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それは現のイストリア  作者: 御乃咲 司
三章 GOD-双咎のエンゲージメント
44/55

38.File:冥国オスクロイア ~色欲の花弁~

 

 山のように積まれた資料の中、紙を捲る音だけが静かに聞こえるとある一室。

 黒髪の少女はひとり、与えられた役目を黙々とこなしていた。

 他にもサラやヨウキを始め、作業をこなさなければいけない者もいるが、彼女たちは息抜きといって今は席を外している。


「ふぅ、冥国だけでもこんなにあるのね。次は、っと……」


 アドレス・シンセーロ(男)

 冥の幽衆サフィオ隊所属

 神魔総位(ネメシスランキング)十八位

 能力:複数の魔力で編まれた強靱な鎖を操る


 センシア・レフィナード

 冥の幽衆グラナテ隊所属

 神魔総位(ネメシスランキング)二十七位

 能力:離れていても追跡できる魔力を対象に付与する


「へぇ……そういう使い方をするのね。単騎ではなく、二人合わさって真価を発揮するタイプ、か」


 彼女は冥国オスクロイアより提出された資料に目を通しながら、誰に聞かれることもなくそんなことを呟いた。

 そこに記されている情報は能力やその主な使い方はもちろん、部隊編成上に必要なものだけでなく、趣味嗜好から簡単な生い立ちまでもが記載されている。

 本人たちから聞き取りを行ったのか、それとも本人の知らないところで周囲の人間から協力を得て作成したのか、それはこれを纏めた者だけが知るところだ。

 一応これを持って来た者曰く、資料にある本人の了承は得ているということだが、そこまで必要なのかと思えるほど赤裸々に綴られているの見れば、どこまで本人に伝えられているのか怪しいものだろう。


(あのヘラヘラ仮面に共感したのなら、まぁ本当かもしれないけど。人の知られたくない部分を覗いてるようで、なんだか罪悪感が凄いわね)


 魔憑の力の源が意志の強さであるというのなら、()()()()使()()()()()()()には、その者たちの生い立ち……つまりは力の根源を知ることは必要不可欠だ。

 それは理解しているが、すでに十数名の資料に目を通した今でさえ、いつ顔を合わせるともわからない者たちの物語(過去)を読むのは慣れそうもない。


「まったく。これが各国分あると思うと、って……泣き言を言っても仕方ないわね」


 呆れと諦めと共に漏れた溜息は、これから先も暫くは出てくるのだろうと周りの者たちはそれぞれに感じていた。

 過ぎ去った時間と残された時間の中で、未来を繋げる可能性を探す時間はまだ始まったばかり。



 ………――――――


 雪と氷に覆われた冥国オスクロイア。そのアフェクト地域にあるとある公園では、子供たちが元気に走り回り、雪玉を投げ合ったりと無邪気に遊んでいた。

 厳しい環境ではあるが、ここで生まれ育った子供からしてみれば、それすらも数ある玩具の内の一つでしかないのだろう。


「アドレス、早く早く~!」


 その中でも特に活発な印象を受けるのが、濃いマゼンダ色をした長い髪の少女、センシアだ。

 彼女は雪が積もっている中だというのに、滑りやすくなっている足元を気にすることなく駆け回り、少し遅れてついて来ている少年の名前を呼んでいる。


「ま、待ってよ、センシアちゃん!」


 転ばないようにと、慎重に足を進める少年の名はアドレス。

 センシアとは所謂幼馴染の関係であり、どこに行くにしても何をするにしても、一緒に行動するのが自然な間柄だった。

 彼からすれば、運動神経も同年代の子たちよりも高く、賢さや人からの慕われ具合等々、美点を上げていけば長所の塊のようなセンシアが、自分の事をどうしてここまで気にかけてくれているのかは分からずにいた。

 しかしそれよりも、ここ最近のアドレスには気になることがあり、今はまだ名を知らないその感情ばかりが、彼の頭の中を占めてる。

 それもあって、気恥ずかしさを隠す口実として昨夜から増した寒さを理由に、今日も自室に引きこもって悩み考えようとしていた……ところを、少しむくれて現われたセンシアに手を引かれ、この場所に連れて来られていたのだ。


「みんなも早くこっちに集まって~! あ、転ばないようにね!」


 皆に慕われ、皆に優しいまとめ役のセンシア。

 対して、決して人から嫌われるような性分ではないが、人から好かれるような何かを持っているわけでもないアドレス。

 幼馴染みであるというのは確かに特別なのかもしれないが、それは彼の求める特別ではなかった。

 皆に囲まれながら笑顔を浮かべるセンシアを、少し離れた場所から見つめていたアドレスは、このとき初めてそれに気がついたのだ。


「いつか、ぼくだって……」


 家を出る時からセンシアに握られていた自身の手のひらを見つめながら、少年は小さく呟く。それは誰にも聞こえることのない、大きな決意だった。


 …………

 ……


「アドレス、起きてる? 早くしないと遅刻するわよ」


 無邪気に雪の上を駆け回っていた少年少女たちは成長していた。

 快活な少女には美しさが加わり、内向的で目立たなかった少年は背が伸び、顔立ちも整ったものとなっている。。

 しかし、たとえ容姿が変わるほどの月日が流れても、彼女たちの幼馴染としての関係性は何一つ変わることなく、変わらぬ日々を過ごしていた。

 毎日のように寝坊しているアドレスを、学院に遅刻しないようにと起こしに来るのが、彼の隣家に住むセンシアの日課だ。


「うぅ~……あと一日だけ寝かせ――」

「そんなわけにいかないの! ほら、早く着替えて」


 問答無用と言わんばかりに、部屋の主であるアドレスに入室の確認許可を取ることなく、センシアは勢いよく扉を開け放つ。次いで慣れた手つきで掛布団を引き剥がすと、猫のように丸まっているアドレスの耳元に顔を近づけた。


「起きなさいって言ってるでしょう! 朝御飯抜きで行くことになるわよ!」


 微睡みに浸っていたアドレスの耳に届いたのは、男子の憧れといった優しく温かい吐息などではなく、大きく鋭い叱責だった。

 これには流石の彼も飛び起きて、幼馴染の声が届いた方の耳の機能が失われていない事を祈りつつ、センシアに向き直る。


「おはよう、センシア。せめてノックしてから入ってきて欲しかったんだけど?」

「おはよう、アドレス。せめて今日くらいは自分で起きてほしかったんだけど?」


 一見すればどちらも正しくは聞こえるのだが、今回ばかりはセンシアに分があり、アドレスもこれ以上抵抗することなく大人しく自身の非を認めた。


「あー……その、ごめん。ちょっと調べ物をしてたら寝るのが遅くなって。ありがとう、これで遅刻せずに済みそうだよ」


 寝ぐせのついた頭を掻きながら、アドレスは素直に感謝の言葉をセンシアに掛ける。すると、センシアは一瞬驚いたような表情を見せるが、すぐさまアドレスの見慣れた幼馴染の表情に戻っていた。


「っ!? そ、そうね。私が来てなかったら、こんな大事な日に遅刻してたんだから……き、気をつけてよ」


 そう言い残すと、彼女は踵を返して部屋から立ち去って行く。

 残されたアドレスはセンシアの表情の変化が気になったものの、せっかく起こしてもらったのだからこれ以上待たせるのも悪いだろう。そう思い、開けられたままの扉を閉めると、犬の頭部を模した頭巾(フード)付の寝間着(パジャマ)から学院の制服へと着替え始めた。


 一方、アドレスの部屋から半ば逃げるように台所へとやってきたセンシアは、既に用意していた野菜煮込み(スープ)を温め直し始める。

 センシアとアドレス。二人の両親は彼女たちが学院に通うようになってから、仕事の都合で自宅にいることが少なくなり、実質的に二人は一人暮らしのような生活を送っていた。

 氷雪に覆われた土地柄、そういった家は決して少ないわけではないのだが、問題だったのはセンシアの父親が彼女を溺愛しているということだ。

 つまり、年頃の愛娘(センシア)を一人にして良いのかという事。しかし――


”そんなことで悩んでいるのはアナタだけよ。この子もいつまでも子供じゃないんだから、さっさと子離れしなさいな。アドレス君もいるんだから大丈夫よ”


 という、センシアの母の一言によって、意見を受け入れて貰えなかった哀れな父を蚊帳の外にしたまま話は纏まった。

 そして、二人は基本的にそれぞれの家で暮らすこととし、それ以外の細かな決め事は当人たちに任せるという運びになったのだ。

 その時の会話で特にセンシアの印象に残っているのは、部屋の隅で項垂れていた父の小さな背中ではなく、アドレスの母親と自分の母親に言われた一言。


”何かヤッちゃっても大丈夫。責任はアドレスに取らせるからね”

”何かヤッちゃっても大丈夫。責任はアドレス君に取らせるから”


 この言葉を聞いた瞬間、センシアの父は泣きながら家を飛び出した。

 それに遅れて、当のセンシアは言葉の意味を理解すると、桜桃(さくらんぼ)の様に赤面しながら声にならない声を上げた。

 余談ではあるが、当時のアドレスは最後まで母親たちの言葉の意味を理解できず、センシアに聞いても教えて貰えないどころか数日の間、口をきいてもらえなかったとのこと。

 さらに余談ではあるが、泣きながら飛び出した父を探しに行く者は誰もおらず、頭に雪を被り鼻に氷柱を作った父が帰って来たのは、その日の翌朝だった。


「はぁ……このまま何にもないままなのかな」


 静かな空間に溶けたセンシアの声は期待と諦めの混じったもので、それは誰にも届くことなく、再び出てくることもなかった。


 その後、支度を終えて姿を見せたアドレスと共に朝食を終え、予定していた時刻通りに二人並んで家を出る。

 学院に着くまで道中では、次に自分たちの両親が返ってきた時に何をするのか、どこに行くのか等の会話していたが、話題は次第に今日の事に移っていった。


「センシア。その、在校生代表の挨拶は大丈夫?」

「えぇ、もちろんよ。アドレスも今日はよろしくお願いね」

「う、うん」


 冥国は一年を通して気候の変化があまり感じられないが、今節は内界でいうところの春。出会いと別れの季節の真っただ中にあるのだ。

 そして、今日は二人の通う学院の卒業式。

 センシアは次に最上級生になるものとして、在校生代表の挨拶を任されている。

 それに対してアドレスは、特段重要な役回りというわけではないが、裏方として今日まで式会場の設営や式終了後の撤収作業を担当している。

 二人とも慕っていた上級生はいるようで、彼女たちとの送別会などは後日行う予定にしているようだ。


「そういえば、最近は調べものばっかりしてるみたいだけど、何か隠してるの?」

「べべ、別に何も隠してないよ! ほら、先輩へのプレゼントで何かいいものはないかな~って思ってて! それだけ!」


 誰が見ても明らかに動揺しているアドレスを問い詰め、実際に何を企んでいるのかを聞き出すのは容易ではあるのだが、今はまだそれを早急にしなければならないとはセンシアは思っていない。

 それに、アドレスと多くの時間を共に過ごしてきた彼女からすれば、他人に悪意を向けることなど一度もなく、自分にすら手を出してこないこの不抜けた幼馴染が、悪行を働くことなどできるはずがないと確信しているのだ。

 

「ふ~ん……ま、アドレスが変なことするとは思えないし、幼馴染だからって秘密の一つや二つはあるわよね」

「う、うん。まぁそんな感じ、かな」

「はい、じゃあこの話はこれでおしまい。でも、何か困ったことがあったらいつでもいってきてよ?」


 まったく気にならないと言えば嘘になるが、親しき中にも礼儀ありと自分に言い聞かせ、センシアは自分から問い掛けた話題を終わらせた。

 そうして、何かを言いたげであったアドレスに対し、それ以上の詮索はしまいと努めて明るく言った自分の言葉に彼女は僅かな胸の引っ掛かりを残しながら、学院に向かう速度を上げた。


「ほら、次からは私たちが最上級生なんだからしっかりしないと。そのためにも、遅刻しないように急ぎましょ」


 そう言ったセンシアの背中が少しずつ遠ざかっていくのを見つめながら、少年は今まで揺らいでいた迷いを振り払うと、自分に向けて宣言する。


「これからは、()()が背中を見せられるようにならないと……」


 それは遠い日の決意と同じであり、彼にとって男としての大きな一歩だった。




 切っ掛けはそう、誰にでもあるような些細で大きな感情の変化だったのだろう。

 認めてほしい、振り向いてほしい……愛してほしい。

 これらの感情を意識的に抑えることは困難であり、多くの場合は抑える必要はないと言う者ばかりだ。


「つまり、アドレス君は自分に自信を持ちたい。そして、次期学院議長でありファンクラブまでもが結成されているシア君に告白して、見事結ばれたいというわけだね」

「せ、先輩! そうなんですけどその、なんというか、恥ずかしいのであまり声に出さないでもらえると……」

「あぁ、すまない。君たちが本当に恋人の関係でないと知った時以上に驚いているんだ。この女装癖を持つ私に君が相談に来るとはね」


 それは卒業式まであと一週間となった日の事だった。

 ここはアドレスたちの通う学院の中にある学院議会の会議室。

 通常であれば一般の生徒が立ち入ることはないのだが、諸々の事情によってセンシアと共に学院議会員たちと交流を持つこととなり、それ以来雑務や暇つぶしに付き合わされるようになったアドレスは、度々ここへと訪れてた。

 そして、机を挟んでアドレスの前に座っている人物こそ、現学院議長であるヘニオである。

 成績優秀、運動神経も秀でており、人当たりも良い非の打ちどころの無いかのように見えるよくできた人物ではあるが、一つだけ欠点のようなものがある。

 それは先ほども本人の口から零れていたが、男性でありながら常に女装しているというところだ。

 美しく小さな顔立ちに、線の細い体躯。男でありながらやや高めの声音が揃っている自身の自慢できる部分を、他者に少しでも認めてほしいが故にたどり着いたのが女装することだったのだという。


「選択肢が先輩しかなかったので。みんな、ぼくとセンシアが付き合っていると完全に思い込んでいるので取り合ってもらえなくて」

「頼ってもらえて嬉しいが、理由を聞かされるとどうにも複雑なものだよ。それにだね、半同棲状態なのだからそう思われても仕方がないだろう」


 女装するに至った思考はアドレスとしても理解の範疇にないものではあるが、なんだかんだとヘニオは信頼できる人物であり、彼の抱えている悩みを相談できる唯一の人物なのだ。


「まぁ、折角頼ってもらったんだ。私としても真面目に答えるとしよう」

「ありがとうございます!」

「まず一つ目だが、自分に自信を持つには自分の長所を理解することだ。どんなに小さなことでもいい。誰かに褒められたところを探すんだ」


 そう言われ、アドレスの表情が得も言われぬものへと変化した。

 何故なら褒めらるようなところなど、まったく思いつかなかったからだ。

 女性からの評価と言えば、無害の一言に尽きる。センシアがいるからというのもあるが、アドレスからは男としての危機感のようなものが感じられないらしい。

 それはつまり恋愛対象どころか、男として見られていないということであり、恋愛という中での評価としては決して嬉しいものではないだろう。


「え……あ、も、もしそれが見つからなかった場合はどうすれば?」

「最初は自分に自信を持って生きている人の真似をしてみるといい」

「そ、それってぼくにも女装しろってことですか!?」

「いや、私以外にもいるだろうに。こほん……そして二つ目だが、これはもうデートして実際に告白するという答えになってしまうね」

「デ、デートなんて! そんなのしたことないので、どうしたらいいのかわからないんですけど!?」


 冷静に悩みに対して提言(アドバイス)をしていくヘニオだが、それを聞く度にアドレスは更なる悩みを抱えてしまっているようだ。

 そんな中、このまま言葉を重ね続けて筋道のある話をしても、アドレスの悩みを解決できそうにないと思い至ったヘニオに一つの妙案が思い浮かぶ。


「アドレス君は顔はいいんだけど、そのびくびくとした態度が……そうか、ふむ。そういえば、丁度生徒から興味深い本を没収していたから持って来るよ。今のアドレス君が欲しているものが詰まっているはずさ」

「でもそれって、規則違反物品じゃないんですか? 大丈夫なんですか?」


 普段と違って口数が多くなり、慌てふためいているアドレスを新鮮に感じ、もうしばらくはこのままやり取りを楽しんでいたいと思うヘニオだったが、それ以上に後輩の背中を押すことに心情が傾いていた。

 この行為はアドレスに対してだけでなく、彼の思い人であるセンシアの為にもなると確信しているからだ。

 そうしてヘニオが持って来た本をアドレスに手渡すと、そこに書かれていたのは……


「”デートを成功させる十三の秘訣と爆モテ男道場”?」


 実に胡散臭そうな題名(タイトル)ではあるが、そういったことに実に疎いアドレスにからすれば、実に頼もしく感じられるものだった。


「あぁ、私も少し目を通したんだが、残念なことに淫猥なものは載っていない健全なものでね。ただ、アドレス君にとっては茨の道になるかもしれない。それでも君はこれを手にするかい?」


 発言内容の一部に不真面目なものが含まれていたように感じられたが、その声音は真剣なもので、先輩としても一個人としてもアドレスの事を気にかけていることがはっきりと伝わるものだった。


「ぼくは……」


 これまで過ごして来た年月はとても心地良いもので、これ以上を求めるのはもしかすると贅沢なのかもしれない。

 今の関係のままいられることが、本当は幸せなのかもしれない。

 だが、アドレスは自身の胸に秘めた想いを無かったことにはしたくなかった。

 この想いは特別で、誰にも譲れない、手放したくないものだから。


「っ、ぼくはこれで、センシアとのデートを成功させて見せます!」

「いい顔をするじゃないか。なら、これは君に預けておくよ」


 まるで戦場に征くことを恐れない、戦士の表情に見えなくもないアドレスは、没収本を受け取るとその場で早速目的の(ページ)を開き、そこに記されている文言を読み始めた。だが……


『一つ! デートの成功は一日にしてならず、回数を重ねるべし!』


 その一文を読んだことによって、彼の悩みはまた一つ増えてしまったのだった。


「や、やっぱりいきなり上級は駄目ですね。家に帰って、最初からゆっくりと読んでみることにします」

「それがいい」

「先輩、あの……ありがとうございました」


 立ち上がり、優しい笑みを浮かべるヘニオに深く頭を下げると、アドレスは踵を返して部屋の扉に手を掛けた。

 そんな彼の背に、ヘニオはこの学院最後の言葉を贈った。


「アドレス君。褒められるところや長所といったものは、人の価値観によって変わるものだ。何気ないことでも、人によっては価値が生まれる。ならば君のとって大切なのは、君の思い人にとっての君への価値だ。それを君はすでに持っている」

「え?」

「その答えは、君がこの部屋にいること。そして、私を送り出すための舞台を、君も作ってくれているということさ」


 その言葉の意味を、アドレスはあまり理解できていなかった。だが――


「それはね。”君が彼女の傍に在り続けた”ということだよ」


 その言葉を決して忘れることはないだろう。

 このときのアドレスはただ漠然と、何故かそう感じていた。



 …………

 ……



「何度言えばわかるんだ! 別に迷惑なんて掛けてねぇだろ!」

「何度言えばわかるのよ! 今日くらいはちゃんとしなさいよ!」


 時は廻り、一年経って、次はアドレスとセンシアが多くの下級生たちから見送られる番となっていた。

 だがこの一年間……いや、大きな変化があったのは一年前。

 それはこれまで人に迷惑をかけることなく、やや内向的で控えめに他者と接していたアドレスが、まるで別人のようになってしまったことだった。


 学院の制服は着崩し、学院規則に抵触するような改造(アレンジ)を施していたり、華美な装飾品を日によって付け替えていたりと、それは学院だけに限らず私服や彼の自室も同じように派手になっていた。

 性格などに関しても、先ず”ぼく”ではなく”おれ”と自分の事を呼び始めた。

 この部分に関していえば、生きた年数や人間関係によって変わることは世間的にもよくあるのだが、問題はそれ以外だった。

 礼儀正しく、丁寧な口調だったのが一転し、粗雑なものへと変わり、教員に対しても敬語を使うことは殆どなくなっている。

 なにより、アドレスが学院内にいる時は、その周りには必ず数名の女子生徒が取り囲んでいるほどの女たらしになっていた。


 しかし、それでも彼が学院の問題児として教員から厳しい指導を受けていないのは、他者を不用意に傷付けたり、授業妨害や備品の破壊行為などを一切行っていないからだ。

 口調と外見は優等生ではないが、成績も常に上位を維持し、他の生徒からの苦情などもこれといって寄せられていないような、至って真面目さの窺える学生。

 それが教員たちの評価であり、学院行事ともなれば率先して同級生をまとめようとする姿に、センシアに並んで生徒からの評価も高い。


「これでも、おれなりにちゃんとしてるんだよ!」

「いつもと変わらないじゃない! もう、昔はそんなんじゃなかったのに! アドレスのバカッ!」

「な、くっ! 昔と変わって何がいけないんだよ! あぁもう! 生徒議長サマは自分の席に戻って、とちらねないように挨拶の練習でもしとけよ!」


 これまでも二人の間では様々な事で口論になっており、一部の者たちからは夫婦漫才の様だとも囁かれていたが、今の二人のやり取りにはどこか今までにない苛立ちのようなものが感じられる。

 その彼らの声は教室内だけでなく、両隣にまで響き渡り、いつもと違う様子を感じ取った生徒たちの間でも、妙な緊張感が広がっていた。


「悪ぃ、ちょっと便所行ってくるわ」

「お、おぅ」


 教室内の雰囲気を察したアドレスは一旦教室を離れる為に、近くに座っていた同級生に一言伝えると教室を後にした。

 それと同時に、センシアも友人に用事がある旨を伝えると、教室を出てアドレスとは逆方向に歩いていく。

 二人の距離は背中を向けたまま、ただただ広がっていくばかりだ。


「なにがいけねぇんだ。勉強も努力してる。あいつみてぇに、たくさん友人も作れた。他の子たちとデートし(遊びに出かけ)ても、みんな楽しかったって言ってくれてる。なのに、センシアを前にするとどうにも上手くいかねぇ」


 若さゆえの過ちをした少年は、それでも諦めず前を向いて進んで征く。


「おれはただ、センシアを守れるくらい強い男になりたいだけだってのに。そんで早くカッコイイ男になって、センシアに思いを……じゃねぇと他の男……って、くそ……はぁ」


 それがたとえ、苦難とすれ違いの連続になるのだとしても、揺らぐことなく。



「少し雰囲気が変わって、最初に私が褒めたのがいけなかったのかな。あのピアスだって私の贈り物だし……今でもつけてくれてるのは嬉しいけど、私だって注意しないといけない立場なんだから」


 真面目さは美徳ではあるが、それに拘るが故に少女は選択を間違える。


「私にとっては、小言を言いながらもなんでも付き合ってくれていたあのときのアドレスだって、ずっと頼もしいと思ってたのに。いつから素直になれなくなったんだろう……本当は私だって……はぁ」


 それがたとえ、真意に気付いたのだとしても、変わることなく。



 …………

 ……



 今でも大切な先輩に残した言葉を思い出す。

 センシアが学院を卒業し、魔憑の適正があると判断されて魔憑部隊に入隊すると決めたときも、アドレスは必死に努力し、彼女の傍に在り続けた。

 どれだけ空回りしても、上手くいかなくても、喧嘩しても、彼がセンシアの傍から離れようと思ったことは一度足りともない。

 だが、彼は気付いていた。

 いつからか、自分は何かを間違えてしまっていたのだと。

 それでも元に戻ることは困難で、何がいけなかったのかもわからない。

 故に、彼は先輩の残した言葉だけは守り続けた。

 だからこそ、その先輩にもう一度会ったとき、あのときくれた言葉の本当の意味を、アドレスはずっと聞きたいと思っていたのだろう。

 それでもいざ会ってみると、なかなかその話題を切り出せなかったのは、何年経っても進展がないまま、いまさらになってという羞恥心があったからなのかもしれない。

 だからこそ、もう一度……今度は二人に贈りたい言葉があった。


 だが、彼がその先輩に会うことは、もう二度となかった。なぜなら――



 …………――――――――



「は? なにこれ、ラブコメか。どうしてこの二人の資料だけ、こんなオマケがついてるのよ。ふざけんじゃないわよ、誰よこのプチ小説風に資料作成したやつは。だいたい、先輩の言ってることまったく理解してないじゃない、このアドレスって男」


 これまで目を通していた資料から一変し、いや、一応きんと纏められている資料もあるのだが、ついでのように付け加えられた追加資料という名の安いプチ小説を読み終え、黒髪の少女は呆れ交じりの言葉を吐いた。


「どれだけ無茶をしても、面倒臭いことでも、なんだかんだ手伝ってくれて、ずっと傍に居続けてくれるだけでこの子にとっては……この子に、とっては……」


 ふいに、漆黒の男の姿が脳裏を過ぎる。

 優しい瞳、温かな手、安らぐ声音……傍にいてくれるだけでよかったという思いは、彼女にとっても共感できるものだった。

 だが、彼女が傍にいて欲しいと願った男はもう、この世にはいない。

 だからこそ、まだ間に合うこの二人には、たとえこの世界に残された時間が僅かであっても幸せになって欲しいと思いながら、その資料の最後の頁を閉じた。

 そして、裏面に書き残されていた言葉を見て、彼女の表情が一転する。

 

『なぜなら――アドレス君の変化が私のせいだとバレてしまえば、センシア君にどんなお叱りを受けるかわかったものじゃないからね! ――ヘニオ・アウダース』 


「って、あんたか!」


 この資料を作成した人物の名を見て、勢いよく立ち上がりながら思わず突っ込んでしまうものの、はっとした表情を浮かべながら、彼女は誰にも見られていないかと周囲を見渡した。

 そして少し頬を染めながら、椅子に座り直し……


「まったく、このヘニオ・アウダースって男はとんだ……え? アウ、ダース? ……ヘニオ・アウダース」


 聞き覚えのある名前に大きく目を見開いた。

 そして、今朝届いたばかりの報告書を手に取り、忙しなく視線を動かしていく。


「今の資料が届いたのは一昨日で、この報告書が今朝届いたということは……」


 世界が混沌と化してから、急激に失われていく戦力の把握は重要だ。

 故に、各七国の被害や降魔の進行度、物資の量や戦力の詳細は、必ず全ての神々の目に入るように手配されている。

 そして、彼女が今朝方に目を通した報告書に記載されていたのは――


【アフェクト地域に開いた魔扉が活性化する兆候が見られたため、住民の避難を目的とする作戦の最中、遅滞作戦に参加したオニクス隊のうち――――――】


「……笑えない」


【――――――ヘリオ・アウダース】


 並んでいる名前を見て、彼女は下唇をきゅっと締めた。


「ほんと、わらえないわ……」


 そう言葉を零しながら悲痛に顔を歪めると、死地に赴くと決まっていた中、どんな思いでこの資料を作成し、その地へと向かったのか。

 そんなことを考えながら、本来命じられてもいない、必要のないこれを書いた著者の下に残された言葉を指なぞりながら、彼女は自分の役目を再確認する。


『辛いとき、苦しいとき、悲しいとき、寂しいとき、いつも隣にあった顔を思い出してみるといい。たとえ素直になれなくても、その答えが君たちにとって素直な心の在り方だ』


 贈りたい言葉があったと書き記したヘリオは、いったい何故この資料にその言葉を書き残したのだろうか。

 誰かに伝えて欲しかったのか……違う、そんなはずがない。

 伝えて欲しいなら二人に遺書を残しておく方が確実だし、下手くそな小説の最後にあった、明るく戯けた雰囲気の言葉は不要だろう。

 つまり彼は、()()()()()()にしておいて欲しかったのだ。

 その上で、贈りたかったはずの言葉を残している。

 それは紛れもなく、この資料に目を通す者へのメッセージで……


「背負うものが、また増えたわね……って、違うか」


 彼はきっと、この世界が終わると神々に告げられても、それを告げた神々たちがまだ何かを成そうと足掻き続けているのを感じ取ったのだろう。

 それが何かわからなくとも、まだどこかに救いはあるのだと。

 そしてそれは彼だけではない。

 おそらく、現在(いま)を必死に生き続ける者たちの誰もが、そう信じているのだ。


「増えたわけじゃない。最初から、共にこの世界の運命に抗い続ける人たちのすべてを、私は背負っている」


 故に失敗は許されず、休んでいる暇などありはしない。


「出会ったことはなし、貴方の最期を私は知らないけれど、貴方の思いは無事に私の元へと届きました。だからどうか、安らかに。優しき貴方の魂に、月の恩寵のあらんことを」


 すべてはそう、この狂った駒戦(チェス)盤を引っ繰り返すその為に。




 ………………

 …………

 ……




「―――ハァ、ハァ。ん……ちょっと肩が凝ってきちゃったかしらぁ~」


 妖艶な肢体に乱れた長い髪。少しばかり息は上がり、呼吸のたびに大きく上下する胸元とその谷間に滑り落ちる汗さえも、普段と違った彼女の色香を更に引き出している要素になっているようにも思える。

 今の彼女が町を歩けば、すべての男の視線を奪い去ってしまうことだろう。

 しかし、彼女の周囲に人の姿は無く、それどころか動物や植物の気配、太陽の光すらも感じられない。

 あるのは砕け、ひび割れ、或いは焦げ付き、凍っている地面だけだ。

 それは彼女の周囲だけでなく広範囲に及んでいるようで、なんの変化もしていない地面の面積を探す方が難しいと言えるほどだった。


「まぁそれでも、マスター以外の者が私に触れられるとは思わないことよぉ?」


 そう言って、彼女が視線を向けた先には停止したままの降魔の群れ。

 動こうとしているのか、微かに指先などが震えているものの、何もないはずのところで何故か身動きがとれないでいる。

 そんな中、色欲を振りまく七深裂の花冠(セブンスクライム)が一片、リリス・ルクスリアの投擲した大型の手裏剣(チャクラム)が鎖の音を鳴らしながら一体の降魔の首を刎ね、手元の鎖を回すと同時に、大きな円を描く手裏剣(チャクラム)が周囲の降魔を真っ二つに切断した。


「次の小休止までもう少しかしらぁ。ん~……もっと一気にたくさんで攻められると私も興奮しちゃうけど、まだまだ物足りないわねぇ」


 幾つかの揺らめく紫黒の何かを見つめながら軽く肩を揉むリリスは、柔らかい口調ながらもどこか苛立った様子で、ただその光景を眺めていた。

 数秒後、それらの輪郭の揺らぎは次第に大きくなり、四足の獣や見上げるほどに大きな異形、多種に渡る降魔の群れと化す。


 そう、彼女が立つここは冥国オスクロイアにある深域(アヴィス)の奥地――中界(カオス)

 降魔の巣窟であり、憎悪で満たされた混沌に支配された世界。

 内界と外界という二つの世界と繋がる狭間だ。


 即ち、ここに生まれ落ちる降魔を討ち漏らすということは、両方の世界に降魔を解き放つということでり、人の命が奪われることに他ならない。

 それは彼女の信じる主が望まない世界だ。

 今は亡き主の願いのために、彼女と彼女の盟友たちは死力を尽くして、主の想いを尊重する。

 その果てが見えないものだとしても。

 その果てに自身が居ないのだとしても。


「んふふ~。そうよ、もっともっときなさぁ~い。頑張らないと、マスターから流れてくる力がもっと私を魅力的に着飾るわよぉ? ねぇ――憐夢兎(レンムウ)


 リリスの左腕にある紫色をした腕輪が輝くと、彼女の左手には鋭い鉤爪の着いた革手袋(グローブ)が装着されていた。

 

「ふふ、ふふふっ。頭と背中がむずむずしちゃうわぁ。でもできるだけ、あの姿に戻るのは嫌なのよぉ……だから、ね? 早くすべてを出し尽くしなさぁい!」


 一足で間合いは無くなり、一振りで紫黒は霧散する。

 右手には首や四肢を断つ巨大な手裏剣(チャクラム)

 左手には五体を四散させる強靱な突鋼糸。

 回転は幾つもの衝撃を生み、肉を断つ音が止むことはない。

 糸で操られた異形たちは、まるで舞踏(ダンス)を申し込むように差し出した手で互いを貫きながら、頭を失いその場で崩れ落ちる。

 憎悪を胸に宿しながらも、異形を刻むことに愉悦で頬を赤らめながら、無抵抗でいるしかできない相手を惨殺し続けるリリスは、まるで悪魔のそれだった。


「まだよ、まだまだぁ! 私からあの人を奪ったのだもの! なら当然、千度は生まれ変わって私に舞踏(ダンス)を申し込みなさ~い! その悉くを斬り裂いてあげるわぁ!」


 美しい正装(ドレス)に身を包み、大切な人に触れるためにしなやかな指先を伸ばしても、その手を取ってくれる相手はもういない。

 それでも全てを魅了する色欲の化身は、全てを拒絶し踊り続ける。

 夢に見た舞踏(ダンス)は叶わないまま、地獄で披露する彼女の武闘(ダンス)は、ありとあらゆるもの全てを惹きつけるほどに鮮烈だった。

 


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