47.物語の端に架かる烏鵲の橋
――時は星歴七八七年七月七日
聖域レイオルデン司法の塔イリスコート。
「外は随分と騒がしくなってきたみたいやね」
「えぇ、つまりはそういうことなんでしょ」
「余裕ぶっていたのに、内心では焦っていたということですね」
虹の塔上層階の一室では審秤神サラ・テミスと、此度の作戦で大役を背負った二人の少女が優雅にも紅茶を嗜んでいた。
まさに死の世界の中で、今この瞬間も多くの者が最期の戦いに臨み、数多の命が消え失せているというにも関わらずだ。
だが、それに文句のひとつすら言う者はいないだろう。
何故なら本当に過酷なのはこの二人の少女であり、この世界におけるあと僅かな時間であるこの瞬間は、サラを含む皆からの細やかな餞別でもあるのだから。
「……最期に良いものが飲めてよかったわ。ありがとう、サラ」
「はい。とても美味しかったです、サラ様」
甘い香りだけを残し、最後の茶会は特に昔語りをすることなくお開きとなった。
本当なら、少しでも長く語らっていたかったのだろう。
本当なら、少しでも多くの者と過ごしたかったのだろう。
しかし、それを口にすることは憚られた。
そんなことを願うことすら烏滸がましい状況で、それを汲み取ってくれたサラに二人は感謝している。
「そう言ってもらえたなら、うちとしても嬉しいなぁ。ん? 来客やね」
そんな中、お茶会の終了を見計らったかのように部屋の扉が二度叩かれると、姿を現したのは異世界の神である燕尾服の男ヨウキと、彼に付き従うラーズグリーズ、レギンレイヴ、エイルの三人の戦乙女だった。
相変わらずヨウキは緊張感のない仮面を着けてはいるが、今の彼からはいつもの巫山戯た雰囲気は微塵もなく、戦士としての覇気が感じられる。
「失礼します。最期にサラ様とすべてを担ってくれたお二人に、ご挨拶をと思いまして。今日が終わるまで残すところ約一時間。外の皆さんが相手の予想を大きく上回ってくれているようですし、痺れを切らしたのでしょう。最期の瞬間に立ち会えないのは申し訳なく思いますが……私たちは少し出かけて《・》ます」
彼の言葉の意味を理解したサラは、小さく苦笑を零しながらその身を案じた。
「……急用なら仕方ないな。一応聞くけど、大丈夫なん?」
「それはなんとも。なにせ、神々の黄昏で一度は惨敗していますので。ただそれでも、ラーズがまだ”戦を終わらせるための勝利の可能性を感じている”限り、それを掴むための努力を微塵も怠ってはいけないのです」
そう言って、ヨウキは二人の少女に向き直るが……
「ちょっと、どこ見てるの?」
「これは失礼。どうにもまだ不慣れでして、気配を消されているとどうにも」
頭を掻きながらヨウキは正しく少女たちに向き直ると、少し逡巡して口を開く。
「どれだけ上手く忍んでも、相手が貴女たちという死神札を引いたとき、運命は必ずこれまで以上の抑止の力で抵抗してくるでしょう。それがどのような形となるかわらかない以上、そのときの判断を二人に委ねることになります。ですが、妹力を扱う貴女たちなら、必ず成せると信じていますよ」
最期だというのに、真剣な話の中に冗談を混ぜてくるあたりはヨウキらしい。
「そうでしょうとも! ふふん、お任せください。ヨウキさんたち四人の想いも、必ず私たちが繋げてみせます」
「どうしてそこまで得意気になれるのよ。というか、どうして私まで妹力なんてものを使えるようになってるの。はぁ……まぁいいけど。ヨウキ、貴方も神だというのなら、絶対に無様を晒さないで。それと…………あ、ありがとう」
普段は素直さが不足している少女の感謝の言葉に一同は耳を疑いそうになったが、恥ずかし気に顔を逸らしているその表情を見て現実であると実感し、ヨウキたちは茶化すことなくその言葉を真摯に受け取った。
「こちらこそ、お嬢様。これが貴女方に必要な奇跡です」
そして、ヨウキが少女を探すように小さく手を彷徨わせると、少女は今のヨウキにも分かりやすいように手を差し出した。
その手を優しく掴むと、ヨウキは以前に話していたこの計画に必要不可欠な最後の欠片を、少女の手にしっかりと握らせる。
「それでは、私共はそろそろ向かいます。どうか必ず、悲願成就に至ってください。サラ・テミス様、長らくお世話になりました。私共の分まで、お見送りは盛大にお願いします」
「……まかせとき。世界を救う司法神と戦乙女がおったこと、うちらは絶対に忘れんよ。達者でな」
ヨウキたちは最後に深く一礼すると、瞬く間に虹の塔から外に出て、何かを迎え撃つために向かっていった。
その後、ヨウキたちの到着した場所で大きな爆発と異様な魔力を多くの者たちが感知したが、程なくしてその気配は四人の気配と共に消失した。
おそらく、開いた向こう側へと行ってしまったのだろう。
彼らが幾何の猶予を稼いでくれるのかはわからない。
だが、彼らの行動を無駄にしないためにも、少女たちは決意を新たに戦況を見据えた。
…………
……
一方、サラたちがお茶を嗜んでいた頃、虹の塔の外はというと、この世のものとは到底思えないほどの光景が広がっていた。
空は赤黒く、遠くに見える空と地面の境界は紫黒の靄が漂っている。
負の魔力に侵され、完全に腐敗しつつあるこの大地で、少女たちは戦っていた。
「くっ、この制空権だけは絶対に奪わせません!」
黒白の翼と光の翼を持つ四翼の天使は、先に刃のついた二丁の銃剣を巧みに扱い、空を縦横無尽に駆けていた。
斬り捨て、貫き穿つ。こそに慈悲などなく、自身の血で染まった紅天使。
地上に比べ、空中にいる降魔の数は少ないものの、それをたった一人で抑え続けているのだから、普段は駄天使でも戦闘に於いてはとても頼れる存在だ。
「なッ!? あの馬鹿、油断してんじゃないわよ! ロリエッ!」
そんなシエルを視界の端に捉え、魔力の乗せた美しい四肢で複数体の降魔を流れるように仕留めたリンは、仲間の名を叫びながら大きく足を振りかぶった。
二本の角は鬼族の証。鬼力を完全に制御したリンは、かつて三英雄の原型とも呼ばれたまさに鬼神そのものだろう。
そんなリンの声にすぐさま反応したのは、今となっては唯一の妖精だった。
「まったく、世話のやけるやつだの。此方の方とて余裕はないのだが、な!」
愚痴を零しつつ、自分の重量を極限まで軽くすると、リンの足に合わせるように足裏に魔障壁を展開。一瞬にして高く高く蹴り上げられた。
「ひとつ貸しだからの。今宵のすいーつでよいぞ」
そうして一閃二閃三閃と振るわれた大太刀が、幾多の降魔を両断する。
弓や魔力を得意とする妖精ではあるが、ロリエが得意とする得物は違っていた。
だが妖精の名に恥じぬよう、前者においても扱えるのは当然だというように、少し離れた場所にいる降魔も矢形の魔弾で貫いてみせる。
「なぁぁあぁ!? 今日は七夕ですよ!? 特別なお菓子が出ると聞いていたのに、それはあんまりです! くっ、本当にしつこいですね!」
背後から迫る魔砲を空中で宙返りをするように避けると、シエルの持つ銃口が火を吹き降魔の頭部を吹き飛ばした。
「くくっ、今宵が楽しみだの。って、なぬっ!? え、なんなのだ?」
自由落下するロリエのすぐ横を、下から上に凄まじい勢いで降魔が通過するや否や、それを蹴り上げた張本人であるリンがロリエを抱き留める。
「あっちにまた魔扉が開いたの、お願いね」
「は? え? ちょ、ちょっと待つのだぁぁあぁぁぁ!?」
リンは抱き留めたロリエを、走って移動するより早いと言わんばかりにその位置に放り投げると、次いで落下してくるさっきの降魔の足を掴んで大きく振りかぶり、群れの中央へと勢いよく叩き落とした。
それと同時に、放り投げられたロリエはなんとか空中から狙いを定め、
「確かに雑魚の一掃は此方が適任やもしれぬが、この扱いには後で必ず異を唱えてやるのだ」
自身の魔力範囲を限界まで広げて着地。
途端、まるで内部から何かに押し潰されたようにぐちゃりと生々しい音を立て、新たに生まれた降魔の群れは一瞬にして討滅された。
そんな中、好き放題に動く三人を見事なまでに援護している人魚がいた。
「まったく! あたくしの体は分けられても、目は二つ視界は一つしかありませんのよ!? あっちこっち飛び回らないでくださいまし!」
三体の水人形をそれぞれの護衛として動かし、自分は自分で前衛三人から漏れ落ちた降魔の相手をしているのだから、愚痴のひとつやふたつは出て当然だ。
だがそれでも正確にやってのけるあたり、紛れもなくクベレも他と皆と同じように戦闘においての才は抜きん出ているのだろう。
「にしても、ちょっと敵の勢いが良すぎませんこと? 確かに嬲るのは好きですけど、嬲られるのはご主人様以外ごめんですわ」
クベレがそう言ったように、皆どれだけ軽口を叩いたりしてみせても、状況が好転することはなく、むしろ悪くなる一方だった。
『魔扉がどんどん出現しているようだ。目に見える勢力だけではなく、中界の勢力も途絶えることなく攻めてくる。困ったものだね』
皆の頭の中に直接聞こえた声は、小さな火精の溜息交じりの声だった。
それを聞いた四人の「他人事のようにいうな」という声が四方から響く。
他の者たちのように戦闘に特化していないメルだが、彼女がいるからこそ、誰かの危険や魔扉の出現をいち早く察知し、行動することができているのだ。
混沌と化した戦場の中、そんな重要な役割を担っているメルが、どうして冷静に周囲に目を向けていられるかというと、それは当然――
『お喋りしながらなんて随分と余裕があるのね、貴女たち?』
薄い金髪を靡かせ、白き鎧をその身に纏い、手に握った細剣とすべての魔力を反射する黒き魔力を駆使することで、圧倒的殲滅力を誇る少女。
メルの力を介して発せられた彼女の声を聞いた途端、四人に緊張が走り、誰もが無言で周囲の降魔を蹴散らし始めた。
少女はその様子に溜息を漏らしながらも、仲間が無事であることに安堵している。
「メル、貴女ももう少し煽るのを控えてよね」
「長時間の緊張状態はいい事ばかりではないからね。それを解す為だったんだけど、お気に召さなかったようだ。次は気をつけるよ、シンカ」
一部からは戦姫と呼ばれている少女、シンカ。
彼女がこの場にいる者たちの中心人物であり、レイオルデンの最終防衛戦線の要といっても過言ではない。
「たとえ相手の戦力が無限でも、やることは変わらないわ。視界の中の降魔をすべて討つ。なにがなんでも絶対に虹の塔へは行かせない」
「ふふっ、確かにそうだね。嘆いても仕方がないんだから」
「そういうことよ。貴女も気を緩めて落ちたりしないでね?」
「それは心配ご無用さ。信頼できる人の肩は私の特等席だからね。シンカの肩の上は、あの人の次に安全な場所だと思っているよ」
「そう、それはとても光栄だわ」
世界の完全崩壊への刻限が目前に迫り、何とか戦線を維持できていたレイオルデン境界部は異常な数の降魔の群れと数体のエンペラー級によって突破された。
その後からレイオルデンもついに戦場となり、皆が覚悟を決めてからいったいどれほどの時間が流れたのだろうか。
だが、計画も最終段階へと移行し、塔の上ではもう幾ばくかでそれが実行されることだろう。
せめて、それまではこの塔を守り抜かなければならないと、そうシンカたちは心に決めていた。
「シンカッ! なんか向こうからヤバい気配がします!」
「シエル貴女ね、もうちょっと分かるように言いなさい」
「どんなイモですの?」
「まだ見えませんが、なんかぞわっとする系のやつです!」
「うむ、わからぬ。シンカ、どうするのだ?」
現状、この場をこの少人数で持ち堪えていられるのは、個々の戦闘能力の高さだけではない。
空を縦横無尽に飛翔し、全距離での攻撃が可能なシエルによる制空権の維持。地上では個に対して凄まじい近接戦闘力を持つリンと、群に対しての殲滅力を有するロリエの前衛におき、魔力を用いた攻撃を巧みに操るクベレが冷静に立ち回りながらも確実な援護をしている。
そして誰かを彷彿させるほどの、器用貧乏を越えた万能型であるシンカの位置を中心に、その陣形が組まれているのだ。
仲間として過ごした時間の中で築かれて来た信頼関係。故に知る長所や短所。個々の能力を補い合っているからこその戦術である。
「まだ目視できないなら、今考えても仕方ないわ。私たち役目はここを守ること。それにシエルの指した方角なら大丈夫よ。あの女神様二人だもの。ねぇ、クベレ?」
「えぇ、もちろんです! お姉様もキューもいますし、心配無用ですわ!」
しかしそんな中でこそ、絶望や悲劇というものはいつも唐突に訪れるものだ。
その後も暫くの間、熾烈を極める戦闘が繰り広げられ、目に見える分の降魔の数が減ってきたように思えたときに、それは訪れた。
「シンカ! シンカ、シンカ、シンカッ! これはすごくヤバいですよ! もうすっごくです! さっきの状態とは比べものになりません!」
「えぇ、気配が濃くなっていますわ。まだ現われていない状態でこれは……」
「うむ……さすがにまずい気がするの。間違いなく深淵とやらだろう」
「シンカ、どうする? 少しの間なら、私たちでなんとかできるわよ」
先ほど感じた気配は予想外の速度で急速に膨れ上がり、魔門と呼ぶにはあまりにも異常な空間が広がろうとしていた。
これまでに感じた中でも最も危険な魔力を彼女たちは感じ取り、その判断をシンカに委ねる。
この場を守るのが彼女たちの役目ではあったが、それ以上に果たしたい想いが彼女たちの中にあったのも事実だ。
そんな中、少し掠れたような声がシンカの耳に届く。
「悔しいだろうけど、行くのは止めときな」
「ブ、ブリジット……っ!」
別区域を担当していたブリジットがシンカを諫める様な言葉と共に現れるが、その姿を見たシンカたちは驚きを隠せないでいた。
衣服は破れ、血の滲んでいるところも多くみられる。なにより下半身が動かせなくなっているのか、人型に姿を変えたフォルティスと妖艶な体躯に成長しているロザリーに、左右から支えられた状態だったのだから当然だ。
「あぁ安心しな。向こうは指折りの月の使徒がいるから問題ないよ。まったく、こんな風になるなんて年かねぇ……ははっ」
「無理をするなと口酸っぱく言っていたのは、ブリジットのはずだったんだがな」
「同意。少しは休んでないと……」
負傷した仲間の姿に悲嘆する時間すらこの世界にはない。
ほんの数分攻撃の手を緩めただけで、目に見えて減っていたはずの降魔の数は、先ほどよりも数段と多くなっていた。
「あッ! ヘラヘラした人たちがすごくヤバい方に向かっていきました!」
「シエルよ、ヘラヘラしておるのはノーテンキという男だけだぞ? 見間違いではないのか?」
「ロリエ? あの人、ヨウキだから。一応、ちゃんと神様なのよ?」
満身創痍のブリジットに言われるまでもなく、仇を討つことが不可能なのはシンカ自身がよく理解していた。
たとえ、この抑え込んでいた黒い感情の全てを叩きつける相手が現れるかもしれないとしても、それは今の自分が成すことではないのだ。
どの道、あのヨウキたちが向かったとなれば、行ったところで足手纏いになりかねない。
そんなことよりも、まずは目の前にいる傷ついた仲間の事だ。
この理性や優しさがあったからこそ、彼女は周囲から慕われている。
もし仮にここで駆けていたら、すべてが終わるよりも先に、更なる大切な何かを失っていたのかもしれない。
シンカは小さな息と共に、個人的な激情を吐き出してしまうと、すぐに危険な気配を頭の端に追いやり思考を切り替える。
「……ふぅ。フォルティス、ロザリー、そのままブリジットをコル様に預けてきて。放っておいたらまた無茶するだろうから」
「ッ、この状況で何言ってんだい! 足が動かなくなったって、砲台くらいにはなれるんだよ!」
「なに言ってるのはこっちの台詞よ。フォルティス、ロザリー!」
「「了解」」
「ちょっ、くそっ! シンカ! お前さんたちもだ! 無理するんじゃないよ!? 死んだら絶対に許さないからね!」
足が動かせないため踏ん張って抵抗することもできず、ブリジットはそのまま二人によって塔の方へと連れて行かれた。
そんな、数年前までは日常的に聞いていたブリジットの怒声を懐かしく思いながらも、シンカたちは降魔の群れに再び向かい合う。
「さぁ、やるわよ」
必要以上に言葉を発さずに放つシンカの冷たい怒りを感じたのは、彼がいなくなって以来、一番近くで彼女の姿を見ていたここに立つ仲間でさえも久方ぶりのことだった。
強がってはいたが、刻限までにブリジットが復帰することはないだろう。
大切な家族にそれほどの損傷を与えた敵に対し、怒りを完全に押し殺せるほどシンカは大人しい少女ではないのだから。
そうして、シンカが魔力を纏いながら細剣を強く握り直し、腰を落として駆けようとした。その瞬間――
目視できる場所に出現する魔扉。
否、それは魔扉と呼ぶには烏滸がましいほどの、徐々に侵食域を増す深域にすでに匹敵するほどの侵度を持って開かれた魔門だった
そして、それを中から抉じ開けるように現れたのは、それぞれ違う特徴を持った複数体の降魔。額の石の数を見るまでもなく、エンペラー級だ。
なにより問題なのは、それを率いるように現われた一体の降魔。
「な、なんですのこれは」
「そんな、まさか……あれは降魔が自力で到達できる領域じゃないはずじゃなかったの?」
「ここまで負の力に満ちた世界では、何が起きてもおかしくないとは思っておったが……」
「ま、魔力で対抗できるんですか? あれって。さすがのわたくしも、神天使と名乗るにはまだ、ちょっと……」
歴戦の強者でさえ硬直してしまうほどの敵を前に、シンカの六感すべてにけたたましい警鐘が鳴り響き、彼女の叫び声が皆の意思を引き戻す。
「っ!? (さすがにこれはまずいッ!) みんな距離を取って! メル!」
それだけで意を汲んだメルは、その能力を使って救援を各所に求めるが、当然何処も直ぐに駆けつけられる状態ではない。
仮に今余裕があったとしても、救援のために持ち場を離れた瞬間、ここと同じような状況に陥らないとも限らないのだ。
だが、ここは虹の塔まで最短で辿り着く防衛の要。
それ故に……
「ごめんね、みんな。今晩のデザートは……食べられそうにないわ」
たとえここで命を落とすことになったとしても、一秒でも多くの時間を稼がなければならないのだ。
しかしそんな覚悟など、ここにいる者は遥か以前にできている。
あの日……七年前の今日から、命の最も価値ある使いどころを、ずっとずっと彼女たちは探し求めて来たのだから。
「…………」
もはやそれに対する言葉は不要。そう言わんばかりに、各々は強靱な戦意を瞳に込め、戦場に並ぶ悪意の巨壁を睨みつける。
しかし、悪意はそんな彼女たちの意志を滑稽だと嗤い、目的である塔を直接破壊しようと膨大な魔力を溜め始めた。
「クダラナイナ、劣等種。人如キガ我ニ挑ム資格ガ有ルト思ウナ。止タクバ火ニ群ガル羽虫ノ如ク勝手ニ燃エ尽キルガ良イ」
……………
……
ヨウキたちが部屋を出てそれほど間が空くことなく次に訪れた者は、戦では役に立たないからと、ほぼ不眠不休で旅立つ二人の為の道具を作り続けた男、ジェーノ・シェンツァだった。その神名はヘルメス。
「さっきヴァ、ヨウキとすれ違いました。大詰めってことですか」
「みたいやね。奴さんもそれだけ必死ってことや。それを止められるんは、ヨウキはんらだけみたいやしな。もし降り立たれたら、そこで終わりや」
「外もかなり押されているみたいですが……後、一時間ですね」
「普段なら塔に攻め込まれたとしても数時間はうちだけで粘れるやろうけど、今回の作戦はうちの力も使うからなぁ。迎撃の余裕がない以上、信じるしかあらへんよ」
サラの言葉にジェーノは小さく頷くと、二人の少女に視線を送る。
「最終確認はしたけど、不具合はでてないか?」
「えぇ、大丈夫。魔塊石も全部入ったし、ちゃんと使いこなせてるわ」
「私の方もばっちりです。私の声にも応えてくれますし、これなら絶対にやり遂げることができます」
ジェーノは自ら創造した作品に絶対の自信と誇りを持ってはいるが、今回に関しては決して失敗の許されない全ての命運を担った作戦だ。何度確認してもしたりないと言わんばかりに問い掛けるが、少女たちから返ってきたのはなんとも頼もしい言葉だった。
「そうかい。オイラがお前たちにしてやれるのはここまでだ。でも――ッ!?」
途端、耳を劈くほどの轟音と共に感じたのは、肌を刺すような嫌な気配だ。
歪な魔力がその存在の異常さを離れたこの塔にまで届けてくる。
それは連戦に連戦を重ね続けている外の者たちだけでは対応できないと、そう思わせるほどの新手に、皆のことを信じてはいるもののどうしても不安は募る。
「な、なんなのよ、この異常な魔力は」
「やばいです。これってデオス級なんじゃ……しかも、同時にエンペラー級もたくさん出てくるなんて」
「ぎりぎりまで私たちも行ったほうがいいんじゃないの?」
そう二人が口にするも、毅然とした態度でそれを制したのはサラだ。
「行ったらあかん。二人はこの作戦の要や。あんたは溜め続けとる力を使うわけにいかんし、万が一のことがあっても終わりなんやからなぁ」
「だけど、突破されたらそれこそ終わりなのよ?」
「そうです。この作戦は時間一杯までここが無事であることが前提ですし、数分を耐えることができても意味がありません。このままではジリ貧です」
サラとてそれは理解している。
だが、二人が万全の状態で作戦に臨むことも絶対条件なのだ。
さらに言えば、サラの力もどれだけ消費されるかわからない以上、サラ自身が下手に力を使うことも許されない。
前提条件があまりにも厳しすぎる上で、やっと成り立つ作戦。
それは皆が覚悟していたことだ。確かに突破された時点で全てが水泡に帰すが、どこかひとつを妥協することもできない。
望む結末を迎えるには、何一つとして諦めるわけにはいかないのだ。
「確かに言いたいことはわかるぜ。四面楚歌の中、全戦力を四方八方に向けている以上、どこが落ちても終わりなんだからな。たとえ正面がやばくても援軍を送れる余裕なんてどこにもありゃしねぇ」
ジェーノの言った通り、中央の大陸レイオルデン以外がすでに降魔に侵略されているのだから、この大陸は今すべての方角から降魔に侵攻されている。
各国がそれぞれ自国方面の防衛をしているが、本来であれば最も危ういのは女神が不在である上に敵の集中が予想されていた月国の防衛線だ。
だからこそ、そこにシンカを含むロウに近しい者たちを集めた。
意志は力だ。想いは力だ。涙も後悔も、この作戦への希望も力だ。
しかしそれでも、神力を使える者が一人もいないというのは致命的だろう。
だが、この配置案を出したのはこの場にいるジェーノだった。
陽神イグニス・アポロンの元へ、軍荒神クォラル・アレス。
天神ブフェーラ・ゼウスの元へ、天命神ピース・モイラ。
地神ミコト・デメテルの元へ、循戦神シャオク・アテナ。
海神ヴィアベル・ポセイドンの元へ、執行神レイラ・ティシポネ。
冥神アルバ・ハデスの元へ、執行神ペロ・アレクト。
星神ステラ・アストラアの元へ、執行神ロコ・メガイラ。
すべての戦闘に於いて一騎当千を誇る神々を、六国方面の防衛に当てた。
それはロウに近しい者たちの個人個人の戦力が、すべて他の魔憑や亜人の追随を許さぬほどに高かったことが一つだ。
白き鎧を纏うシンカを始め、箱船の意志を継ぐ者、魔女と吸血鬼や人狼、ルナリス隊や桃桜、そして内界の生き残りである実力者たち。
とはいえ、目的の時間に近づけば近づくほど敵の勢いが増し、窮地に陥ることは容易に想像できるものだった。しかし、だからこその采配だ。
たとえどれだけ敵の勢いが強まろうと、神々の率いる六国が崩れることはない。
故に注視すべき場所をただ一点に絞ることができる。
「それでもこの配置を提案したっちゅうことは、どうにかする当てがあるんよね? そのときは”信じてくれ”の一点張りで、みながジェーノはんの深意を信じて納得した。やけど、そろそろほんまにやばいんと違う?」
皆が皆、戦っている。誰一人として怠けている者はいない。
救医神アスクレピオス・コルは救護班を率い、途切れることのない負傷者の手当を。鍛鋼神マルティ・ヘパイストスとマレウス・ヘパイストス、そして竈壇神ファロ・ヘスティアは消耗し続ける武器や防具、魔具の生成を。
そして戦えない者たちは、一瞬の休息のための炊き出しなどを。
誰もが今この瞬間も、悲願成就のために戦い続けているのだ。
しかし、二人の少女のために作り出した魔具を与えた時点で役目を終えたはずのジェーノ自身に実は戦う力があった、なんていうことはない。
「この作戦は、ヨウキたちがこの世界に来たときから始まってます。ラーズ嬢の力は”戦いを終わらせる”というもので、彼女がそれを感じることができたからこそ、まだ終わちゃいない。まだ可能性はあるんだと、そう信じることができた。そしてそれを信じているからこそ、みんながそこに賭けた。だからオイラもそうすることだけが最善だと感じて、この配置を提案したんだ」
そう、すでに彼の役目は終わっている。
作戦の要である少女たちに必要なものを渡し、この采配を振った。
「ここまできたらもう遅い。何をしても手遅れだ。目的の時間に近づくにつれ、勝利を引き寄せるラーズ嬢の言った可能性とやらが近づくにつれ、アニキに近づく道はより強固なものになる」
今一度言おう。彼自身に戦う為の力などありはしない。
何故なら、彼は創り、導きく者なのだから。
その名はジェーノ・シェンツァ――智導神ヘルメス。
「ジリ貧? 違うぜ、嬢ちゃん。今この瞬間、アイツが目覚めた時点でオイラたちの勝利はほぼ確定したんだよ。オイラはヘルメス、案内人だ。今のアイツを倒したけりゃ、アニキ以上の規格外を創造してみろって話さ。……そうだろ?」
そう窓から外を見て笑ってみせるジェーノは、ずっと信じていたのだ。
悲願成就を前にして、いつまでもいつまでも眠り続けるような女ではないと。
何故なら彼女の神力こそは、ただ一点に特化した万能。
ただ一人のために最強の力を得る彼女の存在意義は――
…………
……
神に等しき力を持った降魔――デオス級。
それはまさに致死の天災たる危険種を凌ぐ脅威といっても過言ではない。
そんな個体が溜め始めた魔力が解き放たれれば、それを防ぐ手立てはないだろう。故に、撃たせてはならないという、単純明快な答えが導き出される。
しかし、デオス級の周りにいるのはエンペラー級だ。さらにはその前に群がる数多の降魔。それらを突破して刃を届かせることなど、できるはずがなかった。
それでも諦めることなく、必死に刃を届かせようと皆が一丸となって突き進むも、遂には凶砲ともいえる魔力の塊が虹の塔を破壊せんと解き放たれ――
「な、なんなの!?」
否、解き放たれることはなく、その場で暴発したかの如く起きる爆発。
その直後、小隕石が落下したかのような速度で何かが降り立った途端、地形が変わるほどの衝撃と共に幾重に響き渡る断末魔。
その様子にエンペラー級でさえ何が起こったのか把握できていないようだったが、それはシンカたちも同じだった。
だが、止んだ音と同時に土煙が晴れてくると、そこに佇んでいたのは――
「あ、貴女は……どうして? ジェーノさんは、今はもう動くことはないって」
一瞬、シンカは幻でも見ているのかと自身を疑ったが、次に届いた聞き覚えのある懐かしい声調に、胸に込み上げてくる熱いものが真実だと伝えてくる。
「そうですか。ということは、小人様の小さい頭脳ではそれが思考の限界だったというなのでしょう。おっと、失礼しました」
創造主だろうが、自身の使えるべき主人でない者に対しての容赦の無い毒舌。
彼女は黒の装靴で踏みつけていた降魔の呻き声を聞くと、何事もなかったかのようにそれを踏み潰して消滅させた。
「メイドです! 本物のメイドです!」
「黙ってください。似非駄天使メイドモドキ(仮)の卵のようなもののなれの果て」
「それってもはやなんなんですか!?」
黒と白のエプロンドレス。彼を彷彿させる漆黒の髪と黒曜石の如き瞳。
女性ですら息を呑むほどの美貌を持つ彼女の名はクレア・シオン。
彼女の存在意義はたった一つだ。
そしてそれを失ったが故に、彼女は決して目覚めるはずのない眠りについた。
……そのはずだったのだ。
「キ、貴様ガオレノ腕ヲ……グ、ギ」
戦力を見極めるためか、冷静にじっと観察するデオス級の前で、片腕を失ったエンペラー級の一体がクレアに殺意を向けるものの、クレアは装靴を解きながら次に手拭いを手にすると、軽く首を傾げてみせる。
「それがどうか致しましたか? 生ごみ級、塵屑級のついでに、ゴミ虫級も掃除しようと思っただけなのですが……」
怒り狂いそうになっているエンペラー級相手に、それほどの興味を示さずクレアが答えた途端、雄叫びを上げながら地を蹴る降魔。だが――
「殺ス殺ス、殺スッ! 神ノ紛イ物ガオレを――」
「あ、無理です」
彼女の間合いに入った瞬間、まさに目にも止まらぬ速さで繰り出された手拭いの先端が、降魔の頭部を容易く吹き飛ばした。
その後も、続くように突貫してくる幾多の降魔を、クレアは表情ひとつ変えることなく殲滅し続けている。装靴から手拭いへ、そこから箒と布箒、包丁や物干し竿へと手にする得物を変えながら。
「う、うそでしょ」
「本物のメイドとは恐ろしいものだと、あたくし初めて知りましたわ」
「此方も、めいどとやらには逆らわぬと誓うのだ」
「は、ははっ……確かにあの侍女神は凄まじい力だけど、あの武器はあぁ見えておそらく神器だよ。形を変えていたのを見るに、あの方と同じ武器の性質なんじゃないかな」
「そうでしょうね。だってクレアさんは……」
どんな能力にも有利に使える場所やタイミングがあるものだろう。
それらが万全に使えることを考慮したとして、この世界に存在する全ての者の中で最強の名を冠するのは、紛れもなくサラ・テミスだと誰もが知っている。
だが、どのようなことにも例外というものは存在するものだ。
虹の塔の敷地内でのみという制約を受けるサラに対し、より制限の強い特定下でのみ、彼女に並び立つほど最強に相応しき存在こそがクレアである。
たった一人の為だけに最強と化す、創られし美の女神。
その者が窮地に陥れば陥るほど、その者を救う為に振るわれる神力は絶大だ。
故に創美神アフロディーテの存在意義とは――
「塵は塵なりに必死なのですね。少女らの目指す場所が近づけば近づくほど、この世界は塵で満ち満ちていく。ですが、残念です。それと同時に、私という存在も等しく高みへと至るのですから」
一騎当千、天下無双と思わせるその戦い振りは、まさに希望の光に見えた。
まるで彼がこの地に蘇ったと錯覚させるその姿に、皆の鼓動が強く高鳴り熱くなる。
「マダ神ヲ隠シテイタ事ハ想定外ダ。タカガ半神ニ、何故コレ程ノ力ガ」
降魔の目的は刻限までの塔の破壊。今は焦ることなく冷静にと観察を続けていたデオス級だったが、その口から零れ落ちた声には僅かな焦りが見える。
「確かに私は半神です。ご主人様を失う事で機能停止に陥る程度に不安定な存在であることは認めましょう。ですが、私はこうして目覚め、私の神力が高まっていくのを感じています。その意味が理解できないというのであれば、所詮は降魔。多少神に近い魔力を有したところで、粗大ゴミ級止まりということです」
そう言って突き付けたクレアの包丁の先から放たれた魔力を超圧縮した魔砲を、デオス級は突き出した手に魔障壁を張って防ぐと、大きく翼を広げた。
「ナラバ、話ハ単純ダ。可能性ノ中ノ禍命殺シガ貴様ノ神力ノ源ナラバ、貴様ノ敗北ハソノママ可能性ノ扉ヲ閉ザストイウコト」
「なるほど、これは廃棄物級に格上げしてあげなければなりませんね」
「ツマリ――」「ですが――」
大地を蹴り放ったのは同時。
「答エハタダ殺セバヨイトイウ児戯ニ等シキ容易サヨ」
「廃棄すべき無価値な存在という事に変わりありません」
拮抗した力と力の衝突で生まれた衝撃波が、シンカたちに次の行動を示す。
「みんな、あれはクレアさんに任せましょ」
デオス級が静観を止め、クレアを標的にした以上、彼女がどれほど強くとも他の群れに気を回している余裕はないだろう。
シンカたちはこれまで通り、クレアの邪魔をしないように、というよりは巻き込まれないように気をつけながら、他の降魔の殲滅に動いた。
…………
……
「す、すごいです。まさかあんなに強かっただなんて……」
「えぇ……少し癪だけどね」
塔の中でその様子を見ていた二人の少女から感嘆の声が漏れる。
が、サラの表情は決して安堵したようなものではなかった。
何故なら、彼女は知っているからだ。
神力の反動の恐ろしさと、クレアの受ける反動が敵の強さに比例することを。
「ジェーノはん、あんた……」
「それ以上は野暮ですよ」
サラはこのとき、ジェーノの覚悟を察していた。
今、この世界は滅びの運命に抗い続けている。
サラたちの目的が達成されれば、それは紛れもない希望の架け橋となるのだ。
つまり刻限が迫れば迫るほど、運命はそれをさせるまいと抑止の力を行使する。敵の勢力は増し、より強力な個体が現われることになるのだ。
対して、刻限が迫れば迫るほど、希望の中にある可能性がクレアに大きな力を与えてくれる。
そうなればいつか均衡は崩れ、彼の守護神の身体は神力の反動で自壊することになるだろう。降魔に破れることがなくとも、それには抗えないのだから。
そして、それは実に正しかった。
戦い続ければ続けるほど、クレアの身体から魔力粒子のような淡い光が零れ始め、存在の限界を警告し始める。
これ以上戦えば、待つのは死ではなく、消滅だ。
「さて、じゃあオイラは次の作戦に移るとしますよ」
そう明るく行って見せるジェーノに違和感を覚えたのは当然だ。
故に、すでに感づいていたサラだけでなく、二人の少女もそれに気付かないはずがなかった。
クレアはジェーノが生み出し、そのときに彼の神力の半分をその身に宿した存在だ。つまり、神の力を分けた双子の半神のような存在ともいえる。
だからこそ、すでに導くという役目を終えた彼が何をしようとしているのか。想像するのは実に容易だったのだ。
「ありがとう、ございます。ジェーノさん」
「……いろいろと感謝してるわ」
「見送れなくてすまねぇな。オイラの分も頼んだぞ」
下唇を噛みながらこくりと頷く二人の少女にジェーノは優しく微笑むと、サラに向かって無言のまま深く深く頭を下げ、ジェーノは部屋を出た。そして……
「おっと……ぎりぎり、だったか」
まるで糸の切れた操り人形のようにその場で崩れ落ち、ジェーノは音を立てないように扉に背中を預けると、深く息を吸いながらそっと瞼を下ろした。
(見せてやれ……オマエの愛を、憧れを、欲望を……。後は、頼んだぞ……クレア……)
その身体から美しくも儚い、淡い粒子を溢れさせながら。
無論、サラたちもそれを感じてはいたが、彼の決意を無駄にはできない。
だからこそ、残り約二十分となった今、彼女たちは最後の準備に取りかかった。
…………
……
まだ刻限まで時間があるというのに、自身の消滅を肌で感じていたクレアは、それでも手を緩めることなく戦い続けていた。
一瞬でも気を緩めてしまえば、消滅の理由が神力の反動ではなく、眼前の降魔に変わってしまうことだろう。
決して表情には出さずとも、クレアの中にあったのは焦燥だった。
だが、自分の身体から魔力が抜け落ちていくと共に、どこからともなく新たに補充されていく魔力。それどころか、神力さえも満たされていく。
その理由など、考えるまでもなく一つしかない。
(――っ、小人のくせに、やることは一人前ですね)
それと同時に、服の宝帯で光る何かに気付くと、
(これは……ご主人様の七輝晶? ですがこれはあの二人に託したはずですが……なるほど、二つ用意していたということですね。まったく、さすがは年寄り小人。こうまでお膳立てされては――)
七輝晶を握り手にした武器は、彼の武器を侍女風掃除道具にしたものなどではなく、彼と共に戦場を駆けたそれらの模倣。
そのうちの一つである双頭刃を振りかぶり、
「智導神に導かれた以上、ここで燃え尽きるわけにはいきません!」
半神から純神へと、創美神から想美神へと、クレア・シオンは昇華する。
その姿はより彼女の想う主人が如く。
故にこれは、希望へ至るためのひとつの奇跡なのかもしれない。
…………
……
一分一秒が何十倍にも長く感じられる戦場。
それでも時間は正確な時を刻み、誰に対しても平等に進み続ける。
暗雲立ちこめていた空からは、いつしか雨が降り出していた。
あぁ、そうだ。この日は、いつも、雨だった。
星歴七七七年、大翼節三十六日
それは再会を祈願し、想いを天へと届ける日だ。
帰魂祭に先立って、祖霊を迎える為に棚機つ女が穢れを祓う。
里芋の葉に溜まる夜露を集めて墨をすり、五色の短冊に願いを書く。
神迎えの役を負った神聖な笹竹に、想いの言ノ葉を吊すとういう祭事。
とある男女の御伽噺では、離ればなれになった男女が年に一度再会できる日が七月七日とされており、二人は待ちに待った”再会”という願いを叶える。
人々は”二人が無事に会えるように”という願いと共に、”二人のように、願い事が叶いますように”と、短冊に色々な願い事を書いて、笹や竹の葉に飾るようになったのだ。
そう、昨夜から明朝にかけて行われていたのはそんな七夕祭り。
世界中でたくさんの祈りの言の葉が紡がれる、一年の中で最も願いの多い日だ。
想い人が巡り逢えるはずの、そんな夜のはずだった。
雲無き夜、夜空を流れる天河に散りばめられた星の輝き。
――否
暗雲立ちこめる空に輝く星は見えず、天ノ川は荒れ狂う。
渡ることのできない川は、無情にも二人を引き合わせてはくれなかった。
この日に降る雨を、催涙雨というのだそうだ。
それはなんの皮肉だろうか……
雨降る夜、地上を流れる血河に散りばめられた命の灯火。
そんな今日にすべての終止符を打つ――そのはずだったのに。
「駄目だ、返答がない。残ってる者はもう……」
数分前から、メルの声に応えてくれる声はほとんどなかった。
今しがた各所で膨大な力を感じ、念話を試みてはみたが、答える声はない。
それはつまり、シンカたちの目の前のそれが原因だろう。
守るために必要だった神力。それを存分に吸い上げたレイオルデンの周囲に振る黒雪が、複数のデオス級を生み落とした。
刻限まで残り五分。おそらく感じた膨大な魔力は、神々がすべての力を解き放ち、数多の降魔を道連れに命の灯火を燃やし尽くしたのだ。
ここで神々が皆一斉にその最期の札を切ったということは、その方面から五分以内に降魔が塔に到達することはない。
問題は、ヨウキたちが向かい封じたはずの異様な歪が再び出現し始め、さらには山のように巨体のデオス級が前に現われた中、シンカたちが受け持っているこの場をどう凌ぎきるかだが……考えている余裕など残されてはいなかった。
「諦めるのですか?」
そう問い掛けたのは、シンカのすぐ傍でその存在を失いつつあるクレアだった。
「馬鹿いわないで。私は約束したの。奪還するのよ……私たちの希望を、未来を」
「その通りです。それでこそ、ご主人様の……」
言って、クレアはシンカの背中に手を当てると、自身の存在すべてを彼女に託してく。
「あぁ……なるほど、やはりそうでしたか。適性があってよかったです」
「クレア、さん?」
「貴女と交わることで、貴女を少し理解しました。悔しいですが、貴女なら成せるでしょう」
「クレアさんの力が……」
訳が分からないままに注がれていく魔力と、そして神力。
普通なら受け取ることまどできないが、渡しているクレアは魔力で生み出された人工生命体だ。
だが、受け取る側の身体が本来なら耐えきれるはずがない。
それでもクレアは残った命をシンカに託し、シンカはそれを受け止めている。
「私の力はご主人様のためにあります。ここでの敗北は許されません。ですのでどうか、お願い致します。私の存在意義を……守ってください」
「どうして私がクレアさんの力を受け取れるのかはわからないけど、ありがとう。貴女の想いは絶対に無駄にしないから」
シンカの返答にクレアは満足そうに微笑むと、最期の一滴を注ぎ終え完全に消滅しながらも、最期にシンカへの言葉を残した。
「えぇ、そうです。すべてを奪い返して下さい。希望も、未来も……そして、過去さえも。戦場の輝き、勝利の希望――シンカ・ブリュンヒルデ」
その名を聞いて、とても懐かしい感覚に包まれるが、それに浸っている暇はなかった。
目の前の山のような巨体を持つデオス級の顎が開かれ、凄まじい魔力が集まり始めている。
あの収束度からみて、一分もすれば背後の塔は消し飛ばされるだろう。
「みんなは行って。誰の見送りもないなんて、あの二人がかわいそうでしょ?」
そう口にするものの、その場から動こうとする者は誰一人いなかった。
「もう別れなら済ませてるわ」
「えぇ、そうですわ。それに見送られるときの泣き顔なんて、見られたくないでしょうし」
「むぅ~、こういうときのあの方の泣き顔は想像できませんが……」
「それにほんの僅かでも守るための可能性を上げねば、万が一があったときに叱られたくないしの」
リンもクベレもシエルもロリエも、すでに覚悟はできている。そして、
「私も当然離れるつもりはないよ。私には、最期の役目がまだ残されているからね」
何も力になれないメルとて、彼女の特等席を下りるつもりはないらしい。
そんな馬鹿で頼もしく、愛おしい仲間の顔をその瞳に焼き付けつつ、シンカは泣きそうに微笑みながら、皆への最期の言葉を口にする。
「みんな、私はみんながとても大好き。これまで、本当にありがとう」
これ以上の言葉は必要ないと、皆は最期に笑い合い、頷きあった。
そして、シエルが真っ先に翼を広げて飛び出すと――それは放たれた。
「ここで果てても、わたくしは……まだッ! 異端の大司教!」
四翼を広げたシエルの眼前に巨塔が顕れ、デオス級の放った超魔砲を受け止める。だが、それはほんの数秒程度の時間稼ぎにしかならず……それでも、僅かに下へと逸らそうとする力は、さらに下から引き寄せる力へバトンと繋ぐ。
「そうだの。いつかまた、時の交差するどこかで……流転の黒塔!」
シエルの真下で展開されたロリエの魔力領域。そこに聳え立つ巨塔が、超魔砲の軌道を大きく下へと逸らした。
「だから、これは別れではありませんわ。狡猾な道化師!」
軌道を逸らされ、それでも勢いが緩むことなく突き進む超魔砲の左右から、突如として現われた二体の水分身が魔障壁でそれを挟み込むように押さえ、クベレは正面からそれを受け止めた。そして、
「えぇ、約束を果たすのよ。私たちの、辿り着くべき場所で! 反旗の騎士!」
尚も止まらぬ猛攻を再度受け止めるのは、反魔力障壁を展開したリンだ。
しかしそれで打ち消せるはずもなく、地面に二本の線を引きながら大きく後退していくが、ここにきて積み重なった仲間の命が、極僅かに超魔砲の威力を弱めた。しかし、それまでだ。
障壁の砕かれる音と共に、地面を深く抉りながらも止まらぬ絶望。
それを前にして、最後の砦たる少女が突き出した手から黒き渦を展開させる。
直後、衝突する禍々しき神力と神々しき神力。
「――ッ、くっ! 」
それはとても吸収しきれるものではなく、完全に反射できるものでもない。
シンカの魔力とクレアから受け取った力を今この瞬間に全力で注いでも、これまで溜り続けた世界の負の化神の力を押さえ込めるはずもなかった。
だが、それでも――
「シンカ、後は君の声だけだ。届けて欲しい想いがあるはずだよ」
仲間の想いを希望という未来に届けるため、それを二人の少女に託すためだけに、共に消えることを選択しここに残ってくれたメルの言葉を受け、シンカは自身の命、その最後の一滴まで燃やし尽くす。
「――ッ! ――ッ! どうか、お願い! 私の大切な仲間たちを! 私の愛する人を! 約束の場所で笑い合えるように――ッ!」
二人の少女の名を叫び、戦場に輝く白き戦乙女は……
…………
……
三人は今、|虹の塔《イリスコートの頂上に立っていた。
周囲は暗く黒い空。遠くに見える黒き雪と、今も振り続ける催涙雨。
地上を見下ろせば、蠢く無数の悪意と、それに抗い続ける多くの魔憑きと少女たちの姿。
視線が合うこともなければ、彼女らの名を叫ぶこともしなかった。
だがこの調子なら、後僅かな刻限まできっと持たせてくれるだろう。
「始めよか。うちもサポートするけど、二人のイメージが合わさらんとどうにもならん。やれるんは一度きり……ええね?」
それを聞いた二人の少女は頷くと、互いにそれぞれの詠唱を始める。
今から行われるのは、前代未聞とも思える偉業中の偉業。
二色の髪を揺らす少女が持つ”空間を操る力”
月の女神である少女が持つ”時間を操る力”
このそれぞれが特殊で強大な効果のある能力を組み合わせ、一つの能力に昇華させるというものだ。
それこそが、このセカイの破滅を防ぐための唯一にして無二の方法。
―――時空間を越えし比翼
時間遡航する力は一見強力な能力に思えるが、その使用者が生を受けた瞬間から蓄え続けた魔力に比例して、その遡航可能時間が決まっているもので、一時間の遡航を行うだけでも相当の対価が必要になってくる。
しかし、この少女は永きに渡り、自身の生活している敷地からほとんど出ることなく、降魔との戦闘はおろか戦闘訓練すらも碌に行っていないのでその貯蔵は多く、あの日から七年の月日を待つだけで目標年数に到達できたのは不幸中の幸いであったといえるだろう。
そして、時間遡航を行う上で何よりも重要になってくるのは、時間遡航先の到着座標だ。
外界、内界は一つの星でもあり、これは一日をかけて一回転しており、さらに太陽と一定の距離を保ちながら一年をかけてその周囲を一周しているのだ。
つまり、一分一秒でも時間遡航を行えば、その到着地点が不明確だと地面や建物の壁、はたまた大空に放り出されることになるかもしれない。
しかし、ここに二人が揃って能力を行使することによって時間遡航は完全な形である時空間跳躍として発動し、目的の内の一つを達成させることができる。
ただし、虹の塔内で最強の名を冠するサラの手助けと、ヨウキの与えてくれた一つの”奇跡”があるからこそ、確実な成功となることができるのだ。
二人の少女の力と、サラの助力、ヨウキの奇跡、そのどれか一つでも掛けていれば、この計画は最初から破綻していただろう。
世界と世界が繋がることで、また別の世界へと橋を架ける。
それこそが、七年もを費やしたこの計画だった。
詠唱を終えた二人の体は微かに発光し、能力を発動する準備が整ったようだ。
初めて神力を使った影響か、少女の漆黒の髪が美しい金色へと変わっている。それは気持ちや肩書きだけではない、紛れもない女神となった証だった。
「さて、なんとか成功しましたね。相容れないと思っていた時期もありましたが、やはり同じ妹力を使う者同士ですし、波長があうのでしょうか?」
「確かにね。貴女は良い妹だと思うわ、優れているのは私の方だけど」
「ぐぬぬぬっ」
「……ふん」
傍から見れば些細な事だが、妹としての沽券に関わることらしく、睨み合いが続くかと思われたが、サラの言葉によってそれは遮られる。
「はいはい、続きは向こうに行ってからな」
「そうね。あとは時間丁度に私たちがそれぞれ発動すればいいだけ……なんだけど」
「途中で彷徨わないように手を繋ぎながら、です。そんなに恥ずかしいことですか?」
「貴女たちはずっとそうしてたから気にならないでしょうけど……はぁ、もう! 早くしなさいよ」
少し恥ずかしそうに差し出された少女の左手を、二色髪の少女が嬉しそうに握ると、二人を纏っていた光が増した。
これで、すべての準備は整った。
これまで多くの犠牲が生まれ、幾つもの想いが託されてきた。
その全てをこの二人が抱え、背負い、旅立っていく。
審秤神サラ・テミスは、これ以上の事をこの二人にしてやれないこと、この先支えていくことが不可能であることに悔しさを抱えつつ、ここでそれを顔に出すことは決してしなかった。
その代わりに、彼女たちがこの世界で最後に目にする者の一人として、せめて笑顔で送り出そうと決めていたのだ。
時間と空間を別の者が扱う以上、すべてのイメージを統一させるために時間を合わせることは必要不可欠。その刻限まで残り一分を切った、そのとき――
「え? …………みんな」
「――っ」
二人の脳裏に強く強く響いたのは、仲間たちの最期の声だった。
「泣いたらあかん。これは、シンカはんらがうちに頼んだことや」
塔の上からだと、嫌でも今の戦況を目にしてしまうだろう。
そのとき、近しい仲間の死を垣間見ることで、神経を研ぎ澄まして集中しなければならない詠唱に影響を与えてはならない。
だから、シンカは戦いにでる直前、サラにこのときのことを頼んでいたのだ。
二人が詠唱に集中できるよう、外で何が起きていても分からないようにしてくれ、と。
「はい、受け取りました。みんなの想いを、しっかりと、受け取り、ました」
「えぇ……失敗なんてしない。絶対に届けてみせるわ」
涙を流しながらも、その瞳は強く気高い光を宿している。
「さぁ、そろそろ時間や。合図はうちが。それに合わせて、新しい物語の幕を上げてきぃや。カウント開始するから、それ聞きながらこれでも見とき」
そう言ってサラが取り出した横断幕に、二人は驚かされた。
”――いってらっしゃい!”
大きく書かれた文字はとても簡潔なものだったが、それでいて二人の心にはとても響くものだった。
送り出し、帰還を願う言葉。
それが叶うことがないのは承知の上だった。
それでも悩みに悩んだ挙げ句、サラたちは皆でこの言葉を選んだ。
それならば、ここで二人が口にすべき言葉は一つしかないだろう。
サラの口から発せられていたカウントが残り一秒となった瞬間――
「願いは届く――必ずな」
手を掲げたサラの上空の暗雲が晴れ、遥か夜空に見えるのは散った仲間たちの命の灯火。夜空に輝く月と無数の星々に見送られ、
「「いってきます!」」
その言葉の後に、二人は眩い光に包まれ、この世界から姿を消した。
それを最後まで瞳をを閉じることなく見送ったサラの頬に、小さな雫の星が流れ落ちる。
「…………」
この塔でただひとり、孤独な女神は最期の瞬間まで……祈りを捧げ続けていた
――――――――
――――――
――――
――
決意の言葉は暗い世界に響き、破界の中で光を灯す。
双彩の剣は揺るがぬ信念を抱き、新たなる終演へ踏み出す。
残された者たちの鬨の声は消え、全ての鼓動の消失に狂者の嗤いが世界に響く。
それはひとつの物語の終わりであり、ひとつの物語の始まりでもあった。
消えた世界の敗北は紛れもない勝利であり、天の川を越えた鵲はその翼を並べ、この物語の端に烏鵲の橋を架けるだろう。それは標であり――
快晴の空には、燦々と輝く太陽。
流れる風は心地良く、懐かしい草木の香りを運んでくれる。
仮初めとはいえ、未だ平和が顕在しているこの世界で、彼女たちの涙腺が緩みそうなるものの、始まりから泣いてばかりもいられない。
気を引き締め、此処に立つ意味を再確認する。
あぁ、そうだ……忘れてはならない。
彼女たちにとって、これは反逆の物語でなければならない。
彼女たちにとって、これは奪還の物語でなければならない。
彼女たちにとって、これは復讐の物語でなければならない。
――運命よ、心せよ。
王の斃れた世界から、立ち向かうは復讐者と後継者。
――宿命よ、覚悟せよ。
王を失ったこの心に、一切の容赦はありはしない。
――世界よ、歓喜せよ。
反逆の旗を翻し、宣戦の布告の狼火を灯すその日まで間もなくだ。
「……さぁ、復讐劇の幕を上げましょう」
そして、嗤い声の届かぬ世界で、彼女たちの既知であり未知の旅路が幕を開けた。




