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それは現のイストリア  作者: 御乃咲 司
三章 GOD-双咎のエンゲージメント
45/55

39.File:天国チエロレステ ~怠惰の花弁~

 

【File.1】


 クーン・コロンバ(F) 種族:妖鳥(ハルピュイア)

 天の戦翼アルバトロ隊所属

 神魔総位(ネメシスランキング)二十三位

 能力:獣化。空気圧。


 パセロ(F) 種族:妖鳥(ハルピュイア)

 天の戦翼元ロンディネ隊所属

 神魔総位(ネメシスランキング)十七位

 能力:獣化。風刃。


 パグロ(M) 種族:天使(アンジェ)

 天の戦翼元ロンディネ隊所属 

 神魔総位(ネメシスランキング)

 能力:対象との位置を入れ替える。



 ………――――――


 浮遊する大岩に生い茂る木々。

 そこにある集落の片隅に、決して大きくはない木造の建物がある。

 その部屋から聞こえてくる泣声は、いつもとはまた違ったものだった。


「ぐすっ、ぐすっ……」

「泣~か~な~い~の。ほら、お姉ちゃんがついてるからね」


 泣いている少年の名はパグロ。そんな彼の頭を撫でている少女の名はパセロ。

 二人の背にはどちらも小さな翼があるが、その色や形状は異なっている。

 白き翼に茶色い羽と、種族が違うのだから当然といえば当然だ。

 とても臆病な少年に対し、少女はとても面倒見が良く活発な印象を受ける。

 事実として、パグロは夜更けに一人で用を足しに行くことすらできず、いつも姉であるパセロを起こしているほどだった。

 だが、今回ばかりは夜の御手洗が怖くて泣いているわけではないらしい。


「今日はどうしたの? また何かされたの?」

 

 微妙に異なる泣声で、パセロは何かを察したようだ。

 パグロの体躯はここに住んでいる同年代の者と比較しても小柄で、臆病な性格と相まって、それだけの理由で周囲から苛められることも少なくはない。


「姉弟じゃ、ないのに、姉弟にはなれない……って……うぅ、ぐすっ」

「……そっか。なるほどね」


 パグロとパセロは確かに血の繋がった家族ではない。

 しかし、彼女たちにとっては血縁などまったく関係なく、本当の姉弟や家族以上に姉弟であり家族だった。


「よ~し! そんな風にわたしの弟を苛める子には、おねぇちゃんがギャフンといわせるんだからね!」


 他人同士であった二人がどうして姉弟として暮らしているのかというと、外界に於いては決して珍しくない戦争孤児であるというのが第一にある。

 パセロとパグロのそれぞれの両親は、降魔の猛攻を食い止めるため、退くことなく最後の最期まで大切なものの為に闘い続けた。

 その功績は後世に何かを残すようなものではなかったが、それによって救われた命は多く、その中には自分たちの子供も含まれている。

 それが彼らにとって何よりの誇らしい功績であり、それと同時に、愛する我が子を孤独にしてうという死に際の後悔でもあった。

 二人の両親は種族が違うこともあり、特に親しいという間柄ではなかったが、その戦で孤児となった子供たちは同じ施設に預けられることとなり、そこで互いに初めて出会った相手がパセロとパグロだった。


”きみも今日からここに住むの? わたしはパセロ。きみの名前は?”


”パ、パグロ”


”わたしとそっくり!”


”え? あ、うん”


”よーし決めた! あたしの方が先にここに着いたから、あたしの事はおねぇちゃんって呼んでもいいんだからね!”


”う、うん。わかったよ……お、おねぇちゃん”


 天国の管理する孤児院で、天涯孤独の人生を送るはずだった二人は出会い、孤独ではなくなった。

 そして、騒ぎながらもなにかと世話を焼こうとする活発な少女と、小さな体躯な上に人見知りで小心者の少年との姉弟関係は、この時から始まったのだ。

 初めのうちは両親を失った悲しみに涙する夜が続いていたが、パセロと接しているうちにパグロも笑うことが多くなり、明日の事(これから)を考えるようになっていた。

 明日の天気、次の好きなご飯はいつなのか……などと、それはとても些細なことだったが、少しでも未来(さき)の話をしてくれることが、パセロにとってはとても嬉しいことだった。


 

 それから月日は流れ、星歴六七七年。


「本日より配属になりました、パセロです」

「同じくパグロです」


 降魔の狂宴(フォールマキア)によって、これまで暮らしていた孤児院とそこで共に暮らしていた多くの友達を失った二人は、揃って天国の対降魔部隊である天の戦翼へ入隊し、訓練生としての日々を過ごしていく。

 パセロは妖鳥としては未成熟で小さな体でありながらも力をつけ、パグロの体躯は大きく成長したが、それでも姉の大きく見える背中を追っていた。

 だが、翼や爪は大きくなり、艶美な体躯となる者が多い妖鳥であるはずのパセロが成長する気配は一向になく、周回からの視線は蔑みものへと変わっていった。

 それでもパセロが強く在り続けることができたのは、偏に大切な弟という存在があったからに他ならず、それ故に、パグロの中の姉はずっと変わらず大きく頼もしい存在だったのだ。

 そんな中、パグロの中でひとつの大きな変化があったのは、せめて姉の負担にならないようにという自覚が芽生え始めた頃だった。

 あの日に掛けて貰った彼の言葉を、パグロは今でも必ず戦の前に振り返る。

 ただ、その出来事があった日から、彼の言葉の意味を深く理解することができたのは暫く先の話だった。

 二人が小隊を任されるようになり、正式な部隊名を頂戴してから数年。きっかけはそう、彼らの小隊の全滅――パグロの敵前逃亡だ。

 天国に於いての敵前逃亡は重罪であり、その罰として、パグロは間違いなく堕天の烙印を押されることとなる。

 状況がどうあれ、この罪を無かった事にすることはできない。

 しかし、罰を決める為にもその状況の精査は必要となってくるので、実際に堕天するまでの間、制限は付くがしばらくの猶予が与えられる。


(俺が姉さんを頼ってばかりいたから、こんなことになったんだ。俺一人でも戦えるように……姉さんに迷惑を掛けないように、強くならないと)


 ここ数日、天の戦翼としての任を解かれたパグロは、天の戦翼に入隊した時から使っている人気の無い場所で鍛錬を行っていた。

 責任を感じているパセロは、パグロといる時は弟に気を使わせまいと今まで通りに接し続けていた。

 そんな生活が数日続いたある日、いつものように鍛錬をしていると、聞きなれた声がパグロの後方から聞こえてくる。


「明日には沙汰が出るっていうのに、随分と冷静なんだねぇ」

「……クーンさんですか。お久しぶりです」


 そこに現れたのは、パセロ曰く、チュンコことクーンだった。

 今日の彼女は非番で、何処か昼寝に適した場所を探していたら、見知った顔を見かけたから声を掛けたのだというが、実際のところ、クーンにとってもここは少し特別な場所だった。


(相変わらずだね、これは)


 クーンが周囲を見渡すと、そこはパグロの鍛錬の量が容易に想像できるほどに酷く荒れ果てていた。

 生えている木の中には、折れていたりひどく変形しているものがあり、地面も所々に不自然に草の生えていないところや凹みが見られる。

 それらの多くは、ここ数日でできた痕跡というわけではない。

 そんなことよりもクーンが気になったのは、鍛錬による疲労ではないものによるパグロの憔悴した表情だった。

 彼女にはその全てを理解することはできないが、今回の件は彼ら姉弟にとって、精神的な負担が非常に大きいものだったのだろう。

 幼馴染みとしてここは言葉のひとつでも掛けるべきなのかもしれないが、一先ずそれらを飲み込んで、クーンはこれからの事をパグロに尋ねてみる。


「パグくんはさ、これからどうしていくのかな?」

「わかりません……どうすればよかったのか、どうすればいいのか。どうすれば、姉さんを傷つけずに済んだのか。ただ、俺はもっと強くならなければいけない」


 クーンに返ってきた言葉は重いもので、そこには意思や責任だけではなく、義務感のようなものが感じられた。

 大きな後悔があるのだろうと思い、今日まで他人の事情を不必要に掻き乱さないようにと静観をしていたクーンだが、これは思っていた以上に根の深い問題のようだ。

 パグロが自由に外で生活できる最後の日だと思って来てはみたが、彼女は今の彼に掛けてあげられる最適な言葉を持ってはいなかった。

 だから、クーンは彼に託すことにした。

 自分が変わったきっかけであり、虚ろな意識の中の彼。

 その存在によって変わることができたのは、きっと自分だけではないはずだから。


「そういえば、昔ここで死にかけたことあったよね。あのときから、パグくん変わった感じするけど、ここにはそれを思い出しに来た感じだったり?」

「あぁ……そうだ。ここは、あの人に初めて会った場所だった」


 天の戦翼に入隊したパグロが、まだ心身共に子供だった頃に出会った人物。

 その人との出会い、その時に言われた言葉が彼に大きな影響を与えていた。

 それを改めて自覚した途端、自然と脳裏にそのときの光景が流れ始める。


 あのとき彼がいなければ、今ここに自分たちはいなかった。 

 パグロにとって、パセロにとって、クーンにとって、彼は命の恩人なのだ。



 訓練生の頃のパグロは強くなることに執着しており、日中の訓練が終わった後や訓練ない日は、人気の無いこの場所で鍛錬を積んでいた。

 だが執着しているといっても、自分に自信があるわけでもなく、誰かと比べて強くなりたいわけではない。ただ、パセロの負担になりたくなかったのだ。

 降魔との戦闘中、常に誰かを気にかけてばかりだと、それだけで命を落とす危険性は増してしまう。だから、せめて自分の身は自分で守れるように。


 そしてその日も鍛錬中に偶然クーンが通りがかり、声を掛けてきたので二、三喋っていたところで、それは起きた。

 突然開いた二つの魔扉(リム)と、そこから躍り出る数多の降魔。


「あぁ、もう! よりにもよって魔扉(リム)が二つなんてついてない!」

「だけど規模は小さいみたいです。ちょうど今のぼくの力を試したいところだったから、片側は任せてください」


 そう言って、未熟ながらも戦士としての意識に切り替えた二人は、余すことなく己が力を存分に奮っていく。その後は二人という人数ながらも、特に大きな傷を負うことなく、出現した降魔を順調に屠り続けた。

 そして、あとは魔扉が消滅するのを待つだけだったのだが――


「それにしても、そんな大きな剣をよく振り回せるもんだね。重そぉ~」

「うん、これだと降魔を確実に倒せるから」

「そっかそっか~。攻撃全振りの一撃必殺だねぇ。にしても……ん~、魔扉ってこんなに消滅するの遅かったっ――――がはッ!?」


 隣にいたはずのクーンが突然吹き飛ばされ、そのまま大きな音と共に勢い良く木に叩きつけられた。


「クーンさん!? ど、どうして魔扉が閉じずに大きくなっているんだ!」


 先ほどまで存在し、消滅しかけていた魔扉は、互いに干渉し合って融和し、一段上の魔扉へと変化を遂げていた。それはつまり、さっきとは比べるまでもなく強力な降魔が現れるということに他ならない。

 そして、その強力な降魔の一撃によって、その動きを捉える隙もなくクーンは吹き飛ばされてしまったのだ。その相手が今、パグロの目の前にいる。

 両腕が異常なほどに長く、それはまるで蛇のように蠢いている姿から、それがデューク級であることは石の数を数えるまでもなく理解できることだった。


「た、助けを……でもそれだとクーンさんが。くっ、やるしかない。こうなったらぼく一人で!」


 起き上がってこないところを見るに、クーンは恐らく気を失っているのだろう。彼女を置いて逃げるわけにもいかず、かといってここで自分まで倒れてしまえば、確実に二人とも降魔に命を奪われてしまう。

 相手が格上である以上、せめてクーンが目を覚ますまでは時間を稼ぐ必要があり、そこに全力を注ぐべきだった。

 臆病で自信を持てず、何に対してもなんとかその場を凌ぐ手段ばかりを模索するこれまでのパグロだったなら、そう考えていただろう。

 が、今の彼の思考は、どうすればこの場を凌げるのかではなく、どうすれば眼前の敵を倒せるのか、という手段ばかりを模索していた。


(……核だ。たとえ相手がデューク級でも、核さえ潰せば)


 しかしそれは戦術でも作戦でもなく、勇気でもなければ最良でもない。

 只の突貫であり、蛮勇であり、能力の全容が判明していない相手に対しての最悪手といえる。

 だが、姉に守られてばかりいた自分から脱却し、強さを求め、それなりに手応えを感じ始めたパグロには、それを理解することができなかった。


 剣を構え、腰を軽く落として呼吸を整え、機会を窺う。

 相手の腕を防ぎ、時間を稼ぐために守りを固めるのではなく、敵の攻撃を凌ぎ、その隙を突いて急所である核を穿つために。

 だがそこで、想定外のことが起きた。

 この場にいなかったはずの第三者が、声を上げながら長腕の降魔に向かって目にも止まらぬ早さで突撃したのだ。


「あたしの弟に何してるのぉぉぉぉおぉぉぉぉっ!」


「え、お姉ちゃん?」


 あまりにも一瞬の出来事に、きちんと姿を確認することはできなかったが、耳に届いた声は間違えることなく自慢の姉、パセロのものだった。


「大丈夫!? 降魔はおねぇちゃんがやっつけたよ~! 何処にいるの~? なんでか知らないけど、何にも見えないんだけど~?」


 パセロが纏っていたであろう風の所為で一帯は土煙に覆われ、それは手を伸ばした先に何があるのかわからないほどに濃くなっていた。

 そんな中で聞こえる姉の声に安堵すると共に、また守られてしまったと落胆するパグロだが、ひとまずは互いの位置を把握しなければならない。

 そしてそれもまた、若い兵にはありがちな失敗だったといえるだろう。

 

 戦場での油断は死を招く。故に、常に何かを疑わなければならない。

 本当に敵は倒れたのか……気配を探り、たとえそれが感じられなかったのだとしても、自身の目で確認し確信を得るまでは。

 そうすれば、気付けていたはずなのだ。

 風を纏った妖鳥特有の凄まじい脚力から放たれた一撃だったとしても、これほど濃い粉塵が巻き上がっている違和感に。

 そしてその油断を見逃すほど、降魔は甘い存在ではなかった。


「きゃあぁぁぁっ! なんか足をつかんでき――うぐっ、かはっ!」


「お姉ちゃん!? くそっ、ぼくはこっちだぞ! かかってこい!」


 パセロから悲鳴が上がった直後、何かが衝突する音が聞こえると、パセロの感情を支配したのは強い怒りだった。

 クーンを傷つけた怒り。パセロを傷つけた怒り。

 そして何もできず、二人を守れなかった不甲斐ない自分への怒り。

 

 だが、それは別段珍しいこでもなんでもない。

 若い兵が油断し、苦境に追い込まれ、仲間が死に、怒りのまま剣を振るい、何も成せず守れず残せず、ただ無為に散っていくことは。

 怒りが強さを引き出すのではない。怒りはただの引き金だ。

 怒りが引き出すのは強さではなく、自身の限界。

 だが、下地のできていない弱者の身体の限界を引き出したところで、格上の相手を上回れる道理などどこにもありはしないのだ。


 故に、感情のままに手にした得物を強く握りなおし、向かってくるであろう長腕を警戒するパグロだったが、冷静さを欠いた彼にはそれを迎え撃つことはできず、いつの間にか体は地面に横たわり、その手には何も握ってはいなかった。

 土煙は晴れたようだが、焦点は定まらず思考も纏まらない。

 このまま意識を手放すのは容易だが、彼はそうしなかった。

 降魔をこの手でまだ討ち倒していないから。守りたい人を守れてないから。そんな思いでぎりぎり繋ぎ留めていた意識の中、揺れる視界の片隅に移る影。

 おそらく降魔はパグロを倒した後、彼の背後の位置にいるパセロではなく、離れていたクーンを狙っていたのだろう。

 男はクーンをその腕に抱きかかえながら、安堵の息を漏らした。


「……間に合ってよかった」


 不意に耳に届いた優しい男の声に、パグロの心にあった焦りが薄れていく。 

 亜人ではなく人間ならば、あの土煙の中、刹那のうちにデューク級を仕留めたことからも彼が魔憑であるというのはすぐにわかった。

 しかし、背中しか見えないが、天国の魔憑部隊特有の軍服を着ていないというこは、その男は天国の者ではないのだろう。

 そんな彼が何故このような場所にいるのかはわからないが、とにかく助かったのだという安堵がパグロの胸を満たしていく。


「君の奮闘のおかげだ、ありがとう。だが、怒りに任せて力を奮っても、守れるものは何もない」


 どこか安心するような声につい意識を手放しそうになるが、助けてもらったのであれば、せめて感謝を伝えなければならない。そう思って身体を動かそうと試みるも、手足どころか視線を動かすだけでも精一杯だった。


「君たちのことはベンヌから聞いている。何かを、誰かを守るために戦うのであれば、それに適した得物や戦い方を選ぶべきだ。君の本当の望みを叶えたいのなら……そうだな。長剣と盾を持つといい」


 男の声が近くなったのをパグロは感じ、なんとか顔だけでも持ち上げてみると、見えたのは優しい声に似つかわしくない道化の面であった。

 道化の男に関する話は、訓練校の先輩たちから聞いたことがあったような気もするが、今にも意識を手放しそうなパグロに、そこまで思い返す余裕はない。


「盾というのは守るための武器であり、それを実行するために最も適している。守るという意志を敵に示し、自分にも守るということを強く意識させるんだ。実際の戦いに於いても自分より強い相手に勝つことは難しいが、それは決して敗北じゃない。本当の意味で、君の敗北の条件と勝利の条件を見失うな。これから先、倒したくても倒せない相手もいるだろう。だから、忘れるな。相手が倒すべき敵でも守るべき者でも、君にとっての勝利は守り抜くことだということを」


 その言葉を最後に、パグロの意識は完全に沈み込んだ。

 そうして次に彼が目を覚ました時には、声を上げて泣くパセロが鼻水も垂らしながら抱き着いてきて、クーンも目尻に涙を浮かべて微笑んでいた。

 なぜならパグロが目を覚ましたのは、彼ら三人が降魔の襲撃を受けて三日後の夜の事だったのだから。


 …………

 ……


 戦う力を手に入れたあの日から、パグロは降魔という敵を倒せること、それが強さだと思い続けていた。意識が朦朧としていたからか、男の後半部分の言葉がすっかりと抜け落ちていたのだから。

 いや、たとえ完全に覚えていたとしても、きっとパグロは彼の伝えたかった思いをはき違えてしまっていただろう。

 守るために倒す。倒せなくても敗北ではないが、勝利でもない。

 勝利を得るためにはより強くなり、倒せない敵を減らし続けるしかないのだと。

 だが、それは只の戦闘能力であり、仮面の男が伝えたかった力の事ではない。


「本当に、成長したのは身体だけだったな」


 クーンに言われ、この場所であの日のことを思い返してみると、何故か不思議と男の言葉が鮮明に脳裏に蘇ってきた。

 思い込みというのは怖いものだ。パグロは男の言葉を覚えていなかったわけではなく、きちんと思い出そうとしていなかっただけだった。


「何か思い出したの?」


 パグロはあのとき、クーンの意識がなかったのだと思っているのだろうが、彼に助けられたときの温もりを、クーンはきちんと覚えてる。


「俺にとっての勝利の条件」

「へぇ~、それって?」

「相手が倒すべき敵でも守るべき者でも、俺にとっての勝利は守り抜くことだってことです。その意味をきちんと理解できていたら……もっと、人と亜人の溝を埋める努力をしていたら、こんなことにはならなかった」


 あの日の思い出の場所で、本当にパグロが欲しかった力、本当に守りたいと思うもの……その答えに、ようやく彼は近づいたようだ。


「これじゃきっと、あの人に笑われてしまうでしょうね」

「笑わないよ、絶対」

「どうしてそう思うんです? 会ったこともないのに」

「だって、パグくんは気付くことができたじゃん? 今からだって遅くないでしょ」

「そう、ですね。そうだといいな」

 

 もしかしたら仮面の男は、少年(パグロ)が自身でこの答えに辿り着けるように、敢えて具体的な解を与えなかったのかもしれない。

 男の身近にいる者からすれば、いつも言葉の足りていないのだと、彼の性格に呆れてしまうのかもしれないが、それは今のパグロには関係のないことだろう。



 それから翌日。パグロの罪は確定し、受けるべき罰も思っていたほど過酷なものでは無かったのは、恐らくクーンや他の者たちの口添えもあったのだろう。


「それじゃ、姉さん。少し行ってくるよ」


 少年は何時か戻って来られると信じて罰を受けに向かう。

 その時には大切なものを守れるように、失わないように、どんな場所であれ己を鍛え続けることを自身に課した。


「気をつけてね! ハンカチは? おやつは持った?」


 少女が求めるのは平穏を犯されないことだった。

 その為なら弟を今の状況に陥れた自身の血すらも忌避し、否定するのだろう。変わらないことで得られる強さもあるはずだと信じて。

 

「はぁ~……この姉ときたら。これから行くのが監獄だって分かってるのかな」


 少女は変化することの必要性を感じていた。

 それがまだ小さな意識だとしても、穏やかな風に当たるだけでなく、荒波に飛び込む勇気も必要ではないのかと。

 



 ………――――――




【File.2】


 イーリット(M) 種族:人間

 天の戦翼アルバトロ隊所属

 神魔総位(ネメシスランキング)十三位

 能力:鋼の翼。


 ジェン(M) 種族:天使(アンジェ)

 天の戦翼アルバトロ隊所属

 神魔総位(ネメシスランキング)二十四位

 能力:空気中の魔力運用。


 ティーレ(M) 種族:堕天使(アンジェ)

 元、天の戦翼コルヴォ隊所属 

 現、冥の幽衆アンバル隊所属

 神魔総位(ネメシスランキング)二十二位

 能力:空気中の魔力付加。




 ………――――――


 その男の生まれは世間一般で言うところの由緒正しい家柄であり、代々優秀な魔憑として、天の戦翼で大きく貢献している家系であった。

 それは魔憑としての能力であったり、指揮官としての先導者性(カリスマ)であったりと様々だ。

 そういった周りからの期待(プレッシャー)に負けそうになりながらも、懸命に歩み続ける日々。


「今日も特に被害を出さず降魔を討つことはできたが……やはり、有翼種(バイアーク)を相手取るのは難しいものですね」


 そう口にした、黄色の長髪が印象的な男の名はイーリット。

 彼は未だ魔憑として完全に覚醒はしていないが、家柄と身体能力の高さや将来性から、天の戦翼に訓練生として所属することを許されていた。

 彼が先ほど溢していた悔しさの原因である有翼種は、天国に出現するデューク級降魔の形態特性だ。その名の通り翼を持ち、大空を我が物顔で飛びまわる降魔。

 それ故に、地上からの魔弾や魔砲をはじめとする攻撃を当てるのは容易ではないし、有翼種の行う上空からの強襲も油断できない脅威なのだ。


「だから、それは妖鳥(あいつら)みたいなおっかない連中が対処するんだろ? そんなことで悩んでりゃ、そのうち禿げるぞ~」


「貴方はまたそうやって。妖鳥(彼ら)を悪く言うことを、わたくしが嫌っているのは知っているでしょう?」

「あぁ、知ってる。それでもあんな獣の手足をしたやつらに、背中を預けられないねオレは。胸もおっきいしスタイルは良いのに、アレは勿体ねぇわ」


 能天気な声でイーリットに話しかけてきたのは、同じ部隊の仲間たちだった。

 イーリットは彼の事を嫌っているわけではないが、妖鳥の者たちに対する周りの者たちの蔑みや見下した態度に対して強い嫌悪感を抱いていた。

 容姿が自分たちと異なり、亜人種特有の獣化によってさらなる容姿の変化を気味悪がり、そこからくる偏見は部隊内に限った話ではない。

 同じく天国に住む亜人である天使に対しては、見下すようなことはないものの、陰では妬み、不満を漏らしている。

 それぞれが得手不得手を補い合いながら戦わなければならないというのに、妬み蔑むばかりでは、ぎりぎり保っているような今の関係もいずれ破綻し、天国の崩壊にも繋がりかねないと、イーリットは常々思っているのだ。


「……未熟なわたくしでは、何を言っても変えることはできないのでしょうね」


 その呟きは、静かに落ち消えていった。



 それからも、彼は苦悩しながらも自身のできる精一杯で、何事にも取り組み続けていた。訓練は怠らず、任務に励み、種族間の関係改善を目指す日々。

 そんなある日、イーリットは自身の人生に衝撃を与える存在と出会うこととなる。


 叛逆の方舟に属していた天使ニケ・ヴァンジェ。

 人や妖鳥、同族すべてから敬われていた、イーリットにとっても憧れの象徴。

 その娘である天使、シエル・ヴァンジェだ。


 シエルの無垢なる振る舞いに周りは振り回され、呆れ、積極的に関わろうとする者は多くなかったが、それでも彼女は天の戦翼で一番戦果をあげ、その圧倒的な実力を以って、他者が口出しをする隙を与えなかった。ただ一人を除いては。


「貴女はどうして他者との連携が取れないんですか!? もう少しで大怪我をするところだったんですよ!?」

「またあなたですか。そんなことを言われても、わたくしの魔砲は急には曲がれないんです。他の部隊より戦果をあげたのですから、それで十分でしょう? 貴方も戦果が欲しいのでは? あ、そういえば、最近はどうして帽子なんか被っているんですか? イメチェンする余裕があるなら、少しでも多くの戦果をあげてください」

「ぅっ!? 帽子のことはどうだっていいでしょう! 兎に角、貴女はもう少し周囲に目を向けてください! 貴女の砲撃を受けて倒れる者がでれば、責任を問われるのは貴女なんですよ!? いいですね、隊長殿!」

「はぁ……そんなに命令したいなら、貴方が隊長をすればいいじゃないですか。本当なら、わたくしは一人で十分なんですから」


 シエルが入隊した時は、あのニケの娘ということもあったが戦場での活躍に憧れ、これから何か新しい風が天の戦翼に来たのではないかと期待していたイーリットだったが、その期待はすぐさまに打ち砕かれたのだった。

 部隊内の体制は変わることなく、それどころかシエルの独断戦闘によって降魔は討ち漏らすことなく戦闘は終了するが、流れ魔砲による二次被害によって負傷する者が後を絶たない。その多くが機動性に劣る翼を持たない者だというのだから、各種族間の確執は更に悪化しているのだ。

 それを少しでも何とかしなければと思い、立場を弁えず感情のままイーリットはシエルに意見するものの、彼の想像以上に彼女は知性的ではなかった。

 おかげで規律違反などの処分を受けることはなかったが、それと同等に、彼の意見を理解してもらえることもなく今に至る。


 だがこのような、片方は真剣でありながらも片方は聞く耳持たないといったようなやり取りが行われる機会は、唐突に失われることとなった。

 母であるニケを脱獄させようとした罪による、シエルの堕天だ。

 事態の詳細を、天の戦翼内で知るものは誰一人としていなかったからか、様々な噂や真偽が定かではない情報が飛び交っていたが、彼女を傍で見て来たイーリットだけは少しだけ彼女のことを理解することができた。

 おそらく、シエルが戦果ばかりを求め続けていたのは、母への愛故だったのだろう。 

 ニケの件あったから、シエルの風当たりは強かった。それでも結果を残し続けるうちに、シエルはニケの代わりとして多くの者から受け入れられた。

 だが、ニケのときもそうであったように、今となっては母が母なら娘も娘だと言われる始末。人は簡単に手のひらを返し、悪いところしか見ようとしない。


「貴女は本当にこれでよかったんですか? ……シエル・ヴァンジェ」

 

 シエルの真意、自身の考えや周囲の噂がどうであれ、天の戦翼全体が不穏な空気となっていることはだけは事実だ。主戦力である蒼空部隊の隊長不在ということも重なり、統制が一切取れない状態となっていった。


「そういえば、いつか言われましたね。わたくしが隊長に、ですか……魔憑としていまだ不完全なわたくしでは、そんなことはできませんよ」


 天の戦翼に入隊してから、文字通り命懸けで戦ってきたイーリットだが、未だに魔憑としての覚醒は訪れておらず、できることはただ魔力を扱うことのみ。魔障壁を張ったり、魔弾を撃つことくらいが精々なものだ。


「嘆いてばかりいても、仕方ありませんね」


 様々な苦悩を抱え続けてきた彼は、気合を入れるように深呼吸をして被っていた帽子を外すと、手拭布(タオル)で頭全体を拭って帽子を被り直した。


「……よし。それでも、わたくしは天の戦翼なのです。たとえ空の戦姫がいなくても、次の任務に向かわなければ」


 そう、たとえ彼女がいなくなっても、守らなければならないものはある。

 イーリットは気持ちを切り替えながら、集合場所へと足早に向かっていった。

 だが今回の任務は、彼にとっては辛いものだった。


「それじゃ、兄さん……元気で」

「なんでだ! なんでお前がっ! お前は何も……っ!」


「……連れていけ」


「「はっ! 了解しました」」


 イーリットを含めた小隊の今回の任務は、罪を犯し堕天したこの男――ティーレを中立地帯レイオルデン内で、冥国の小隊に引き渡すというものだった。

 嗚咽と共に何度も同じ言葉を繰り返している彼の兄、ジェンの姿に心苦しさが無いわけではないが、翼の穢れたとうことはそれ相応の罪を犯したはずなのだから、決して同情をするわけにはいかない。

 一瞬、イーリットの脳裏にシエルの姿が過ぎったが、彼は即座にそれを振り払った。


 そうして、衰弱石製の手枷と足枷を着けられたティーレを、手枷から延びる綱で引っ張りながら、イーリットたちの部隊はレイオルデンへと徒歩で向った。

 決して近い距離ではないが、徒歩で行くのには訳がある。

 手足に枷をつけているとはいえ、万が一の抵抗と逃走の体力を奪うために、自らの足で歩かせるのだ。


「イーリットさん。こんな立場で言うのも烏滸がましいとは思うのですが、少し休ませて頂いてもかまいませんか?」

「そうですね……ちょうどいい時間です。逃げ出そうと画策していないのならかまいません」

「ありがとうございます」


 レイオルデンまでの道中半ばの街を越えたところで、不意にティーレがイーリットに声を掛けた。

 出発時もそうであったが、堕天したというのにその声音は妙に落ち着いているが、かといって何かを企んでいるとういうわけでもないようにイーリットには感じられた。

 それに彼としても、今回の冥国への引き渡しというのも前例のない処分だったこともあり、ティーレの事情に興味があった。


「そういえば、どうして貴方は投獄や労働ではなく、国外追放になったんですか? これでもそれなりに有名な家系ですので相応に情報は集まるのですが、貴方の仕出かしたことは、あの場で聞かされたこと以外何も知らないんですよ」

「お、それは俺も気なってたんだ。誰にも言わねぇからさ、教えてくれよ~」

「私も私も~!」

「休憩がてら聞かせろって」

「……貴方たち、任務中なのを忘れないでくださいよ?」


 そうして、イーリットたちは木陰に腰を下ろすと、周囲に人の気配が無いことを確認し、ティーレは今回の事の顛末を話し始めた。


 その顛末とは、任務を終えたティーレたちの小隊がその帰還途中で複数の魔扉が開いているところに偶然遭遇したのだが、その場所というのが大勢の人が行き交う街からそれほど離れていないところだった。

 しかし彼らの戦力であれば、十分に対応できる程度の規模だ。

 が、油断することなく、順調に降魔を後ろに逃すことなく討ち続け、魔扉が縮小を始めた時、一匹の降魔が彼らには目もくれずに矢の如く走り抜けた。

 そう、走り抜けたのだ。

 それにいち早く反応し、ティーレは一人で降魔の向かう先に翼を羽ばたかせながら飛翔するが、その距離は縮まることなく、悲劇を防ぐことはできなかった。

 空であれば討ち取ることもできただろう。だが、真っ直ぐに駆け抜ける降魔と、上から斜めに降下するティーレとでは距離的な有利性は明らかだった。

 有翼種を討つのが主な役目とする蒼空部隊であるが故に起きた悲劇。

 それは種族間の歪による、無意識の中の油断であったともいえるだろう。


「一人の少女の尊い命を摘み取らせてしまったんです」

「……そうか。それは――」


 話が終わり、やっと出てきそうになったイーリットの言葉は、突然感じた悪意によって阻まれた。

 まるでティーレの話を共に聞いていたかのように、魔扉(リム)が開いたのだ。

 その場にいた五人は意識を魔扉に集中し、発生したその方向を瞬時に探る。

 すると、それは先程通過した街と自分たちがいる場所との間であり、あろうことかそれは見上げれば目視できる場所にあった。


「空にできたということは……っ、有翼種が出てくるのか!」

「それなら僕が行きます! だからこの枷を!」

「そんな弱った状態で勝てるのかよ!? その枷はただの枷じゃないんだぞ!」

「――っ!?」

「ティーレさんはここで待機。他の者は街に急いでください」

「でも、この人を一人にしておいていいの? 私たちの任務は護送なんだよ?」

「責任はわたくしが取ります!」


 これ以上の問答をしている猶予は無いと判断したイーリットは、素早く指示を出して真っ先に駆け出した。

 一秒、いや、一瞬でも早く魔扉の下に行かなけらばならないからだ。なぜなら、イーリットは翼の無い只の人であり、能力の使えない只の魔力使い。

 飛び立つ前の有翼種を、出てきた隙をつき、全力の魔弾のみで即座に撃ち落とさなければならないのだから。

 たとえ翼が無くとも、遠くの場所に技と呼べるような高威力の攻撃ができなくとも、今この場にいるのは自分たちだけなのだから、やるしかないのだ。


「隊長殿が……シエル・ヴァンジェがいなくても、やななければならないんです。彼女に頼らず、わたくしがやらなければならないんです。翼も力もなくとも、せめて今ある力を全力で!」


 苦悩と弱音を抱えていた男は、自分の目的のために、目指しているものを再確認した。魔扉に向けた掌にありったけの魔力を込めて、悪意の翼を待ち構える。

 そして、降魔の頭が見えたところで、イーリットが雄叫びと共に渾身の魔弾を撃ち放つと、それは吸い込まれるように真っ直ぐ魔扉に向かい見事命中した。

 たったそれだけの行為だが、地を歩く者が空を舞うデューク級を仕留めたことは大いに誇れることだ。

 幸い、有翼種がデューク級である以上、よほど大きな魔扉でもない限り、複数体出てくることはない……そのはずだった。


「いよぉぉぉし! これで少しは街の避難の時間、が……くっ、どういうことです! どうして魔扉の数が増えているんですか!?」


 一つだったはずの魔扉は、いつの間にかその数を増していた。

 渾身の魔弾でたった一体の降魔を討つことで精一杯だったイーリットからすれば、それは自身の闘志を打ち砕かれたも同然だ。

 もう無理だ……と、誰もが諦めてしまうだろう。

 空に浮かぶ複数の魔扉。そこから現われる有翼種を相手に、地を歩く者が立ち塞がれるわけがないのだから。

 

(ここに……彼女がいてくれたら)


 そのとき、イーリットはこの青空に翼を広げる天使の幻を見た。

 天空の戦姫――ニケ・ヴァンジェ。彼女の戦いは強く美しく、彼の憧れだった。

 彼女と被って見えたシエルもまた、強く頼もしいものだった。故に――

 

「っ、諦めるわけにはいきません! 天国が誇るファルコ隊の元隊員として、悪意の翼をこの国で広げることは許さない!」


 たとえ地べたを這い、泥臭いと言われようが、なりふり構わずに闘う意志を迸らせ、イーリットは吼えた。

 この空は、人に蔑まれても妖鳥が、人に妬まれても天使が守り続けてきた空だ。

 それを我が物顔で穢す降魔を、決して見逃すわけにはいかない。


「ただ空を飛べるというだけで、このわたくしを侮るなぁぁあぁッ!」

 

 咆哮に似たそれと共に、魔扉からはすでに有翼種の降魔が飛び立とうとしており、その視線も街に向けられていた。

 ここで飛び立たれては、街は壊滅的な被害を受けることだろう。それでも自分がここで食い止めるのだと、イーリットの瞳にはそれだけの想いが映っていた。

 だが、何故だろう。

 今の自分が脳裏に描かなければならないのは、いかにこの力であの降魔を食いとめるかという手段への模索でなければならないのに……見えて消えるのは、焦がれ続けた空を舞う天使の姿。自分にはできない脳内戦闘(シミュレート)ばかり。

 

 そして、イーリットは思い出す。

 どうしてこんなにも明確に、空で戦う彼女の姿を思い描くことができるのか。

 どうして大地で戦う自分が、空を舞う元隊長(シエル)の姿をこの位置から見ていたのか。


”知りませんよ、そんなの。天神様に聞いてください。確かに空も飛べない人間の貴方が、わたくしと同じ部隊なのは不思議ですけど……何か理由でもなければ、そんなことしないんじゃないですか? 困ったものですね”


 それを意識した途端、イーリットは背中に何か熱いものを感じていた。

 同時に、彼の内から大量の魔力が膨れ上がり、それは降魔たちの意識や視線のすべてを釘付にするには充分すぎるものだった。


「この湧き上がる魔力、この感じた事のない力は……」


 膨れ上がった魔力は次第にイーリットの背中に二つの塊となって留まり、彼の求め続けていた力の具現となっていく。

 温かみや柔らかさは一切なく、そこに顕れたのは、堅い意志と同じく硬い翼だった。これこそが、イーリットの魔憑として覚醒した能力。


「自在に動かせるようだが……本当にこれで飛ぶことなんて……いや、ともかく飛んでみるしかありませんね。空での戦い方は嫌というほど見て来たんです。わたくしなら、やれる!」


 そうして、発現したばかりだというのに、イーリットはその翼を見事に使いこなし、街に被害が出る前にすべてに有翼種を討ち倒し、事なきを得た。

 そんな中、その光景を離れたところから動くことなく眺めていたティーレは、どこか寂し気な表情で、誰にも届かない言葉を漏らしていた。


「兄さんも、あんな風に自由に空を飛んでいる方が似合うよ。それに、()()()が一番早くに飛び出したから、あの町は助かったんだ。あの子が守った妹さんを、兄さんは守ることができたんだから」


 真相を知るのは、当事者である兄弟と天神ブフェーラの三人のみ。

 魔扉から現れた地を走る降魔をいち早く追いかけたジェンだったが、開いた距離は縮まらず、街の入り口へと到達してしまった。

 そこには仲の良い二人の姉妹が街から出てきたところで、降魔は速度を落とすことなく姉妹に飛び掛かり、妹を庇うように飛び出した姉がそのまま命を落としてしまった。

 その間に追いついたジェンが一切の加減なく降魔を討ちはしたものの、一瞬の出来事に呆然としていた妹が、自分の姉が動かなくなっていることに気付くと、そのまま声を上げて泣き続けた。

 十分な戦力である天の戦翼がその場にいながらも平和が脅かされ、一つの命が奪われたことに対して、街からあがる非難の声は決して少なくはなかった。

 たとえ主に有翼種を討伐するために存在する蒼空部隊だとしても、魔扉が開いた以上、決して地上の警戒も怠ってはならない。

 ジェンとティーレはそれをよく理解していたが、他の天使(部下)たちはそうではなく、種族間の蟠りが傲りを生み、この悲劇をもたらした結果は変わらないものだ。

 そしてその責任は、隊長であるジェンにある。

 天使の問題はニケに続いてシエルの件もあったが為に、ここでの責任を軽視することは決してできない問題だったのだ。

 しかし、国としての必要な決断だったとしても、ティーレにとっては受け入れがたいものだった。


「ならば、その罰は僕が受けます。兄には空を飛んでいてほしいので」


 国民を納得させるため、そして他の天使に対する見せしめとしての意味が含まれているのなら、それは隊長であるジェンが負う必要はないはずだ。

 それらと隊の維持を両立させるのなら、副隊長である自分が罪を背負えばいい。

 そう言って一切譲らなかったティーレに溜息を漏らしながらもブフェーラはその提案を呑み、彼に堕天の烙印を押したのだ。

 本来であれば投獄し、ほとぼりが冷めたころに赦しを出す予定だったのが、先のシエルの件もあって未だに牢獄の門兵が機能していないがために、国外追放という一見厳しいものとなったのだった。


 

 それからティーレの引き渡しも無事に終わり、天空城に戻ってきたイーリットは、背中の翼を発現したままでブフェーラにあることを志願した。

 休む暇もなく、次から次へと起こる出来事に心身共に疲弊していたブフェーラは、元よりそのつもりだったと二つ返事に近い形でそれを承諾し、天の戦翼内に通達した。


 それはイーリットが悩んでいた種族間の確執を失くすための、彼の思う最良の方法。自分自身が蒼空部隊――実質的な天の戦翼の隊長となることだった。


 それから数日後。

 彼の思い描く天の戦翼を作っていく上で、必要な者たちとの顔合わせの日が訪れた。部屋にいたのは、妖鳥のクーンと天使のジェンの二人だ。

 他種族の者と一対一で同じ空間でいるからか、二人に漂う雰囲気は良好なものにはみえなかったが、その重い雰囲気を壊すかのように大きな声を出しながら、イーリットはその部屋に足を踏み入れる。


「時間に遅れることなく来ていたようですね」


 クーンとジェンは、自分たちを呼び出した本人の方を見ると言葉を失った。

 何度か姿は見たことはあったはずなのだが、二人は見たことのないものを見てしまったという驚きの表情になっていた。

 そんな二人の事を気にすることなく、イーリットは話し続ける。


「伝えてはいますが、改めて言いましょう。わたくしが新しい蒼空部隊の隊長であり、天の戦翼アルバトロ隊の隊長になるイーリットです。そして、二人には副官として、わたくしの下についてもらいたいと思っています」


 彼は二人の顔を交互に見ながら、伝えるべき自分の想いを伝えていく。

 それがこれからの天の戦翼に必要なものだと信じて。


「天の戦翼は三種族によって成り立っています。それ故に確執などが絶えないのは、二人も知っていることでしょう。わたくしはそれを変えていきたいと思っています。すぐに実現できないのも十分理解していますが、何もしなければずっとこのままです」


 その言葉に、二人は無言のまま真剣な表情で応えた。

 彼らも現状をよく思っていないのは同じであり、それを変える手段がわからなかっただけで、なんとかしたいと願っていたのだから。


「故に、わたくしは隊長ですが、二人には立場や種族を気にせずに臆することなく発言してもらいたい。それが天の戦翼を一つに纏める為の第一歩だと思っています。これからは共に戦う同士として、よろしくお願いします」


 そう言って意思表明を締めくくり、イーリットは頭を下げた。

 クーンとジェンは互いに現状を良く思っていない者同士だと理解したのか、意思疎通が十二分に取れたかのように、穏やかな表情で口を開く。


「じゃあさ、あーしは隊長のことツルリンって呼んでいい?」

「いきなりだな、おい。でもまぁ、そんなに頭さげられちゃ眩しいったらありゃしねぇ。とりあえず頭あげてくださいよ」

「ってか、いつの間にそんなになっちゃったの? 結構前に見掛けたときはふさふさしてたのに」

「そうなのか? 俺が見掛けたときは帽子被ってたぞ?」

「へぇ~……まぁツルリンって、いろいろストレス抱えそうなタイプだもんね」

「ちげぇねぇ。でも安心してくれよ。俺たちは隊長の光を追って、どこまでもついていくからさ」

「…………」


 打ち解けたのは喜ぶべきことなのだろうが、余計に多大なストレスを抱えそうな予兆を前に、早まったことをしたのかもしれないと思うイーリットであった。


 ………――――――




 紙を捲る手を休め、珈琲杯(カップ)に口をつけながら、少女は柔長椅子(ソファー)に腰を沈めた。


「見かけによら……見た目通り苦労してたのね、あの男は」


 手元の資料を読み終えた彼女から出てきたのは、深い溜息と同情だった。

 掲げた志(理想)の高さを自覚しておきながらも、尚もその道を進む姿には敬意を表する。

 それは誰しもができることでは、決してないのだから。


「最初の資料のこの子も何というか。はぁ……どうしてあの人の言葉を真に受けるのよ」


 彼女は呆れているが、それだけ少年にとって、進む道の一つを示してくれた仮面の男の存在は大きかったのだろう。

 もしかしたら、他の可能性も少年にはあったのかもしれない。

 守り抜く力ではなく、倒すための力を求め続けていたのなら、神魔総位(ネメシスランキング)に名を連ねるほどに、今以上に強くなれたのかもしれない。

 しかし仮にやり直せたとしても、それでも少年は自分の意志で”今の自分”を選ぶのだろうと、口許を僅かにゆるめながら彼女は思うのだった。


「そっか……色々なところで、多くの人にあの人は影響を与えていたのね」


 どうしようもない事が起きて、どうしようもない時になっても、どうしようもないあの男がずっとなんとかしてくれていたのだ。

 思い出を忘れることはしない。

 思い出に溺れることもしない。

 それこそが、今の彼女が為そうしていることに必要な覚悟の内の一つ。


”――だが、怒りに任せて力を奮っても、守れるものは何もない”


 昔に比べて、彼女が感情的に行動することは少なくなっていた。

 それは感情を失ったからではなく、感情(想い)をぶつける相手が居なくなったからだ。



”――実際の戦いに於いても自分より強い相手に勝つことは難しいが、それは決して敗北じゃない。本当の意味で、君の敗北の条件と勝利の条件を見失うな”


 戦場(いくさば)に向かった男は、その後微笑むことはなくなった。

 守りたいものを、最期まで守り切ることができなかった。

 それは彼にとっての紛う事なき敗北で……


「……しょうがないから、私たちで守るしかないじゃない。ばーか」


 力ない罵声は、何処に向けられたものなのか。


「大丈夫。私の敗北の条件と勝利の条件なら、ちゃんとわかってるから」

 

 それは口を開いた彼女すらわからぬまま、光の無い夜が始まろうとしていた。





 ………………

 …………

 ……





 地面を背にし、暗い空を真正面に見つめている一人の男がいた。

 両手足を大きく投げ出すように広げ、一仕事終えたかのように脱力している。


「あぁ~……これで暫くは、ゆっくりしてられるのかねぇ~」


 怠惰のように寝そべる男七深裂の花冠(セブンスクライム)が一片、ベンヌ・アケディア。

 気ままに過ごし、労働をしている姿を誰も見たことがないが、やるべき仕事はいつの間にか完了しているという、独特の雰囲気を持っている人物だ。

 その姿勢はこの悪意だけが跋扈するこの中界でも変わらないように見える。


「しっかし、この仕事も始めてから随分経つが、なかなか終わりそうにねぇな」


 溜息と共にでた言葉は、普段の彼らしからぬ疲労の色が窺える。

 しかし、疲れが出るのは当然であり、それ以上にたった一人でこんなところで戦い続けていられることが異常なのだ。

 周囲には此処での戦いの痕跡が幾つも残っており、それを見ただけで、ここであった戦闘の規模は見て取れるものだった。


「この仕事が全部終わったら、自由に好きなことをして生きたいもんだが……旦那がいねぇんじゃそれもつまらねぇよな」


 何より、ベンヌ自身の衣服も切り裂かれ、焼け焦げ、血が滲んでいる。

 当の本人はその事には気にしていない様だが、並みの魔憑であれば既に喋ることすらままならないないほどの負傷と疲労のはずなのだ。それでも彼は――


「結末は見えてるってもんだが、だからといって諦める訳にも、他の誰かに任せる訳にもいかねぇのさ」


 そう言って起き上がると、周囲にはいつの間に現れたのか数えるのを止めてしまうほどの数の降魔が、ベンヌを取り囲んでいた。

 出現した降魔は数も多いが、それ以上に問題となるのがその階級だ。

 カウント級以下も集まれば面倒なことこの上ないが、デューク級の数が内界や外界ではお目にかかれないほどで、中にはキング級さえも混じっている。


「なんでかって? 決まってるだろうさ。お前さんたちが、俺の夢を奪ったからだ。お前にとってもそうだろ、なぁ――舂緋熊(ツキヒカゲ)


 灰色の手首輪(ブレスレット)が光ると、左手に握られているのは旋棍だ。

 そして闘志を叩きつけるかの様に、何の変哲もないただの小刃(ナイフ)を降魔の群れに投げ込むと、ベンヌの姿がその場から消えた。

 と同時に、小刃(ナイフ)が投げ込まれた周囲の降魔が一斉に宙へと舞い上げられ消滅する。

 

「俺の夢なんてそうなに大袈裟なものでもねぇさ。俺はただ、全部の仕事をやりきった後の世界で、旦那とのんびり過ごしたかっただけなんだ。それがそんなにいけねぇことか? 分不相応の願いだったか? なぁ、どうなんだよ!」


 彼の前での間合いに意味はなく、遠距離という概念は存在しない。

 右手の小刃(ナイフ)が宙を舞えば、彼の姿は消え周囲の降魔は切り刻まれる。

 左手の旋棍が顎を砕き、頭部を潰し、核を貫く。

 的確に急所を穿たれる降魔たちは、断末魔すらあげることなく、ただ眠るように倒れ、そのまま紫黒の霧となって消えて逝く。

 憎悪を顔に貼り付けながらも、気怠げに最小限の動きだけで異形を討つベンヌの姿は、格の違いを見せつけるには十分すぎるものだった。


「さぁ、仕掛けてきたのはそっちなんだ。全力でかかってこいよ? これ以上獣に近づきたくはないが、俺はまだ先を残してるんだからな。怠ける(逃げる)のは認めねぇ……怠ける(休む)のはあの世にいってからにしな!」


 どれだけ仕事をこなしても、安息を求めて働いても、碧い芝の上で蒼い空を共に眺めてくれる相手はもういない。

 それでも全てに安息を与える怠惰の化身は、全てを稼働し戦い続ける。

 夢に見た終日は訪れぬまま、地獄に今もある彼にとっての讐日は、ありとあらゆるもの全てを永眠につかせるための祝日だった。

 

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