48.Observer - convergent point -
昼間だというのに夜空が覆い、月輪と星々の光が灯っている。
夜中だというのに蒼空が広がり、太陽が煌々と照らしている。
熱を感じない灼熱の砂漠、触れることの叶わない深緑。
潮の香りを感じられない白波、溶けることの無い純白の雪原。
それらすべてが幻想的であり神秘的でもある、泡沫の中の夢景色。
現の幻……其処に在って其処には無い、しかし確かに刻まれた記憶。
見果てぬ荒野に想いを馳せる一人の男は、この奇妙であり不可思議でもある、総てが集約している空間を揺蕩っていた。
月夜の如き漆黒を纏う男の名はロウ……ロウ・ユーフィリア。
多くの者たちからは神殺しなどと呼ばれ、外界から姿を消し、内界にて新たな生活を営んでいたが、再び外界の地へと足を踏み入れた彼を待ち受けていたのは、数々の試練ともいうべき困難だった。
彼はついに、その道の先に辿り着いたのだろうか。
彼はついぞ、その道の先に辿り着けなかったのか。
彼が此処にいる、その意味するものはなんなのか。
目まぐるしく変化する情景は浮かんでは消え、迫って来ては過ぎて去って行く。
時間や場所が様々なそれらは、誰が見てきたものなのか、自分の見てきたものなのかの判別がつかないほどに、ロウの意識に入り込んでは抜け落ちていた。
無限に続く本棚。無数に並べられている書物に囲まれているような感覚。
いや、生きとし生けるものすべての記憶の走馬灯というべきか。
揺蕩う情景は真実なのか虚構なのか……移ろい行く夢景色。
その中でも、たった一つだけ不変なものがあった。
ロウに向けられた視線。いや、意識といった方が正しいのかもしれない。
それは動くことなく留まり続け、ロウという一個人を認識していた。
揺蕩うソレは現なのか幻なのか……ただただそこに在る何か。
「…………」
しかし、いつの間にかロウの側に居たそれは、人の形を成していた。
そう、あくまでロウがそれから感じ取った雰囲気のみで、実際には顔も身体も、身につけている物は何一つとしてわからない影人形。
わかるのは、目の前にそれが居るということだけだ。すると――
「しっかし、あれだねぇ。こんな何もない所に来られる物好きがいるなんてね~。ロウちゃんは莫迦なのかい? いや、みなまで言わなくても私は理解しているよ。迷子になった街の名前も、ビンタをされた回数も、二週間前のお昼ご飯に何を食べたか、一口目すらもその全部をね。君の最後の晩餐は涙の味だろう? まったく、妹より先に逝って妹を泣かせるとは不出来な兄だよ。まぁ今回はすでに自己を認識できるところはイイネ。あ、そうだ。せっかく来たんだから、少しお茶でも飲んで休んでいくといい」
不可思議な空間内で自己を認識できたロウの前に突如として現われた存在。
人の形をしていただけのそれの姿が、人であると完全に認識できるようになったかと思えば、堰を切ったかのように次々と言葉が飛び出してくる。
快活な口調に面を食らっていたロウではあったが、現状の把握が不完全な中で、目の前のモノが放つ言葉に違和感を感じたことで冷静さを一旦は取り戻せそうになるものの、続くさらなる声によって思考の迷走は加速していく。
「鏡とは違う……なんというか、不思議な感覚だな」
聴きなれた声、見慣れた造形の顔、同一の背格好。
異なるのは今の体と違って、ひとつの欠損もないことだろうか。
混乱に翻弄される中でロウが目視したのは――そう、自分だった。
「俺、なのか?」
ロウから発せられたその言葉は、世界を命運を背負って戦っていた者とは思えないほどに間の抜けたものだった。
それに言葉を返したのは、少しばかりの呆れと諦めを滲ませたロウだ。
「あぁ、その認識で問題ない。だから、現在をありのままに認識して受け入れるんだ」
微睡のような、白昼夢のような、悪夢が混在しているようなこの空間と、自身の前に現れた二つの存在に悪意や害意が無いことを感じたロウは、一度深呼吸を行い今度こそ冷静さを取り戻す。
口を開く機会を窺っていた不明存在は、人数分の椅子と丸机を何処からともなく用意すると腰を下ろし、二人のロウにも座るように促した。
「まぁまぁ、立ち話はそれくらいにして、腰を据えて話そうじゃないか。時は金なりってやつだね。もちろん、お茶とそれに合うお菓子も用意してあるよ。ささ、座った座った」
どこか反抗する隙を与えさせない言葉に圧されている内に、ロウは目の前にいる存在の名前を思い出していた。と同時に、はっきりとその存在の姿形を捉えられるようになっている。
それがこの空間をありのまま認識した結果なのかどうかは定かではないが、先ほどのもう一人のロウの言葉には、何かしらの真意があるはずだとロウは察していた。
「それで、ムネモシュネ。此処は何処で、どうして俺が二人いるのか教えてはくれないか? 貴女がいる理由もだ」
そう問い掛けるも、ムネモシュネと呼ばれた彼女はどこか面白くなさそうな表情を浮かべながら言葉を返す。
「早い……いや、せっかちな男は嫌わてしまうよ? それにね、淑女に教導してもらうなんて、紳士としてあるまじきな気もするけど……君はどう思うのかな? これまでの君?」
――”これまでのロウ”
この空間に来るまでであれば、その言葉の意味を問う為にロウは口を開いていただろうが、彼はこれまでのロウの発言を聞き逃すまいと意識していた。
「あぁ、それでいい。そうやって受け入れるんだ。俺はお前で、お前は俺なんだから。そこに嘘はない」
「その上で、不確定なことも言わない。そうだな?」
自分同士だからか、数度言葉を交わしただけで解りあったような表情をする二人に対して、ムネモシュネは仲間外れにされたように感じ、不満を漏らす。
「君たち、自分の顔を見て満足気に頷いてるけど、君はそんなに自分大好き人間だったかい? むしろ逆だった気もするけどね」
言葉と共に向けられた冷たい視線にロウたちは咳ばらいをし、これまでのロウは口を開く。
「まず、お前は死んだんだ。そして、俺……俺たちはこれまで失敗してきたロウという男の魂に宿る記憶の集積体だ。つまり”これまで”が指すのは、年月のことじゃなく、回数のことということになる。七七五回の俺たち、そして、七七七回目のお前だ」
受け入れるには素直に信じがたいことを早々に言われるロウの事など気にせず、自身を集積体と言ったロウは言葉を続ける。
「そして、此処は全知世界の内部。ムネモシュネはここに居る唯一の意識を持った存在だ。俺はただ、新たなお前と交わるためだけに、記憶の海から浮き上がっただけにすぎない」
そう言った集積体の言葉を、ムネモシュネが補完していく。
「ここは世界の記憶だ。時が巻き戻ろうと、世界に刻まれた記憶は消えない。だから、サラは此処に触れることで、ある程度の過去という未来を見ることができるんだ。サラがある点を境に記憶を引き継げるようになったのは、その時の彼女が最後の最期まで足掻いた結果だね。だからこそ、普段は何もできない私が巻き戻る瞬間だけ、彼女の魂をこっちに避難させられたというわけさ」
それは、たとえ繰返することで記憶が消えると知っていても、無駄なことはないのだと、少しでも情報を得るために全知世界に触れ続けていたということだろう。時が巻き戻る、その刹那まで。
これまでの発言だけで、サラが卒倒するの姿を想像するのは容易かった。
しかし、この後の言葉にロウは卒倒しそうになるほどの衝撃を受ける。
「時が巻き戻るときにいつも君がここに来る理由は、君が繰返の中でも記憶を引き継げる得意体質だからだ。要は私がサラにしたことが、君の場合は自動で行われてるとういうことさ。つまりこれまで通りなら、今は時が巻き戻っている最中。君たちが君となり、新たな君が繰返の起点に放り出されるまでの段階ってやつだね。だからこそ、正直私も今回のこれは想定外だったんだ」
そう、ムネモシュネの言う通り、今の状況には矛盾がある。
集積体は先程こう言っていた。
七七五回の俺たち、そして、七七七回目のお前だ――と。
ならば、世界がどうなったかは知る由もないが、繰返が起こることはない。
ロウのそんな思考を肯定するように、集積体は告げる。
「そうだ。お前は完全に失敗し、あの世界が滅亡することは覆らなくなった。あの世界は確実に滅ぶ。そしてもう二度と、繰返は起こらない」
ならば何故、七七七回目の自分はここにいるのだろうか。
この場で意識を取り戻した時から、ロウは自分の世界のことを薄々感じてはいたが、それを確かめることができずにいた最悪。
考えたくなかった、認めたくはなかった。
これが通常であれば、それを否定するために口を開いていたのだろう。
しかし、集積体の口から言われると、それはもう一切疑う余地のないものなのだ。
たとえどの回数目でも、ロウという男は嘘を吐けないのだから。
だからこそ、この事実を受け入れる他無いのだ。
そこで、ロウは集積体の言葉に得心した。
”現在をありのままに認識して受け入れるんだ”
真実に対し議論の余地はない。
ここでの言葉は真実以外のなにものでもなく、嘘は無いのだから。
そして、集積体は自分自身だ。
ならば自分に対して、慰めの言葉をかけることはない。
自身の罪を理解し、救われるべきでないと思っているのだから。
自分との会話を楽しむことなど無駄だ。
ならば先の言葉の意図はひとつしかないだろう。
集積体が行動するのなら、それはきっと――まだ終わりじゃない。
故に死して尚、立ち止まるわけにはいかないだろう。
成せることがあるのなら、絶望している暇などありはしない。
「なら、俺はどうしてここにいるんだ?」
その問いに答えたのは、ムネモシュネだった。
「そこなんだよね。本来なら、死んだ君は私と束の間の茶会を楽しんで自己を確立した後、記憶の海に溶けて消えると同時に、新たな君が巻き戻った新たな世界に放り出されるんだ。つまり、集積体が浮かんでくることもない。繰返が起こらないのなら、七七回目に死んだ君はそのまま死後の世界に行くか、ここに来たとしてもただただ記憶の海に溶けて消えるだけ……のはずだった。ただ、これをただの奇跡だと思考放棄してしまえば、得られるものはなにもないだろう。さぁ、君たちはどう考えるのかな?」
それは答えになっていない答えであり、質問を質問で返すムネモシュネに、ロウは暫し瞑目して考えた。そしてあるひとつの推測を立てる。
「この世界の記憶にある情報は確定したものだけで、可能性は含まれないのか?」
「いいところをつくね。ここは世界の記憶の全てだ。もちろん、無限の可能性がもたらすもの全てがここにある。ただし、それは言葉通り次元の違う話でね。要するに、確定したことのある可能性しか視ることはできないんだよ。私ですらね。仮に観測できる者がいるとすれば、それは上位次元の存在だけだろうさ」
サラの視ている世界の記憶は、元々あの世界にはないものだった。正確には、全知世界はこの惑星が生まれたときから存在しているものの、それを認識し干渉することができなかったのだ。
それがムネモシュネの死後、残された聖遺物のおかげで、形を得た世界の記憶を認識できるようになった。
それは記憶を司る女神ムネモシュネだかこそ、この世界に存在し、彼女がここに存在しているからこそ、あの世界に繋がっているということなのだろう。
そんな彼女ですら、全知世界の一部しか視ることができないと言う。――だが、それで十分なのだ。
七七七回目の終わり。
繰返がなく、正常な時を刻み始めた世界。
故に、これまで知ることのなかったことを、知ることができたのだから。
「お前は覚えているか? カグラという少女がいたことを」
集積体の質問の意図がよめず、ロウが僅かに首を捻りながらそれに答えると、
「ん? 当たり前だろ。カグラがどうかしたのか?」
「……消えたよ」
そのたった一言で、ロウの思考は一瞬麻痺したように停止した。
「消え、た? 俺がやられる直前、カグラが危険を知らせてくれたんだぞ。あの後すぐに殺されたっていうのか?」
「言葉をそのまま受け取れ。もう一度いう。……消えたんだ」
消えた。それを言葉通り受け取ると、それは”死”ではないということ。
「お前が死んだ後、カグラは消えた。そしてその後、誰もそれに気付かなかった。誰も取り乱すことなく、泣き喚くこともなく……まるで、彼女に関する記憶がすべて失われたかのように。それがどういう意味か、わかるか?」
それはつまり、間違いなく大きな矛盾だった。
真っ先に思いついたのは、カグラが可能性という存在だったということだ。
つまり、カグラの存在する可能性が潰えたことで、彼女は消えた。
しかしそれならば、どうしても説明できないことがある。
「俺の、七七七回目の世界は、滅ぶんだよな?」
「そうだね。ここは記憶世界、つまり時間の概念が少しずれてる。君が死んだ後の世界を観測している限り、それは間違いない。もうまもなく、あの世界から人はいなくなる」
「だとしたら――カグラはどこから来たんだ?」
あの世界で生まれたならば、消えるという現象は起きない。
ただ人として普通に生き、ただ人として普通に死んでいくはずだ。
未来から何かしらの手段で来たとなれば、彼女が生まれる可能性が潰えることで、彼女の存在否定となり、消えてしまうことはあるだろう。
つまりそれは、あの世界にも滅び以外の可能性が存在していたということだ。
しかしそれならば、消えたというタイミングの説明ができないのだ。
ロウの死が世界の滅びを確定させ、故にカグラの存在が否定された。
こう言えば、一見不自然には思えないかもしれない。
だが、違うのだ。これは矛盾でしかない。
何故ならそれが正しければ、ロウの死後、あの世界が存続する可能性自体が零であることを意味している。
零でなければ、ロウが死んだ瞬間がカグラの存在否定にはならないからだ。
つまり、ロウ以外に世界の滅びを回避できる存在は居ないということになる。
それを踏まえた上での、もうひとつの不可避な事象だ。
「だって俺は……七七七年七月七日に、確実に死ぬんだぞ」
そう、ロウの死は確定されたものなのだ。
ならば先に述べたことが正しければ、カグラの存在自体がありえない。故に、
ロウの死が世界の滅びを確定させ、故にカグラの存在が否定された。
これは正しい答えにはならない。成り得るはずがないのだ。
そして、渡りの一族のように別の世界から来た、というのも考えがたい。
単に今の世界が滅びたからといって、別の世界の者が消えるのなら、渡りの一族すべてがその対象になってしまうのだから。
「でも、彼女が可能性という存在であることは間違いないはずだよ。全知世界でも、彼女については君と出会った時までしか視ることができない。つまり、少なくともあの子は、あの世界の正しい時間で生を受けたわけではないということだ。そして、どうして集積体が記憶の海から浮かび、君が此処に来たのかというところに戻るわけだけど……」
結局、カグラについては分からないままだが、ひとつ確かなのは、
「カグラの存在。それは滅びを回避する可能性そのものであり、彼女があの世界に存在していた以上、抗う術が残されている。カグラという存在が、結果として俺をここに導いたということか」
「おおむね正しいが、それだけではこうはならなかったはずだ。カグラという未来の可能性……そして、もうひとつ」
そう言った集積体の表情は、どこか影を落としていた。
しかし、その理由はすぐにムネモシュネによって明かされることになる。
「カグラという少女は、確かに希望という可能性そのものだったのかもしれない。だけど、あの世界の滅びは確定し、カグラも消えたんだ。そして、あの世界での繰返はもう起こらない。つまり、君がここに来たとしても、救う世界がないってことだよ。でもね、それを繋ごうとしてる子たちがいる」
それは、様々な偶然が折り重なった、ある種の奇跡なのかもしれない。
「カグラという少女が、滅び以外の希望はあると旗を立てた。そして、そんな少女の正体を知らずとも、空間と時間の能力を合わせることで、繰返ではなく過去へ遡ろうとしている子たちがいる。それは時の力を一切使わずいたからこそ、架けることのできる橋だ」
それだけで、その二人の少女が誰かをロウは理解した。
「そんな中、少女の旗と少女たちの架け橋が、合わさってひとつの大きな可能性と成り得たのは、本来戻るはずのない消えたカグラの存在が、ある者によって再び存在しつつあったからだよ」
「そうか……ブリジット」
「そうだ。忘れてしまったとしても、魔女の記憶が完全に消えることはない。彼女の違和感は伝播し、シンカや他の者たちへの違和感になったんだ。誰か、大切な子を忘れてるような気がする、ってね。可能性の存在を証明するには、それだけで十分だったんだよ」
それを聞いたロウは、瞳の奥に熱が宿るのを感じていた。
どれか一つでも欠けてしまっては不可能だった。希望の可能性、消えたはずのそれを忘れなかった絆、繰返の終わった世界から架けた橋。
それらすべてが重なったから、今の自分が此処にあるのだ。
それを偶然に起きた奇跡と称したくはなかった。
誰かが諦めては終わりだった。誰も諦めなかったから、今がある。
ならばそれはきっと、必然なのだ。
「……俺は、いったい何をやってるんだ」
自然と零れた自身への怒り。それを集積体もよく理解できた。
カグラの残した希望の旗を、皆が繋いだ橋を渡り、時空を越える二人の少女が運命への反旗とする。そこに自分はいないのだから。が――
「自分を責めるなとは言わない。俺も同じ気持ちだ。だが、散々負け続けた俺たちが言うべきじゃないかもしれないが、負けるのは仕方がなかったんだと、今ならわかる。なにせ、俺たちは戦うべき敵の事を何も知らなかったんだからな」
確かにそうだ。本当に討つべき根源は、深淵に這いずる混沌そのもの。
いくら降魔を倒しても、生命樹ビオスデンドに封じていた神魔を倒しても、それが世界を完全に救うことにはならないのだ。
だからこそ、繰返の間に見つける必要があった。深淵から混沌を引き摺り出す方法か、ロウが七七七年七月七日の先まで生き残る術を。
しかし、そんなものはなかった。
なぜなら混沌からしてみれば、ロウが死ぬまでの間に敢えてその身を晒す必要性が何一つとしてないのだから。
そしてロウは必ず、原因不明の何かによって死んでしまうのだから。
原因が分からないままでは、対策のしようもないだろう。
ただ、集積体が今その話を出したということには、当然理由がある。
「俺はこれまで、いつの間にか死んでいた。たった一度だけ違う理由で死んだが、彼女にのことに関しては掘り返したくはないだろ? まぁただ、そのたった一度の例外を除いた中で、最後の最期でもう一度また別の例外が起きた」
「……なんのことだ?」
「お前は、サラ主導になる以前の繰返を覚えていない。だから気付かないのも無理はないかもしれないが、これまでの集積体と最後のお前の記憶を合わせれば、見えてくるものがある。お前がさっき死に際に聞いたのは誰の声だといった? その彼女が存在したのは、七七七回目の世界だけだ」
「――っ!」
そこまで言われて理解できないほど、ロウとて鈍くはないつもりだ。
今まで何が原因かわからないまま死に、世界は巻き戻っていた。
だが今回、カグラの声でロウは迫る危険を知り、結果として間に合うことはなかったが、その事実が明確に示すのは”何者かの手によって殺された”だ。
そしてそれに周囲の誰もが、これまでのロウですら気付かなかった這い寄る存在に、カグラだけ気付くことができた。
「そうか……これまでの集積体の記憶を、唯一カグラと共にいた俺が思い出せていたら……」
死した後、ロウの意識はここで留まり次のロウへと新生する過程で、この|
世界記憶に記録され続け積み重なっていく。その集積体であるロウの記憶。
それは受け入れるか否かの話ではなく、此処はそういう場所で、彼はそういう存在なのだとロウは既に理解している。
いまロウが感じている感覚こそが、徐々に集積体に統合され始めていることを裏付けるものなのだ。
「う~ん、このまま、ゆっくりまったりねっとりと過ごすのも悪くないとは思うんだけどね。……残り時間は少ないみたいだ、坊やたち」
ならば、深く考えるより先に行動しなければならないだろう。
「もう子供ではないんだが……そうだな。俺たちのしようとしてることと、討つべき敵のことを話そう。時間がないなら、歩きながらになるが」
「あぁ、頼む」
それから集積体の話を聞いたロウは、何度目かわからない衝撃と驚愕に頭を抱え、安堵した。
まず初めに、最後の失敗を迎えたロウに次は無く、世界の崩壊を防げないが世界の崩壊を防ぐ機会が新たに生まれたということ。それは先ほど話した通りだ。
それを可能にしたのがロウの二人の妹たちであり、その世界はロウがいた世界とは同じであって異なる世界だということ。
そして、世界の崩壊を防ぐ為に自分たちが直接加勢しに行くわけではなく、できることはほぼ無いに等しいが、布石を置くことはできるということ。
何より、討つべき敵とそれにつながるもののこと。
「事情は理解できたが、俺たちはどこに向かっているんだ?」
「もちろん、異なる世界への裏道だ。今は妹たちの能力で、異なる世界と一時的にとはいえ繋がっている状態だ。そしてその影響は当然、歪みとしてこの全知世界に出ている」
全知世界は世界の総てが存在する誰にも認知できないとされている場所だ。
この空間では過去と現在、端と端などが混同し、蓄積し続ける。
故に時間の概念は存在せず、場所に意味はない。
「私も何度か、此処から世界にちょっとでも干渉はできないかと思案して試してみたんだけどね。全部が混ざりすぎて、どうにもできなかったんだよ。だけど――」
「今回発生した歪みに辿り着けば、何か干渉できると。そういうわけか」
「うんうん、いいね。その通りだ。誰にも成せるはずのない馬鹿みたいに狂った偉業を成した君の妹たちに、ちょっとばかし便乗するってことさ」
「はぁ……あの子たちがいったいどんな無茶を通したのか、考えたくはないな。俺たちほどの無茶でなければいいんだが……」
「まったくだ」
「まぁ、君たちの妹だからね。そりゃ、これくらいのことはしてみせるさ。一方は平和と正義と秩序を司り、一方は月。その狂気が合わされば、ねぇ?」
「…………ははっ。そういえば、ここなら俺にある神性が何を司ってるか分かるんじゃないのか?」
ロウが乾いた声を漏らし、話を変えものの、ムネモシュネは誤魔化すように更に話を無理矢理変えてくる。
「あ、着いたみたいだよ」
まぁずっと知らなかったことだし、今更司っているものが何かを知ったところで何かが変わるわけでもないのだが。そう思いながら、ロウがムネモシュネの指差した方を見ると、一点だけ輝き、空気が渦巻いているような場違いな違和感と魔力を感じるものを発見した。
これが恐らく歪み、集積体のいう異なる世界への裏道、その扉に相当するものなのだろう。
「さて、ここから先はお前一人で行ってくれ。集積体は記憶の海に溶けた存在。すでに此処の一部になってしまっているから、此処から離れることはできないんだ。だが、お前は違う。俺たちと完全にまじわってしまう前に、行け」
そう口にする集積体の体が少しずつ薄くなっていくのと同時に、自身も感じるどこかここと一体になるような感覚を受け、ロウは本当にもう時間がないということを悟った。
「そうか……自分に言うのも不思議な感覚だが、助かった。必ず、過去の俺に希望の布石をおいてくる。それに向こうに行ってしまった二人も、きっと寂しいだろうからな。迎えに行ってやらないと」
「あぁ。今の二人と過ごしたのは今のお前だ。本当の最期まで見守ってあげてくれ」
「もちろんだ。行ってくる」
その言葉を最後、同時に背中を向けた二人。
多くの想いが結んだ奇跡のようなその邂逅は、彼らの性格も相まってとても淡白で簡素な訣別となった。
歪みへと踏み出したロウの消失と共に、その歪みも消えてしまう。
「行ったね。君が司るものを、本当に言わなくてよかったのかい?」
「知ったところで意味はないさ。それにその行為は俺の定めそのものだ。むしろ知ったほうが、それを行うことに変な理由を与えてしまいそうだしな。司るものだからなんて理由をつけるんじゃなく、ただただ自分の思いを込めて行うものだろ? ――”贖罪”というのは」
「本当に君って子は……。なら、ユノーについてはどうなんだい? 彼女は君の世界の女神じゃない。彼女は繰返の――」
それ以上言わないでくれと言わんばかりに、集積体が伸ばした手でムネモシュネの発言を制止した。
「確かにそれを過去の俺に伝えれば、過去に行ったセリニたちは助かるのかもしれない」
「そうとも。認識による消滅は、同じ世界の同じ時間に同一の存在がいるからだ。なら、過去のセリニをセリニと認識したまま、過去に行ったセリニの本当の名前を思い出せば、世界にとっては同一視されようと違う存在となる。なにせあの子は、あの世界の元に在った世界の魂なんだから。同一視世界の、ね」
「だが、それで助かって欲しいと思うのは、俺の勝手な我儘だ。もう二度と、あの子たちの心の声を空耳にしたくない。後は過去に向かった俺がそれに気付けるかだが……たぶん大丈夫だろう。あいつはあの子の兄なんだから」
別に、自分自身を信じているわけではない。
集積体が大丈夫だと思ったのは、至極当然のことだ。
何故なら、兄が妹のことを想うのは、極自然で当たり前のことなのだから。
先に生まれた家族として。
「唯一の心残りは……死んでからここで知った真実。それについて、ユノーに今の思いを伝えられないことだ」
「それは大丈夫だと思うよ? 過去に行くロウに便乗して、私もちょっとだけ細工をしたからね」
「……いつの間に」
「此処ならなんだってできるのさ、ふふっ」
悪戯な笑みを浮かべるムネモシュネに、集積体は呆れながらも感謝し、微笑んだ。そして、
「俺も……そろそろみたいだな」
「そうみたいだ」
ずっと懐っこそうな表情を浮かべていたムネモシュネが、少し寂しそうな笑顔を見せた。すると、薄くなっていく集積体の頭を自分の胸に抱き寄せる。
「ずっと永い間、よく頑張ったね」
「――ッ」
「きっとすべて上手くいくから……安心して眠りなさい」
「……っ、あぁ。これなら、よく眠れそうだ。………………ありがとう」
そうして、母の温もりを感じる子供のように安心した表情を浮かべながら、集積体が瞳を閉じると、その体は淡く小さな光となって記憶の海へと還っていく。
静寂が訪れ、時の概念が外の世界と違うここでは、経過した時間に意味はない。
しかし、ロウが過去に向かった時点で、彼が現われることは予想していた。
「さてと、私は本当に君にモテモテで困っちゃうよ。……やっぱり、呼ばれたのかい?」
ムネモシュネの背後に感じた気配。
彼女は振り返ることなく、その彼の気配に向かって問い掛ける。
「……七七七回の中で俺だけが、異分子だからな」
その声に覇気はなく、それはどこか感情の欠落した音のように聞こえた。
「でもね、これだけは覚えておいてくれないかい? 私にとって、君は君たちだ。君が利用されて終わるような子じゃないって信じてる。すべて終わったら、此処に還っておいで。私はずっとずっと待ってるからね。ハグはそのときまでお預けだ」
「…………本当に、お人好しだな」
ソレは掌にある小さく不格好なボーロ君人形に視線を落とし、それを大切そうにしっかりと優しく握りながら、暗い暗いこの世界の中を何処かに向かって歩いて行った。
その気配が遠退くのを感じながら、ムネモシュネは寂しさを吹き飛ばそうとするように、少し大袈裟に立ち上がって手を伸ばす。
「あ~あ、また一人に逆戻りか~。ま、本来ならこうやって、何回もあの子との会話を楽しむこともできなかっただろうからね、良しとしようか。気をつけてね、私たちの愛しい子」
楽し気に振舞っていた女神の存在も、再び寂しさを伴ってこの空間に溶けていく。
全知を求める者は数あれど、全知と同化し、喜びに浸り続ける者は今後も現れることはないのだろう。
全知の中で果てることなく揺蕩うのは、地獄ではないだろうか。
しかし、彼女は解放を望まないのだろう。
少なくとも、愛しい子らの幸せを見届けるまでは。
故に彼女は願った。
此処には居らず、目視することもできずとも、僅かに感じる誰かへと。
必ずその誰かが、誰でもない自分の願いに気付いてくれるのだと、そう信じて。
「どうか見守ってあげて欲しい。私たちにとっての、神様」
彼女はこちらを視て微笑みながら、そう言った。
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――――――――
――――――
――――
「な……ッ」
その姿が見えた瞬間、目を見開き絶句したロウを見て、彼はどこか懐かしい感覚に包まれていた。
片耳を失い、まるで泣いているかのような特殊な模様の施された狐の半面。
腰に刀を携え、闇に溶けるような黒衣を纏ったこの姿。
いくら夢の中……心象世界の中とはいえ、こんなことがありえるのかと、目の前のロウは思っていることだろう。
なにせロウの前に立つその姿は、あまりにも自身の姿に酷似しているのだから。
「待っていた」
僅かに雑音混じりではあるものの、自分の口からでる音を久し振りに聞いた気がする。
「お前は……俺、なのか?」
そんなロウの問いに、小さく頷くと、
「正確には少し違うが、俺がお前であることに違いはない」
「待っていたというのは……」
「言葉通りの意味だ。俺は、今のお前を待っていた。ここでお前が沈んだ記憶を思い出すのは、決められた運命だからな」
そう、これまでのように決められた運命などではない。
すでに失われた世界の皆が繋いでくれた、希望に満ちた運命なのだ。
そんな中で、今ここで小さな言葉を掛ける以外なにもできないことに対し、彼は自嘲するように僅かに口元を歪めてみせる。
彼はそう、世界記憶からの漂流者。
今はまだ誰一人として、彼が世界を越えた者であることを知らない。
世界も、深淵も、混沌も……すべてを騙してここに在る。
すべてはこの世界の未来を、美しい景色へと導くために。
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――――――
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望んだ結末を手に入れるためには犠牲を厭わず。
故に、どれだけ血が流れようとも立ち止まらず。
そんな一人の男がいた。
”――最愛の人の未来と幸せの為に”
望んだ結末を手に入れるためには犠牲を許せず。
故に、どれだけ血が流れようとも立ち止まれず。
そんな一人の男がいた。
”――世界の未来を斬りひらく為に”
相反する理想。
だが、その根底にあるものは同じだった。
同一の想い。
しかし、両者の信念が同化することは決してない。
始まりは個。
一の為に、業を背負った自身を含めた全てを手折る。
一の為に、業を背負った自身以外の全てを救済する。
どこでその違が生まれたのか。
男は知っていた。
全を救うはただの理想だと。
そして彼女が生きていてくれるなら、それでいいのだと。
男は知っている。
全を救うは確かに理想だと。
しかしそれが叶わねば、彼女は二度と笑ってくれないと。
両者の思いの根源は同じだった。
ただ違うのは、男には守りたいものが少なかった。
ただ違うのは、男には守りたいものが増え続けた。
故に、両者が交わることはない。
反逆の御旗を標に架かる橋……
その未来に待ち受ける死闘は、必ず一つの終わりをもたらすだろう。
それが誰にとってのものなのか。
それが何を意味しているのか。
それはきっと、今の時点で知り得るものではない。
ただ分かるのは、そこに生まれるものが悲しみだということだけだ。
正義に相対するものは悪ではなく、また別の正義だと誰かが言った。
だからきっと、彼らを止められる者はいない。
彼らは被る。
己が欲望という悪徳を隠すための、美徳の仮面を。
彼らが望むのは、少女の涙の先にきっとある、満面の笑顔なのだから。




