ。

 この世界は不条理と死に満ちている。

 そんな世界で生きる者にとって、一年を乗り越えるというのは大変なことだ。

 確かに明けない夜はないのだろう。

 しかし、夜が明けてもそれを拝めない者は確かに存在している。

 死はいつでも唐突に訪れ、言葉無き別れを強いてくる。

 夜が無事に明ける一日を積み重ねが、新たな年の幕を上げるのだ。 

 だから、その感謝を決して忘れぬよう、人はこの日に言葉を紡ぐ。

 その言葉の意味を感じ、共にその喜びを分かち合う。

 

 共に無事、この一年を乗り越えてくれてありがとう、と。

 今年の一年も、無事共に乗り越えていこう、と。


 それは感謝の言葉であると同時に、祈りの言葉。



『あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします』


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