05.邪を祓いし鬼と魔滅
空は光を遮る厚い叢雲に覆われ、広がる荒野は暗黒そのものだった。
灯る光は発火石を用いて薪を焚いた夜営の焔。
そこには数え切れないほどの魔憑や兵士たちがおり、眠っている者や閑談をしている者、どこか疲れた表情を浮かべている者たちと様々だ。
そんな中、夜営の中央に位置する少し大きめの天幕にいるのは五人。
信頼の置けるメリュジーナを始め、吸血鬼のクローフィ、人狼のリコス、そして姿を誤認させる希少な能力を持つムメイとあと一人――
「明日はこの地点までは行きたいわね。ピースとクォラルも、きっともう動き出してるはずだし」
そう言って、煌びやかな髪留めをつけた漆黒の髪を持つ少女は、長机に広げられた地図の上に細い指先を置いた。
「ある程度の予想はしていましたが、やはり降魔の数が尋常ではありません。明日中にそこまで行くとなれば、討ち漏らしの懸念がありますね」
「あぁ……他国に遅れを取るわけにいかないのは確かだが、万が一にでも討ち漏らせば、守りの薄くなっている我らが国への被害は免れない」
クローフィに続き、リコスが真剣な表情を浮かべる中、次に声を発したのはムメイだ。
「でも、御殿様がいるし大丈夫じゃん?」
「その通りだけど、クロリコの懸念も最もだね。この地点は切り立った岩山を抜ける必要がある。抜けきれずに夜を迎えれば討ち漏らす可能性は高まるし、そうならないのが理想だ」
メリュジーナにクロリコと纏められた呼び方をされ、クローフィとリコスは僅かに眉を顰めるも、彼女のこういったところは昔からだ。
何度か止めるように言ったのだが、今でも時折こうして纏められることがあり、それについては二人とも半ば諦めていた。
そんな三人の関係を前に、少女は漆黒の髪を軽く手で払いながら微笑んだ。そして地図を見下ろし、先の地点から少し手前を指しながら……
「なら、明日は無理をせずこの地点までとするわ。早めの休息を取り、翌日の早朝に動き始めてその遅れを取り戻す」
「異論はありません」
「私も異論はない」
「メイも」
忠義に厚い臣下たちの賛同を得ると、少女は満足げな笑みを浮かべた。
すると、メリュジーナはまだ温もりのある珈琲杯を口につけ、小さく喉を鳴らしてから、地図の中で標のついた地点を見下ろしながら声を出す。
「あたいたちが退いた後、次の大隊が到着するまでの間はこの地点が一番守りに適してるからね。この進行速度なら、交代までに無事到達できるだろう」
「決まりね。それじゃ、いい時間だしそろそろお願いできるかしら?」
少女の声に応えるようにその場で立ち上がったのは、ルルディ隊である三人だ。
そして、少女の凜とした声が響き渡る。
「今は亡き鬼神の魂は英雄と共にありて、其の姿は無くとも其処に在る。たとえ時代が忘れても、彼らは決して彼の異形を赦しはしない。故に今日というこの日だけは、彼らは嬉々として外の中界を夜行する。たとえ忌み嫌われようと、鬼にだって護りたいものはあるのだから」
言って、天幕を出る少女の後ろに付き従うのは紛れもなく人成らざる者だった。
一人は漆色の髪と瞳、剃り立った二本の角。長い腰布の上から、首周りに金色の毛皮のついた黒い羽織を纏い、細めの赤縄で腰を縛っている。
一人は紅色の瞳に、逞しい二本の鹿の様な角と額に小さな角。赤き甲冑に身を包んだ鎧武者のような風貌をし、背中に数多の武器の刺さった箱を背負っている。
一人は蒼色の瞳に、鋭く尖った一本角。真ん中が大きく開いた、両足を覆うほどの長い腰当て。左肩には角を模した大きな肩当と、両腕には小手をつけている。
その姿はまさに、内界の絵本などに出てくる鬼と呼ばれる存在だった。
この場にいたメリュジーナ、クローフィ、リコス、ムメイ、その誰もが彼らを直接見たことはないが、それでも彼らのことは知っている。
それは少女も同様で、故に彼女は毅然とした声でこう告げた。
「――さぁ、練り歩きましょう」
煌照節三十四日は内界の歴でいうところの二月四日。
その日の夜は、子供や大人たちの声が内界各地で響き渡っていた。
「鬼はー外っ、福はー内っ!」
手に持った炒り豆を外に撒き、次に戸を閉めて内に撒くと、最後に一年の厄除けを願いながら数え年の分だけ豆を食べる。
そう、今日は”節分”と呼ばれる日。
鬼に豆をぶつけることにより邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがある行事だ。
一般的には外界の地国テールフォレ、そしてその守護下にあるコキヤフレル共和国から広まったと言われているが、その理由は四季にあった。
まだ中立国アイリスオウスが建国されていない時代、七つの大国の中で明確な四季があったのがコキヤフレル共和国だけだったからだ。
節分とは各季節の始まりの日、つまりは立春、立夏、立秋、立冬の前日のことであり、季節を分けることも意味している。
その中でも立春は厳しい冬を乗り越えた後である為、一年の始まりとして特に尊ばれていた。
そんな季節の分かれ目は邪気が生じるとされている。
季節の変わり目は風邪を引きやすい、などと言うこともあるが、鬼は姿が見えない者やこの世ならざる者といった具合に、得体の知れない邪気のことを意味しており、故に災害や疫病などの悪いことはすべて鬼の仕業と考えられていたのだ。
さらにもう一つ、コキヤフレル共和国の信仰する神が、豊穣の女神だからということも、広まった元の国である理由に挙げられている。
それは五穀に災いを払う霊力があると信じてられてきたからだ。
五穀の中でも豆が選ばれた理由としては”魔の目に豆をぶつけて魔を滅す”という言の葉にある。
撒いた豆から芽が出ては縁起が悪いとされている為、芽が出ないように炒った豆を神棚に供え、そこで神力を得た豆は魔滅となり、邪を祓う力を宿す。
そして鬼がやってくる夜にそれを撒くのだ。
「なるほど……昔の人もいろいろ考えてたのね」
ロウの話を聞き終えたシンカは感嘆の声を漏らし、机の上にある升に入った炒り豆を眺めた。
「ちなみに升に入れている理由は、力が増すに通じて縁起が良いとされているからなんですよ」
そう言って胸を張ったのはツキノだ。
ロウと初めて節分を迎えるシンカとは違い、この屋敷の者たちは幼い頃に先の話をロウから教えて貰っていた。
それは今のシンカと同じ疑問を抱いたからであり――
「だったら、どうして外界は”福は内”だけで”鬼は外”って言わないの?」
そう、外界では内界とは異なったやり方で豆を撒く。
前日に炒った豆を自国の神の居所の方角へと置き、翌日の節分になると朝、昼、夜、そして日を跨いだ深夜と四度において無言のまま豆を外に投げる。
それらを終えた最後、戸を閉めて一度だけ内に豆を撒くのだ。
「外界での今日が、なんの日か知ってるだろ?」
ブリジットの問いかけにシンカは少し頭を捻り、ハッとした表情を浮かべた。
今日この場にリンがいないのも、珍しくいつもツキノと一緒のモミジやシラユキがいないのもそれが原因だ。
「……漸減作戦」
「本当は私も行く予定だったんですけど……」
「その傷じゃ仕方がないだろう。いくら六ヶ国合同の大規模な作戦とはいえ、そんな状態だと逆に足手纏いだ」
「同意。フォル君の言うとおり、今は安静。それ大事」
「……はい」
漸減作戦とは、外界各国に在る深域から同時に大隊を突入させ、中界に巣くう降魔の数を可能な限り減らすという大規模な作戦のことだ。
とはいえ、各国が手を取り合うというものではなく、ただ日付を合わせて同時に降魔を殲滅するという、単に利害の一致からくるものでしかない。
それは年に一度だけ行われる。
降魔がひしめく巣穴に投入するにはそれなりの準備が必要であり、その大隊に含まれるのは神魔総位に名を連ねる者を筆頭にした強者ばかりだ。
そして突入したからには、軽く倒して帰還などといった中途半端な終わりはなく、数を増し続ける降魔を大量に間引く必要がある。
弱攻撃を二度三度放つより、息の合った全力の超強攻撃を一度。
故に準備期間や国力をそれなりに要するため、年に一度というわけだ。
その中でも、特に降魔の数が増えた年に行われた作戦の規模は、通例の滞在期間をさらに引き延ばし奥地まで攻め込むという、別格なものだった。
星歴三七七年――第一回大漸減作戦
星歴五七七年――第二回大漸減作戦
今日行われているはずの漸減作戦に参加している猛者ですら、それらの戦いを経験している者はいないが、今年の戦いも過酷なものになるのは間違いない。
そんな作戦にツキノが参加していないのは、先日の作戦で怪我を負ったという理由からだ。今は安静にして体の傷を癒やし、後半からロウたちと共に参戦することになっている。
「でも、漸減作戦と豆まきがどう関わってるの?」
大まかに感覚的な予測はできても、どことなく引っかかりを覚えたシンカは、小さく首を傾げながら問いかけた。
「この豆まきという行事は、元々この世界になかったものだと言われてるんだ。正確には、その在り方がいつの間にか変化したというべきか」
そう前振りし、ロウは外界の豆撒きについて語り始めた。
ロウの言ったように、昔の豆撒きというものは内界にある一般的なものとは異なっていた。
豆撒きの起源は、追儺……つまりは鬼遣らいと呼ばれる儀式とされている。
それは鬼役の者が手下役の役人を引き連れて町中をまわり、厄を払うものだった。鬼役は鬼神と呼ばれる者の姿をし、いかにも恐ろしい風貌をしていたが、当初はその姿をもって悪鬼を祓う善神だったのだ。
だが、いつしか鬼を追う側であった者も悪鬼と見なされ、逆に鬼として追われるようになってしまった。鬼は疫病といった類の厄も象徴しており、鬼の姿をした疫病を追い払うことで、病気の流行を封じ込めようとしたわけだ。
なぜそうなったのかというと、先に言ったように、鬼は姿が見えない者やこの世ならざる者といった具合に、得体の知れない邪気のことを意味している。
だが、あるときそれが姿形を成してこの世に現れた。――降魔だ。
人は人成らざる者に対して善悪を区別するとき、どこを見てそれをするのか。
単純な答えでいうなら”大半の者ができない”ということになる。
善か悪、それらを区別するとき、そこに必要なのは行動で示すというこだろう。
成した行いを見なければ善か悪かを判断できないにも関わらず、人というのは外見だけでソレを区別してしまう生き物だ。
故に、悪鬼を祓う善神も、悪鬼を祓うが故の恐ろしい風貌であるにも関わらず、恐ろしい異形――降魔と混同されてしまったされている。
「なんだか、勝手な話ね……ずっと厄を祓ってくれていた存在を、今度は厄そのものとして忌み嫌うなんて」
シンカが僅かに哀愁を漂わせると、ブリジットは小さく鼻で笑いながら……
「人ってのはそんなもんだよ。パパの傍にいたら、嫌ってほどそれがわかるだろ? 七年前、パパが記憶を失ったときだってそうさ。アタ――」
アタシがパパに拾われたときのアイツらだって、という言葉をブリジットは呑み込んだ。
ロウはブリジットに当時の記憶があることを知らない。危うく自分で暴露してしまうところだったことに内心焦りながらも、ブリジットは平然と言葉を重ねる。
「まぁ、だから外界では鬼を蔑ろにしたりしないってわけだね。シンカは三鬼刃と呼ばれた存在を知ってるかい?」
「知らないわ」
「解答。簡単に言えば、鬼族悪魔の長」
「そう、鬼族悪魔と呼ばれる一族だ。だがね、彼らは昔こう呼ばれていたそうだよ……鬼、と」
亜人と呼ばれる一族の中には、複数の呼ばれ方をする一族も存在している。
たとえば天使と天使、たとえば人狼と人狼、たとえば吸血鬼と吸血鬼。
そして内界では悪魔と呼ばれる存在の起源となった、貴族悪魔と鬼族悪魔。
その鬼族悪魔こそが、実のところ鬼と呼ばれる存在の起源であったということになるのだが……
「そっか。外界では鬼を蔑ろにしないってそういうことだったのね」
どこか納得したようにシンカが微笑むと、ブリジットも小さく微笑み返した。
鬼は外、それは知らぬ者からすれば鬼を厄とする言葉であり、知る者からしても鬼に異形との戦いを強いる言葉になってしまうからだ。
「まぁ、その辺りの歴史はまだまだ深いから、興味があればまた今度教えてあげるよ。最近、誰かさんのせいで歴史を調べ始めたから、それなりに詳しいつもりさ」
そう言って、ブリジットが何か言いたげな視線をロウに向けると、ロウは微苦笑を浮かべながら謝罪の声を漏らした。そして――
「父様、そろそろじゃないか?」
フォルティスに言われて時計を見ると、二月三日はすでに終わり、四日の二時を指していた。これが最後、深夜の豆撒きだ。
ロウたちは炒り豆の入った升を持ち、庭の窓戸を開いて並んで立った。
(勇ましき鬼神……俺は貴方たちのことを忘れない)
外界では朝、昼、夜、そして深夜に炒った豆を撒く。
増え続ける降魔の芽を摘む為の炒り豆を、神力を宿した魔を滅する魔滅を撒く。
ただ無言で、されど皆が等しき想いを乗せて、四度目のこの時間だけは誰もが一斉に、ただただ静かに魔滅を撒く。
朝、中界で戦う者たちの鯨波に合わせ、戦えなくとも想いだけでも届ける為に。
昼、疲労し始めた者たちへの援護射撃と言わんばかりに。
夜、仲間たちの奮戦で数を減らした降魔へ追い打ちをかける為に。
そして深夜――
明日へと備えて眠る……傷つき、疲労困憊となった仲間を守る為に。
皆が無事に帰って来れるよう願いを込めて、厄たる降魔を祓うべく。
――鬼は外、福は内
そこに込める想いはただ一つ。
――降魔は駆逐、仲間は凱旋
勇ましき善の鬼神よ、どうか此の地に舞い降り賜え。
勇ましき善の鬼神よ、どうか大切な同胞たちを見守り賜え。
勇ましき善の鬼神よ、どうか憎き異形を討ち祓い賜え。
…………
……
「さて、そろそろ寝ようか」
そう言ったロウの言葉に従うように、皆が就寝の挨拶をしながらそれぞれ自分の部屋へと戻っていく。
寝台に寝そべり、温かい布団に包まれながら夢の世界へ旅立つ中、ただ一人……シンカだけは寝台に入ることなく、部屋の窓から外を眺めていた。
いや、眺めているというには少し雰囲気が違っている。
どちらかというと、何かを見逃さないように見張っているようだ。
すると暫くして、シンカは琥珀の瞳に哀愁の色を強く宿しながら、誰の耳にも届くことのない音をぽつりと零した。
「……鬼は外、福は内……なら、貴方はこっちにいるべきじゃないの?」
屋敷を出て門扉を潜り、まるで夜の警邏をするように歩いて行く黒の背中を見つめながら、シンカはそっと押さえた胸が痛むのを感じていた。
『アハッ……百鬼夜行、懐かしいわね』
『でもね……本当に、豆を炒る火は地獄の業火より強いのかしら?』
『本当に、奈落より這い出る異形の芽を摘めるのかしら?』
『だってその豆は……魔芽、かもしれないのだから……ふふっ』




