06.見るは法楽バレンタイン
――月国フェガリアル神都ニュクス
「スキア、今後の訓練課題について相談なんですけど明日は空いてますか?」
「すまねぇ、明日はアミザの買い物に付き合わされることになってんだ。みんなして俺の影を大きな収納石みたいに扱いやがって……って、どうした? 鳩が豆鉄砲食らったような顔して」
「あ、あぁ……いえ、なんでもないですよ。そうですか、アミザさんと……」
「ん?」
一日の仕事を終えたアフティが何気なくスキアに話しかけると、返ってきた言葉はあまりに驚愕的なものであり、この瞬間が現実なのかと疑う程のものだった。
だが、視界の端の方で撫子色の髪をした少女が瞳を輝かせているのを見るに、これは紛うことなき現実であるようだ。
その後、スキアは自分の仕事机の上に散らかっていた物を手早く片付けると、明日に備えてすぐさま宿舎へと帰っていった。
「アフティちゃん! これは遂にきちゃったのかも知れないね!」
「そうですね、流石に今回ばかりは進展があるといいんですが……」
これまでも、アミザが何度かスキアに対して接近をしてきたが、まさに梨の礫、糠に釘、暖簾に腕押し。
当人たちの個人的問題ではあるが、直接相談されてもいない人間がよかれと思って行動を起こしたのだとしても、おそらく結果は変わらないだろう。
「とにかくオトネ。貴方は明日一日、俺と一緒に訓練に付き合ってもらいます」
「えぇ~! せっかくなんだし二人の様子をこっそり見に行こうよ!」
「……馬に蹴られますよ」
…………
……
煌照節四十五日――それは内界での二月十四日。
茜色の光が空を照らして夜の準備を始める頃、買い物を終えたスキアとアミザは同じ歩幅で歩きながら帰路についていた。
「それにしても、今日はいろんな店を回れてなかなか楽しかったぜ」
「そ、そうですか。私も荷物のことを気にせず買い物ができて良かったです」
「ひでぇもんだな、まったく。ま、お前がそれで楽しめたならついてきたかいがあるってもんだ」
スキアにまったく気にした様子はなかったようだが、買い物をしているときから街中の恋仲であろう男女を目にする度に、アミザの頭に浮かんでは消える自分の願望。
そんな彼女の隣に立ちながらも、前を向いたままのスキアは気付かない。
アミザの頬が薄い朱色に染まっているのが、姿を消そうとしている夕陽に照らされているからではないということに。
そして、あの日から胸の内で大切にしていたその想いを打ち明けるために、アミザは決意の色を瞳に映してその歩みをぴたりと止めた。
「ん? どうした、アミザ。買い忘れたものでもあったのか?」
不意に立ち止まったアミザに気付き、先程と変わらぬ調子で振り返りながら声を掛けるスキアだったが、彼の両眼に映し出されたのは先程までと違う、どこか泣きそうな表情とも取れるアミザの姿だった。
スキアは彼女の様子が一変したことに狼狽えてしまい、上手く言葉が出てこない。そこにいるのは普段から皮肉めいた言葉をよく口にする彼女ではなく、スキアが困惑する間もずっと、アミザは真っ直ぐにスキアに視線を向けている。
そして彼女は意を決したように微かに震える唇を開き、昨晩何度も鏡の前で繰り返し練習した言葉を消え入りそうな声で呟いた。
「……今日は――――だから、受け取って……くだ、さい」
そう言ってスキアに差し出されたのは紐織物を使い一枚の紙を添えて丁寧に包装された掌大の箱だった。
スキアは戦場ですらいまだかつてこれ程の衝撃的な追撃を受けたことはなく、もちろんそんな訓練を行ったこともない。
今日がそういう日だと知っていた。
だがしかし、毎年貰っていたそれと今年のそれが少し違っているように感じるのは、果たして錯覚なのだろうか。
思考は纏まらず、身体は金縛りにあったかのように動かないし、その意図を正確に汲み取れてはいないものの、眼前の真摯な想いには応えなければならない。
それだけは、停滞していたスキアの脳内にもはっきりと存在していた。
「お、おう。それじゃ、貰っておくぜ……ありがとな」
「~~~~っ!」
紐織物を小さく揺らしながら、スキアがそっとその箱を受け取るのを確認すると、アミザは声にならない声を上げながら表に出ようとする湧き上がる感情のすべてを押さえ込んだ。そのとき――
「アフティちゃん! 私たちは決定的瞬間を見ちゃったんだよ!」
「しッ! あまり大きな声を出すと流石のスキアでも気付いてしまうでしょう」
「ごめん、ごめん。それじゃあ、続き……を?」
「まったく。このまま最後まで見守っ……て?」
スキアたちから少し離れた店の影から聞き覚えのある……いや、ありすぎる声が二人の耳に届いたので視線を向けてみると、雪だるまのように顔が重なっているオトネとアフティの二人と視線が合い、ある種の緊張感がその場に広がった。
そして、その空気を切り裂くように響き渡る嘆きの声。
「あぁーッ! もうっ! どうしていつもこうなのよ! ばか、ばか!」
「イテッ、俺のせいじゃねーだろ! ってか、おい! オトネ! それにアフティまでなにやってんだ! とにかく、コイツを何とかしてく――ぐはッ!」
場の空気に耐え切れなくなったアミザは、高まっていた感情と知り合いに見られたという羞恥が混同した、やり場のない怒りにも似たそれをスキアに向けた。自分の履いていたお気に入りの靴と共に。
目の前のやり取りを唖然と見ていたオトネたちも我に返り、自らの責任でもある結果に急いで仲裁に入るため、物陰から飛び出し慌てて駆けだしていく。
「どうして、あの二人は上手くいかないんだろうね~?」
「同感ですが、貴女がそれを言いますか」
「あはは」
投げるものが無くなり、街中で魔弾を撃とうするアミザをなんとか宥めるオトネとアフティ。そして、痛みの残る額を摩りながらも紐織物のついた箱から決して手を離さないスキア。
そんな彼らから、風に吹かれて少しずつ遠ざかっていく一枚の紙。
そこには彼女の心を現すかのように、可愛らしい文字でこう記されていた。
【ハッピーバレンタイン】
――カリンデュラ亡国内のとある洞窟
金盞花の咲き誇る空間内に充満する、甘く芳醇な香り。
普段であればそれほど嫌うことのない匂いのはずなのだが、何日も嗅ぎ続けたまま生活するというのは、彼にとっては苦行に近いものであった。
「いつまで作り続ける気なんですか~? 夢にまでチョコが出てきて安眠できないんですよ~」
「十二時間以上も平気で眠ってる人の言葉とは思えないんですけど!? って、あぁっ! 話しかけるから落としそうになったじゃないですか!」
着ぐるみのような服を着たまま自分の特等席から動こうとしないシェアトが、昨日と同様にこの事態の元凶ともいえる存在に抗議をするものの、残念ながらまったく聞き入れられる様子はない。
「やれやれですね~。そんなに頑張ってもキミのご主人様には渡せないじゃないですか。それに、作ったそれを食べるこっちの身にもなってくださいね~」
「シェアトさんこそ、ほどんど食べずにこっちに回すの止めてくださいよ」
「ぼくはまだまだ食べられるよ」
「いろんな種類を食べたけれど、流石にそろそろ飽きてきたわね」
出されたものは一口だけ食べて、残りを隣の男に渡すシェアト。
頭脳労働、肉体労働の両方をこなしている為に確かに甘い物は欲しくなるのだが、二人分のチョコ菓子を食べ続けてさすがに胸焼けしているヴィーゾ。
連日チョコ菓子を食べているにも関わらず、何も気にした様子のないキャロ。
それとは反対にチョコ菓子に飽き始め、自身の体型を気にした様子のエヴァ。
そんな四人に黙々とチョコ菓子を振る舞い続けているのは当然、自称健気で慎ましい忠犬ベルである。
「今渡せるかどうかが重要ではないんです! 何時如何なるタイミングに於いても、最高のものを出せることこそが重要なんです! ちなみにこれはご主人様に会えないことへの負け惜しみや、なんとかの遠吠えではありませんから!」
ベルはガトーショコラとオペラの仕上げをしながら、シェアトの発言にも反論するという何とも器用な業を持っている。
内界の少女たちはそんなベルの姿を見て、自分達とは違う真に女子力を持つ存在に尊敬の眼差しを向けるのであった。
しかしそんな中、いつものように気苦労の絶えないこの男は……
「仕事の進捗が、また……遅れる」
ここ数日でより濃くなった隈のできた目を擦りながら、小さく呟くのだった。
――地国テールフォレ神都ウーレア。
花の都と呼ばれるこの地もまた、男女間で花が咲いては散っていく日を迎えていた。上手くいく者とそうでない者との落差は激しいものの、恋心をぶつける勇姿は美しく、そして輝いて見えるものだ。
そんな中、女性が主役であるはずのこの日に、なぜか気合いを入れる男がいた。
「トレナール! ついにこの日がやって来たな!」
とある茶屋で小柄な男、アンスは向かいに座る友人に、一年に一度の一大行事が到来したことを興奮気味に語りだした。
「そうだね、アンス。今年こそはチョコレートを貰えるといいね」
話題を振ってきたアンスよりも遥かに高さも横幅もある男、トレナールはふくよかながらも愛嬌のある笑顔で素直な言葉を返した。
しかし、さり気ないその言葉はアンスにとって紛れもない凶器であり、彼の心を鋭く貫き痛めつける。
「ぐふッ! な、なかなかキレのあるストレートだぜ。しか~し! 今日の俺はいつもとは違うんだ。それが何かわかるか? トレナールよ」
「う~ん……いつもと同じに見えるけど」
アンスの全身をじっくりと見てみるも、トレナールにはその違いがわからなかった。長年に渡り友として、そして地の武層の仲間として過ごしているが、身長を含めどこか変わっているようには見えないのである。
だが、トレナールがわからないのも当然であり、アンスは少し不気味な笑みを零しながらその解答を口にする。
「ふっふっふっ! それはだな、見た目じゃなく心構えが違うってことだ!」
「え? でも去年は”まず形から入るんだ、中身は後で追いつく”って言ってたような気がするけど……」
「昔は昔、今は今だ。いつまでも過去にこだわってちゃいけねぇのさ。とにかく今年は焦らず、喋らず、果報は黙してただ待つのみ作戦だ!」
「ごめん、たまにアンスのことがよくわからないよ」
トレナールの小さな嘆きは届いていないようで、拳を強く握り、熱の籠った声で宣言したアンスの顔は、どこか間の抜けた作戦名に反して真剣そのものだった。
これが神魔総位二十五位の男とは信じられないだろうが、紛れもなくその人である。
アンス曰く、バレンタインというこの日に浮かれる男の気持ちもわからなくはないが、それは素人丸出しの愚者であり、決して勝者にはなれない。
チョコレートを獣の如く欲するのではなく、密かに自分に想いを寄せる美女から声を掛けてもらえるのを、自分の心を悟られる事なく紳士的に待つ。
といった具合に、余裕を持った心こそが重要な作戦らしい。
そんな作戦の説明を聞きながらもトレナールは嫌な顔一つせず、友人の活き活きとした表情を小一時間ほど眺めていた。
「――よって! 今日は時間の許す限り、この人気上昇中のこの店で過ごそうということになるわけだ! 休暇に付き合わせてるんだから今日は俺の奢りだぜ。ドンドン食え、トレナールよ」
「ありがとう、アンス。あと、がんばってね」
「おうよ! この作戦なら、食いきれねぇくらいは貰えるはずだ!」
…………
……
その日、閉店した店先では寒空の下――
「やはりおぬしでござったか……」
月の灯りに照らされた小柄な男が独りでさめざめと泣いているという事が地の武層に通報され、現場に駆けつけた男はその姿に酷く胸を痛めたという……。
――天国チエロレステ神都ウラノス
「ご主人様。夕方には戻りますので外出の許可を頂きたいのですが」
二月であるにも関わらず春の陽気に包まれた風の都。
そんな天国にありながらも独創的な外観の建物の中に、男であればつい聞き惚れてしまいそうになる程の艶を帯びた優しい声が流れた。
その声の主はある種の完璧さを体現した美しき顔と体型を持ち、その身にメイド服を纏っている女性、その名はクレア・シオン。
創美神アフロディーテの名を持つ女神だ。
そんな彼女が御主人様と呼び、世の男性から羨望の眼差しを向けられることは間違いないであろう男の名はジェーノ・シェンツァ。
その正体は智導神ヘルメスであり、研究と奇跡の末にクレアを創造した人物こそが彼である。
「そんなこと許可できるわけないだろう……って、え? 今なんて言ったんだ?」
「ですから、外出の許可を頂きたいのですが」
「いや、オイラが聞きたいのはその前だ!」
「ご主人様、夕方には戻りますので外出の許可を頂きたいのですが」
主人とメイド。その関係性を考えれば言葉遣いや態度というものはそれ相応のものになるのが当然ではあるのだが、この二人にはその当然が当然のように当てはまらなかったのである。
創造せし主と創造されし者という関係性まであるにもかかわらず、だ。
「な、長かった……本当に長かった」
小馬鹿にされ、辛辣な言葉を浴びせられ続けること幾星霜。
そんなクレアが”ご主人様”と口した事実に歓喜したジェーノの涙腺が緩むものの、それをきゅと引き締めながらジェーノは問いかける。
「それにしても急にどうしたんだ?」
「いえ、私の存在意義であるロウ様の御側に居ることを優先するあまり、創造主たるご主人様を蔑ろにしていたことを省みたのです。今まで申し訳御座いませんでした」
小人、ちび、ミニマム、見えない等々の言葉で呼ばれ続けた彼にとって、これは悲願のうちの一つが達成された瞬間であった。
昨日までと異なり、深く頭を下げる丁寧で謙虚なクレアの態度を前にし、ジェーノの胸に外出の許可を出してやりたいという思いがふつふつと湧き上がる。
しかし、外出を許可したくはあるのだが、その目的地によっては向こう側の許可も必要となってくるのだ。
そういった事前準備をするためにも、ジェーノがクレアに目的地を聞こうと思っていると、いつもの感情の無い顔を照れたように僅かに逸らしながら、クレアの方から声を掛けてきた。
「ご主人様。昨晩からずっとお休みになられて無いようでしたので、僭越ながら軽食をご用意させていただきました。どうぞお召し上がりください」
「スコーンか。こんなものを作れるようになるなんて……オイラ、感激」
四角盆に乗せて差し出されたのは、湯気を立てて温かい匂いの漂うココアとチョコチップを混ぜ込んだスコーンだった。
ココアは買い置きしているが、この建物内にスコーンなどというお洒落なものが存在していないということはジェーノが最も理解している。
となれば、差し出されたこの見るからに美味しそうなスコーンはどこから出てきたのか。突然中空から発生するわけでもなく、植物のように地中から生えてくるわけでもない。
今目の前にいる、クレアこそが作り出したものなのだ。
「様々な貴重な材料を用いた私謹製のスコーンです。日頃の感謝の思いを込めましたので、天にも昇るほどの味となっております」
その言葉にジェーノは感激しながらそっとスコーンを手に取ると、クレアの成長を喜びながらそれを口に含み噛み締めた。途端――
「それじゃ、いただきまーす……ぶはぁっ!?」
ほのかな温かさを残しているスコーンは口腔内どころか全器官まで侵食し、脳髄にまで走る痛みとねっとり纏わり付く苦みと渋み、灼けつくような辛さ等々が同時にジェーノへと襲いかかった。
想定外の奇襲に対応できず、自分の身体であるはずなのに指一本すら動かせない。視界は白く染まり、次第に闇に包まれていく。
クレアが何か喋っている気はするが、その言葉を上手く聞き取ることもできず、ぎりぎり残っていた意識もどこか遠く深い所へ沈み、口から零れる魂のようなものが高き蒼天へと吸い込まれていった。
「小人様も一応は神なのですから、死ぬことはないでしょう……多分」
仰向けの状態で白目を剥きながら床に倒れているジェーノに対し、特段心配した様子も無く声を発したクレアの口許は、心なしか緩んでいるようにも見える。
それから、クレアはメイド服の汚れや皴、自身の容姿の再確認を鏡の前で素早く済ませると深呼吸を一回挟み、これからの楽しみに頬が緩んでいるのを感じながら、万能の神力を懸けた紛れもない力作の入った箱を手に取った。
そして、自由の身になった喜びで舞い上がっている気持ちを引き締めると、疾風の如く真の御主人様である愛する人の元へ駆け出したのだった。
――びたーんッ!
あまりの興奮に……建物の扉を開け放つことも忘れて。
――海国エデルメーア神都ポントス
まるで海の中にいると錯覚する景色の広がる水の都。
そこに在るとある家には、仲睦まじい三人の姉妹が住んでいた。
「あ~! 大丈夫かな~? 大丈夫かなぁ?」
「キューちゃん……それでもう十四回目ネ。ミーたちの可愛い妹は、ナンパな人にホイホイついて行ったりしないヨ」
「そうだけど~! それでも心配なの~! 見てよアレ!」
居間で大きな磯巾着のぬいぐるみを抱きしめながら、落ち着かない様子でうろうろと歩きまわっていた小柄な少女キュステは、不意に立ち止まって部屋の一角を真っ直ぐに指差した。
そして、そんな次女の様子を呆れながらも微笑ましく見ているフルトもまた、三女のことが心配ではあるのだが。
「確かに去年より多くなっている気がしますけど、キューちゃんも結構もらってたじゃないデスカ」
部屋の一部を占領しているあるモノの山を見てフルトも思わず苦笑するが、それと同時に自慢の家族がこれほど周りに慕われていることを誇らしく思い、それが長女たる彼女の活力となっていることを二人の妹たちは知らない。
「わたしが貰ったのは友チョコだけど、あそこに置いてるの全部逆チョコだよ?どこの魚の骨かもわからない獣からなんだよ? もうこれってあれじゃん。男たちみんなぶっ殺するしかないじゃん」
「ヤー、それはミーの部隊を使って最優先に抹殺しておきマース」
何やら物騒な会話を笑顔でしている二人の姉だが、彼女たちは今此処にはいない末っ子のことを度が付くほどに溺愛し、大切に思っている。
それ故の過剰な防衛行動なのだが、過去を振り返れば過剰などとは言っていられない。
今でこそ、二人は神魔総位に名を連ねるほどになっているものの、幼い頃は男嫌いの末っ子を護るため、群がる俗物相手に本当に苦労したものだ。
この三人姉妹は紛れもない実の姉妹であるものの、天が与えたものは不幸にも平等というわけではなかった。
遠い昔、この世界が共通言語となった中でも時折その言語を上手く発音できない者が生まれてくるが、長女のフルトはまさにそれだった。そして、女性が持つ二つの果実も身長も、なぜか長女と三女に圧倒的大差で劣る次女キュステ。
一番母親似で容姿端麗でありながら、故に病を持って生まれてしまった三女。
「はぁ……じゃあ、獣狩りはお姉ちゃんに任せるとして、後輩の子たちに妹になってくださいとか……どうやって断ろう。みんなより私の方がお姉さんなのに~」
「そうネ~、キューちゃんは十分お姉ちゃんしてマスよ。ナデナデ~」
「ふわぁ~……」
フルトに頭を撫でられた瞬間、キュステの顔が蕩ける。
抱き心地、撫で心地共に非常に良い三女よりも幼い容姿をした次女を慰めながら、フルトは外出中の妹の無事と家族皆の穏やかな日々を願った。
そして、愛しさのあまり思わず笑みを浮かべながら抱き締めたフルトの耳に……
「い、息ができ……ない……よ」
キュステの苦しそうな呻き声が届いたのは、それから暫くした後だった。
――陽国ソールアウラ神都ヘメラ
一年を通しての気候の差はないが、一日の中での温度差が大きい炎天の世界。
他国と比べると恋愛の絡んだ行事に疎いと思われがちな所もあるが、実際のところは気候と同じく情熱的な人々が多く暮らしている。
それは神魔総位に名を馳せる彼女たちも例外ではなく、恋愛的感情でなくとも大切な思いは強く熱いものだった。
「アッキー! 今年のバレンタインのプレゼントです」
眼鏡とやや太めの三つ編みが印象的な少女は、自分の倍近い背丈の男に可愛らしく包装された小箱を手渡した。
それを受け取った男と少女の関係は、周りの者たちから見れば仲の良い親子として映るだろう。
「毎年気を遣わせて申し訳ないですな。有難く頂戴いたしましょう」
海緑色の頭髪はまるで毬藻のように短いながらも、襟足を三つ編みにし、白いパツパツの半袖シャツを着た年配の男は嬉しそうな笑みを浮かべた。
任務中は強面の男も、少女といるときばかりは穏やかな青年ような、はたまた無邪気な少年のような表情を見せることが多い。
人は見かけによらないという言葉があるが、この二人はまさしくそれに該当するだろう。小箱を渡した少女、ティラトーレは一部隊の隊長であり、アッキーと呼ばれた巨躯の男はその部下である副官だ。決して、父娘ではない。
「おや、これはまた……触り心地が軽く滑らかな」
「任務に集中できるように厳選に厳選を重ねたからね!」
幾つもの傷跡が残る人一倍大きな手で、アッキーが丁寧に包装紙を破ることなく広げていくと、開けた箱の中に入っていたのはティラトーレの髪色と同じ煉瓦色の紐織物だった。
男性への贈り物としては一般的ではないが、ティラトーレからの日頃の感謝と無病息災を願う物であり。二人にとっての始まりの象徴でもあるのだ。
それは神魔総位十九位のアッキーが、二十八位であるティラトーレの副官であることに深く関係している思い出でもあった。
今現在、アッキーの印象的な襟足の三つ編みに着けている紐織物は一年前に贈られたもので、この時期に新調するのが恒例となっている。
「これで……っと、できましたよ」
「いつも通り完璧な出来栄えですな」
「えへへっ」
そうして、頬を赤らめながら照れ笑いを浮かべる小さき上官の手によって綺麗に整えられた三つ編みと、新調した紐織物に満足しながら、アッキーは感謝の言葉と誓いの言葉を表に出さずに一人掲げる。
(今日という日を、ティラ様と無事に迎えられたことに感謝します。そして来年の今日も、ティラ様が無事迎えられるように我が力を戦場で奮いましょう)
色や形はまったくの別物にはなったが、自らに自信がなく独りだった少女と、自らの力不足を悲観していた男の出会い……その徴を揺らしながら。
――冥国オスクロイア神都エレボス
白銀に覆われた大地に住まう者たちはどこか浮足立ったような落ち着かない様子で、いつもと変わらぬ日常を演じていた。
「多くは求めない。今度こそ、俺はこの世界から抜け出したいんだ!」
男たちは自らの立つ世界からの逸脱を求め……
「この日のために、私は私のすべてを賭けてきたの。だからもう進むしかない!」
女たちは自らの想いを伝える術を求め……
平静を装い、猛禽の如く好機を逃さないように。
目標を視界に捉えたまま、宿敵への牽制を忘れずに。
感情を理性で抑え、祝福の鐘が鳴るのを待ち侘び。
己が持ちうる知性の全てで、共闘という狡猾な罠を張る。
氷の都たる凍てつく世界に広がっている猛き熱量は、今日この日を迎えたことによってその質が格段にあがっていた。
そして幾つもの存在が、其々の願望を叶える為の聖戦が、その幕を上げようとていた。
…………
……
「――それで、いつになったら事務作業≪デスクワーク≫を始めるのかしら?」
僅かに揺れる濃いマゼンダ色の髪。皴一つない支給されている軍服を身に纏ったセンシアは、小さな笑顔を浮かべたまま部屋内にいる部下たちに問いかけた。
その隣ではアドレスが欠伸を噛み殺しながら他人事のように並んでおり、その服装はだらしなく、きっちりとしたセンシアとは違い軍服を着崩している。
「「「いますぐ、全力で取り掛かります!」」」
彼女にとって直接の部下ではない隊員たちの、何かを恐れているような統制のとれた大きい声で空気は震え、それは窓硝子にも伝番した。
今日二度目となるこのやり取りに彼女は頭を悩ませながらも、今日ばかりは仕方がないとも内心思っている。
実際、この男ばかりのサフィオ隊の隊長はアドレスであり、センシアが率いているのは彼女自身を含め、所謂格好いい系女子で構成されたグラナテ隊だ。
それぞれの部下がそれぞれの隊長を尊敬しているからこそ、部下たちも各隊長と同色に染まり、それ故に幼馴染みであるアドレスをよく知るセンシアにとって、今日という日に彼の部隊の者たちが浮き足立っているのは目に見えていた。
だからこそ、こうして様子を見に顔を出していたのだが、外れて欲しかった予想は見事に的中し、お叱りの言葉を掛けるはめになっている。
センシアとて、何かを期待してしまう男たちの気持ちも分からなくはないが、あくまでも今は個人の時間ではなく、勤務時間内なのだ。
「まったく……私が戻ってくるまでに終わらせるように。いいですね?」
「「「了解しました!!」」」
三度目のやり取りが無いこと願いつつ、センシアは軽薄そうな幼馴染を連れて部屋を離れた。
すると静まり返っていた部屋内も、二人分の足音が遠くまで行ったのを確認すると瞬時に騒がしさを取り戻す。
「それにしてもよ。そろそろ進展があってもいいんじゃ無いかと思うんだけど?」
「前に言ってた例の娘と?」
「そそそ、それは関係ないだろ!? 隊長とセンシア姐さんのことだよ!」
「まぁ、最近は色々なことがありましたから。お二人はのことは暫くはそっとしておいた方がいいと思いますよ?」
「いや、流石にそろそろ進展がないとなんていうか、こう……いたたまれない」
「「うむ」」
部隊内での話題といえばどうすれば女性にモテるのか、何時になればあの幼馴染たちは恋仲になるのかというのがほどんどなのである。
そしてそれはこの部隊だけでなくセンシアの部隊も同様で、度々自分たちの隊長の事についての合同会議が開かれてはいるのだが、部下たちが何かと気を利かせたところで、その度に何かしらの衝突が起きてしまうのだ。
事情を知らない者からすれば犬猿の仲、水と油、不倶戴天の敵のように見えてしまっていることだろう。
「そういえば、さっきの例の子について説明を受けてねぇぞ! 裏切者!」
「「裏切者!」」
「ま、待てって! 話せばわかるから! 話せばわかる!」
「「「聞く耳持たんな」」」
その後、話題はその男のことに移り変わり、知り合った経緯から今日に至るまでの詳細を執拗に尋問され続けるのであった。
勿論、今日中に終わらせなければならない仕事まったく進捗していない。
「皆さんにはあぁは言いましたが、僕としてもそろそろお二人には自分に素直になってほしいものですね」
冥の幽衆に属する黒翼の男は、優し気な瞳を白銀の大地に向けて誰に聞かせるわけもなくそう呟き、独りで事務作業を始めるのであった。
…………
……
外気に比べれば寒さは幾分か和らいでいるが、人が留まることのない通路という場所はある意味で建物の外よりも冷たいのかもしれない。
二人分の靴の音が響くばかりで、部屋を出てからというもの幼馴染たちの間で会話らしい会話は何も交わされていなかった。
「……」
「……っ…………」
いや、むしろ会話どころか、まったく視線が合うことすらない。
アドレスはいつもと変わらず、すれ違う女性に普段と違った丁寧な口調で軽く挨拶や声を掛け、センシアは普段通り、部下や同僚からの相談にのっている。
「……」
仏頂面とまではいかないが、普段の軽薄そうな印象を受けるアドレスの表情には凛々しさが含まれており……
「……っ」
いつもと違い、暖かな陽射しのような表情を見せる彼女の頬は寒さのせいなのか、少し薄紅色に染まっているようにも見える。
アドレスが女性に声をかけ、センシアが同僚の相談に乗ったりしていたにも関わらず、同じ地点を自然と歩いている二人だが、互いに相手に合わせているつもりはなく、二人にとっては昔からこういったものなのだ。
「ん、どうした? 何か忘れものでもしたか?」
同じ速度で隣を歩いていたセンシアが不意に立ち止まったことに気づき、足を止めたアドレスは振り返って声を掛けた。
しかし返事は無く、俯ていてその表情を確認することはできない。すると――
「……これ」
二人きりの静寂の広がる空間の中、呟きにも似た小さな声は確かにアドレスの鼓膜を震わせていた。
そして差し出された手には、水色を基調とした包装紙で包まれている箱が乗せられていた。
何度も経験がある女性からの贈り物という展開であるにも関わらず、何故かセンシアが相手となると気恥ずかしく思えてしまうアドレスが、目を瞬かせながら戸惑っていると……
「は、早く受け取りなさいよ。それとも……私からのは受け取れないの?」
「え? あぁ、いや! そ、そんなことねぇよ!」
突然の事態にアドレスは巧く対応することができなかったが、センシアのただならぬ雰囲気に圧される形で、水色の箱を慌てて受け取った。
それを確認したセンシアの表情は満足気ではあったが、すぐにいつもの真面目さと厳しさを兼ね備えた顔つきに戻り、誤魔化すような焦りを含んだ声で捲し立てる。
「言っとくけどそれは義理よ。毎年他の人たちに渡すのと同じ義理チョコ。特段変わった物ではないし、どこにでもある有り触れた義理チョコなの」
「お、おぅ……」
先程までと違い、通路の端まで届きそうな力強い声が鼓膜に届くと、アドレスの表情と心情は手に持っている箱のような鮮やかさは無く、灰色になっていた。
そのことにセンシアは気付いた様子もなく、再び靴の小気味良い音を鳴らしながら前に進みだした。
項垂れ、色と熱を失った幼馴染をその場に残して……
「……でも、貴方だけにあげる特別な手作りなのよ」
そう呟いた声が彼の耳に届くことはないが、昨年より一歩踏み出すことのできた彼女はどこか満たされた笑みを浮かべていた。




