42.File:海国エデルメーア ~嫉妬の花弁~
【登場人物だよ】
シュトラス(M) 種族:船長
海の流人ヴァール隊所属
神魔総位二十位
能力:弾く力
フルト・エーデルワイス(F) 種族:人魚
海の流人クラッベ隊所属
神魔総位十四位
能力:音
キュステ・エーデルワイス(F) 種族:人魚
海の流人元クラッベ隊、現ガルネーレ隊所属
神魔総位十五位
能力:絵の具現化
………――――――
見渡す限りの大海原。雲一つない空からは燦々と陽の光が降り注ぎ、晒された素肌にはその熱と少しばかりの痛みを与えている。
凪の青海を航行するのは、一隻の大型艦だ。
それは一個人が保有できるようなものではなく、当然のことながら漁船などでもない。
海国が誇る処刑人の異名を持つ最大級の軍艦――リヴィアタン。
「…………」
そして、日に焼けた肌に剃りきった頭。筋肉質で大きな体躯。なびく肩外套。
甲板上で仁王立ちのまま只々遥か遠くを見据え、初対面であれば近寄りがたさを感じさせるこの男こそが、この艦の艦長であるシュトラスだ。
「艦長。周囲に他の船、降魔は見当たりやせん」
「ん……そうか」
船員からの報告を聞き、シュトラスはその表情を険しいものへと変えると、ここまで遥々やってきた理由を今一度確認して覚悟を決める。
数々の戦場を共にした部下を巻き込み、規律違反を犯してでも、彼には為さねばならないことがあった。
それは幼き頃から努力を積み重ね、それでも届かなかった悲願。
「まずは、こんな俺の為にここまでついて来てくれてありがとうよ!」
「それはこっちの言葉ですぜ、船長! ろくでなしだった俺たちを、ここまで引っ張ってくれたんすから!」
「俺たちは国のために戦っちゃいるが、これからも艦長の下で戦いたいんだ!」
艦の甲板にはいつの間にか殆どの船員が集まっており、それぞれが思いを語り叫んでいる。シュトラスには、その言葉がしっかりと届いていた。
だからこそ、今日という日を無駄にするわけにはいかないと拳を強く握りしめる。
「……さて、そろそろ始めるとするか。お前たち、警戒を怠るなよ!」
「まかせてくだせぇ!」
「誰にも邪魔はさせませんって!」
力強い始まりの号令に船員たちは威勢よく応え、それぞれの持ち場へと駆けていった。
それを満足気に見た後、シュトラスは艦頭へと迷いなく足を進めていく。
その一歩は後悔を断つために。
その一歩は強さを手に入れるために。
その一歩は世界を拡げるために。
それはこれまでの自分自身との決別。
「隊長、錨下ろしましたぁっ!」
先ほどまで進んでいた艦艇はその場で漂うだけで、その様は小島のようだ。
艦の停止を確認し、シュトラスは一度の深呼吸で心を落ち着かせ、強張った全身を弛緩させる。そして――
「うっし! 今日でこんな俺とはおさらばだ!」
気合いの声と共に大きく助走し、甲板から跳躍。自ら海へと飛び込んだ。
それから一秒、三秒、五秒……海面へと浮き上がってきた褐色の男の姿は、甲板上とは打って変わってあまりにも情けない姿だった。
「はがっ、うわぁっ! げほっ! しょっぺぇ!」
「「船長~~~~っ!」」
端的に言ってしまえば、シュトラスは溺れていた。
「早く救命船を降ろせ!」
「それより先に浮き輪だ、浮き輪!」
「気合い入れてかなりの距離飛んだせいで届かねぇって!」
「よし、俺が届けてやる!」
「馬鹿野郎! てめぇも泳げねぇだろうが!」
「浮き輪つかんでいきゃこれくらいなんとかならぁ!」
「この高さだぞ!? 着地ミスって二次災害になるに決まってんだろ!」
甲板上で狼狽え、揉める屈強な男たち。
「ぶはっ、げほっ、て、てめぇら! む、無茶すんじゃな、ごほっ!」
「「船長~~~~っ!」」
甲板上から響く情けない男たちの声を聞きながら、海中から溺れる男を見つめる二人の少女は、助けるのを一瞬戸惑うほどに呆れるばかりだった。
そうして……
「た、助かったぞ……嬢ちゃんたち。けほ、けほっ!」
甲板上では、無事に救助された濡れ鼠状態のシュトラスが、二人の少女に対して礼を言っている姿があった。
彼女たちはこの艦の乗組員ではなく別部隊に属する……いや、率いる者たちだ。
「ほんとだよ~、これが降魔だったらヤバかったんだからね!」
そうシュトラスに叱咤する小柄な少女。
戦場とは無縁そうに見えるが、れっきとした強者であり、人魚だ。
その名はキュステ・エーデルワイス。
自身の妹に妹扱いされてしまっている夢見がちな少女だ。
「私用でこの艦を動かして何をしているのかと思えバ……」
キュステの後ろから現れたのは、彼女とは対照的に女性らしい体つきをしている彼女の姉であり、同じく海の流人の一部隊を率いる強者だ。
その名はフルト・エーデルワイス。
エーデルワイス三姉妹の長女であり、独特の口調で話す明るい性格の少女。
「あぁ、全く面目次第もないな……」
意識もはっきりとし、呼吸も平常に戻ったシュトラスは、苦笑しながら言葉を漏らす。
「だいたい、なんでこんなことしたの?」
「段取りも悪いデスシ、無策というカ……勢いに任せすぎデース」
「お、俺たちがわりぃんだ!」
が、ではなく、も、だ。
「ちまちま練習するより、でけぇ舞台のほうがやれると思って!」
普段の練習でできないことが大舞台でできるわけがない。
「形も大事っつか、ぶっつけ本番っつか……勢いも大事っつか」
勢いもと言いつつ、勢いしかなかったではないか。
「うちの親父も家でだらしないけど、仕事は気合いが違うって感じで、船の上ならその理屈と同じかなって!」
なんだその理屈は。馬鹿か、馬鹿しかいない集まりなのか。
せめて救助するための準備はきちんとしておくべきだろう。
などと思いながら、口々にシュトラスを庇い立てする船員たちをじっとりとした目で責める二人に対し、男たちはしょんぼりとした様子で顔を俯けた。
そんな中、シュトラスが甲板を背に遠い青空を眺めながら声を漏らす。
「最終的にやると決めたのはこの俺だ。流石に海の男がいつまでも泳げないってわけにもいかんだろ? カッコ悪いしな」
今の話の流れの通り、今回の騒動の発端はシュトラスが泳げないことにあった。
魔憑としての実力もあり、海国を守るという献身も高く、部下や街の人々からも好かれる人徳者の彼ではあるが、長年泳げないことに悩み続けていたのだ。
海国の旗艦の艦長を任されてからは、その悩みは彼の中で深刻さを増すばかり。
シュトラスの周囲は彼が泳げなくとも決してそれを笑うことなく、気にすることはないと声をかけてはいたが、当の本人は気にし続けていた。
日頃からシュトラスは夜な夜な人気の無くなった大浴場で、自分なりに泳ぐ練習をしたり、泳ぎに関する教本を読み漁っていたのだが、部下以外の者にカナヅチである事実を知られまいと、海で練習するといったことはできなかった。
そんな中、”塩が溶けていることによって比重が真水より大きいから”という理由などまったく理解できない部下の発言によって、事態は動き始める。
曰く、なんか海は浮きやすいからいける。
そして、沖に出れば誰の目にも止まることがないという言葉を皮切りに、熱を帯びていく部下たちに乗せられるうち、泳ぎの知識を蓄えた今の自分なら泳げるのではないかという根拠のない自信がシュトラスに今回の計画を実行させたのだ。
「でもそんなことより、海藻が頭についてる方がかっこわるいよ?」
「キューちゃん、シーッ! みんな我慢してたのデスヨ!?」
「…………」
キュステの発言を受けて、シュトラスは頭部に感じていた違和感の元を無言で掴み、そのまま力一杯海に向かって投げ捨てた。
その間、周囲に集まっていた部下たちは気まずそうに視線を逸らし、無言を貫いていたのだが、そんな空気になろうと聞かねばならぬことがあると言わんばかりに、フルトはシュトラスに問い掛ける。
「念のために聞いておきますケド、今回艦艇を航行させたのは哨戒任務のためだったりしまセンカ?」
「いいや、完全に俺の私用だ。泳げないことを克服するためのな」
「「船長!」」
「この場所に来るまで見逃してくれてたんだ。それだけでも十分ってもんだろう」
シュトラスの返答に対し、フルトとキュステの二人は揃って溜息をつくと、ここに至るまでの苦労を思い出していた。
そもそも、この場にはシュトラスたちが乗っているこの艦一隻しかないというのに、フルトたちがどうやってここまでやって来られたのかということだ。
「本当ならこうったことに適した部隊の役目なのデスガ、急なことでしたしネ」
「海中から追跡できる人魚だったから、ここまで追いかけて来られたわけだしね。疲れたから途中で能力は使ったけど」
シュトラスの艦に気づかれずに追跡するにあたり、残念にも偵察任務を得意とする魔憑は全て出払っていた。
そんな中、どうするかと人員の確保に頭を悩ませている海神ヴィアベルのところへ、別の任務報告の為にフルトたちが訪れたのだ。
そこで、ヴィアベルは海中でも長時間自由に行動ができ、万が一のことがあっても実力の申し分ない二人にシュトラスの追跡任務を命じることとなった。
その上で、何か海国に不利益となるような行いがあった場合はそれの阻止、その他の事は臨機応変に対応するようにと、彼女たちは伝えられた。
突然新たな任務を言い渡され、今一つ状況が呑み込めていないフルトたちであったが、微笑むヴィアベルから放たれる威圧感に首を縦に振ることしかできず、超短時間で支度を整え出発し、今に至るいうわけだ。
しかし船員たちにとって、一つだけわからないことがあった。
「それにしても、どうして追跡されるはめになったんでしょう?」
リヴィアタンの旗長であるシュトラスには、任務における艦の抜錨権限が与えられている。命令がなくとも、必要であれば自分の意志で航行できるのだ。
出航の際、周囲の目は気にしていたし、後に誰かがリヴィアタンがないことに気付いたとしても、それほど大きな問題になることはない……はずだったのだが。
「さっきの話からしても、これは最後までアナタたちが計画したものデスネ? シュトラスさんは緊急のときも必ず一人は伝令を残しマース」
「それなのに伝令がないまま、たまたま水晶宮からこの船が遠ざかるのを見てしまったヴィアベル様がおかしいと思ったんだろうね~。ほら、悪いことをした子供ってすぐにわかるじゃん? こそこそするから逆に怪しいんだよ」
つまり、よかれと思って人目を避けた部下たちのこそこそとした行動が、完全に裏目に出たということになる。
「すいやせん、船長。俺たちがもっと考えて計画してりゃ……」
「任せた俺に責任はあれど、お前たちに落ち度はないさ。現にここに来るまで逸降魔とは遭遇してないしな。だが、次から隠し事はせんようにな」
シュトラスはある意味で真面目な男だ。
哨戒任務としてのついでに黙って練習すればいいものを、任務中にそういったことをできる類の人間ではない。
つまり彼は、”私用で使う”と提出した上で、任務外での使用に関する罰を覚悟していたということなのだが、まさか完全に黙ってこっそりこの艦を出航させたとは思っていなかった。
幸い死傷者は出ておらず、艦自体も被害はないとはいえ、任務に関係のない個人的な用事によって海国が誇る艦艇を黙って航行させたのだ。
始末書で済む問題ではなく、何かしらの重い罰則は科せられるだろう。
シュトラスをはじめとする乗組員は皆暗い表情で、今後の自分たちにどういった処罰がくだされるのかと思っていると、フルトが思いもよらぬことを口にした。
「それでは、日が暮れないうちに特訓を始めまショウ!」
「そうそう特訓……えっ!? お姉ちゃんいきなり何言ってるの!?」
「そうだぞ。俺が言うのもおかしな話だが、こういった場合はすぐに連行するもんだろう」
シュトラスの言っていることはもっともだ。
外界でも特に規律に厳しいといわれている海国。
規律違反の大小に関わらず、違反者には厳しく対応するのがこの国であったはずなのだが、フルトは規律違反者の背中を更に押す発言をしたのだ。
これには共にヴィアベルから命を受けたキュステも驚き、思考が混乱している。
「シュトラスさんがカナヅチであることも、ここの皆さんがおバカさんなのも周知の事実でしたノデ、こうなることもヴィアベル様はある程度予測済みだったのだと思いマース」
周囲が先程までとはまた別の静けさになっていることなど気にも留めず、フルトはさらに言葉を続ける。
「キューちゃん、覚えていますカ? ヴィアベル様に言われたコト」
「う~んとね、海国に不利益となるようなことがあったらそれを止めて、それ以外は臨機応変に……って、あ~そういうことなんだ」
「つまりどういうことなんだ?」
フルトとキュステは姉妹ということもあり、互いに通じ合っているようだが、シュトラスにはいまだ話が見えていないようだ。
そんな彼に二人は向き直り、口を開く。
「つまり、万が一降魔に襲われたりすればそれを阻止して、なにもなかったら臨機応変に対応するということデース! クーちゃんにもミーが教えまシタ!」
「厳しいって思われがちだけど、ヴィアベル様はなんだかんだと優しくて甘々だからねぇ~」
フルトの言葉を自身の中で反芻したシュトラスは二人に頭を深く下げ、感謝の言葉を伝える。
「有難い! どうかこの俺を、本当の海の男にしてくれ!」
それに倣い、乗組員たちも頭を下げつつ声を揃える。
「お願いしやす、姐さん!」
「あと嬢ちゃんも、船長のこと頼んます!」
「あ、姐さんはちょっと恥ずかしいデスヨ!?」
「どうして私は嬢ちゃんなの~!?」
場の雰囲気は和やかなものとなり、皆一丸となってシュトラスを海の男とするため意気込んでいた。
その中でもシュトラスは多くの人、そして、自国の女神に気にかけてもらえているということに深く深く感謝し、フルトとキュステ指導の特訓に臨んだ。
そうして時間は流れ……
水平線にこれから夕陽が沈もうとしている中、シュトラスたちは無事何事もなく港に戻ってきていた。
港では何人かの険しい表情をした者たちが艦を見つめているが、間違いなくシュトラスから事情聴取をするためだろう。だが……
「ままならんなぁ」
「すいませんでシタ……」
「……右におなじく~」
結論から言ってしまえば、シュトラスは泳げるようになっていない。
人魚として泳ぐフルトたちが、人間であるシュトラスに人間の泳ぎ方を教えるのが土台無理な話だったのかもしれない。
下半身が違えばそれに伴う上半身の使い方、それに息継ぎの仕方なども全くことなるのだから。
「そういえば、特訓の最中に何度も話に出てきた妹さんとは最近どうなのだ?」
「アハハ、まぁあまりデスネ」
「あっちはあっちで大変らしいからねぇ」
何気ないシュトラスの質問に寂しげに答えるフルト。
妹に妹扱いされるキュステも少々拗ねているように見える。
母親と共にいた時間が少なかった三人だが、その中でもフルトは長女として懸命に二人を想い支え、守ってきた。そのために魔憑部隊での実力も伸ばし、任務が終われば遊びに出ることもなく妹たちの待つ家に帰る日々。。
そんな生活も、三女の突然すぎる旅立ち宣言に終わりを迎えることとなった。
引き止め、水槽の中に閉じ込めてしまうのは簡単だっただろう。
しかしそれは家族ではないし、妹の想いを踏みにじるわけにもいかなかった。
その後はキュステとの二人での生活となり、初めのころは寂しさを感じていたが、時折入ってくる情報で無事を確認できていたので、辛くはないと二人で話し慰めあっていた。
しかしその間も任務が減ることはなく、それどころか寂寥感を抱きながらも、フルトは寧ろ様々な任務を数多くこなすようになっていく。そんな中――
”どうしてお姉ちゃんは、そんなに任務を受けてるの? 前だって非番の日だっていうのに魔扉が開いたとき出てたし”
ついには体調を崩し、自宅で療養しているときに看病をしてくれていたキュステから問われ、フルトはゆっくりと体を起こしながらそれに答える。
”キューちゃんそれはデスネ~、離れていても大切なものを守るためデスヨ。海国内で出現した降魔をやっつければ、クーちゃんがふらっと帰ってきたときも安全でしょう? それに姉の実力が広まれバ、ある程度は身元が保証できると思いますカラネ。あ、もちろんキューちゃんのことも大切デスヨ!”
その後はキュステも同行できるときはフルトの任務に同行し、再び倒れないように目を光らせることが多くなったのだという。
「……という感じなのデス。あの時は生きた心地がしなかったデスネ~」
「キッチンが私に合ってないだけだもん!」
寂しさを感じさせずに話す二人を見ていたシュトラスは、改めて自身が戦場に立っている理由を思い出し、その切っ掛けとなった二人に今日何度目かの感謝の言葉を伝えた。
「ありがとうよ。明日からも、俺は俺のままで艦に乗れそうだ」
「……結局何もできませんデシタ」
「いいや、助かったんだよ。っと、下船できるようだな。それじゃ、この度は我が艦にご乗船頂きありがとうございました、ってな」
体格に似合わず、旅客船の船員の真似をしてみせたシュトラスを見て、フルトたちは可笑しげに笑いながら下船していった。
その後、甲板上では乗組員たちが下船前の清掃を行っている中、彼は沈み切る夕陽を眺めながら、人魚の姉妹のことを思う。
「……離れていても大切なものを守る、か。やれやれ、俺も負けてられんな」
そう静かに決意を漏らしたシュトラスは、両脇から筋肉質な男たちにそれぞれ抱えられ、半ば引き摺られるように取調べ室へと連行されていった。
………――――――
「なによ、この茶番は……月国も大概だとは思うけど、どこにでもこういうのはいるものなのね。まぁ添付されてる資料を見る限り、能力はどれも使えそうだけど」
朝陽の昇る少し前、小さな明かりを頼りに資料を読んでいたアルテミスは、手元の資料に書かれていることに対して溜息交じりの声を漏らした。。
どの国においても実力者というのは個性的な者が多いらしく、それを束ねる神々の心労は計り知れないものなのだろうと思いながら、アルテミスは冷たい紅茶を一口啜った。
「……淹れなおすのも面倒ね」
冷たい紅茶をばかり飲んでいる彼女はそれに不満を漏らすことはあっても、自身で淹れなおすことはもちろん、誰かに淹れなおすように指示することもない。
自分がこうして成すべきことを成しているように、今のこの世界には余裕がない。誰もが自分の役目というものを持っているのだから。
「離れていても大切なものを守る……そんなの物理的にできるはずないのにね」
そう言いつつも、フルトの考えを理解できないわけではないのだ。
しかし、それがどれほどの効果をもたらしているのか誰にも分かるはずもなく、何よりその大切なものがいま危険にさらされている時には何もできない。
どれだけ想い、努力しても、その瞬間を守れなければ、後悔という傷を刻み込む凶報をただ聞くだけとなってしまう。
「そこまで守りたいなら、大切なものの傍にずっといなさいよ……二人とも」
分かっている。いくら姉妹でも、そんなことできるはずがないと。
彼女のもらした”ずっと”とはどこまでのことを言い、誰に対しての不満なのだろうか。その声を聞く者は誰もおらず、誰に知られることもない。
それでも彼女は立ちどまり、振り返ることはせずに前を向いている。
彼女もまた、いまだ見えることのない遠い大切なものを守るために戦っているのだ。
彼女だけではない。この世界生きる誰もが今も戦っている。
この人生に救いがなくとも、それぞれの大切なものに確かな幸を与えるために。
「私たちは守ってみせる……決して褪せることのない、この憎悪の果てに」
外は新しい光に包まれ、今日という日が動き出す。
それは未来への一歩であり、同時に終わりへの一歩。
混沌の日常は、均衡のとれた歪。
それが崩壊したとき、喝采に微笑むのは果たして誰か。
希望と絶望が重なり合う結末への秒読みまで、残された時間は少ない。
………………
…………
……
その者は優雅に華麗に鮮烈に、次々ち周囲を取り囲む降魔を滅ぼしていく。
炎を扱うものにはそれ以上の豪炎で燃やし尽くし。
水を扱うものにはそれ以上の激流で息の根を止め。
雷を扱うものにはそれ以上の轟雷で塵芥へと変え。
土を扱うものにはそれ以上の堅岩で押し潰し。
風を扱うものにはそれ以上の刃風で切り刻む。
そして、氷を扱うものには………………
「……百からは数えてないけど、千くらいは越えたかしらね。まぁ、降魔の数に興味はないけど、零になるまで殺し続けるのはちょっと疲れそうだわ」
溜息を吐きながら七深裂の花冠が一片、メロウ・インウィディアは独り言ちる。
各国の神々と対等か、それ以上の力をもつといわれている存在の一人でもあるそんな彼女の周りの景色は、殺風景な荒れ果てた大地が地平線の彼方まで広がる悪意に満ちた歪な世界だ。
数々の異形に周囲を取り囲まれる中、仲間と呼べるものは此処にはおらず、孤立無援の戦いをただひたすらに続けていた。
「まったく、こんなことならもう少し動きやすい服にでもしとけばよかったかしらね。見て欲しい相手がいない世界で、お洒落なんて無意味だもの」
複数の降魔が同時に襲い掛かってきているというのに、瑠璃の麗人たる彼女に焦りや疲労は見られない。
しかし、余裕のある言葉を吐いておきながらも、決して油断することなく周囲を常に警戒している。
これが強者の戦い方というのだろうか、それとも彼女の性分からくるものなのだろうか。
「本当、数が多いわね。模倣できる力は多い方がいいから、魔砲で一掃というわけにもいかないし……困ったものだわ。こういう時ほどヴィアベルみたいな能力があれば――くッ!?」
溜息とともに愚痴を漏らしている中、気付いた後方からの攻撃を瞬時に回避したメロウは、攻撃が放たれた方向に鋭い視線を向けた。
その先には明らかに他とは格の違う一体の降魔――キング級だ。
完璧だったはずの不意打ちを躱されても尚、キング級降魔は次弾を放とうとメロウに狙いを定めていた。小さく白い幾多の破片が、まるで割れた硝子を踏んでいるような音を発しながら集まっていく。
同時に、肌が痺れるような空気が、魔力が乱れるほどの目には見えない魔素の波となって、周囲へと広がっていく。が、その中心は降魔ではなく――
「アハ、なにそれ? おかしい……おかしいわよね? あの人はもういないの。だったら、そんなことができる奴なんて、この世界にいるはずがないじゃない。いていいはずがないの。私が使えないのに、塵虫が使えるなんて許せるはずがない。だから……消さないと。そうよね? ――威巳蛟」
真っ直ぐにキング級を見据える変貌したメロウの瞳は人のものとは思えないほど鋭さを増し、肌が割れるように目尻から広がっていく何かはまるで鱗のようだ。
光を放った青い指輪が姿を変え、刃が櫛状となった剣はまるで彼女の心の歪さを表わしているかのように見える。
メロウは周囲に群がる降魔は眼中にないと言わんばかりに、手にした刃を一閃二閃。先ほどは躊躇っていたはずの魔砲を加減なく周囲に放ち、多くの降魔を一気に消滅させた。
低階級の降魔に比べ知能が高い分、それに危機感を覚えたのだろう。態勢を立て直すべく、件の降魔が瞬時に退く事を決め、転身し決死の離脱を試みる。
だが、彼の者を彷彿させる能力を持ちながら、彼女の前で彼女から逃げようとする行動は悪手としかいいようがなく――
「それは、あの人のものなのよ。私たちの居場所で、私を受けとめてくれたあの人の。だから、返しなさい……返しなさいよ。その醜い姿で! 穢れた魂で! 存在自体が罪な塵虫の分際で! 私に、私たちに、この感情を抱かせるな!」
すでに優雅さは失われ、泣きじゃくる子供のように。
華麗に舞うことよりも、愚直に駆け抜ける獣の如く。
仮初の冷静さは激情に全て埋め尽くされ、道を阻む降魔を斬り捨てていく。
鮮烈な生き方は、喪ったものを忘れないためだ。
赦さず、生かさず、後悔を植え付けた後に討ち滅ぼす。
追いついた瑠璃の閃光がキング級を間合いに捉えると、そこから先はどちらが悪意を持つものなのか判別できるものはいない。
斬り落とされた四肢。胴体には数多の斬り傷と刺し傷。
そして、一切の切り傷はないが、原形を留めないほどに変形した頭だったもの。
先程までの炎の如き激情とは対照的に、酷く冷めた表情のまま、メロウは降魔の核を武器の先で砕くと、何も無くなってしまったその場から離れていく。
「あぁ……また、彼と同じ能力を使えなかったわ……次ね」
どんなに誰かを妬もうと思っても、どれだけ羨望に狂いたいと願っても、その感情を生み出してくれる相手はもういない。
それでも誰もが羨むほど多くを持った嫉妬の化身は、幼子の如く残酷に嫉む。
夢に見た悲願の景色は見えぬまま、地獄と化した地で光と闇を重ね見続ける少女の想いは、ありとあらゆるもの全てを認められない子供の嘆きそのものだった。




