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それは現のイストリア  作者: 御乃咲 司
二章 GOD-巡逢のヴェンデッタ
23/55

19.夜天に咲く大輪の華

 

 燦々と輝く太陽がその姿を隠しても、年中を通して秋に近い気候である月国でさえ蒸し暑い日々が続く中、ユーフィリア家の屋敷では夜であることを忘れてしまいそうになるほどに明るい声が響いていた。


「兄さん、海に行きましょう!」

「お兄ぃ、海に行くっす!」

「お兄さん、海に行ってみたいかな」


 いつもの事ではあるのだが、その声の主は外界の三馬鹿という愛称が周囲で定着しつつあるツキノ、モミジ、シラユキの三人だった。

 それは夕食を食べ終え、家族での団欒の時間を過ごしていた最中の発言だ。

 言葉こそ可愛げがあるものだが、彼女たちの表情は戦場にいるかのような真剣味を帯びたものだった。


「またお前さんたちはそんな訳の分からないこと言って……」


 呆れた様子でそう言い残しつつ、ブリジットは夕食の後片付けをすべく、台所へと向かった。その後ろ姿はいつもと変わらないが、どこか不機嫌にも見える。

 ブリジットは心配なのだ。万が一でも家族が危険晒される可能性があることが。

 今は一応の平穏を保ってはいるが、良くも悪くも注目の的だったロウたちに向けられるのが善意だけという保証はどこにもないのだから。


「あまりブリジットを心配させないようにな。それで、どうしていきなり海に行きたいなんていったんだ?」

「そうよ、遊びに行きたいなら山じゃ駄目なの?」


 ブリジットの心情を察したロウが釘を刺しつつ問い掛けると、同じくその意図を察したシンカが重ねて問い掛けた。


 青々と陽射しを受け茂る木々。清流の冷たさを感じ、木洩れ日の穏やかさに触れて忙しない日常から遠ざかることのできる山も十二分に楽しめるだろう。

 月国フェガリアルでの一般的な行楽地といえば、主に山か高原なのだ。それに付随して湖や川、一部の者は洞穴などに訪れたりもしている。

 仮に海で休暇を過ごそうとすれば、海国エデルメーアへ渡るか内界へと降りるしかないだろう。そして現状を考えればそれは容易なことではない。しかし……


「駄目です。だって、兄さんが私の水着姿を見られないじゃないですか!」


 屋敷内に響いたその言葉にロウとシンカの思考は暫し間止まり、無音になった広間には台所の水音が届く。

 ふと我に返ったシンカが自信に満ち溢れた表情のツキノに声をかけようとするが、どんな言葉が適切なのかが分からないでいた。

 しかし、ロウに水着姿を見せたいというのなら、何も海でなくとも川や湖でも問題はないはずだ。そう思い、再び口を開こうとした途端、普段は騒がしいことを苦手とする者から意外にも賛同する声が上がる。


「父様、我儘はあまり言いたくないが俺も海に行きたい」

「「……え」」


 ユーフィリア家の番犬ならぬ番狼、フォルティス。

 尻尾を大きく振りながらツキノたちの提案に乗る彼に、ロウとシンカは驚きを隠せないでいる。

 常識や規律、父親(ロウ)の言いつけを守る彼が何故……と思う二人ではあったが、ロウはそんな息子の我儘に内心安堵しているところもあった。

 記憶を失っていたロウが再びこの屋敷に戻ってくるまでの間、フォルティスは誰に甘えることもなく、弱音を吐くこともないまま過ごしてきたのだ。

 再会した後でさえもロウの意思を優先して行動していたフォルティスは、どこかで自分を律しているようにもロウは感じていた。

 であれば当然、大切な家族の些細な我儘くらい叶えてやりたくなるもので……


「……なら、行くか。海」


「やったー! やりましたよ、二人とも!」

「明日はさっそく水着の調達に行くっす!」

「お兄さんの好みなやつを選んでみせるかな」


 ロウの口からいつもの微笑みと共に求めていた言葉が発せられると、感極まって歓喜に溢れた声を上げるツキノ、モミジ、シラユキ。 


「ありがとう、父様」


 そして、一段と尻尾の振る速度が上がっているフォルティス。その背中には、掌を握って親指を立てながら彼を称えるロザリーが抱き着いていた。


「はぁ……貴方がそう言うなら止められないじゃない」

「まったくだよ。パパは本当に甘いんだからさ」


 溜め息を吐き、非難するような言葉をかけるシンカとブリジットだが、その表情は言葉とは裏腹に、こうなることが予想できていたかのように微笑んでいた。

 二人の反応の真意を察したのか、ロウは特に言葉を零すわけでもなく、ただ申し訳なさそうに二人の顔色を窺うのであった。




 ………… 

 ……




 ――それから数日後


 太陽から降り注がれる光と熱量を遮るものは何もなく、一面の砂浜をじりじりと照らしつけ、止むことなく迫ってきては引いてゆく波に反射し煌いている。

 遠くに見える水色と藍色の境界はどこまでも広く横に走り、空には綺麗な真っ白い雲が穏やかに流れていた。

 ここはとある人物が頻繁に訪れるという、人の訪れる事がほとんどない海岸。

 そんな砂浜に足を踏み入れたのは……


「ついにやって来ました! 魅惑の海です!」

「海っす! 広いっす! 青いっす!」

「モ、モミジ! そんなに動くと取れちゃうんじゃないかな!?」


 見える瞳の色と同じ紫色を基調とした水着のツキノ。

 動きやすさを重視した橙色の水着にビーチデニムのモミジ。

 白いビキニに蒼いパレオを巻いたシラユキ。

 それぞれに違った魅力を纏いながら、三人は興奮気味に砂浜を駆けていく。


「これが海か……」


 個人所有ではないというのに他に人影はなく、どこか贅沢に感じられる。

 そんな現実とは異なる空間で三人は言葉では言い表せない感動を胸に声を上げている中、年齢相応に騒いでいる三人を少し羨ましく思いながらもフォルティスは、潮風に乗って運ばれてくる熱気と磯の香りを波打ち際で感じていた。

 一方、いつも彼と一緒の吸血鬼(ヴェリラス)の少女はというと……


「無念。…………ぁぅ」

「ったく、だから日傘を差すように言ったんだ。お前さんはクローフィと違って純血なんだから」


 海に到着するまで待ちきれない様子だったロザリーだが、普段感じる事の無い日射量に敢えなく撃沈。体質的に強い日差しに弱い上、出不精(引きこもり)だったせいで、ここに辿り着くまでの間にすでに体力を使い果たしてしまっていた。

 そんな少女は今、大傘日(パラソル)の陰でブリジットに介抱されている。

 少し休めば復活するだろうから心配はないが、せっかくの海だというのに勿体ない話だ。


「反論。ブリジットも同じ引きこもりなのに不公平」

「お前さんと同じにするんじゃない。といっても、ツキノたちみたいに走り回る元気はないけどね」


 そう小さく苦笑し、ブリジットは楽しそうにしている家族へ視線を戻した。

 


「すんすん……塩の匂いだ。ぺろ……っ!? なんだこの塩辛さは!」


 海面に鼻を近づけて匂いを嗅ぎ、ひと舐めしたフォルティスから漏れる驚声。

 そんな彼を笑いながら、ツキノは初めて海に来た彼に言葉を掛ける


「ふふっ、海はそういうものなんですよ。そして川や湖と違って、浮き輪がなくても簡単に浮きます」

「でも、自前の浮き袋がある人には関係ないかな」

「え? ちょっ、あの……二人ともなんでこっちを睨むんすか?」


 モミジというよりも、彼女の胸を凝視するツキノとシラユキの瞳には、ある種の殺気的なものが含まれていたが、持つ者に持たざる者の気持ちなどわからない。

 狼狽えながらもじりっと僅かに後退したモミジは炎天下の中、陽の光とはまた違ったものによって額から汗を滲ませていた。


 そんな四人の姿をロウとシンカが微笑ましく見つめていると、いつの間にか彼女たちの視線が二人に注がれている。


「どうした? せっかく来たんだし、俺のことは気にせず羽を伸ばすといい」 

「とはいっても、あんまり遠くまでは行かないようにね」


 まるで保護者の様な言葉を口にするロウとシンカの服装にツキノたちは呆れ果て、思わず溜息が出てしまうほどだった。

 最初から泳ぐつもりはなかったのか、いつもと変わらない黒の衣服を身に纏いながらも涼しげな表情のロウ……は、もういい、諦めている。

 彼に関してはいつも通りだし、ツキノたちにもある程度予想できていたことだ。

 一日をかけて選んだ水着もすでにたっぷりと褒めてもらったし、一緒に遊びたい思いはあるものの、百歩譲ってまだ許容することもできる。

 だが、許せないのは彼の隣にいる少女の方だ。

 なにせ水着には着替えているものの、シンカはその姿を隠すように、丈の長い上着を羽織っているのだから。


「兄さんはともかく、シンカ……ここまで来てそれはどうかと思いますよ」

「え? だ、だって……は、恥ずかしいじゃない」


 じっとりとしたツキノからの視線を受け、シンカは僅かに頬を紅潮させながら言葉を返すものの……


「往生際が悪いかな」

「も、もうちょっとだけ心の準備をさせて! お願いだから!」


 同様の瞳をシラユキからも向けられ、必死の抵抗を試みる。だが……


「海なんすよ? 開放的なこの場所で心の準備なんて必要ないっす」

「脱がなくても海には入れると思うわ! えぇ、むしろ入ってみせるわ!」


 モミジの一言により、シンカは何を血迷ったのか、水着に着替えているとはいえ上着を羽織ったままの状態で波打ち際まで駆けていき、そのまま勢いを落とすことなく海に飛び込もう足に力を込めた。


「えっ!? ちょっと!」


 が……踏み出そうとした最後の一歩は地面を蹴ることなくその場で留まっており、シンカは自身の体を自分の意思で動かせないでいる。


「モミジ、そのまま維持してください! いつものドジは無しの方向で!」

「今の内にシンカを連れ戻すかな。今日くらいは何事も無く過ごしたいから、せめてボクたちを巻き込むのだけは止めて欲しいかな」

「ふ、二人とも、それってどういう意味っすか!?」

「「集中!」」

「……ハイっす」


 繊細な操作を求められる念動力の能力を有するモミジによって、その場から動けなくなっているシンカを連れ戻しに向かうツキノとシラユキ。

 能力によってシンカを引き寄せないのは、単純にモミジの技量不足により、不測の事態(トラブル)に見舞われる事が極めて多いからだ。


 そうして、シンカを無事回収して説得を試みるものの、この期に及んで首を縦には振らない彼女に対し、ツキノはある勝負を持ちかけることにした。


「そこまで水着姿を見せたくないといのなら仕方がありません。シンカ、私たちと勝負をしましょう」

「ボクたちが勝ったらその上着を脱ぐといいかな」

「すぐにその無粋な布をひんむいてやるっす」


 太陽に焼かれた白い砂の上で正座しているシンカを囲んだツキノたち三人が一方的に宣言するが、シンカは俯いたまま口を開こうとはしなかった。

 そのことに疑問を抱いたシラユキがシンカの顔を覗き込もうと近付くと、彼女の耳に届いたのは、炎天下の砂浜よりも熱い感情の籠った声だ。

 それはハッキリと聞こえない程に小さな音ではあったが、シラユキの魔憑としての本能が危険だと察知するには十分で……


(……あ、これはちょっとマズいかもしれない、かな?)


「そこまで言うなら受けてあげようじゃない、その勝負。もちろん、私が勝ったときは貴女たちにも相応のことをしてもらうわ……いいわね?」


 力強い宣言と共にシンカはおもむろに立ち上がると、戦場にいるときの様な雰囲気を纏い、三人の顔に視線をゆっくりと流していく。

 シンカの表情に鋭さや険しさは一切なく、見惚れるほどの微笑みではあったのだが、彼女の言葉に圧倒され、勢いを失ったツキノたちはただただ首を縦に振ることしかできなかった。



 一方、これまでの経験上、距離を置くのが最適解であると判断したロウはいつの間にかこっそりと、太陽の熱と少女の威圧感(プレッシャー)の届かない大日傘(パラソル)まで撤退していた。


「はぁ……相変わらずシンカは面倒な性分をしてるねぇ」

「何を恥ずかしがってるんだろうな」

「はぁ……相変わらずパパは乙女心が分かってないねぇ」

「……ん?」


 困り顔で息を吐いたブリジットは、鍔の大きい麦わら帽子に背中の大きく開いたモノキニという海辺を楽しむための姿でありながらも、大日傘(パラソル)から出ることを避けているようだ。

 肌を陽射しに晒したくないからか、本調子ではないロザリーの介抱の為なのかは本人しかわからないところではあるのだが。


「借問。フォル君はどこに行ったの?」

「……あそこで泳いでいるのがそうじゃないか?」


 両眼を細め、じっと遠くを見た先では、海面から頭部だけを出したフォルティスが気持ちよさそうに泳いでいる。

 その手前の砂浜では四人の少女たちによる何かが始まるようで……


「さて、誰が勝つのかね。何か飲み物はいるかい?」

「折角だからもらおう。ロザリーも水分は摂っておこうな」


 少女たちの一夏の大一番を、ロウたちはブリジット謹製のよく冷えた果実飲料(ジュース)を手に見守ることとなった。




 砂浜に立てられた一本の細い氷の棒。それはシンカたち三人が集まっているところから適度に離れたところで、倒れないように砂で固定されている。

 傍には氷の棒を生成したシラユキが立っており、シンカたちの方に向かって手を振っていた。


「それでは、ビーチフラッグのルールの確認をしますね。この場所で私、モミジ、シンカは俯せになります。そしてシラユキの合図で起き上がり、氷の棒をめがけて走ります。最後に氷の棒を掴み取った人が勝者です。何か質問はありますか? シンカ」

「どうしてシンカだけなんすか?」

「そうね……禁止事項は何かあるのかしら?」

「あれ? シンカまで無視っすか?」


 シンカの質問を受けたツキノは思考を巡らせた後、戦意を含んだ笑顔で言葉を返す。


「一切の戦闘行為、魔力の使用などは禁止としましょう。兄さんとブリジットもこちらを見ているようですし、後はシンカの良識にお任せします」

「わかったわ。お互いに正々堂々と競いましょう」

「えぇ、全力で行きますので!」

「いるっすよ? あたしもいるっすよ?」


 シンカとツキノ、浮かべた笑顔自体は平和的なものであると言えるだろう。

 だが、その中に含まれた闘争心がこの場を殺伐とした雰囲気へと変えているのは決して気のせいではなく、まぎれもない現実だ。

 何による羞恥なのかは分からないが、頑なに水着姿を見せようとはしないシンカと、ロウにいいところを見せようと当初から目的が変化しているツキノ。

 何もないはずの二人の間に、火花が散っているようにさえ感じられる。

 そんな中、二対一の構図でありながら、モミジだけが蚊帳の外にされているのは、これまでのドジっ子としての実績があり過ぎるからかもしれない。

 しかしながら、端っから”モミジなど敵ではない”と言わんばかりの二人に対し、モミジの中に沸々と湧き上がる感情があった。


 そうして、開始の合図を出すシラユキが戻ってくると、いよいよ場の緊張は高まり、それと同じように三人の集中力も高まっていく。

 シンカが到達地点(ゴール)の方に背を向ける形で俯せになると、右側にはツキノ、左側にはモミジが同じように俯せになってその時が訪れるのを待った。


 背中に感じる灼けるような太陽の光。


「位置について……」


 それと同じか、それ以上に熱い白砂の床。

 シラユキの最初の台詞と共に、三人の腕に力が籠る。


「よーい……」


 吹き出る汗よりも、次の瞬間には鼓膜に届くであろう合図に意識を集中させ――


「……ドン! かな」


 シラユキの口癖を聴き終えることなく同時に立ち上がり、三人はその身を反転させて疾く駆け出した。

 その時点で、一歩先に足を踏み出していたのはモミジだ。


「あたしが一番っす!」


 短距離における純粋な速さでいうならば、確かにモミジが優勢であることはシンカもシラユキもわかっていた。だが、二人の表情に焦りはない。

 なぜなら彼女たちにとって、モミジが闘争心を剥き出しにすればするほど、この先の結果が容易に想像できたからだ。


「このまま――って、うわっ! ちょっ、へぎゅ!」


 普段は走ることの無い砂浜。それも裸足での全力となれば、普段通りに走ることは叶わないものなのだが、モミジはそんなことを考えることなく全力で疾走した。

 その結果が体勢を崩し、受け身を取る間もなく転倒するということに繋がってしまい…………モミジ、脱落。


 尊いような尊くないような犠牲が出ても、残った二人が気にすることはない。互いに先を譲ることなく、凄まじい速度で砂の上を駆けていく。

 氷の棒までの距離が残り半分を切ったところで、まるで示し合わせたかのように二人は同時に速度を上げた。

 一瞬の隙を見せた敵を逃すことなく食らい付くかの如く、二人は先に見える氷の棒だけを目指して突き進む。


「私は絶対にッ!」


 柔らかい砂浜。

 速度を落とすことなく氷の棒(勝利)を手にするには、このまま全力を以て飛び込むしかない。


「私が絶対にッ!」


 怪我を恐れるわけにはいかない。

 これは二人の少女が互いに譲れぬものを賭けた真剣勝負であるのだから。


「脱がないわ!」「脱がせます!」


 同じものをその瞳に映しながら声を重ね、大きく手を伸ばし、まったく同じタイミングで踏み切る足に全力を込めて跳躍すると、二人は砂埃を盛大に上げながら倒れ込こんだ。

 勝者の手には暑さで溶けだしている氷の棒。

 敗者の手は悔しさと共に握られている白砂。


 そうして、少女たちの一夏の大一番はこれにて決着となった。



 …………

 ……



 青海と白砂を照らしていた日輪の輝きは変化し、温かみのある茜色となりながら境界の彼方へとその姿を隠そうとしていた。

 その優しい明かりの中、二つの長い影がゆっくりと波打ち際を歩いている。


「まだ気にしているのか?」

「別に、そういう訳じゃないけど……」


 苦笑しながら振り返ったロウに、口を尖らせ言葉を漏らすシンカ。

 俯きながら歩く彼女は白黒を基調とした水着を着ているのだが、しきりに腰や腹部を触りつつ顔を顰めていた。


「俺からすれば変わらないように見えるけどな」

「そ、それでも気になるものは気になるの。ブリジットの作る料理が美味しすぎるのがいけないのよ」


 シンカが頑なに水着姿を見せることを拒んでいたのは、近頃になって少しばかり食べる量が増えていたことが原因だった。

 ロウには理解し難い事ではあるが、一部の女性にとってはたとえ極僅かな差であっても重大な問題なのだ。

 綺麗な形をした豊満な胸、くびれた腰、長い四肢と、多くの女性に羨まれそうな体型をもっていても、周りの評価などは関係ない。特定の男の前でより綺麗でいたいと思うことは、決して贅沢な悩みなどではないのだから。


 しかし、ロウがそんな彼女の思いに気付くはずもない。

 それでもシンカの沈んだ表情がいつもの気高いものに戻って欲しいと思うロウは、ただ自然と彼女へ言葉をかけた。すると……


「どんなときでもシンカは素敵だと思うよ」


 茜色に染まる空の下、海面に反射した光がシンカの頬を照らしていても尚、それ以上に頬を紅潮させるその言葉に、彼女は嬉しそうに眼を細めて恥ずかしそうに俯きながら、小さく感謝の言葉を呟くのだった。



 …………

 ……



 青海と白砂を照らしていた日輪の輝きはすでになく、夜天には優しさを含んだ白光が浮かんでいる。

 日中にあれだけ騒いでいたにもかかわらず、ツキノたち三人に疲れた様子はまるでない。砂浜でしゃがみ込み、何かを囲うようにして談笑していた。


「あ~っ! 今のはなし、なしっす!」

「流石に三回目のなしはなしかな」

「そうですよ。このままだと、私たちだけで使い切っちゃうじゃないですか」


 悔しそうに頬を膨らませるモミジを窘め、宥めているシラユキとツキノの手には細長い紙縒りがあり、周囲には独特の火薬の匂いが漂っている。

 彼女たちの傍には水の張られた容器が一つ置かれており、中には先が黒く焦げ付いた使用済のものが浮かんでいた。


「へぇ~……これが線香花火なのね」

「シンカは初めて見るのか。なら一度してみるといい。きっと気に入ると思う」


 帰り支度を済ませ、三人の元へ近寄って来たのはロウとシンカだ。

 離れたところでは存分に海を満喫したことで疲労しているフォルティスが横になっており、ブリジットとロザリーが苦笑しながらその介抱をしていた。

 

「遅いですよ、二人とも。もう少しでモミジが花火を使い切るところでした」

「はい、シンカ。お兄さんも」


 シラユキが差し出したのは赤紫と群青の二本の線香花火。

 それを受け取ったシンカが物珍しそうに様々な角度から観察していると、傍にいた四人の温かい視線を感じ、恥ずかしそうに手元から視線を外してしまう。

 戦場とは違う、無邪気さや幼さの感じられるシンカを遠くから見ていたブリジットの眼差しは保護者のそれだった。


「風の出ないうちに始めようか」

「そ、そうね」


 ツキノたちの空けてくれた空間(スペース)にロウとシンカもしゃがみ込むと、その中央には火の灯った蝋燭が平らな石の上に立てられていた。

 静かな夜の中、小さく煌くその明かりはとても優しく感じられるも、少しの風で消えていまいそうなほどに頼りない。

 そんな蝋燭の灯りの中でシンカは線香花火についてを教わり、真剣な表情で手にした線香花火の先端を蝋燭の火に近づけていった。


「揺らさないように気をつけてな」

「え、えぇ……」


 手が緊張で震えそうになるのを堪えていると、火のついた線香花火の先端が丸くなり、波の音で掻き消されるほどの小さな音が火花と共に一つ、二つと、不規則に聞こえてきた。

 それは次第に勢いを増し、小さいながらも自らの存在を世界に示すように激しく火花をまき散らす。


「本当に綺麗ね。でも、少しだけ……」

「……儚い、か?」


 不意に隣から聞こえたロウの声にシンカは頷いた。

 蝋燭を囲っているツキノたちも今は言葉を発することなく、ただただ手元で燃え咲く火華に視線を向け、そのときが訪れるのを見届けようとしている。


「確かに線香花火は小さくて、少しでも力が加われば落ちてしまうからな。そうでなくても咲いている時間はとても短いし、儚いものに見えるだろう」


 そう話すロウの視線も自らの手に在る線香花火に向けられているが、シンカにはそれがどこか別のものを見ているように感じられた。

 そんな中、水平線の先から吹いてきた頬を撫でる風を感じると、その微かな揺れで三つの華が手折られてしまう。


「「「あっ」」」


 ツキノたち三人は線香花火の唐突な最期に思わず声を上げてしまうが、その表情はどこか満足気なようでもあった。

 それを目にしたシンカが感じた違和感を察したのか、少し寂しそうにしているシンカへとロウは声を掛ける。


「花はそれぞれ、一年の内で咲いていられる時期が決まっているだろ? そして、一年後にはまた同じように咲くんだ」

「……うん」

「花火だって同じなんだ。今ここで小さな花弁を散らしても、また次の夏が来たら、誰かの手元で小さくも激しく咲いてくれる」


 いつの間にかロウの手元の音は消え、赤く咲いていた花は音も立てずに砂の上に落ちてしまった。熱を失い、色も炭のように黒くなったそれは、一度目を逸らせば再び見つけるのは困難だろう。


「その儚さの先にある花の在り方を称え、人は自らの夢を託して花が美しい様を咲き誇ると言うんだ」

「……咲き誇る、か」


 花弁の散った赤紫の茎を持ったシンカがロウに向き直り、橙色に照らされたその姿に何か言葉を放とうとしたそのとき……遠くで大きな音が鳴り響いた。

 海上から響く砲弾が撃たれたような音に警戒し、皆が意識と視線をそこに向けると、その場にいた者たちの瞳に映ったのは予想外の光景にして、思考や心、そのすべてを奪われるものだった。


「す、すごいっす」

「これは驚いたかな」

「今日は花火大会だったんですね」


 群青に咲く大輪は一つだけでなく、それらは次々と打ち上げられ、寂しげだった夜空を絢爛豪華に彩っていく。

 一つ一つの華が存在する時間は本当に瞬く間ではあるものの、その刹那的な輝きは確かに咲き誇ると呼ぶに相応しいものだろう。


 不変の白砂、穏やかな白光。永動の大海、煌びやかな華。


 波打ち際を境界にしての二つの景色は対極に在るかに見えるが、それぞれの景色に隔たりはなく、一つの世界の中で共存している。


「この景色もさっきの線香花火も、同じ咲き誇る花なのね」

「人も同じだ。最期というものは必ず訪れるが、その儚い終わりを迎えるまでに自分の人生に胸を張る事ができれば、それはとても幸せなことだと思う」


 終りなど無いように天に咲き続ける花々を見上げ、そんな言葉を漏らすロウが想うのは、これまでに出会い別れてきた人々のことなのだろう。

 そう思いながら、出会った頃から表情の奥にある心情を読みにくい黒衣の男の横顔を見つめ、シンカはその傍に一歩近づいた。


「どうかしたか?」

「うん……少し、言っておきたいことがことがあって、ね」


 彼女の真剣な眼差しに応えるように、ロウは聞き逃すことのないように居住まいを正した。

 そしてシンカは意を決したように、一文字に結ばれていた口許を開く。だが……


「最後に――――――――」


 その瞬間をまるで見計らったかのように、一際大きな花火が上がり、シンカの告げた言葉は掻き消されてしまった。

 そして、その大輪の花火が最後の一発だったらしく、群青の空には白い煙と火薬の匂いが残り、静寂の世界が再び訪れる。


「すまない、花火の音で聴き取れなかったからもう一度――」

「それはできないわ」

「……シンカ?」

「さ、早く片付けちゃいましょ」

「シ、シンカ?」


 宵闇の中でも響く声は明るく、集う者たちの表情が翳ることは無い。

 しかし、人知れず消えた灯とその痕跡に向けられた眼差しは、どこか寂しさを含んでいるようにも見えた。

 故に琥珀の少女は思うのだ。

 

 散るは定め、されど花が再び咲き誇るのであれば――


(……貴方の夢を儚いものにはさせない)


 人の夢もまた、散り逝く先できっと再び咲き誇るのだと。

 


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