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それは現のイストリア  作者: 御乃咲 司
三章 GOD-双咎のエンゲージメント
51/55

45.月に祈りを、星に願いを

 

 七年の月日が過ぎた今でも、あの人との日々を思い出す。


 今のこの世界を見たら、あの人はいったいどう思うだろうか。

 怒るだろうか。悲しむだろうか。落胆するだろうか。

 それとも、よく頑張ったと褒めてくれるだろうか。


 世界の八割近くを侵され、絶望が闊歩する混沌のこの世界を見たら。


 貴方はいったいどんな顔で、どんな言葉を掛けてくれるのだろう。


 …………

 ……

 

 ――月国フェガリアル神都ニュクス 


「ま、こんなもんだろう。お前さんたち、そっちはどうだい?」


 曇天の下、下層区の一角にあるユーフィリア家の敷地内に一つの声が響ていた。

 その声の主は汚れや(ほつ)れが所々に見られる衣服の上に前掛け(エプロン)を着け、手にはそれぞれ片手鍋(フライパン)杓子レードルを握っている。

 魔女(マギサ)のブリジット。

 ユースティア家の良心であり、保護者おかんのような存在だ。


「完遂。これくらい、余裕」

「ロザリーは途中から遊んでいただろう」


 庭から揃ってブリジットの元に戻ってきた二人は、明らかに人間ではない別の存在、所謂亜人と呼ばれる者たちだった。

 蝙蝠の羽を生やした|吸血鬼《》のロザリーと、獣の耳と尻尾のある人狼リュカリオンのフォルティス。

 ロザリーは幼い見た目と同様に精神面も幼いが、未だ成長期真っただ中だ。

 対してフォルティスは落ちついた性格に思えるが、ロザリーには弟扱いされることもしばしば。

 そんな彼ら以外にも、ユーフィリア家では様々な種族が過ごしていた。


 鬼族悪魔(デモニア)のリン。

 普段は人の姿であるものの、その力が解き放たれれば二本の角が露わになり、人の力を凌駕する身体能力を得ることができる。


「ロザリーもそうだけど、こっちも全然作業が進まなかったんだけど、ね!」


 そう言って、リンは引きずってきた白と黒の斑模様の様な翼をもった少女を、自身の前に軽く放り投げた。

 潰れた声を上げたのは天使(アンジェ)であるシエル。

 本来あるはずの神聖さと高潔さを微塵も感じることができないその存在は、純粋さと天賦の才、そしてポンコツによって作られている。


「ひどいじゃないですか、リン! わたくしも頑張りました!」

「手の届く範囲が終わったら、ロザリーと遊んでおったではないか」


 冷静に言葉を返したのは、妖精(エルフ)のロリエ。

 事実をさらした彼女は見た目通り真面目な性格なのだが、実は極度の人見知りでもある。 


「どうせ天使らしさの欠片もないのですから、その翼は不用ではなくて? なんならあたくしがもいで差し上げますわよ?


 追い打ちをかけるように自然と恐ろしい提案をしているのは人魚(セイレーン)のクベレ。

 今の発言の通り、加虐的な思考を持っているが、特定の人物に対してのみその性質は反転する変わり者だ。


 当然、一か所にこれだけの亜人が揃うということ自体がとても珍しいのだが、彼女たちはこの場所で多くの時間を共に過ごして来た。

 その間、彼女たちの間に何も諍いがなかったわけではない。


 言いたいこと、言えないこと。聞きたいこと、聞きたくないこと。

 気遣いや無遠慮、繊細さや大胆さ、そして乗り越え進む為の歩幅の違い。

 それらが毎日混在していた屋敷はある種の魔境だったのかもしれない。

 それでも彼女たちは、互いを理解し合うことを諦めることなく言葉を交わし、衝突しながらも親交を深めていった。いつしか彼女たちからぎこちなさやよそよそしさは無くなり、いつしか自然に他愛ない話をできるように。

 他人を拒絶していた魔女、外を恐れていた吸血鬼、屋敷を守り続けた人狼、後悔に堕ちた天使、虐げられていた鬼、一族を失った妖精、愛を求めた人魚。

 出自が違い、価値観がそれぞれに異なるものたちが如何に共に歩むことができたのかといえば、それはその者たちを繋ぐ存在があったからに他ならない。

 その存在こそ今亡き、ユーフィリア家の主だ。

 彼の行動が彼女たちをしがらみから救い出し、新しい世界へと導いた。


 そして、忘れてはならないもう一人の存在。

 彼と共にいた少女。彼の根源であり、彼が彼で在り続けることのできた理由。

 そんな少女が彼女たちに寄り添っていたからこそ、この今があるのだろう。

 しかしその少女もまた、ユーフィリア家の主に救われ、守られてきた。

 だが、いつしか彼と並び立とうとするまでに心身ともに成長した。

 世界の崩壊を防ごうと奮闘し、自身の未熟さを思い知り、仲間の意味を身を以て学び、多くのことを経験したそこには、紛れもなく大切な何かがあった。

 そんな脆さと強さを持った少女の存在が、此処にいる異なる種の同士たちを繋ぐ要となっている。


「ごめんなさい! 途中で警邏の人たちに見つかっちゃって……な、なんとか撒いたんだけど」


 謝罪の言葉を口にしながら現れたこの少女こそが、皆に寄り添い慕われている存在だ。

 シンカ――白鎧を纏い戦場を駆ける金色と白銀の戦乙女。

 戦場では白き輝きを見せる彼女も、今は黒の外套に身を包んでいる。


「シンカぁ~! リンたちがわたくしを虐めてくるのでなんとかしてください!」

「貴女はまだそんなこと言って……やっぱり厳しく躾ける必要があるわね。シンカ、すぐ戻るからちょっと待ってて」

「ロザリー。今日ばかりは俺もリンの様に、心を鬼にしようと思う。残りを片付けにいくぞ」

「抵抗。ロザリーはフォル君の帰りを大人しく待って……待って、引っ張らないで。やだ……シンカ、たす……けて」

「はぁ、仕方のない連中だの。この調子では終わりそうにもない。シンカ、此方たちも少し行ってくるのだ」

「たちって貴女、勝手に決めないでいただけます!? 愛の鞭を手にあたくしを好き勝手使っていいのはシンカだけですのよ! ちょ、聞いてますの!? お待ちなさいロリエ!」


 口々に言葉を残しながら、リンたちは残っている片付けを終わらせるために再び庭の方へと向かって行った。

 そんな賑やかな彼女たちの後ろ姿を眺めながら、シンカは少しの安らぎを感じながら()()()のだった。

 すると、誰かを彷彿とさせる彼女に対し、静かな足取りで近づいてきたブリジットが呆れたように声をかける。


「お前さんは……ったく、直ぐにバレるような嘘を吐くんじゃないよ」

「あはは、やっぱり寝坊したってわかる?」

「シンカ」


 二人きりの静かに風の流れる空間で、諫める様な口調で名前を呼んだ魔女から感じる迫力(プレッシャー)に、シンカは観念したように口を開いた。


「はぁ……ブリジットには敵わないわね。昨日戦ったのはキング級程度だったし、痛み止めの注射もしてもらってきたから誤魔化せると思ったんだけど」


 嘘が露見したことへの恥ずかしさからか、苦笑しながらそう答えるシンカに、ブリジットはどこか寂しげな表情で言葉を返していく。


「まだまだ甘いよ。ま、腕のとこに少し血が滲んでる感じもしてるからね」

「え、うそ? 包帯もちゃんと変えてもらったのに」

「その程度だから目立ってはないけどね、アタシにゃわかるんだよ。黒い(そんな)服をどれだけの間、いったい誰が洗濯してたと思ってるんだい?」


 それもそうだ。彼でさえいつも頭の上がらなかったブリジット相手に、自分が誤魔化せるはずがないと、シンカは困り顔で納得した。


「こんな時、傷を癒やせる子がいてくれたらバレなかったのに」

「そんな都合のいい力なんてあるもんかい」


 その言葉の後、二人の間には庭での片付けと天使の躾けに奮闘するリンたちの声が届くだけで、互いに口を開くつもりはなかった。

 この世界に傷を完全に癒やせる存在など在るはずがないと、それは誰もが知っている当たり前のことだったのだから。

 だから、これはただの無意識だった。

 それは彼女のことを最後まで解ってあげられなかった後悔からか、それとも無かったことにはしたくないという想いからか。

 それとも、想い出に眠る誰かが背中を押してくれたのか。


「……本当に、そう思う?」


 自然と呟いたシンカの問い掛けに、ブリジットの表情は崩れない。

 そして彼女もまた、当たり前のことをただ自然とシンカに返す。


「シンカ……アタシは、魔女だ」


 それは何よりも明確な答えだった。

 小さな少女が居たという、紛れもない確かな証だったのだ。

 

「そう……そっ、か……よかった」


 潤を帯びた声でそう呟いたきり、それ以上そのことについて二人が口を開くことはなかった。

 ただ、それは悲哀に浸っているだけではなく、大切な過去を思い出し、過酷な今を感じ、これから先のことをを考えているようだ。

 失ったものは還らない。それでも、次に託すことはできるのだから。

 


 それから暫くして、疲弊した様子のシエルをリンが肩に担ぎ、ロザリーをフォルティスが自身の背に乗せて戻って来ると、そこには彩豊かで食欲をそそる料理の数々が、ブリジットとシンカの手によって用意されていた。

 二人は先ほどの会話の後、特段互いを気遣うこともなく、自然とこの準備に取り掛かっていたのだ。

 過去に囚われすぎず、前を向くためにも。

 過去の悲しみと共に思い出を忘れない為にも。

 その思いが彼女たちを動かしている。


「とりあえず、お前さんたちは手を洗いな」

「でもブリジット。料理に使ったぶんと飲み水以外は持って来てないわよ? 前に井戸が枯れたって言ってたわよね?」

「そうだよ。でもそこに井戸みたいなのがいるじゃないか」


 リンの言葉にさも当然のようにブリジットはクベレを指さした。

 当のクベレは一瞬呆けていたが、すぐに意識を取り戻し抗議の為に口を開こうとするが、他の者によってそれは遮られてしまう。


「私からもお願いできるかしら?」

「えぇ、もちろんですわ! お任せくださいまし!」


 シンカからも頼まれた途端、清々しいまでの即答をしたクベレを見て、ブリジットはしたり顔であった。

 もともとクベレとしても、手洗い場代わりにされるのは不本意というわけでもなかったのだ。

 なにせ、今現在のユーフィリア家の屋敷の壁にはいくつもの大穴が開き、一階から空を見上げることができる場所が多くあるのだから。

 それはもう、正に廃屋と扱われてもおかしくないほどに。


 それでもここに集った者たちにとって、ここは自分たちの家であり帰ってくる場所なのだ。それだけは決して変わらない。

 降魔が溢れかえっているこの世界の現状で葛藤とすれ違いが多々あり、最終的にはこの屋敷を離れレイオルデンへと移り暮らしてはいるが、時折こうして崩れて荒れていく屋敷を訪れては、庭に散らばる瓦礫の片付けなどを行っている。

 世界規模でレイオルデンへの避難が行われた中で降魔の跋扈している場所に向かうというのは危険しかなく、褒められた行動でないのは理解しているのだ。

 それでも彼女たちのこれまでの功績と、最期まで戦い抜いた男への敬意も込めて、周囲からは黙認されている。


「ここまで屋敷がボロボロなっても、実はそんなに悲しくはないのよね、私。思ってたより薄情なのかも」

「いいや、そんなことはないさ。本当の薄情者は、屋敷の片付けに行こうなんて言いやしないよ」

「それにリン。もし言い出してなかったとしても、お前の事を薄情だとは誰も思わない。俺たちが何年お前と過ごして来たと思っている」

「同意。フォル君の方がよっぽど薄情狼。すごく疲れた」


 不意に漏らしたリンの言葉にブリジット、フォルティス、ロザリーはそれぞれ言葉を返していく。

 特に彼女たちはこの場にいる面々の中でも、幼き頃からこの屋敷で暮らし、育ってきた。この屋敷での思い出や思い入れには特別なものがあるのだ。

 それでもこうして悲嘆に暮れていないのは、共に歩む仲間の存在や、長い年月を見守ってくれていたこの屋敷の主の存在が大きいのだろう。

 残された屋敷()は形を失ってはいくが、遺された想い(もの)はそれぞれの中で決して消えることはない。


「ブリジット、井戸の務めは果たしましわよ」

「あぁそうかい、ありがとう。また頼むよ。それじゃあ、よだれを垂らしてる子もいるし食べるとしようかね」


 ブリジットの一言に慌てて口元を拭うシエルに視線が集中し、近辺の殺伐とした風景とはかけ離れた和やかな空気が漂った。

 その後は、ブリジット謹製の料理の数々に舌鼓を打ちながら思い出話をし、レイオルデンで知り合った他国の者たちの事を語り合っていった。

 短い時間ではあったが、彼女たちにとってはとても充実した時間だった。

 何故ならこれが、最後の思い出作りの時間だと、皆がそう知っているから。


 終焉に向かうこの世界を守る明確な手段を知る者は誰もおらず、レイオルデンへの避難も被害をできる限り抑えるための、ある種の一時凌ぎでしかない事を審秤神サラ・テミスより知らされている。

 そんな中でも未来(さき)へ進むために、世界総出で動いているのがこれまでの現状だったのだが、少し前にサラから一つの案が提示され、それを達成するためにレイオルデン内での活動が活発になってきているところなのだ。


 それは――望みを託し世界を救うという、壮大で過酷なものだった。


 荒廃した世界の中で、改めてそんな現実を突きつけられても、多くの者たちは反発の意を示すことはなかったが、すべての者がそうではない。

 事前に知らされていた終焉、すでに理解していた最後。一度は納得し、僅か数年の時間だけでも生きようとこの地に集まったとしても、人の欲は生み出されてしまう。

 漫然と過ごす日々ではなく、限られた時間の一秒一秒を必死に生きるからこそ、より大切なものに気付き、それを守りたいという願い、生きたいと思う心、そんな綺麗な綺麗な欲望が。

 しかし、各国の神々による説得と異国の神を名乗る男の話によって、人々は落ち着きを取り戻し、改めて自分たちの最期に向けて動き始めたのだ。


”堪忍な……ありがとう”


 その時零れたサラの言葉を耳にしたものは誰もいなかったのだろうが、その胸中を一部の者は察し、慰めることなく新しい一歩を踏み出した事への喜びを口にした。


 ユーフィリア家の敷地に集まっている彼女たちも辛さを抱えているのだろうが、それを表に出すことなく、相応の覚悟をもって笑顔を向けあっている。

 貼り付けた偽りのものでは無く、本心の笑みを。

 しかし、それでも心残りや悔しさが勿論無い訳ではない。

 ただ、想いを託された()()()()が自分たちの事を思い出した時に、すの姿が笑顔であってほしいと思うのだ。


「シンカ、残念だけど……そろそろ戻らないと」

「もうこんな時間になってたのね。っ……絶対来るって、言ってたのに」


 どんな時でも終わりは必ず訪れるもので、名残惜しさはあるものの、シンカたちは綺麗に食べ尽くされて何も乗っていない皿などを片付け始めた。

 そんな中、獣染みた嗅覚を発揮する天使。


「くんくん、ん~? まさか、ブリジット! まだ何か出していない料理があるのではないですか!?」

「……ないよ」

「いえ、間違いなく何かあります! こっちある気がします!」

「まちな! それは、駄目だ」


 大きな声を出し、すぐさま尻すぼみに消えていく声。そんなブリジットを見て、さすがのシエルもそれ以上に足を進めることができなかった。

 先ほどまでの和やかな食事会の空気は霧散し、代わりに少し重くなった空気がシンカたちを囲んでいる。

 その一変した空気をなんとか変えれないものかと思案している最中、場違いと言わざるを得ないほどの快活な声が響いた。


「あ~っ!? 遅れてでも行くから、残しておいてと言ったではありませんか! 言ったじゃないですかー!」


 その声の主は珍しい虹彩異色(オッドアイ)を持つ少女、ツキノだった。

 ブリジットたちと同じく、この屋敷の主に救われてこの屋敷で育った、兄に好かれていると公言している少女だ。

 今日の食事会にも最初から参加する予定だったのだが、急な任務によって、月の使徒として招集されていた。

 連日連夜の訓練と降魔の迎撃で人一倍疲労しているというのに、彼女が最低限の休息しかとらないのには訳がある。

 きっかけは、長年使い続けた愛刀を新しい得物に持ち替えたこと。それを一刻も早く自在に振るえるようになるためだ。

 数日後には滅びると定められた世界の中で、今より一秒でも早く動けるように、今より数グラムでも多く持てるように、今より一体でも多くの降魔をその目にし、一つでも多くの能力を経験するために……彼女は己を鍛え続けている。

 ツキノにとって、今日という思い出作りはとても大切なことだった。それでも、事前に約束をしていたことよりも、これからの為にもツキノは任務へと向かったのだ。

 そして、任務終了と共に疲労している身体に鞭を打ち、全速力で向かってきたのだが、このような時間になってしまったというわけだ。


「まったく、遅すぎるんだよあんたは……ちょいと待ってな」


 軽口を叩きながらも安堵した様子のブリジットは、もともとは綺麗な台所だった所へ向かうと、一つの皿を持って戻ってきた。

 その皿の上に乗せられていた料理は、黄色い半月を思わせる形状をしており、シエルの鼻が感じ取った赤い調味料(ケチャップ)がかけられている。

 この料理は、ツキノ()()の思い出の詰まった――


「オムライスじゃないですか! やっぱりブリジットわかってますね!」


 余程の空腹だったのか、それとも感激の為か、ツキノは握りしめた銀匙(スプーン)大好物(オムライス)を一心不乱に食べ進めていく。そして……


「うぐっ……ブ、ブリジット。まさか、これって……」


 突然食べるのを止めたツキノは、苦いものを口にした表情でブリジットに確認を取ると、返ってきた答えは彼女にとっての試練だった。


「あぁ、もちろんお前さん()()の為に作ったんだ。全部入りに決まっているだろう」

「やっぱり、そんな事だと思ってましたが……くっ! でも、残すわけにはいきませんね」


 その後、何杯も水のお替りをしながら、ツキノは彼女自身にとっては嫌いな物が入った大好物(オムライス)を完食した。

 そして口許についた赤い調味料(ケチャップ)手布(ハンカチ)で拭うと、深く一呼吸したツキノはブリジットに真剣な表情で向き直った。


「ブリジット、オムライス美味しかったです。最後にもう一度食べることができて、本当に嬉しかったです。この味を、私は絶対に忘れません」


「……そうかい。そりゃあ、作った甲斐があったってもんだよ」


 帽子の鍔で顔を隠しながら、ブリジットはいつもの調子で答えて見せるが、その声は微かに震えていた。


「今だから言いますけど、私たちは兄さんと同じ部隊で戦っていたリン姉さんに憧れてたんですよ? 叱られた拳は痛かったですけど、戦場で振るう拳はとても頼もしかったです。だから、最後まで私たちを……」


「どうして改めて頼もうとするの? ツキノは私に頼む必要なんてない。貴女は私の妹なの。貴女が覚悟を決めて進む道を、最後の最期まで私が切り開く」


 家の中でも月の使徒としてでも、姉のように支えてくれたリンは、零れ落ちそうになる何かを堪えるように両眼を細めながら、力強く答えた。


「ロザリー、フォルティス。戦闘の時はずっと変身してて疲れてるはずなのに、私たちの家を守ってくれて……綺麗にしてくれてありがとう」


「あぁ……自分の家だからな。当然だ。これからも任せておけ」

「疲労。でも、みんなと一緒だから大丈夫。」


 屋敷を守っていた頃以上に傷の増えたフォルティスと、ここ最近は我儘の減ったロザリーは、少しばかりの強がりと本音を口にする。


「シエルは……なんと言いますか、そのままの元気なシエルでいてください。貴方の笑顔と元気な姿は、暗い感情も簡単に吹き飛ばしてくれますので」


「そこはかとなくダメな子の扱いを受けている気がしますが、まぁいいでしょう。今のわたくしは貴女と志を同じくする星天使ですので!」


 たとえ黒白の翼でも、純白の翼を持つ他の天使よりも純白(素直)な心を持つシエルは、郷愁へ誘う日の暮れ始めた中でさえも明るく振る舞ってみせる。


「クベレさん、被虐性(変態さ)についてはもう何もいいませんが、自分のことは大事にしてくださいね。貴女の家族はここにもいます」


「言われるまでもありませんわ。男や降魔(イモども)に触れさせる肌は持ち合わせておりませんもの。だから……あなたも自分の事は大切になさいな」


 シンカや彼の前では常識を逸脱した言動をしてしまいがちだが、優しくも頼りになるクベレは、本当の姉妹と重なってみえるツキノに労りの言葉をかける。


「しっかりしてそうなのに、人見知りで強がりでおどおどしてばかり……でも、人の気持ちにはとても敏感なロリエさんの言葉に、私は救われました。死が二人を別つとも死して尚永遠なり、ですよね」


「最初の言葉は余計だが……そうだの。今の其方らに、越えられぬ不可能などあろうはずがない。其方の真っ直ぐさは狂信ではなく美徳だ。此方はそう信じておる」


 ずっと孤独であったが故に人の弱さに敏感なロリエは、ツキノの事を真っ直ぐに見つめ、微笑みながら激励の言葉をかける。


「シンカ……抜け殻の様な貴女を見てるのは辛かったですし、怒りも覚えました。でもこうして元の、いえ、兄さんのように強いシンカが戻って来てくれて私は嬉しいです」


「あの時はごめんなさい。みんなのおかげで立ち直れたわ」


 困ったように苦笑するシンカの姿はどことなく彼に似ていて、頼りなさそうに見えるはずなのに、シンカがいれば大丈夫だと強く思わされるところも、どこか彼の姿を彷彿させるものだった。


「私はみんなが大好きです。兄さんがいたこの家も、この世界も大好きです」


「私たちだって、貴女が大好きよ。この家も、この世界だって」


「だから、だから最期までちゃんと生きてください! 私、頑張りますから! すごくすごく頑張りますから! 絶対に救ってみせますから!」


「絶望ばかりの混沌の世にも月は昇る。その光の元で咲く雪の花を私は見た。だからもう心配しないで。私たち皆の想いを、貴女に託すわ」


 百戦錬磨、一騎当千など秀でた戦士を称える言葉は多くあるが、ここに集まった彼女たちは戦場を離れれば、普通の生活というものに幸福を感じていたのだ。

 しかし、それが崩れ去ったのちは普通の生活などというものは失われ、些細な幸福さえ簡単には手に入らない混沌の世となった。

 それでもシンカたちが別離の日を前に満身創痍、疲労困憊の体を無理矢理にでも動かし、いつ降魔に襲われてもおかしくないこの場所で呑気に過ごせているのは何故か。

 世界を救えると信じ、その可能性を託した者を信じているに他ならない。


 皆が皆、戦場で命を落とすことは覚悟の上だった。

 百戦錬磨、一騎当千の強者たちが大切な何かを守る為に戦場に立つ以上、絶対に生き残る意志といつ死んでもいいという覚悟は共存している。

 しかし、そんな者たちでさえ、簡単にはできない覚悟もあった。


 それは自分たちの手の届かない所で、全てを背負わせてしまうことへの覚悟。


 今日のこの日はそれを明確に意識し、覚悟するためのものでもある。

 故にシンカは今回の集まりを提案し、神々を説得してまでこの無理(我儘)を通したのだ。

 残念ながらここに来てくれなかった人もいたが、これまで深く関わることのなかった彼女には彼女なりの覚悟の決め方があったのだろう。

 ならばせめて――


「はい、()()()()()()()()()()()に任せてください!」


 託された者(彼女と彼女)を待ち受ける困難は、誰もが思っている以上に過酷なものとなるのだろう。

 肉体的にも精神的にも、全てにおいて想像を絶するものになるに違いない。

 しかし、それでも引き止めることはできず、共に往くことすらできはしない。


 ならばせめて――最高の状態で彼女たちを送り出す。


 全身全霊、己が全て、この世界の全て、人の持てる全ての力を以てして、命を賭してこの世界を守り抜く。

 世界の終焉――その瞬間から、彼女たちが旅立つまでのたった数時間を。


 星歴七七七年の悲劇から七年。

 今一度願いが集う、最後の星まつりの夜を。

 

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